第53話 住所変更届け
新しい服に身を包み、手を繋ぎながら2人は通りを歩いているが、すれ違う人がチラチラと視線を向けてくる。衆目を集めているのはチサだが、不快な感じは受けないので無視して歩いている。
「服を変えるだけで、どうしてここまで他人の反応が変わるんじゃ……」
「髪の毛を整えたり、髪留めをつけたりというのもあるだろうけど、やっぱりチサが魅力的だからじゃないか?」
「この街にはゼンジと同じ、変態趣味の住人しかおらんのか」
「女の人や子供も見とれてるから、それは違うだろ」
「まったく、こんな罠が待ってるとは思ってもみなかったぞ」
「俺もここまで注目されるとは思ってなかったよ。
どうしても気になるなら俺の腕に抱きついて顔を隠してもいいし、何なら抱っこして歩いても構わないぞ」
「阿呆か! そんな事をすれば余計目立つではないか」
割と本気の提案を全力で固辞された善司は、笑いながらチサの手を少しだけ自分の方に引き寄せる。恨めしそうに見上げてくる顔は、女の子らしい服や散髪のおかげで、今までの野暮ったさが完全に無くなっていた。
元々チサが持っていた魅力を存分に引き出すことが出来て、善司は非常に満足している。ひと仕事やり終えた後の充実感は、大きなプロジェクトに関わった時以上のものがあった。
○○○
自分の持つ技術で大勢に注目される事はあったが、外見で目を引いた経験のなかったチサは、今の状況に驚いていた。一向に成長しない自分の体にはコンプレックスもあり、自己評価も低かったのでずっと無頓着だった。
しかし善司はそんな自分に可愛いだの綺麗だの言ってくれ、散髪や着替えを通じて今の姿に磨き上げてくれた。最初は幼い容姿に興奮するような趣味でもあるのかと思ったが、ちゃんと女性として扱ってくれているのは確かだ。
店を出てから、こうして注目を浴びながら歩いているが、不安や不快感は全く無い。その理由は、こうして繋いでくれている手にあるんだろうと、チサは推測していた。
◇◆◇
善司たちが魔操組合に到着して中に入り、いつもの受付嬢のカウンターへと進んでいく。入り口から現れた人物に気づき微笑んでいるが、視線は一緒に入ってきたチサから離れられないでいた。
「こんにちは」
「ようこそ魔操組合へ、ゼンジさん。
今日は一体どうしたんですか、そんな可愛らしい方を連れて来られるなんて」
「今日は俺と彼女の登録住所を変更しようと思って来たんです」
それを聞いた受付嬢は、善司の顔を見た後に視線を下げてチサをじっと見つめ、しばらく時間を置いてからゆっくりと視線を戻した。
「あの……そちらのお子さんも魔操組合の会員なのですか?」
「えぇ、この女性は俺の先輩にあたる優秀な人ですよ」
「えっ!?」
子供扱いされ握っている手に力が入ったが、それを感じた善司は慰めるように優しく握り返し、目の前で混乱する受付嬢を見つめる。
そうしてしばらく見つめ合っていたが、ちょうど奥の部屋から受付フロアに入ってきた支部長が、善司の姿を見てその隣に立つチサを確認した途端に硬直した。
「ゼッ、ゼンジ様いらっしゃいませ!
