第47話 お隣さんとお風呂
自室に今年はじめてのムカデが出現!
あんな人類の敵は絶滅すればいいのに……
「どうしてこうなったのじゃ……」
チサは湯船に肩まで浸かって、少しぐったりとした表情になっている。売り言葉に買い言葉とは言え、善司たちの作戦にまんまとハマってしまった事を、ちょっとだけ後悔していた。
「でも、こうしてのんびりするのは気持ちいいだろ?」
「確かにこれだけ広い湯船に入るのは良いものじゃな」
「チサちゃんの家ってお風呂はあるの?」
「この家みたいに広い?」
「ここまで大きい風呂がついている民家は、まず無いと思うぞ。
ワシの住んどる王都の部屋はもっと狭くてな、普段はそこに付いとるお湯撒き口だけで済ます事が多かったの」
「それだけだと、きれいになった気がしないんじゃありませんか?」
「別に数日風呂に入らんくらい平気じゃからな、それくらいで十分じゃよ」
「……それは女の子としてだめだと思う」
「……せめて体だけでも拭かないと」
「チサって結構面倒くさがり屋だろ」
「開発の仕事が順調な時は、一気に進めたくなるからな。
それ以外の事に時間を費やすのが、もったいないだけじゃ」
「髪の毛もなんか伸ばしっぱなしって感じだよね」
「もしかして自分で適当に切ったりしてる?」
「良くわかったの、伸びて鬱陶しくなったら適当に切っておるぞ」
「なんか髪の毛も適当に洗ってそうだな……
よし、今日は俺が洗ってやるぞ」
「なっ、髪くらい自分で洗えるわっ!」
「そんなに長かったら1人で洗うのは大変だろ、俺に任せておけ」
「ゼンジさんに洗ってもらうと気持ちいいですから、チサさんも体験してみて下さい」
「ほら行くぞ」
チサの返事を待たずにお湯から出ると、そのまま手を引いて椅子に座らせ、まとめていた髪を解いてお湯で流していく。背中の真ん中くらいまである髪は長さも揃っておらず、先ほどの言葉を肯定していた。
「お主はワシの答えも聞かずに強引なやつじゃな」
「チサが本気で嫌がるならやらないようにするが、そうじゃなかったらお節介を焼くことに決めたからな」
「不思議なやつじゃな、お主は」
「俺と出会ったのが運の尽きと思って諦めてくれ」
「まぁ良い、ハルの絶賛しておったその技術をワシに披露してみろ」
この世界の石鹸は、髪の毛を洗ってもギシギシせず、トリートメントに近い効果を発揮する、地球では見られない成分でできている。それを丁寧に泡立てて髪の毛になじませ、頭皮をマッサージするように洗っていく。
「やっぱり髪の毛も適当に洗ってる影響で、ちょっと傷んでるぞ」
「面倒じゃからバッサリ切ってしまうかの」
「折角きれいに伸ばしてるんだから、毛先を切りそろえて毎日こうして洗髪したら大丈夫だろ」
「毎日こんな手間をかけるなど、ワシにはできん」
「ここで暮らしてる間なら、俺が毎日やってやるぞ」
「ゼンジってやっぱり、すごく面倒見がいいよね」
「優しいお父さんって、あんな感じなのかな」
「……仲のいい父娘みたいな気がする」
「……チサさんみたいな可愛い子供が欲しい」
「私たちに子供が生まれても、あんなお父さんが居てくれると安心ね」
チサの世話を焼いている善司の姿を見て、嫁と嫁候補たちは口々にそんな事を言っていた。
「お主たち聞こえておるぞ!
ワシはこんな父親などいらん!!」
「ほら、暴れると石鹸が目に入ってしみるぞ」
「ぬぅぅぅ、しまった……目が、目がぁ」
「言わんこっちゃない。
ほら、お湯で顔を洗うんだ」
善司が洗面器に入ったお湯でチサの顔を洗い目の痛みが取れると、そのまま頭も洗い流していく。少しゴワゴワしていた髪の毛もきれいな艶を取り戻し、善司は満足そうな顔でそれを見つめている。
「よし、頭はこれくらいでいいだろ」
「ハルの言う通りじゃったな、これは少し癖になりそうじゃ」
「気にいってもらえたなら良かったよ、ついでに背中も洗ってやるから、もう少しじっとしててくれ」
「うむ、すまんな」
思いのほか善司の洗髪が気持ちよかったので、チサはそのまま背中も洗ってもらい、久しぶりにゆったり入るお風呂を堪能していた。
◇◆◇
その日の晩も善司の部屋に集まって、ベッドの上で甘えたりスキンシップをして過ごしていたが、もう少しだけ話がしたいというチサを除いて、全員が自分たちの部屋に戻って行った。
「しかし、お主たちは本当に仲が良いの」
「みんなお互いの事を大切に思ってるし、愛おしく感じてるからだな」
「双子やその母親があれほど笑顔で幸せそうにしとるのは、少なくともこの国ではお主の所だけだろうよ」
「俺にはその全てを救う力はないけど、目の前にいる人の笑顔は守って行きたいよ」
「まぁ、その点に関してはワシも応援してやろう」
「この街でも少しずつ、ハルや双子たちに対する風当たりが弱くなってきてるんだ、チサみたいな味方が増えるのはとても嬉しいよ」
「味方か……ワシはお主の事を、競争相手と思っとるがな!」
「俺はもうチサの事を大切に思ってるけどな」
「なっ……
出会ったばかりじゃと言うのに、よくもそんな事が言えるの。
お主は近くの女性に片っ端から声をかけるような、女たらしだったのか?」
「チサと一緒に居ると、俺の称号がどんどん増えていく気がするな」
善司は笑いながらチサの方を見るが、こうして気負わない会話が出来るこの時間を、心地よく思っていた。
「何故そう笑っていられるんじゃ?
