第49話 スノフ
表題通り、スノフの思惑がメインになります。
善司の意識がゆっくり覚醒してくると、胸のあたりの布団が盛り上がっていて、チサが抱きつくようにして眠っていた。
あまりいい姿勢で寝ているとは思えないが、とても穏やかな顔で熟睡しているのがわかる。
「やっぱりチサは可愛いな」
自分でも何故ここまで惹かれているのかわからないが、天使の寝顔のようなその姿をじっと見つめる。
ハルや娘たちもニーナやホーリも、元の世界だとアイドルとして十分やっていけるほど、可愛らしい顔立ちをしている。しかし、チサからは別次元の幼気さが伝わってきて、精霊の血が濃い影響なんだろうかと考えてしまっていた。
「これから一緒に暮らしていくんだし、もっと色々な魅力が発見できそうで楽しみだな」
頭を優しく撫でながら微睡んでいると、服を握るように掴まれた後、ゆっくりと瞼が持ち上がる。その瞳が善司を捉えるが、まだ意識が覚醒しきっていないのか、ぼーっと見つめるだけだ。
「おはよう、チサ」
「……うむ、おはようゼンジ。
ところで、ワシは何故こんな体勢で寝ておるのじゃ?」
「朝起きたら、チサが俺の上に登ってきてたんだが、どこか痛い所とか無いか?」
「特に異常は感じられんな、いつもより良く寝られたくらいじゃ」
「それならいいんだ、起きて着替えたら朝ごはんを食べよう」
「しかし、ゼンジに抱きついて眠ってしまうなど、また不覚を取ってしまったな」
「まぁいいじゃないか、俺はチサの可愛い寝顔を間近で見られて、朝から幸せだったぞ」
「くぅぅぅ……またお前はそんな事を臆面もなく言いおって」
チサは起き上がると怒りと羞恥心でプルプルと震えだしたが、朝はいつも調子が出ないので反撃や口論は諦めて引き下がる。
「今日の予定はどうするんだ?」
「ワシは王都の部屋に戻って、必要なものを取ってくるつもりじゃ」
「何か手伝おうか?」
「いや、王都の部屋もそのまま残しておくつもりじゃからな。
細々としたものだけ持ってくる予定にしておるから、心配は無用じゃ」
「明日休みを貰えるようにするから、必要なものはその時買いに行こうか」
「そうじゃな、荷物持ちとして存分に尽くすが良いぞ」
「あぁ、任せておけ」
自分の喋り方はもう変えられないが、そんな事を気にせず言葉を返してくれる善司に、気負わずに付き合える初めての友人のような感覚を、チサは感じていた。
そのままベッドを降りると、自宅から取ってきた服の入ったカバンを持って、部屋から出ていく。
この街には約20年ぶりに帰ってきたが、隣の自宅に置いていた服は問題なく着られる状態だった。逆に言うと、それだけの期間、全く成長していなかったという事だ。今の体型で成長が止まってずいぶん長い時間になるので、チサはこれ以上の発育を半ば諦めている。
チサを見送った後、善司も自分の着替えを済ませて一階へと降りていった。
◇◆◇
ここでチサが暮らしていくと告げると、家族全員が喜んでくれた。特にハルの喜びようが大きく、自分たちや善司の理解者が家族になってくれる事を、心から歓迎していた。
「おはよう、スノフさん」
「おう、おはよう。
チサ坊はどうだった? 無理難題を言われたりせなんだか」
「大量にお菓子を買わされたけど、新しい店も教えてもらえたし面白かったよ」
「それは何よりだな。
それで、あいつはどうするか聞いておるか?」
「今日は一度王都に戻ってる」
「なんだ、もう帰ったのか、せわしないやつだな」
「夕方には戻ってくるよ、その後は俺の家で歓迎会だ」
「ちょっと待たんか、歓迎会ってチサ坊はこの街で暮らすのか?」