それに、そちらにいらっしゃる方はっ……!!」
フロアに響き渡る声でそう言って、カウンターの方に猛ダッシュで駆けつける。その顔には驚きと焦りの表情が浮かび、脇目もふらずに向かってきているので、机の上に置いてあった書類が風圧で床に散乱し、職員が慌てて拾い集めている。
「こんにちは、支部長」
「あの、ゼンジ様の隣にいらっしゃるのは、チサ様ではありませんか?」
「良く知っておったの」
「はい、王都の本部に勤務していた頃に、お見かけいたしましたので」
「支部長のお知り合いなんですか?」
「君たちも王都にいる優秀な魔操言語開発者の話は知っているだろう?」
「はい、その方はとても高度な見本を作られるという話をうかがっています」
「いま目の前にいらっしゃるのが、そのチサ様だ」
「えぇっ!? こんな可愛らしい方だったんですか?」
支部長が慌てて走り寄ってきた事で注目を浴びていたが、驚きの声を上げる受付嬢の声で、他の職員の視線も一気に集まってきた。
それだけの関心を集めているチサは、臆する事もなく胸を反らして支部長を見つめている。少しでも自分を大きく見せたいという気持ちの現われだが、善司にはとても可愛い態度に見えて気分がほっこりした。
「当支部の職員が大変失礼をいたしました」
「良くある事じゃから構わんよ」
「ご配慮感謝いたします。
本日はどのようなご用件で、お越しいただいたのでしょうか」
「うむ、ワシとゼンジの登録住所を変更してもらおうと思ってな」
「……そ、それはゼンジ様を引き抜きに来られたと?」
「逆じゃよ、逆。
ワシがゼンジに乞われて、一緒に暮らす事にしたんじゃ」
「まことですか!?」
支部長の大きな声に周りの職員は驚いてしまい、手に持った書類を落とす者までいる。当の本人も視線が善司とチサの間で行ったり来たりを繰り返していて、相当混乱している事が見て取れる。
「もし良かったら、別の部屋で話をさせてもらえないですか?」
「わっ、わかりましたゼンジ様。
では応接室の方に移動しましょう、チサ様もこちらにお越し下さい」
フロア中の機能が停止しているのを見かねた善司が場所の移動を提案し、支部長の案内でいつもの応接室へと移動する。2人が並んでソファーに座るのを確認した支部長は、恐る恐る対面へ腰を下ろす。
「さっきも言ったが、ワシはゼンジたち家族と一緒に住む事にしてな、それで住所の変更を届け出に来たんじゃよ」
「一体何をどうすれば、そのような事態に発展するのでしょうか」
「別に何かあった訳ではなく、チサと偶然出会って気が合ったので、一緒に暮らしたいとお願いしたんですよ」
「魔操言語開発者同士が、そういった理由で一緒に暮らすなど、ありえないのですが……」
「そんなに珍しい事なんですか?」
「開発者同士はいわゆる競争相手ですから、ご自身の持つ発想や工夫を他者に知られる事を一番恐れるんです」
「結局それは見本として公開されるので、いちいち気にする必要はないと思いますが」
「ゼンジの言う通りじゃな。
そんな細かい事にこだわっとるから、いつまで経っても己の技術が向上せんのじゃ」
チサの考えは善司にとっても非常に馴染みのあるものだが、独自性の担保は単独開発でしか得られないと信じられているこの世界では異端だった。別の世界から来た善司と、人より長い時を生きてきたチサだからこそたどり着けた結果なのだ。
「ゼンジ様が優秀な開発者であるのはわかっておりましたが、チサ様を王都から動かす程だとは思いませんでした」
「ゼンジの持つ技法は独自性があって面白いんじゃ。
王都でつまらん連中と付き合うより、ここにおった方がよっぽど有意義じゃからな」
「例えそうだといたしましても、逆にゼンジ様を王都に呼び寄せるものとばかり……」
「それは此奴の家族が、ワシの生活の面倒を見てくれると言ってくれたからじゃ。
ゼンジの家に住んで、新しい技術を自分のものにして開発に思い切り集中できる、最高の環境じゃろ?」
こうして話を聞いていても、支部長には現実味が湧いてこなかった。チサの容姿に関しては、この街に居るスノフのおかげで、昔と全く変わらない姿も納得できたが、不遜で傲慢な性格については、同僚から散々聞かされていたからだ。
