第60話 魔操器職人
誤字報告ありがとうございます。
作品のファンタジー要素が増えてきましたが、魔操器に関しては荒唐無稽なものはなるべく登場させない方針です(転送の魔操器は出ちゃってますが(笑))
資料集の方は、62話投稿後に更新する予定です。
2人は手を繋いだまま扉を開け玄関ホールに入ったが、リリは少し緊張しているらしく善司の腕に抱きつくように寄り添っている。
「ただいま」
「……おじゃまします」
「お帰りゼンジ、今日は少し遅かったみたいじゃな」
ちょうど階段を降りてきたチサとホールで遭遇したが、その視線は善司の腕を抱きしめて身を小さくしているリリに向けられている。
「ゼンジよ、ワシは今朝お前にこう言ったはずじゃ、“そのうち見ず知らずの婦女子にも手を出しそうでワシは心配じゃ”と、それが何じゃこの有様は!
舌の根の乾かぬうちに見知らぬ女性をたぶらかしおって、しかも頭に妙な装身具をつけさせるとは恥を知れ、このど変態が!!」
「なになにどうしたの、何かあったチサちゃん」
「ゼンジの隣に知らない女の人がいるよ、イーちゃん」
「……おかえりなさい、ゼンジさん」
「……お客さんですか?」
「すごく可愛らしい方ですわね」
「頭についてらっしゃるのは耳……なんでしょうか」
「ゼンジさん、一体その方はどうされたんですか?」
玄関ホールに続々と人が集まってきて、その視線にさらされたリリは、ますます小さくなって善司に密着する。
「訳あってうちに泊まってもらうことにしたリィラルリィさんだよ。
リリと呼んであげて欲しい」
「は、はじめまして皆さん、ボクの名前はリリ。
橋の下で倒れてるところをゼンジに助けてもらったんだけど、財布を失くして困ってたら、この家に招待してくれたんだ」
「チサやハルたちみたいに古い血を受け継いでいて、動物みたいな耳やしっぽが付いてること以外は、普通の可愛らしい女性だよ」
「なんじゃ、そうならそうと早く言わんか。
その形が仮装でないとするなら、大陸北部の出身じゃな」
「いきなり怒り出したのはチサじゃないか……
それより、同じ様な人を知ってるのか?」
「実際に会ったのは初めてじゃが、ワシらのように古代の血を受け継ぐ者が生まれると、聞いた事があるくらいじゃな」
「ねぇゼンジ、上着を脱いでみてもいい?」
「しっぽも見せてくれるのか、服は俺が持つから構わないよ」
リリはゆっくりとローブを脱ぐと善司に手渡し、その場でくるりと一回転する。緊張しているせいでしっぽは少し元気がないが、服の裾から顔を覗かせた愛らしいフサフサを改めて明るい場所で見た善司は、また触ってみたい衝動に駆られてしまった。
「あの、こんな姿だけど気持ち悪くない?」
「その程度は装身具みたいなもんじゃろ、ワシもこの姿で百年近く生活しておるし、気にする必要など無いわ」
「とっても可愛いと思うよ」
「ちゃんと動くのがすごいね」
「……さわってみたい」
「……フサフサで気持ちよさそう」
「この愛らしさは少々反則ですわね」
「それにご自分の事を“ボク”と言うのもたまりませんわ」
「あなたの事を悪く言う人は、この家には居ないから安心してね」
「な、大丈夫だったろ?」
「うんゼンジ、ボクすごく嬉しい」
ゼンジに抱きついたリリの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。その頭を優しく撫でると、しっぽが勢いよく左右に揺れる。ローブを羽織っていないので動きが阻害される事もなく、懐いてくれる犬のようなその姿は、善司の心を大きく満たしてくれた。
◇◆◇
お互いに軽く自己紹介を済ませた後、善司とチサでリリの泊まる部屋を案内する。他のみんなは、あれだけの果物を食べても、まだお腹が空いてると言ったリリのために、食事の追加調理に取り掛かっている。二階にある一人部屋を使ってもらう予定にしているが、腰につけた小さなポーチ以外の荷物を持っていないリリの姿に、善司は疑問を募らせていた。
「あの、今から荷物を出すけど驚かないでね」
「荷物ってその腰につけたカバンだけじゃないのか?」
「着替えとかもちゃんと持ってるよ、今から取り出すね」
そう言って何もない空間に手を伸ばすと、そこから浮かび上がるように大きめの手提げカバンが出現した。更に机の上に、四角い箱のようなものを取り出して設置する。
「それは空間収納じゃな」
「うん、よく知ってたね」
「空間転移は魔操器で実現できるんじゃが、収納はいまだに実現できん課題じゃからな」
「リリは魔操器じゃなくて自分の能力でそれが使えるのか」
「獣人の血が濃い人は特殊な能力を持ってるんだけど、ボクは空間操作が使えるんだ。
すごくお腹が空きやすくなるのが欠点だけど、普段もこの力で耳やしっぽを隠してるんだよ」
「今日もお腹が空いて倒れてたのは、力を使いすぎたからなんだな」
「中にしまう物の大きさや重さで使う力が変わってくるんだけど、こんなに色々詰め込んだのは初めてだったから……」
道に迷って食べ物も買えず倒れてしまった事を思い出して、リリは頬を染めながら下の方を向いてしまう。
しかし手荷物が少なかった理由がこれで判明した、欠点があるとは言え重量や大きさを無視して自由に持ち運べるというのは、計り知れないメリットが有る。
他にもいくつか取り出して、ベッドの上やクローゼットに収納すると、能力を完全に停止したリリは大きく息を吐いた。
「お主が机の上に置いたのは魔操器のようじゃが、そんな形の物は見た事がないの」