「偶然チサの家が隣だったから、俺たちの家で一緒に暮らすことにしたよ」
その言葉を聞いて、スノフは大きく目を見開き固まってしまう。両親と一緒に暮らすことすら拒み、早々に家を出て一人暮らしを始めたあのチサが、他の家族と生活を共にするなど信じられなかったからだ。
「たった一晩で一体何をしたんだ、お前さんたちは」
「何って言われても、一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に寝たくらいだな」
「まてまてまてまて、飯くらいなら何かの間違いで一緒に食べる事はあるかもしれんが、風呂も寝るのも一緒にだと!?」
「ちょっと強引だったかなと思ってるけど、家族全員がチサの事を気に入ってしまってな。
最初はこの街に居る時だけでも、一緒にご飯を食べようって誘ったんだ」
「チサ坊が誰かと一緒に飯を食うだけでも珍しい事だぞ」
「その後はちょっと言いくるめて、一緒にお風呂に入った」
「自分の体質の事で、何か言っておらなんだか?」
「恥ずかしがって強く拒絶されたら諦めようかと思ったけど、ちょっと煽ってしまったから、その辺は特に聞けなかった」
「ワシもこの家にある風呂に誘った事があるが、一度も首を縦に振らなんだからな。
何か特別な理由でもあるのかと思ったが、お前さんたちと入ったなら、単に遠慮しとっただけか……」
先程から善司の話を聞いて、スノフは驚きっぱなしだ。それなりに長い付き合いがあり、両親より近しい存在として慕ってもらっていたスノフでさえ、一緒に食事をした事は数える程しかない。
それを会ったその日に食事を共にし、あろう事かお風呂と就床まで一緒だったなど、こうして聞いていても信じられない出来事だ。
「スノフさんみたいに精霊の血が濃い人って、どんな感じで成長するんだ?」
「精霊の血は気まぐれだからな、青年期が長いのは共通しとるが、誰もが同じとは限らん。
ワシの場合は、18歳位で一時的に成長が止まったな」
「それくらいの容姿で長く居られると、結構モテたんじゃないか?」
「まぁ当時は声をかけてくるやつも多かったが、精霊の血が混じっとると気持ちの変化に時間がかかるから、相手がどんどん離れていくんだ」
「それはチサも同じ事を言ってたよ、それでハルの事を聞いて驚いてた」
「普通の人間でも、あんな短時間で結婚するなど珍しいわ」
「それはハルたちの境遇とか、色々な要因があったからだよ。
それで、その若い期間ってどれくらいあったんだ?」
「確か100年くらい続いたかの……
その後は徐々に老けていったが、チサ坊と出会った頃には今とあまり変わらんくらいだったはずだ」
「なら、老いが目立つ容姿になってからも百年以上経つのか」
「あくまでもワシの場合じゃからな、チサ坊も同じとは限らんぞ」
「それは理解できたけど、やっぱりあの状態で成長が止まってるのは、ちょっと心配なんだ」
「その点に関しては、ワシもお前さんと同意見だ」
善司と同じ様に、スノフもチサの成長の事は気にかけていた。出会った当初からは幾分成長したが、その速度はあまりにも遅く、いつしかそれも止まってしまった。
食事や身の回りの事をあまり気にかけず、自分の好きな事に集中する子供だったので、スノフもあれこれ世話を焼こうとしたが、ほとんど受け入れてもらえないまま、王都へと移住してしまっている。
「俺たちの家にいれば、身の回りの事や食事の心配が無くなるから、一緒に住もうと提案した。
でも一番大きな理由は、俺がチサの事をすごく気に入って離れたくなくなったから、2人きりになった時に口説き落とした」
「ふっ………ふわぁーはははははっ!
