第5話 ハル
生活に余裕が無いため、僅かな調味料しか使っていない料理だったが、善司を含めて全員が満足そうな顔をしている。
「こんなにお腹いっぱい食べられたのは久しぶりだね」
「お母さんの料理はとっても美味しいから好き」
「あの……ゼンジさんのお口に合ったでしょうか?」
「俺は毎日店で売ってるものばかり食べてたんですが、今日の料理はとても懐かしい味がして美味しかったです」
善司が口にしたのはお世辞でも何でもなく、ハルの作る料理は素材の旨味をうまく生かした、とても優しい味に仕上がっている。普段はコンビニ弁当や飲食店を利用している人間にとって、素朴で尖った所のない料理は特別なものに感じられて、久しぶりにちゃんとした食事をとった気分になった。
「お母さんの料理が気に入ったなら、ゼンジもここに住みなよ」
「お母さんの体の調子が悪い時は私たちが作るから、あんまり美味しくない時もあるけどね」
「この料理が食べられるのは凄く魅力的だけど、流石にずっとここに居るわけにはいかないよ」
「えー、どうしてダメなの」
「ゼンジは行く所が無いんでしょ?」
「確かに住む所はまだ決まってないけど、結婚もしてない男女が同じ家で生活するのは、問題があると思うんだ」
「私とゼンジが結婚すれば問題ないよ」
「私もゼンジと結婚する」
「イールとロールはまだ子供だし、2人いっぺんに結婚するのはダメじゃないのか?」
「そんな事ないよ、それくらい普通だよ」
「この街にも奥さんが20人以上いる人が住んでるよ」
「私たちと同じ歳で旦那さんが決まってる子もいるね」
「それに15歳になったら自由に結婚できるから、後3年もかからないよ」
「2人とも俺とは10歳以上年が離れてるじゃないか」
「それも普通なんだけどなぁ」
「ゼンジの居た世界だと違うのかなぁ」
イールとロールは納得のいかない顔で善司を見つめているが、さすがに今の容姿の2人と結婚するのは躊躇する。もう数年経って大人に近づいた姿になれば了承してしまうかもしれないが、それでも13歳という年の差は元いた世界の常識で考えると、とても大きな壁になる。
それに、これまで女性関係で良い思い出が無く、他の男と結婚すると言われて振られた直後の善司には、今どれだけ好意をぶつけられても、二の足を踏んでしまう。
「私たちがダメなら、お母さんと結婚してよ」
「ゼンジだったらお母さんを幸せにしてくれると思うんだ」
2人の言葉に反応した善司に見つめられ、ハルは反射的に目を逸らしてしまう。
出会った直後は今まで他の男達に言われた事が頭の中に何度も蘇り、恐怖と絶望感に震えて身を固くしてしまったが、眼の前の男性がそんな人達とは違うというのは、少し話すだけでも感じ取れたし頭ではわかっている。しかし、一度植え付けられたトラウマは、そう簡単に克服できなかった。
「お母さんも困っているみたいだし、その話はやめにしないか?」
「でもゼンジと別れるのは嫌だよー」
「一緒に居てよー」
「あなた達、あまりゼンジさんに我が儘を言ってはダメよ。
それに、そろそろ寝る準備をしないと、明日起きるのが辛くなるわよ」
「うー、わかったよお母さん」
「私お水を汲んで来る」
ロールが桶に水を汲んでくると、イールがその中に大きめの手ぬぐいを入れて、その場で2人は服を脱ぎ始めてしまった。
「イール、ロール、男の人の前ではしたない! 衝立の向こうで体を拭きなさい」
「えー、ゼンジだったら見られても平気だよ」
「それよりゼンジに背中を拭いて欲しい」
「それくらいは構わないけど、せめて前は隠してくれるか」
素直に別の布で体を隠し、仲良く並んで背中を向けて座ったのを横目で確認した善司は、絞った布を持って最初はイールの方に向かって行く。背中に布を当てて優しく擦っていくが、日本人より色白の肌はとても綺麗で、毎日丁寧に手入れをしている事が伺われた。
「どうだイール、強すぎたり弱すぎたりしないか?」
「とっても気持ちいいよ、もう少し強くしてくれてもいいくらい」
「わかった、痛かったら言うんだぞ」
少し力を込めながら背中全体を拭いていき、それが終わると一度布を洗って、今度はロールの方に向かっていく。
「イールと同じくらいの強さで拭いてるけど、ロールもこれくらいで大丈夫か?」
「うん、とっても気持ちいいよ」
「でもゼンジが後ろを向いてるスキに入れ替わったのに、良くわかったね」
「服とか髪型で見分けてる訳じゃないからな」
「私でも時々見間違えそうになるのに、ゼンジさんは迷いなくロールの方に向かいましたね」
「凄いでしょ、お母さん」
「ゼンジはなんで判るのか不思議だね」
「なんでって言われても、何となくとしか答えようがないけど、俺にはちゃんと2人が違う人間に見えてるよ」
ロールの背中も拭き終わり、布を桶に戻した善司は2人に背中を向けて座る。2人が全身を拭き終わり着替えを済ませた後に、善司とハルもそれぞれ衝立の向こうで体を拭き、床に毛布を並べて寝床にした。
クッションも何もないが、会社で椅子を並べて寝たり、床にダンボールを敷いて寝た経験のある善司にとって、硬い床の上に毛布を敷いただけのこの寝床でも、熟睡するには十分の環境だ。
「腕枕して、ゼンジ」
「ゼンジ、私もして」
「やってあげるから、もっと近くにおいで」
「「やったー!」」
善司が腕を広げて横になると、左右から2人が近づいてきて、頭を乗せながら体を寄せてくる。大人より少し暖かい体温を両方から感じると、初めての場所で眠る善司の心も落ち着いてくる。
軽く腕を曲げて頭を撫でていると、両方から同時に寝息が聞こえてきた。
「2人がご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「こうして慕ってもらえるのは嬉しいですし、元いた世界でもこの2人より2歳年下の双子に、同じ様な事をしていましたから、問題ありませんよ」
「普段は私にもわがままを言ったりする子じゃないんですが、ゼンジさんの事を呼び捨てにしたり、あれこれお願いしたり、どうしてこんな態度になってしまうのか……」
少し離れた場所で横になったハルが、善司の方を見ながら困った顔をする。
自分の過去や親戚の子供たちを思い出した善司はある考えにたどり着き、少し申し訳ないという気持ちを抑えて、ハルにそれを聞いてみることにした。
「凄く辛い事だと思いますが聞かせて下さい、さっき2人が言ってた話は本当でしょうか?
