第48話 お隣さんのお泊り
「ゼンジ、お前は一体何者なんじゃ?」
チサは善司の前に座り直すと、真面目な顔でそう問いかけてきた。恐らくその事について質問されるだろうと思っていたので、正直に自分の身の上を明かす決意をする。
「初めて名前を呼んでくれたな、嬉しいよ」
「茶化すな!」
「すまんすまん、本当に嬉しかったんだ」
「ならこれから名前を呼んでやるようにするから、質問に答えんか」
「チサは違う世界と聞いて何を思い浮かべる?」
「違う世界じゃと?
例えば神話とか、創作の物語みたいなものか?」
「そんな創作とは違うんだけど、俺はこことは全く違う文化、そして科学や技術が発達していた世界から、何かの影響で飛ばされてきたんだよ」
「飛ばされたとは、転移ということか?」
「建物から外に出ようと扉を開けたら、突然目の前が森になってたから、恐らくそうじゃないかな」
「元には戻れんかったのか?」
「出てきたはずの扉は消えて、周りにそれらしい痕跡は残ってなかった」
「仮に転移事故だとして、その様な事があればもっと大騒ぎになっとるはずじゃ。
原因究明のためにワシらにも声はかかるじゃろうし、少なくともこの国が関係しておるとは思えんな」
チサは驚いたり疑ったりするより、まずその原因を探ろうとしている。そう言った論理的で冷静な思考を、善司はとても好ましく思い、この年上の少女の事をますます手放したくなくなった。
「飛ばされたのがこの街の近くの森だったから、何か事故があったのかと思ってたけど、そうじゃないのか。
でも、それがわかっただけでも良かったよ」
「ゼンジはこの世界に来た時から、言葉や文字は理解できとったんだな?」
「みんなが話してる内容も書いてる文字も、来た時からちゃんとわかってたよ」
「それは単なる事故じゃないのかもしれんな」
「元の世界にあった物語に、自分たちの手に負えない強大な存在を倒すために、王家なんかが別の世界から勇者を召喚したりする話があるんだ。
そうやって呼び出された人物は、異世界の言葉が理解できたり、特別な力を持ってたりするんだけど、そんな意志が働いたって事か?」
「この大陸にはいくつか国があるが争いとは無縁じゃし、そんなものを必要とする局面など考えられんが、どんな理由があったかは想像すらできん」
転移事故や異世界召喚の線も消えると、ますます自分がこの世界に飛ばされた原因がわからなくなってしまう。
「理由がわからないのは少し気持ちが悪いけど、この世界の事は気にいってるし、大切なものができたから、元の世界にあまり未練はないんだ」
「何とものんきな事じゃが、こうして安定した生活基盤が手に入っておれば、そう思うのも無理はないのかもしれんな」
「チサに話を聞いてもらってよかったよ、自分でも色々と疑問に思っていた事があったけど、だいぶ解消された」
「他の家族はゼンジが別の世界から来た事を知っとるんじゃな?」
「あぁ、家族には全員話してある」
「それで双子やその母親があんなに懐いとるわけか、やっと理由がわかったよ。
ここまで知ってしまったからには、ゼンジのおった世界の話をワシにも聞かせてくれるんじゃろうな」
「俺の膝の上に座って大人しくしてるのなら、いくらでも話してやる」
「くっ……またワシをからかう様な事を言いおって!