「これはボクが作った試作品だから、まだ市場には出回ってないよ」
「魔操組合に用事があるって言ってたのは、この魔操器に関する事だったんだな」
「これは既存の魔操板だと動かないから、新しく作る必要があるんだ」
「新しい魔操器を生み出す若い女の職人がおると聞いた事があるが、お主じゃったのか」
「他の職人は男の人ばかりだから、多分そうだと思う。
ボクもチサに聞いてみたい事があるんだけど、いいかな」
「なんじゃ? 何でもゆうてみい」
「この国で一番優秀な魔操言語開発者の名前がチサだったと思うんだけど、もしかして本人?」
「もちろんワシがそのチサ様だ」
腰に手を当てて無い胸を反らすチサを見たリリの顔が、まるでアイドルや有名人を見た時のように明るくなる。
「凄いよ、まさか本人に会えるなんて思ってなかった、ボク憧れてたんだ……
握手してもらってもいい?」
「それくらい構わんぞ、存分に握るが良い」
「うわー、ボクと同じ女の人って聞いてたからずっと会ってみたかったんだけど、こんなに可愛い人だったなんてちょっと感動したよ」
「若いのに中々見どころのあるやつじゃな」
自分の手を握って上下に振りながら嬉しそうにしているリリを見て、チサも上機嫌でされるがままになっている。
「新しい魔操器って事は見本も新規に開発するんだよな、じゃあリリはチサにその依頼をしにこの街に来たのか?」
「ううん違うよ、この子に使う見本は、最近になって出た計算器の見本を作った人にお願いしたいと思ってるんだ、だからこの街に来たんだよ」
「なんじゃ、ゼンジに頼みに来たのか、ちょうど良かったではないか」
「……えっ!? あの見本ってゼンジが作ったの?」
「最近発表されて、計算速度が上昇するって売り出したのは、俺が開発した見本だよ」
「魔操紙工房で働いてるって言ってたから、印刷職人かと思ってたんだけど、開発もやってたんだ」
「見本の開発はまだ三件しかやった事のない駆け出しだから、チサには全然及ばないけど俺でいいのか?」
「うん、ゼンジにやって欲しい!」
リリは善司の手を取ると両手で握って見上げるように懇願してくる、こうされるともう断るという選択肢は残されていない。
「俺は新規開発ってやった事がないから、チサにも協力して欲しいんだけど、構わないか?」
「ゼンジの開発手法を一から学ぶ機会じゃから、もちろん構わんぞ」
「凄い、チサも手を貸してくれるなんて心強いよ。
ちゃんと開発費は二倍払うからお願いします」
「ワシは手伝うだけじゃから、ゼンジにだけ払ってやればいい」
「俺は相場を知らないけど、リリに無理のない金額でいいからな」
「うん、2人ともありがとう。
これでこの子も幸せになれると思うよ、嬉しいなぁ」
机の上に置いた試作品の魔操器を愛おしそうに撫でるリリの顔は、まるで母を思わせる慈愛に満ちていた。彼女は少々メカフェチだったのである。
◇◆◇
食事の完成を知らせに来てくれたイールとロールに連れられて食堂に行き、リリにも“いただきます”と“ごちそうさま”をお願いして食事を開始する。
体力を使う空間収納に色々詰め込んで無理をしたせいもあり、リリは次々と食事を平らげていった。美味しそうに何でも食べてくれる姿を見て、料理を作った面々も嬉しそうにしている。
「お店で食べる料理よりずっと美味しいよ。
それに耳やしっぽを隠さずに食事ができるから、すごく落ち着いて食べられる」
「リリさんのお口に合ってよかったわ」
「こんなご飯が毎日食べられたら幸せだろうなぁ」
「それならここで一緒に暮らしたらいいんじゃないかな」
「うん、それはいい考えだと思うよ」
リリの身の上は簡単に説明したが、やはり外見で差別を受けていたと聞いて、この家の住む全員がシンパシーを抱いていた。この家にいる限りそんな目には遭わないし、何だかんだと街の住人に人気のある善司が一緒にいれば、好奇の目に晒される事も減っていくかもしれないと、みんなは考えている。
「でもボクの仕事は魔操器の開発だから、工房が無いとダメなんだよ」
「隣りにあるワシの家を改造しても構わんぞ」
「わたくし達の家も隣ですが、使って頂いても構いませんわよ」
「誰かに使っていただけると、家も喜びますわ」
「みんなご近所さんなんだ、すごい場所だねここ」
「……私たちは別の街から来たんです」
「……ここでゼンジさんたちに出会って家族にしてもらいました」
「リリがこの街に引っ越したいと言うなら協力は惜しまないぞ」
「うん、うれしいよ。
でも工房にする場所は、自分で自由にできる家が欲しいんだ」
みんなの気遣いは嬉しかったが、やはり工房として利用する以上、自分名義の土地や建物にしてしまいたかった。大型の工作機械は必要ないが、騒音や粉塵の対策をしないといけないので、一般の家屋とは大きく作りが異なるからだ。
「ゼンジさん、確かこの家の隣にもう一軒空き家がありましたよね」
「契約の時に不動産屋はそう言ってたな」
「ならそこを買い取って工房にしてしまうのも手じゃな」
「ボクもゼンジやみんなのご近所さんになれるのか……
ちょっと考えてみるよ」
「ここの魔操組合に相談すれば色々と融通してくれるし、明日聞いてみるのもいいな」
リリは自分の事をこうして温かく迎えてくれた善司やその家族と、もう離れたくないという気持ちが強くなっている。新しく工房を作るにはそれなりに費用も必要だが、優秀な魔操言語開発者が2人も揃っているという環境は、何者にも代えがたい魅力がある。
心の天秤は工房の移転の方向に固まりつつあった。