この子たちの父親にはやはり……」
「はい、呪われた女と一緒に生活は出来ないと捨てられました。
それに両親も私たちを見捨てて、別の街に引越してしまっています」
この世界ではそこまでされてしまうのかと、善司の胸に苦いものが込み上げてくる。
「そうだったんですか。
なら、初めて甘えられる男性が現れて、こうして依存してくれているのかもしれませんね」
「私はこの子たちの笑顔に救われているんです、それが今日は一段と輝いていて、とても嬉しいです」
「俺もこの世界で初めて出会ったのが、こんなに笑顔の素敵な双子で良かったと思っています」
そのまま2人はお互いの事を話し始める。
ハルの年齢は善司より3歳年上の28歳。彼女が生まれたのは裕福な家庭ではなかったが、精霊の血が混じっていたため、別の街にいる資産家の側室として迎えられた。だが双子を出産してしまい、家を追い出されて元の街に送り返されてしまう。
しかし、実家に戻ってみたものの両親は世間の批判を恐れ、娘と縁を切り別の街に行ってしまった。そうして行くあての無くなったハルは、街の端にある誰も寄り付かないような場所に住み、2人を必死に育ててきた。
今の彼女の体は病魔に侵されていて、少し動いたり立ち続けたりすると、すぐに熱が出て寝込んでしまう。症状の軽いうちに適切な治療を受ければ良かったのだが、2人を育てるために無理をしてしまい、重症化している。
それを治療するには高価な薬を使うしかなく、このまま放置すると起きていられる時間がどんどん減っていき、いずれ寝たきりの生活を送る事になってしまう。
善司は情に流されやすい所があり、頼み事をつい聞いてしまうので、仕事でもよく自分の担当以外を手伝ったりしていた。そんな男がこうして病気を患った女性の身の上話を聞いて、黙っていられるはずは無かった。
「2人にはあなたの力になって欲しいとお願いされてるんですが、俺に何か出来る事はありませんか?」
「私の事はどうでも良いんです、でもこの子達が幸せになれるように力を貸してもらえないでしょうか。その為なら、私の事を好きにしてもらっても構いませんから」
2人にも同じ事を言われたが、自分の身を差し出してでも相手の幸せを願ってしまうのは、やはり母娘だ。
「実は2人にも同じ事を言われたんですけど、それは俺には出来ません」
「それは私が呪われた女だからでしょうか?
あなたには絶対に迷惑をかけませんし、飽きたら捨ててもらっても良いですから」
「違うんですハルさん。どちらか片方を犠牲にして幸せを手に入れるような事を、俺はしたくないんです。力になれる事があるのなら、母娘3人で幸せになれる方法を探してみたいです」
「ゼンジさん……」
「それに俺は今まで女性関係でいい思い出がなくて、いま好意を寄せられたり何かを差し出されたりしても、それに応えられそうもないんです」
「優しい方なんですね」
「単に臆病なだけだと思いますよ」
「こうしてお話をしていると、娘たちがゼンジさんに惹かれた理由が良くわかります、私ももっと早くあなたと出会っていれば……」
「もしそうなっていたら、イールとロールはこの世に生まれてこなかったかもしれませんから、今それを考えるのはやめておきましょう」
善司の言葉にハッとしたように伏せていた顔を上げ、そのまま2人は見つめ合っていたが、ハルの表情が何かを決心したものに変わる。
「私たち母娘に関わると、ゼンジさんにも良くない目を向けられるかもしれません。
でも、出来ればこの場所に、それがダメでも近くに居てもらえないでしょうか」
「俺がこの世界でこうして食事をとり眠る事が出来ているのは、あなたたち母娘のお陰なんです。
まだ何が出来てどんな力になれるかはわかりませんが、この子たちやあなたが笑顔で暮らしていけるお手伝いをさせて下さい」
――こうして、この世界の双子に救いの手を差し伸べる事になる、龍前善司の物語がここから始まる。