よかろう、膝でも腹でも好きな所に座ってやる、元の世界の事を全てぶちまけるがいい!!」
チサも全く違う世界の話を聞けるという、好奇心を刺激する誘惑には勝てず、いそいそと善司の膝の上に移動して、腕の中にすっぽり収まった。
すっかり子供に話を聞かせる父親気分になった善司は、頭を撫でたり手を握ったりしながら、日本の事や自分の趣味の事、そしてパソコンやプログラミングの事を話していく。膝の上に乗っているチサも、子供扱いされているのは何となく感じているが、不思議と嫌な気持ちにはならず、その話に聞き入っていた。
◇◆◇
「ふっ、ふふふふふ……
長く生きてきたつもりじゃが、これほど面白い事に遭遇するとは、人生わからんもんじゃ」
チサは話が終わると、思わずくつくつと笑いだしてしまう。異世界の話はとても面白く、知らない技術や知識は心躍るものだった。
「そんなに面白い話でもないだろ?」
「いやいや、これは笑わずに居られんじゃろ。
二組の双子や、その母親と再婚しただけでも十分珍しいが、その遥か上を行く素性が明らかになったんじゃ」
「確かにこの家には、あまり見られないものが揃ってるとは思うが」
「しかし“ぷろぐらみんぐ”と言ったな、ゼンジの世界にあった技術や技法が、ここでも応用できるとは驚いたぞ」
「俺もスノフさんの所で魔操紙の印刷をやってて、どことなく似た部分がある事にびっくりしたよ」
「魔操言語に触れて、いきなり新しい見本を作ったと聞いた時は何とも腹立たしいと思ったが、基礎知識があったのなら納得できなくもない。
出来なくはないが、やっぱり腹が立つのぉ……このっ、このっ!」
チサが膝の上に座った姿勢から、肘で脇腹を小突きだしたが、善司はその刺激で思わず身悶えしている。
「やめろよ、そこはくすぐったいんだ」
「何じゃ、ゼンジはここが弱いのか?
腕力では勝てぬが、これならワシでもゼンジを倒せそうじゃな!」
「だからやめろって、反撃するぞ?」
「あっ、こら! そんな所をくすぐるんじゃない!
女性の体をなんだと思っとるんじゃっ!!」
「チサが攻撃をやめないからだぞ、ほらほら、これならどうだ」
「ちょっ、まっ、そこはだめじゃ、そこだけは勘弁してくれ」
「こら、あんまり暴れるなよ、ちょっと大変な事になってしまう」
「ゼンジがワシをくすぐるからじゃ!
いい加減にせんか、この痴れ者がっ!!」
脇腹や首筋をくすぐり合う2人の戦いは、息も絶え絶えになってベッドに倒れ込むまで続けられた。
「……はぁ、はぁっ
ひどい目にあったわっ、何か大切なものを穢された気分じゃ」
「ふぅ……
すまん、ちょっとやりすぎた」
「運動もしとらんのに、何故こんなに疲れなければならんのじゃ」
「やっぱりチサと居ると楽しいよ、こんなに笑ったのは久しぶりだ」
「ワシはお前のおもちゃではないぞ!」
「俺はそんな事を思ってないし、もう一緒に居たい大切な女性になったよ。
だから、さっきの答えを教えてくれないか?」
「まったく、真顔でそんな事をシレッと言いおって……」
チサは善司から目線を外し、天井を見上げながら少し考え込む。その頬はわずかに染まっているように見えるが、笑いすぎたせいか照れているのかは判別できなかった。
「今の気持ちを素直に言うと、ワシもゼンジの事は気に入っとる」
「俺に惚れてくれたか?」
「阿呆かっ!
ワシはお前の持つ知識や技術が気にいっとるだけじゃ、勘違いするでないわ!!」
「まぁ、今はそれでもいいよ」
「王都でくだらん依頼を聞いたり、代わり映えのせん凡庸な見本を眺めとるより、ゼンジの話を聞いとる方がよっぽど有意義じゃ」
「俺の知ってる事は、全てチサに教えるよ」
「ゼンジの持つ知識を全て自分のものにして、すぐに超えてやるから覚悟しておくんじゃな」
「俺だってチサの持ってる技術を習得してやるから、簡単に超えられると思うなよ」
2人は顔を見合わせて、お互い不敵な笑みを浮かべる。この国でライバルと言える存在の居なかったチサにとって、初めて認め合い切磋琢磨できる人物に出会えた事で、心の在り方すら変化させる大きな転換期になっていた。
「ワシの家はもう長い間ほとんど使っとらんし、生活に必要な物があまり残っとらん。
あれだけ熱心にワシを誘ったんじゃから、ちゃんと責任を取るんじゃぞ」
「空いてる部屋があるから、好きな所を選んでくれて構わないよ。
それに大きなものがあれば、物置部屋に入れておけばいい」
「なら、これからしばらく世話になるぞ」
「嬉しいよ、チサ!」
善司は隣で横になっていたチサに腕を伸ばすと、そのまま自分の方に引き寄せる。抱きまくらのような状態になったチサは、少し身じろぎしたが大人しく腕の中に収まっていた。
「どうしてゼンジは、すぐワシに抱きつくんじゃ……」
「チサはすごく抱き心地がいいんだよ」
「まったく、救いようのない変態じゃな」
「今夜はこのままここで寝ていってくれよ」
「お前はその歳になって、1人で寝られんのか?」
「この世界に来てから、いつも誰かと一緒に寝てたから、隣に人が居ないと落ち着かないんだ」
「しょうがない奴じゃな……
一緒に寝てやるから、もう少し力を緩めんか。
これだと窮屈でかなわん」
善司は抱きしめていた腕を解き、いつものように腕枕の姿勢になって、チサを自分の方に抱き寄せる。肩に頭を乗せるような格好になり、チサは胸板にそっと手を這わせてみたが、その鼓動を感じていると不思議と落ち着いてくる。
「出会ったばかりなのに、こうして一緒に寝てるなんてすごく不思議だな」
「お前が強引に誘ったくせに何を言っとるか!
