第50話 チサの歓迎会
家の台所では、5人がチサの歓迎会のために、いつもより手間のかかる料理を作っている。じっくり煮込んで一旦寝かせておき味を十分染み込ませた料理や、炒め物の下ごしらえで材料を切ったり、和気あいあいと作業していた。
「ゼンジたち早く帰ってこないかなぁ」
「今日も一緒に帰ってくるんだよね」
「チサさんは午後の便で王都から戻ってきて、ゼンジさんの仕事場に行くと言っていたから、一緒に戻ってくるはずよ」
「……チサさんと一緒に暮らすの楽しみ」
「……すごく色々な事を知ってて凄い」
普段は引きこもりがちとは言え、百年以上生きてきているので、チサの持つ知識は圧倒的だった。特に王都の話は双子たちの興味を引き、美味しいお菓子の店や珍しいものを取り扱ってる店の話題は、心躍るものがあった。
「焼き菓子とか飴もいっぱいもらっちゃったけど、あれチサちゃんが食べる分だったんじゃないかな」
「チサちゃんは家で仕事するって言ってたから、みんなで食べようね」
「……ゼンジさんが買ってくれたものって言ってたね」
「……からかい過ぎたお詫びって言ってたけど、あの2人の関係ってなんか不思議」
「そうそう、時々言い合いになるけど、とても仲がいいの」
「ゼンジと話してる時のチサちゃんって、すごく楽しそうだもんね」
「チサさんと話してる時のゼンジさんって、ちょっとお茶目になるわよね。
ゼンジさんのあんな表情を引き出せるチサさんは、凄いと思うわ」
「……それにチサさんって凄く可愛い」
「……ぎゅって抱きしめたくなる」
「ゼンジも凄く可愛がってるね」
「チサちゃんて、なんか放っておけないんだよね」
善司がチサの事を気に入っているのは、家族全員がわかっていた。それに、ここに居るみんなもチサの事は気に入っている。一緒にご飯を食べてお風呂に入り、そしてベッドの上で話しをしたが、初めて会ったばかりなのに驚くほどすんなり、家族同然に思えるようになっていた。
「お隣があんなに理解ある人で良かったわ。
それにゼンジさんが、とても楽しそうにしてるのが嬉しいの」
「ゼンジはチサちゃんと離れたくないんじゃないかって思ってたんだ」
「だから一緒にここで暮らしていくって聞いた時、とっても嬉しかった」
「……私たちもチサさんやゼンジさんの役に立つ事をしたいけど、何があるんだろう」
「……2人とも難しいお仕事だから、お手伝いはできないし」
チサがここで暮らすことになり、生活費の一部を負担するという申し出があった。魔操言語開発者というのは、ちょっと成功したくらいの商売人より、遥かに高い経済力を有する。
そんな人材が2人もいて、1人は国内の頂点に立つ開発者であり、もう1人は新進気鋭の開発者で、すでに高い実績を上げている。
総じてそんな人たちはライバル関係になり、手を取り合う事など考えられないのが、この世界の常識だ。しかし、善司とチサはお互いを認め合い手を組んでしまった。2人がその気になれば、世に出回っている見本の大半を書き換えてしまえるだけの技術と知識が、この家に集結しているのだ。
「お仕事のお手伝いは難しいけど、まずはチサさんが快適に暮らしていけるようにしないとね」
「……頑張ります」
「……もっともっと上手にできるようにならないと」
「家での生活も大事だけど、私たちの好きな事も探してみないと、2人はきっと安心できないよね」
「チサちゃんもゼンジと同じ事を言ってたけど、難問だよね」
イールとロールの言葉に、全員で考え込んでしまう。善司には好きな事や、やりたい事を見つけて欲しいとお願いされている。チサにも自分の世話は程々でいいから、自分たちのしたい事もちゃんとやるように言われた。
ニーナとホーリは母親が怪我や事故を恐れて何もやらせていなかったし、イールとロールも今まで生きていくのに精一杯で、趣味や興味のある事に時間を割くという経験がない。そんな4人には、何か新しい事を始めるにしても、何から手を付けていいのか良くわからないのだ。