尾ひれのついた話も多いが「絶対怒らせてはいけない」や「子供扱いしたその先に待つのは死だ」や「ひと睨みで職員が卒倒した」と枚挙に暇がない。ある幹部が顔を青くして“不用意に触れてはいけない存在”と言っていた姿が、支部長の脳裏に浮かんでくる。
ある点において、組合にとっての問題児であったチサへの対応は、神経を使う事が多いと評判だった。それが出会ったばかりの善司とこうして仲良く座っているなど、どの幹部に話したとしても信じてもらえないだろう。
しかし、この街に国内最高峰の開発者が2人も揃うというのは、幸運などという言葉で片付けられない程の事態だ。そのきっかけになった善司が以前言っていた、双子を産んだ母親と再婚して、その女性が幸運をもたらしてくれたという話を信じられる気持ちになれた。
「理由は理解できました、当支部はチサ様の移住を歓迎いたします」
こうして住所変更の手続を済ませ、魔操鍵盤の発注を終えた善司とチサは、スノフの工房に向かうために組合を後にした。
その後、中堅都市にある魔操組合の内部が大騒ぎになったのは言うまでもない。
◇◆◇
「スノフ爺はおるか?」
「こんにちは、スノフさん」
2人が工房に着くと、スノフは納品前の魔操板の仕分けをしている所だった。以前は自分でも魔操紙の印刷をしていたが、善司が来てからは納期に遅れそうになる事が無くなったので、こうしてのんびり作業が出来るようになった。
「おう、休みの日なのに何の用なん……」
入口の方に視線を向けたスノフの言葉が、チサの姿を見た途端に止まってしまう。
「チサ坊!? 一体何があったんだ、そんな格好をしおって」
「いや、善司の趣味に付き合わされたんじゃが、おかげでひどい目にあったわ」
「俺もここまで注目されるとは思ってなかったんだよ」
魔操組合からの帰り道も通行人に注目され、2人ともちょっとぐったりとしていた。その内そんな視線にも慣れるだろうと話しているが、まだ初日の今日はさすがに気疲れしてしまう。
「たった一晩で何をしたんだ、お前さんたちは」
「髪の毛を切り揃えて、服や装身具を買ったくらいだな」
「ゼンジがスカートを穿けとうるさくてな」
「たったそれだけで、これほど印象が変わるとは驚いたの」
黒いワンピースに白い靴下を履き、黒い靴を身に着けたチサの姿は、シルバーの髪留めのアクセントも相まって、スノフの目すら釘付けにしてしまった。
「チサは元々人の目を引く魅力があったんだし、身だしなみに気をつければある程度注目はされると思ってたけど、ちょっと見誤ってたよ」
「そんな事を感じるのは、ゼンジだけだと思っとたんじゃがのぉ」
「チサ坊の雰囲気も今日はえらく生き生きとしとるから、それも注目を集めた原因だろうよ」
「その辺りはワシにはわからんな」
「俺にも良くわからないし、やっぱり付き合いの長いスノフさんだから気付けるんだよ」
「まぁ悪い事ではないから、そのままで構わんが、何か用があってここまで来たんじゃないのか?」
「そうじゃったな、これにスノフ爺の署名が欲しいじゃよ」
チサが取り出したのは、魔操組合で作ってきた1枚の書類だった。そこには支部長と連名でサインがしてあり、その内容はチサ個人への依頼がある場合、この工房を通して行うよう記載されている。
見本の開発を指名で請け負った場合、依頼者との間に秘密保持契約が発生するため、例え一緒に暮らしている善司であっても、その内容を話すと契約違反になってしまう。しかし、スノフの工房を通して依頼を受けると、その従業員である善司と共同開発も可能になる。
フリーランスのチサとスノフ達が連合を組んだ形になるが、それはこの工房に大きな箔が付くという事だ。何かで優遇されたり、魔操組合で受けるサービスが良くなったりという具体的なメリットは無いが、この事実が周知されると、業界内で一目置かれる存在になる。
「これはまた、半分趣味でやっとった工房が、えらい事になってきたな」
「0番の魔操板を手に入れたり、ワシと専属契約を結んだり愉快な事じゃな」
「全くだ、最近は立て続けに予想外の事が起きとるから、楽しくてたまらん」
スノフは笑いながら、書類に自分のサインを書き入れチサへ手渡す。それを受け取って服のポケットにしまうと、少しだけ世間話をしてから2人は工房を後にした。
チサのこの契約は、この先とても重要になります。