ワシはお主にとって取るに足らん存在で、何を言われても歯牙にもかけんという事か!」
「違う違う、チサと話すのがとても楽しいからだ。
何だかずっと昔から友達だったみたいに、すごく気が合うんだよ」
「あー、こら! 離さんか!!
ワシを子供扱いするでないわっ!!」
善司は目の前で睨みつけるチサを抱きしめると、膝の上に乗せて頭を撫で始めた。しばらく暴れていたが、腕力で振りほどけ無いのがわかり、チサも仕方なしに背中を預けて、されるがままに撫でられている。
腕の中にすっぽりと収まってしまう、その小さな体を抱きしめていると、善司の中にこの存在を手放したくないという気持ちが芽生え始める。
「不思議とこうしてると落ち着くよ」
「ワシはお主の精神安定剤でも愛玩動物でもないぞ」
「そんな事は思ってないけど、この感覚はなんだろうな……」
「それにワシはお主の事が嫌いじゃ」
「それでも全然構わないんだ、チサに顔を見るのも嫌と言われるほど拒絶されない限り、自分の気持には素直になる事にしたんだ」
「まったく、お主とおると調子を狂わされっぱなしじゃ。
どうしてそこまで強引にワシと関わろうとするんじゃ?」
「俺は今まで大切な存在を、簡単に諦めすぎたんじゃないかと思ってる。
でもこの街に来て、イールとロールに出会いハルと一緒に暮らすようになって、守りたいものを自覚できるようになった。そしてニーナとホーリに会って、自ら手を伸ばしでも掴みたいものが自覚できた。
チサに対しても、同じ気持ちになってきてるのかもしれない」
日本に居た頃は、相手から別れ話を持ちかけられても、何も言わずに納得してしまった事を思い出す。ずっと一方的に捨てられたと思っていたが、そこで自分から手を伸ばせば違う結末が待っていたかもしれない。
少し体温の高いチサの腰に手を回し、自分の方に抱き寄せながら、この世界に来る前のことを考えていた。
「お主やっぱりワシに惚れとるな」
「これも恋愛感情なのかなぁ、俺には良くわからないがどう思う?」
「ワシに聞かれてもわからんわ、この幼女趣味が!
全くとんでもないやつに捕まったもんじゃ、これは貞操の危機じゃな」
「俺よりずっと歳上なのに、自分で幼女とか言うなよ」
「ぬぁっ! つい口走ってしまったではないか……
ワシとしたことが、一生の不覚じゃ!!」
「俺より数倍生きるんだから、これくらいで不覚を取ってたら、なんど陥るかわからんぞ」
「ぐぬぬぬぬぬ……」
腕の中でプルプルと震えだしたチサの頭を撫でながら、善司はこの時間をとても楽しんでいた。
◇◆◇
1人でぶつぶつと何かを呟きだしたチサが落ち着くのを待って、善司はある提案をしてみようと決意した。惚れた腫れたは別にして、チサの生活習慣が放っておけなかったからだ。
「なぁ、チサの仕事って王都でしかできないのか?」
「そんな事はないぞ。
王都は情報が集まりやすいから、そこで暮らしておるだけじゃ」
「なら拠点をこの街に移さないか?
隣の家で生活と仕事をして、ここにご飯を食べに来るのでもいいし、この家で暮らしたって構わないぞ」
「何を言い出すのかと思えば、ワシもこの家に引き込むつもりか」
「チサは仕事に集中しだすと、身の回りの事が疎かになるだろ?
ここならそんな心配はいらないし、俺にも手伝える事があると思うんだよ」
「確かにここの飯は旨いし風呂も快適じゃ、それにお主が組み上げる見本は勉強になる」
「王都には転送の魔操器で行けるんだし、用事がある時だけ移動すればいいと思う。
それに、チサがこの国で一番優秀な開発者なら、もう王都にいる意味はないんじゃないか?」
「お主の言うことは正鵠を得ておる、それに王都ではもうワシの学べる事は無いと感じておるのは確かじゃ」
「それなら本気で移転を考えてみないか?」
チサは善司の腕からすり抜けると、正面に座って真面目な顔をする。
「じゃがな、ワシにはどうしても確かめておかねばならん事があるんじゃ」
「それは一体何だ?」
「今日はこうして話をしたり、お主の組み上げた見本について教えてもらったが、一つだけ納得のできん所があってな。
その事を正直に答えてくれるなら、引っ越しも検討してみよう」
善司はチサの目とその雰囲気を見て、なんとなく聞きたい事が想像できた。緩んでいた表情を引き締め、ベッドの上で座り直すと、チサの方をじっと見つめる。
「俺の答えられる事なら、正直に話すと約束するよ」
「お主の考え方や知識、それに魔操言語を組み上げる論理的思考は異質すぎる。
他の国の人間が作った見本も多数読んでおるが、お主のような記述をする者など存在しなかった。
――ゼンジ、お前は一体何者なんじゃ?」