第51話 散髪
散髪シーンのあるラノベやWeb小説って、あまりない気がしている筆者です。
楽しい食事も終わり、デザートを食べ終えた後に食休みをしていたが、善司はある提案をしてみようとチサの方に視線を向ける。お腹いっぱいになって満足そうに隣の席でくつろいでいる、その頭を見てから話しかけた。
「なぁチサ、髪の毛を切りそろえないか?」
「また伸びて鬱陶しくなったら適当に切るから別に構わんぞ」
「明日チサの着る外出用の服を買いたいから、それに合わせて髪の毛も少し整えたんだ」
「なんじゃ、服ならワシが王都から持ってきた分や、隣で使ってたものがあるから必要ないじゃろ」
「あれは部屋着や作業着みたいなものばっかりだったじゃないか」
部屋に備え付けられているクローゼットに、持ってきた服をしまう手伝いをしたが、それらは全部ラフな格好のものばかりだった。いま身につけている服もそうだが、着やすさと実用性重視でおしゃれの要素が全く無い。
「ゼンジさんは着飾った私たちと街を歩く事に、すごく拘りがあるんですよ」
「私たちもいっぱい買ってもらったんだよ」
「でも、お出かけするのがすごく楽しくなった」
「……最初はちょっと着慣れなかったですけど、今はすっかり馴染みました」
「……今ではちゃんとした服じゃないと、ちょっと恥ずかしくなってきました」
「俺の楽しみでもあり我儘みたいなものだから、受け入れてもらえると嬉しいよ」
全員から期待のこもった目で見つめられ、チサは少し首を横に振ると、諦めたように小さなため息をつく。
「わかったわかった、散髪も着替えも受け入れてやる。
ワシだけ普段の格好をしておれば、仲間外れにされとるようで癪じゃからな」
「そうか、ありがとうチサ。
なら髪の毛はどうする? 子供たちの散髪をしてるハルに任せてもいいし、切りそろえるくらいなら俺でも出来るぞ」
「ハルは食事の後片付けがあるじゃろ、適当で構わんからゼンジにやってもらうとするか」
「なら脱衣所でやるか。
俺たちはそのままお風呂に入るから、みんなも片付けが終わったら来てくれ」
こうして今日もなし崩し的に一緒にお風呂に入る誘導に成功した善司は、とても満足そうな表情をしていた。一方、まんまと策略にはまった形のチサだが、一緒にお風呂に入る事への抵抗はもうほとんど無かった。
昨日受けた洗髪の気持ちよさもあるが、これから一緒に暮らしていくのだから、この家のしきたりを受け入れてしまったほうが楽だという打算もあったからだ。
◇◆◇
脱衣所に置いてある丸椅子の下に大きめの紙を数枚しいて、その上に座ってもらう。大きい布をポンチョのように羽織ってもらった後、ポニーテールを解いてブラシで丁寧に梳いていく。
昨日しっかり洗髪したので、サラサラになったストレートヘアがある程度整った所で、軽く絞ったタオルを当てて髪の毛を濡らしていった。
「なんじゃ、いちいち髪を濡らしおって」
「こうして湿らせてから切る方が、髪の毛がまとまって長さを揃えやすいんだよ」
「変わったやり方じゃが、それも異世界の知識なんじゃな」
善司が散髪に行った時に、理容室でやっていた事の見よう見まねだが、そのメリットは覚えていたので、こうして同じ様にやってみている。
「あくまで俺は素人だから、元の世界にいた専門家のように凝った事は出来ないけどな」
「ワシが適当にやるよりはちゃんと出来るじゃろ、構わんから一思いにやってくれ」
覚悟完了したようなチサの言葉を聞いて、善司は慎重に髪の毛を切っていく。ブラシで形を整えながら、毛先の傷んでいる部分や、いびつな段差になっている部分を丁寧に切り揃えていった。
髪質も外見年齢に影響されるのか、子供のように細くて柔らかい髪の毛は、普段の適当な手入れにもかかわらず痛みはあまりなく、善司の手によって形が整っていくと、見栄えも良くなってくる。
「チサの髪の毛は細くて綺麗だし、柔らかくて触り心地がいいな」
「ゼンジはワシの髪の毛を触って興奮しとるのか?
