第62話 リィラルリィ
資料集の方を更新して、身長対比にキャラも追加しています。
善司が目を覚ますと、布団から少しだけ顔を覗かせた可愛らしい耳が見えている。昨夜はリリが善司に抱きついたまま眠ってしまい、あまりにも幸せそうにしているので起こさずに一緒に寝る事にした。
何かの刺激に反応しているのか、それとも夢でも見ているのか、犬のようなその耳は時折ピクリと動いている。子供の頃に両親は祖父母と同居していたが、その家で飼っていたシベリアンハスキーのミックス犬と耳の形やしっぽがよく似ていて、懐かしさや愛おしさがこみ上げてくる。
「こんな娘が居ると、ここは違う世界だってより一層実感できるな」
小さな声でそうつぶやくと、自分を抱きまくらのようにして眠っているリリの頭を優しく撫でる。
「……ぅ、ん………ここ、どこ?」
「おはようリリ」
「……あれ?
どうしてゼンジがボクのベッドに居るの?」
「昨日ブラッシングした後にリリが眠ってしまったから、そのまま一緒に寝たんだよ」
「そっか……
あれ、すごく気持ちよかったなぁ」
リリは昨日のブラッシングを思い出して、うっとりした表情になる。全身の力が抜けて、ちゃんと座っていられない程の快感を体験したのは初めてだった。
「昨日はかなり疲れてたみたいだけど、体調は大丈夫か?」
「良く眠れたしすごく調子がいいよ」
「起こすのが可哀想だったから部屋に連れて行かなかったんだけど、ぐっすり眠れたんなら良かったよ」
「ボク、ゼンジの事が好きだから一緒に寝られて幸せだよ」
「リリみたいに可愛い娘にそう言ってもらえるのは男冥利に尽きるな」
「ボクを可愛いって言ってくれた男の人は、爺ちゃんとゼンジだけだからすごく嬉しい」
リリは布団から出ると善司の首に両手を回して抱きつき、そのまま服の上から肩を甘噛みする。
「いま肩を噛んだのか?」
「あっ、ごめんね、つい無意識にやっちゃった……
痛くなかった?」
「全然痛くないし、嫌でもなかったよ。
それってリリたちの挨拶みたいなものなのか?」
「ボクの遠いご先祖さまがやってた親愛の証だって、爺ちゃんに教えてもらったんだ。
でも、これをやったのはゼンジが初めてだよ」
「へー、なんか嬉しいな」
「爺ちゃんに聞いた時は何でそんな事するのか理解できなかったけど、今のは体が勝手に動いちゃったんだ」
「きっとリリに流れる古代の血がそうさせたんだろうな」
「ゼンジに嫌がられなくて良かった」
「それくらいで嫌ったりはしないから安心していいよ」
そのままリリの頭を優しく撫でると、嬉しそうにしっぽを振って更に密着してくる。独り立ちしてから仕事一筋に打ち込んできて、誰かと一緒に安らぐ時間は無かった。一人のほうが気が楽だったので後悔してはいないが、この街に来て自分を受け入れてくれる存在を前にし、心の奥底で求めていたものを見つけたかのように、善司に甘えていた。
「今日は朝から魔操組合に行くの?」
「今日は出勤日だから、一度職場に顔を出してから向かおうと思うんだけどいいか?」
「うん、それでいいよ」
「俺の雇い主もチサと同じ精霊の血が濃い人だから、リリの事で何か言われたりはしないから安心してくれ」
「ゼンジの周りってすごい人ばっかりだね」
今日の予定を簡単に決めて、リリも自分の部屋に着替えに行く。善司にとっても初めての指名依頼という事で、魔操組合の支部長に確認する事項をまとめながら、出勤の準備をしていった。
◇◆◇
昨日のローブ姿とは違い、今日のリリは七分袖のロングジャケットと帽子という出で立ちだった。善司と2人きりで出かけるので、持ってきた着替えの中で一番オシャレなものを選んだつもりだ。
チサは自分の家やヘルカとトルカの家を少しづつ掃除や手入れをしていて、しばらく手が離せないので魔操組合へは同行しない。ヘルカとトルカの家に設置してある魔操器にはレアなものもあるらしく、掃除や整理を楽しんでいるみたいで何よりだった。
「その帽子、似合ってるな」
「ホント!?