ハルだけはこの家を快適な状態に保ち、善司の帰りを待って過ごす時間に無上の喜びを感じているので、今の生活を維持していく事が、自分の生きがいになっていた。ただ、まだ若い2人の子供と新しい家族には、何か自分のしたい事を見つけて欲しいと思っている。
「ゼンジさんも焦らなくていいと言っていたから、ゆっくり探していきましょう」
「「うん、そうだね!」」
「「……はい、そうします」」
イールとロールには朧げだが、体を思う存分動かせる事をしたいという気持ちがある。魔物狩りは生活のためにやっていたが、森の中を走り回るの苦にならなかった。むしろ障害物が多く足場の悪い場所を移動するのは、楽しいとすら思っている。
ニーナとホーリは、この家に来て色々と新しい経験をしてきたが、中でも料理が特に好きだった。同じ調味料の組み合わせでも、その割合や調理法で全く違うものに変化するので、まるで魔法を使っているような気分になる。それに、美味しいと言って食べてもらえると、すごく幸せな気持ちになれた。
4人には、まだ形になりきっていない願望が僅かに芽生え始めていたが、まずは今やるべき事をしっかりこなそうと、目の前の調理に集中し始める。
◇◆◇
仕事を終えて手を繋ぎながら通りを歩いている善司は、とてもニコニコとしていた。プログラミングという共通の話題を持つチサと、これから一緒に生活していけるというのが、楽しみでたまらないのだ。
「えらく機嫌が良いが、そんなにワシと一緒に暮らすのが楽しみなのか?」
「俺はすごく楽しみにしてくけど、チサはそうじゃないのか?」
「まぁ、ワシもゼンジの持っている知識や技術に触れるのは楽しみじゃが、それよりも身の回りの事を任せてしまえる方が嬉しいの」
「王都では使用人みたいな人を雇ってなかったんだな」
「あの手の連中は制約が多くて面倒なんじゃ。
ワシのやって欲しい事だけやるなら構わんが、規定や契約内容で望む条件を満たす所は無かったんじゃよ」
「その点うちに住めば、ある程度の融通はきくな。
ただ、徹夜を続けたり無茶な仕事の仕方はしないでくれよ」
「あれはお前があんな見本を作ったのが原因じゃ!
普段はちゃんと生活しておるわ」
まさに「ムキーッ!」とか「ウキーッ!」という表情で善司を見上げながら睨みつけるが、当の本人はそんなチサの姿をとても可愛らしいと思っている。
すぐムキになって怒ったり反論してしまうチサの性格は、これまでも周りにいる人を不快にさせ離れていく原因になっていた。しかし、善司がこういった態度や百歳を超えているのに十歳前後の容姿という、ファンタジーあふれる存在をすんなり受け入れられるのは、やはり現代日本のカルチャーに触れている部分が大きい。
「あんな変な依頼はもう来ないだろうし、仮に来たとしたら今度はチサと一緒に組んでみるよ」
「それは本当か!? それならワシも許してやろう」
「暗号と言っても、魔操言語で使う文字をある一定の様式で並べているだけだから、その仕組みさえ理解できれば、チサでも同様の事は出来ると思うよ」
「ふっふっふっ……それは楽しみじゃの。
必ず習得してやるから、覚悟しておくんじゃぞ」
睨みつける視線から、一瞬で不敵な笑みを浮かべる表情になったチサに善司は微笑みかけ、家路への道を手を繋いで歩いていく。そんな2人の姿を目にした通行人には、仲の良い父娘や歳の離れた兄妹に思われていた。まだ出会って1日程度しか経っていないと言われても、恐らく信じる人は居ないだろう。
◇◆◇
「みんなただいま」「王都の往復で、ちょっと疲れたわい」
「「おかえり! ゼンジ、チサちゃん」」
「お帰りなさい、ゼンジさん、チサさん」
「「……お帰りなさい、荷物お持ちします、ゼンジさん、チサさん」」