双子の奴隷の件といい手が早すぎるじゃろ、ゼンジの居た世界の倫理観は一体どうなっとるんじゃ……」
「俺がここまで求めた相手は、元の世界でもここでもチサが初めてだぞ。
それだけチサが魅力的な女性だって事だよ」
「適当なことを言いおって……
そんな言葉で靡くほどワシは甘くはないから、覚えておくんじゃな」
「本心なんだがなぁ……
でも、チサと一緒に居ると楽しくて心休まるのは確かだよ」
「そんな事より明日も仕事があるんじゃろ?
さっさと眠らんと辛くなるぞ」
「そうだな、わかったよ。
じゃぁ、おやすみ、チサ」
「あぁ、ゆっくり休め、お休みゼンジ」
善司の目が閉じてしばらくすると、規則正しい寝息が聞こえてくる。それを確認したチサは、その頭に手を伸ばしてゆっくりと撫で始めた。
○○○
「全く変わったやつじゃ。
ワシの事を子供扱いするかと思えば、ちゃんと女性として見てくれる」
出会った時は全く信じてもらえなかったが、スノフと話をして自分の年齢を納得してもらえた。この国にいる普通の人間だと、それを聞くと気味悪がったり萎縮したりするが、善司は変わらない態度で接してくれる。
「それにゼンジの態度からは嫌味が感じられん」
子供扱いされるのは非常に癪だが、不思議と嫌な気持ちにはならない。
同じ魔操言語開発者によく居るのが、チサのほうが遥かに年上とわかっていながら、自分たちより技術がある事を許せない連中だ。そんなタイプの人間は、幼い容姿にもかかわらず優秀なチサにプライドを傷つけられ、敵意を向けたり嫌がらせをしようとする。
体格ではどうしても大人には敵わないので、押されたり行く手を遮られたりすると、為す術がなくなってしまう。人付き合いが苦手になって、引きこもりがちな生活を続けている原因が、こういった連中のせいだった。
「違う世界の人間だからと思ったが、それだけが理由ではないじゃろうな」
歩くスピードを合わせてくれたり、他人に紹介する時はちゃんと自分の先輩として、敬意を払ってくれるのは嬉しかった。そして善司の持つ数学の知識や魔操言語を使った処理手法は、この世界のものとは一線を画している。
この世界の開発者は、処理が複雑になればなるほど高度なものと考えがちだ。そのため既存の見本を改良する時も、見た目の豪華さを優先してしまう。それがスパゲティコードを生み出している一因にもなっているのだが、善司はそれを一度リセットして、まっさらの状態から組んでしまった。
「あれほど簡素で読みやすい見本は初めてじゃったが、同じ人間が別の方向性で作ると、難解な見本まで出来てしまうというのは驚きじゃよ」
まだ三種類の見本しか作っていないので、善司の持つ引き出しがどれ程あるのかはまだわからない。しかし、異世界の話を聞く限り、このさき思いもよらない物が出来上がる可能性は非常に高い。
「これほど誰かと一緒に居る事が楽しみなのは初めてじゃよ。
この責任は必ず取ってもらうから、覚悟しておくんじゃぞ」
チサは善司の頭を撫でていた手を戻し、寄り添うように横になって眠りについた。
ちょっとだけバブみを感じさせるチサさん。