あんまり普段着って持ってないから、どれにしようか迷ったんだけど良かったよ」
似合ってると言われたリリが組んでいる腕を更に密着させると、善司の腕は身長の割にまろやかな感触に包まれていった。
「俺の仕事が終わるまで暇かもしれないけど大丈夫か?」
「一人だとまだ家に帰れないし、ゼンジが仕事をする姿も見てみたいから、問題ないよ」
「座って文字の入力をするだけだから、見てもあまり面白くないと思うけどな」
「そんな事無いよ、ゼンジと一緒に居るだけでも楽しいし、お弁当も作ってもらったからそれも楽しみなんだ」
ハルたちが一緒に出かけるリリのためにお弁当作ってくれたので、善司のカバンの中には二人分のお弁当箱が入っている。
「リリは元の街ではどうやって移動してたんだ?」
「ティーヴァには街のどこからでも見える大きな塔があったから、迷ったらそれを目印にして移動してたよ」
「この街にはそんな大きな建物はないから、その手は使えないな」
「自分で街の地図を作るとかして工夫してみるよ」
「離れていても通じる連絡手段みたいなものがあれば、迎えに行ったり出来るんだけどな」
「離れた場所に文字を送る魔操器はあるけど、伝線に繋がってないと使えないから、迷子になった時は無理だね」
「へぇー、そんな魔操器があるのか」
善司が元いた世界では電話やメール、それに仕事だとグループウェアが主な連絡手段だったが、転送の魔操器以外にも遠隔地に情報を送る手段があるのは驚いた。詳しく話を聞くと、転送の魔操器はエネルギー消費が大きすぎるので、文字だけ送る目的で開発されたらしい。魔操鍵盤と同じ方式で入力すると、手元と接続先に同じ文字が印刷されるので、遠隔出力のタイプライターと言ったところだろう。
「ゼンジの働いてる工房で扱ってるのは、一般向けの魔操器用だけなんだよね」
「小型と中型の魔操板のみで、民生品しか扱ってないな」
「ゼンジはどんな分野が得意な開発者なのか情報が全然無かったんだよ、だからこの街にある魔操組合に依頼を出せるか直接聞きに来たんだけど、本人に会えるなんて思ってなかった」
「まだ駆け出しだから情報がないのは仕方ないな。
リリの持ってきた試作品も一般向けなんだよな?」
「あの裁縫の魔操器は元々業務用の大きな物だったんだけど、すごく便利だから持ち運べるくらいまで小型化出来ないか、ずっと挑戦してたんだ」
空間収納から取り出すところを見たが、女性でも持ち運べる大きさと重量のそれは、地球に存在する卓上ミシンと同等のサイズだった。業務用の大型魔操器をこの大きさまで縮小できるというのは、リリの技術力の高さを物語っている。
「それなら業務用の仕様も取り入れないといけないだろうし、チサがいてくれて助かったな」
「チサは業務用の見本を作る事が多いって言ってたから、2人で釣り合いが取れてるね」
「お互いに補完しあえる関係なのは嬉しいし、俺はもっともっと魔操言語の事を知りたいから、今度の依頼は精一杯頑張るよ」
「うん、頼りにしてるからね」
そんな話をしながら、2人は仲良く通りを歩いていく。なでなでとブラッシングを経て、すっかり善司に心を許しているリリは、腕を抱き寄せながら幸せそうな顔をしている。
古代の血が流れるリリには、チサと同じ様な独特の魅力があり、やはり道行く人の注目を浴びる。特に今日はいつもの地味なフード付きローブを目深に着ているのでなく、顔を隠さずに体の線が出やすい服装なので、小柄でスタイルの良い彼女の魅力を更に引き出していた。
◇◆◇
魔操紙工房の前につくと、リリは善司の後ろに半分隠れるように下がって、腕をギュッと握っている。事前にスノフの事は聞いていたが、やはり緊張してしまっていた。
「すごくいい人だから心配はいらないよ。
おはよう、スノフさん」
「お……おはようございます」
善司が扉を開けて中に入ると、スノフはいつものように検品に出す魔操板のチェックをやっていた。こちらを振り返って挨拶を返そうとした顔が、後ろにいるリリに気づき少し驚く。
「おう、おはようさん。
後ろ子は誰だ? チサ坊やお前さんの関係者か?」
「この女性はリィラルリィという魔操器職人なんだ。