こいつは面白い! あのチサ坊を口説き落としたときたか!!」
「チサと一緒に居るとすごく楽しいんだよ、それに同じ魔操言語開発者として、お互いに高めあっていきたいと思ってる」
「お前さんはいつも想像の斜め上を行くな。
三百年以上生きてきたが、今が一番充実しとるよ」
精霊の血が濃く寿命が長い定めを背負うと、どうしても普通の人間との間に壁を作ってしまう。しかし、目の前の男はたった一晩で、それを破壊してみせた。
思い返してみれば、同じ血を持つスノフ自身も、善司の事をかなり気に入っているのだ。他者に対して気持ちが揺らぎにくい血の影響を、善司は既に覆していた事に気づいた。
それほどの影響を与えられるのなら、チサが何かを感じ取っていてもおかしくはない。
この男と出会って、ここで働いてもらえて良かったと、スノフは膝を叩いて笑い声を上げながら、その思いを一層強くした。
◇◆◇
善司は明日休みをもらうことを告げて、今日の仕事も精力的にこなしている。夕方に差し掛かる時間になり、工房の扉が開くと、チサが中に入ってきた。
「お帰り、チサ。
荷物はそれだけなのか?」
「必要なものはこちらで揃え直すからな」
チサが王都から持ってきた荷物は、少し大きめの背負いカバンと手提げカバンのみだった。それもあまり重たいものは入っておらず、小柄な少女でもラクラクと運べる程度しかない。
「生活に必要なものは全部俺が出すよ」
「ワシとて魔操言語開発者じゃぞ、金の心配など無用じゃ」
「俺がチサと一緒にいたいとお願いしたんだから、それは出させてくれ。
これは男の意地みたいなものと思ってくれたらいいよ」
「まぁ、お前がそう言うなら甘えるとするか」
2人のやり取りを聞いていたスノフは、たったこれだけの会話にも驚いていた。他者を頼ったり依存したりしなかったチサが、善司に対してこれだけ素直に応じていたからだ。
「チサ坊は、よくこの街に戻ってくる気になったな」
「もう王都は飽きたんじゃよ、それよりゼンジの持っている知識や技術に触れる方が、面白そうじゃからな」
「そんなに他人の事を気に入るのは、初めてじゃないのか?
それで一緒に住む事にしたんだな」
「ゼンジはワシに惚れとるらしくて、どうしても離れたくないと言われたんじゃ。
そこまで言われて無碍に断るほどワシも非道ではないからな、仕方なく一緒に暮らす事にしたんじゃよ」
あくまで渋々了承したと強調するチサの顔は、言葉とは裏腹にとても楽しそうな表情をしてる。
「優秀な開発者が2人もこの街に揃ったら、王都の魔操組合も真っ青だろうな」
「あいつらの都合など知ったことか!
新たな手法や技を自分のものにして、更に飛躍する方が重要じゃ」
「俺だってチサに簡単に超えられるつもりはないから、逆に取り込まれないように注意しろよ」
「望むところじゃ、絶対ぎゃふんと言わせてやるからな!」
入力の手を止めて、お互いに見つめ合って不敵な笑みを浮かべる2人の姿は、じゃれ合っている風にしか見えない。
そんなチサを見るスノフの顔は、孫の成長を喜ぶ祖父のように見えた。
◇◆◇
今日の分の印刷を終え善司が退勤の準備を始めると、それを見たチサもスノフとの話を終えて、自分の荷物を持って立ち上がる。
「その荷物は俺が持つから、こっちにくれ」
「自分の分くらいは持てるわ、余計な気を使わんでも構わん」
「それだと両手がふさがってしまうだろ?
俺はチサと手をつないで一緒に歩きたいから、一つくらい任せてくれ」
「全く、お前は一緒に暮らしたいだの眠りたいだの、すっかりワシに依存しきっとるではないか」
「家ではずっと頼りにされっぱなしで、こうやって甘えられる人が居ないから、いいじゃないか」
「仕方がないのぉ、荷物は任せて手を繋いでやる、ありがたく思うんじゃぞ」
「そうしてくれると嬉しいよ、じゃぁ帰ろうか」
「スノフ爺、また来るからの」
「2人とも気をつけて帰るんだぞ」
「じゃぁスノフさん、今日は帰るよ」
「ご苦労さん、明日はゆっくり休めよ」
手を繋いで帰る2人を見送った後、スノフは善司が巧みにチサを誘導して、自分のやりたい事を叶えているその手法に感心していた。
意識してやっているのか天然なのかはわからないが、こうして見ていても2人の相性の良さは抜群だった。
「精霊の血が濃いワシたちと、ああやって向き合ってくれるやつがおるとは、この世もまだまだ捨てもんじゃないな」
自分自身もこの血のせいで、様々な妬みや冷笑を受けてきた。今の姿に近づいてきてからは、単に長生きの爺さんとして見てもらえるが、若い姿の時は仕事に打ち込む事で、そんな世間の目を気にしないようにしていた。
おかげで仕事が趣味みたいなものに変わってしまったが、それがこの出会いに繋がっている。その幸運に感謝しながら、2人の行末に幸福が訪れるよう、願わずにはいられなかった。
いくら気持ちが揺らぎにくいと言っても、大きなイベントが発生すると揺れてしまいます。
(ハルは娘たちの懐きっぷりと善司の一生懸命な姿。
スノフは見本開発やハルとの結婚。
チサは自身への接し方と異世界の知識)