どこまで変態なんじゃ」
「変態とは失礼だな、綺麗なものを綺麗と言って何が悪い」
「お前に少し不穏な空気を感じたからじゃ。
うっとりとした口調で喋りおって、そう思われるのも当然じゃ!」
「少し心を奪われていたかもしれないが、興奮はしていないぞ」
「ワシのような大人の女性と触れ合って興奮せぬとは、失礼なやつじゃな!」
「チサは俺に一体どうして欲しいんだよ……」
八方塞がりのような状況に置かれた善司は小さくため息をついたが、ハルに対して感じるものと同じ情動は湧き上がってこない。ニーナとホーリには類似の感情を持てるが、自分の限界はその辺りだと自己分析していた。
ただチサに対しては、家族で一番幼い外見にもかかわらず、イールやロールに対する時に感じる気持ち以上のものが存在するのは確かだ。
善司の頭の中にライトノベルで読んだ“あるキーワード”が浮かび上がったが、うっかりその扉を開けてしまわないように気を引き締めた。
◇◆◇
切り終えた髪の毛を処理して、チサの頭を軽くお湯で流してから湯船に浸かろうとしていると、洗い物を終えた5人が浴室に入ってきた。
「チサちゃん、髪の毛がスッキリしたね」
「すごく綺麗になってるよ」
「本当に見違えてしまいますね」
「……ゼンジさん髪の毛を切るの上手」
「……私たちも今度お願いしていいですか?」
「素人だからどこまでちゃんと出来るかわからないけど、希望するならやってみるよ」
「少し変わった切り方をされたが、ワシもこれからゼンジに頼む事にするぞ」
切り終えた後に脱衣場の鏡の前で回ったり、手で持って軽く結ってみたりしたチサだが、自分でやるのとは全く違い、しっかり整えられた姿に満足していた。
結局5人とも善司に髪の毛を切って欲しいとお願いし、後日それを体験した全員に好評だったので、新たな家族サービスとしてこの先もずっと続けられる事になるのだった。
◇◆◇
「チサは明日どこに行く予定なんだ?」
「どうしても行かねばならん場所は魔操組合じゃな」
「それって引っ越しの手続きするのか?」
「まぁそれもあるんじゃが、仕事で使う魔操鍵盤を発注せねばならんから、早いうちに行っておきたいんじゃ」
「ここをチサの仕事場として登録したら、未承認の魔操板を使った試験もしやすくなりそうだな」
「ゼンジはその手続をしておらなんだのか?」
「俺が魔操組合の会員証を作った時は、スノフさんの工房を住所として登録したから、そのままになってたよ」
「ならお前も変更手続きをしておくんじゃな、その方が何かと都合が良いぞ」
「わかったよ、じゃぁ明日は魔操組合へ行く事にしよう」
この家は魔操組合の紹介で購入したが、その時に住所変更をするのをすっかり忘れていた善司も、その手続を一緒にやってしまおうと決めた。
「魔操組合とかに行くんだったら、私たちはお留守番しててもいい?」
「チサちゃんの服選びも、ゼンジが居れば大丈夫そうだしね」
「お仕事の場所に、関係ない私たちが付いていくのもご迷惑でしょうし、そうさせてもらいましょうか」
「……チサさんの服がどんな感じになるか楽しみにしてます」
「……ゼンジさんが選ぶんですから、きっとよく似合うと思います」
「手続きにどれだけ時間がかかるかわからないから、明日は2人で出かけようか。
チサもそれで構わないか?」
「スノフ爺の所にも寄りたいから、それで構わんぞ」
こうして明日は2人で出かけることになり、善司の頭の中には服を買ってから着飾ったチサと魔操組合に行く計画が出来上がっていた。
◇◆◇
今日はイールとロールに髪の毛と背中を洗ってもらっているチサを横目に見ながら、善司たちも洗ったり洗われたりして、家族で入るお風呂を堪能する。よく温まった後に善司の部屋のベッドでおしゃべりをして、今夜はハルと2人で寝る日に決まった。
「チサさんが来て一層賑やかになりましたね」
「みんなもチサのあの言動を受け入れてくれて嬉しいよ」
「最初は少しびっくりしましたけど、本気で嫌ったり怒ったりしている訳では無いみたいですから」
「あの容姿で、この国最高の技術者としてやっていくには、かなり苦労があったと思うんだ。
喋り方は俺の雇い主の老人に影響を受けたみたいだけど、すぐ意地になったり熱くなったりするのは、思い通りにならなかった事が多かったんだろうな」
「ゼンジさんを雇ってくださった人も、かなりの高齢なんですよね」
「三百歳は超えてるらしい」
「そんな人が驚くような事をゼンジさんはやってしまったのですから、やっぱり私の好きになった人は凄いです」
ヘッドボードにもたれて隣りに座っていたハルが、善司の腕をとって密着してくる。左腕がまろやかな感触に埋まっていくのを心地よく感じながら、ハルの頭を優しく撫でて話を続けていく。
「スノフさんも色々と世話を焼こうとはしてたみたいだけど、多分遠慮してたんじゃないかな」
「ゼンジさんとは時々ぶつかり合ってるから、こうして受け入れてくれているんでしょうか」
「チサが気安く接してくれているのは嬉しいよ、なんか友達感覚で付き合えるから俺も気楽だし」
「チサさんに何を言われても、うまく受け流していますね」
「チサは怒っても可愛いからな」
そう言って笑う顔を見たハルは、今まで知らなかった善司の姿を引き出してくれたチサに、そっと感謝をした。
「チサさんが可愛いというのは私もよくわかりますし、子供たちやニーナちゃんとホーリちゃんも同じ事を言ってますね」
「きっとみんながそうやってチサの事を想ってくれてるから、ここで暮らすと決めてくれたんだよ」
「ゼンジさんがこれだけ気にいってる人ですし、私たちの事も受け入れてくれた人ですから、チサさんはもう大切な家族です」
「家の事で負担を増やしてしまうけど、チサの生活を支えてやって欲しい」
「イールとロール、それにニーナちゃんとホーリちゃんも頑張ると言ってますから、心配しないで下さい」
「みんなと一緒になれてよかったよ、ありがとう、愛してる」
「私もです、愛しいあなた」
二つの影が一つになり、くちびる同士が重なると、そのままもつれ合うようにベッドへと沈んでいった。
主人公はお風呂の事で頭が一杯になり、支部長は有能な開発者の定住で舞い上がって、住所変更を忘れていました(笑)