リリと呼んであげて欲しい」
「はじめまして、リリと言います。
ゼンジに見本の開発をお願いしたくて、この街に来ました」
名前に心当たりがあったらしく、スノフは更に驚きの表情を浮かべ、善司とその腕を抱きかかえて隠れるように挨拶をしたリリを見つめている。
「若い女で魔操器職人ってことは、嬢ちゃんが手入れのしやすい送風の魔操器や、パンを焼く魔操器を作ったのか?」
「うん、できるだけ構造を簡単にして修理とかしやすい様に改良したのはボクだよ」
「こいつは驚いた、ここ数年で頭角を現してきたって噂の若手職人が、こんな可愛らしい嬢ちゃんだったとはな」
「リリってそんなに有名人だったのか」
「そんな噂、ボクも聞いた事なかったよ」
「この業界では珍しい女の魔操器職人だから、容姿や年齢に興味を持った男どもが騒いどるだけで、本人の耳には入りづらかろう」
「チサも知ってたから、珍しいだけって理由でもなさそうだな」
「それで、指名依頼に来た本人とこうして並んでおるというのは、一体何をやらかしたんだ?」
スノフはおかしそうな顔で善司を覗き込む、彼の中では目の前の男が何かを呼び込む体質だと確定してしまっていた。
◇◆◇
昨日の帰り道での出来事や、その後に家に招待して家族にも受け入れてもらえたので、これから一緒に生活していく事を説明した。チサやスノフと同じ特殊な血を濃く受け継いでいる事も話したが、耳やしっぽのある姿を見ても、特に驚いたりはしなかった。
「チサ坊に続いて獣人の先祖返りまで引き込むとは、お前さんの周りは凄い事になっとるな」
「お爺さんはボクみたいな人に会った事あるの?」
「ワシがこの街に来る前だから200年以上昔だな、旅をしながら歴史の研究をしとる狐人族の男に会った事があるぞ」
「さすが長生きしてるだけあって、珍しい経験をしてるんだな」
「嬢ちゃんは何の先祖返りか聞いとるか?」
「ボクを育ててくれた爺ちゃんは、狼人族って言ってた」
「ほう、狼人族か……
その血が入ると孤高を好むらしいが、嬢ちゃんはそうでもないみたいだな」
「ゼンジの事は無意識に噛んじゃうくらい好きだよ」
「会って一晩で家族として認めたか、やはりお前さんはワシの想像の上を行くから面白いわい」
そう言って笑いながら、狐人族の歴史研究家から聞いた、獣人族の特徴を教えてくれた。
太古の昔にこの大陸にいた獣人には、自分の認めた相手に忠誠を尽くす犬人族、気ままでマイペースだが懐くと離れなくなる猫人族、臆病で寂しがり屋の兎人族、知能が高く好奇心が強い狐人族などが居たらしい。
狼人族は孤高を好み気位が高いが、家族と認めた人物とはより深い結び付きを求めてくる。それが甘噛みという形で現れるそうだ。
「ボクを育ててくれた人は、自分を熊人族だって言ってた」
「その血が入ると、のんびりして優しくなると言っておったはずだ」
「うん、まさにそんな感じの爺ちゃんだった」
「リリが俺の肩を甘噛みしたのは、家族として認めてくれたからなんだ」
「狼人族は家族をとても大切にしたらしいから、そうやってお前さんにベッタリなのも納得だな」
「ゼンジと家族、嬉しいな」
リリは善司に抱きつき、そのしっぽを大きく揺らす。善司としても、こうして可愛い女性に懐いてもらえるのは、とても嬉しい。
「お前さんたちは魔操組合に指名依頼の手続きに行くんだな」
「仕事に穴を開けて申し訳ないけど、先にそれを済ませてしまおうと思ってる」
「急ぎの依頼は入っておらんから気にせんで構わん。
ワシも魔操板の検品があるから、皆で行くとするか」
3人で工房を出ると魔操組合へと歩いていく、リリは自分の能力で耳としっぽを隠しているが、昨日のように他の荷物を出したりしなければ、うっかり見えてしまう事はあまりないらしい。たとえ他人に見られたとしても、全力でかばうつもりだし、いずれそんな事を気にしないで出歩けるようになればいいと考えながら、善司は歩いていた。
リリの育ての親が、なぜ獣人族の事に詳しかったのかは、スノフの出会った狐人族の男性が残した資料を手に入れていたから(裏話)
この世界で普及している遠隔通信手段は、地球にもある「テレックス」と同じものです。