善司とチサが家に入って挨拶をすると、テーブルの上に食器を並べていた5人が、イールとロールを先頭にして食堂から現れる。
「いま食器を並べてるから、すぐご飯に出来るけど2人はどうする?」
「料理も温め直すだけだから、すぐ終わるよ」
「今日はおやつを食べてないから、荷物を置いたらすぐ行くよ」
「ワシもお腹が空いておるから、すぐ向かうのじゃ」
「……ゼンジさんの荷物は、いつもの場所でいいですね」
「……チサさんの荷物は、どこに運んだらいいでしょう?」
「ワシは一番端の部屋を使わせてもらおうと思っておるから、そこに運んでくれるかの」
「俺はもう一つあるチサの荷物を持っていくから、すまないけどニーナは俺の分を頼むな」
それぞれが別れて荷物を部屋に運び入れ、食堂へ集合する。そこには昨日より遥かに豪華で、手間のかかっている料理が並べられていた。
「今日は凄いごちそうだな」
「確かにこれは凄いの」
「ニーナちゃんとホーリちゃんも手伝ってくれるようになって、色々と挑戦できるようになったんですよ」
「頑張って作ったからいっぱい食べてね」
「朝ごはんの後から準備したものもあるんだよ」
「……じっくり煮込んだのは美味しいと思います」
「……チサさんのお口に合うと嬉しいです」
「お主たちの作る料理なら間違いないじゃろ、存分に味あわせてもらうよ」
そういって並べられた料理に視線を向けるチサは、とても嬉しそうだった。スノフもあれこれ気を使ってくれて、食事の世話をしようとしてくれていたのは嬉しかったが、同じ濃い精霊の血を受け継いだ境遇の同情心を感じてしまい、どうしても素直に受けられなかった。
しかし、この家族は相容れない寿命や価値観を持つ自分に対して、普通の人間と変わらない親愛を向けてくれる。そんな事ができるのは、双子とその母親に向けられてきた誹謗中傷や偏見を受けてきた経験を持ち、善司に影響された価値観によって培われたものだが、この国ではありえないその振る舞いを、チサは心地よく思っている。
「じゃぁ、改めてチサと家族になれるお祝いをしようか。
いただきます」
「「いただきま~す!」」
「いただきます」
「「……いただきます」」
「みなすまんの、いただきます」
全員でいただきますの挨拶をして、食事に手を伸ばし始める。ニーナが言っていた通り、煮込み料理が絶品だった。口の中でとろけるほど柔らかくなった野菜や肉が、とろみのあるスープと絡み合い、濃厚な味わいをもたらしてくれる。
「きょうの料理は今まで食べた中でも、特に美味しいな」
「こんな料理はなかなか作れないんですけど、今日は思い切ってやってみました」
「これは王都にある料理屋でも味わえんものじゃな」
「これ、お母さんが昨日の夜から仕込んでたんだよ」
「お風呂を上がってから、みんなでお話した後に、下茹でして寝かせてあるんだ」
「……私たちもちょっとだけ手伝いました」
「……皮を剥いたくらいなんですけど」
「そんなに凝った料理だったのか」
「チサさんがうちでご飯を食べてくれるっていうのが嬉しくて、私の出来る料理で一番美味しいのを食べてもらいたかったんです」
「今日の朝に一緒に暮らしていくって聞いたから、ちょうどいいごちそうになったと思うよ」
「お祝いにはぴったりだもんね」
「そこまでしてもらえたとは、ワシも果報者じゃな」
これほどの歓待を受け、チサも素直に全員の気持ちを受け入れている。こうして家族揃って食事をするなど、両親がまだ生きていた子供の頃だけなので、ずいぶん久しぶりだ。精霊の血が非常に濃い事がわかり成長も止まってからは、お互い腫れ物を触るように当たり障りのない会話しかしてこなかったので、再び訪れたこの時間をチサは楽しんでいた。
チサを家族として迎え入れた初めての食事会は、笑顔と明るい会話が途切れる事なく過ぎていった。