第42話 精霊の血
昨日は元旦のような盛り上がりでしたね(笑)
残念ながら雨で初日の出は見られませんでした。
果物を急いで食べたせいで手までベタベタになってしまい、善司はハンカチで指を一本一本拭いている。ミント系の果物を一気に食べたせいで、チサは少し身震いをしている。
「急いで食べすぎたから、涼しく感じてしまうだろ、温めのお茶を飲んだら落ち着くと思うぞ」
「う、うむ、すまんな」
工房に置いてある給湯器で作ったお茶を、少し冷ましてからチサに渡すと、それをゆっくりと飲み干していく。
「どうだ? 落ち着いてきたか?」
「体の震えは収まってきたぞ」
「そうか、それは良かった」
「……じゃ、じゃから子供扱いするなと言っておろう」
善司に頭を撫でられたチサは、今までのように語気を荒げることなく、少し恥ずかしそうにうつむいてしまう。
「そうしているのを見ると、チサ坊がまだ小さかった頃を思い出すの」
「もう100年くらい前の話なんじゃ、思い出さんでもいいじゃろ」
「つい最近のことに思っておったが、もうそんなになるのか」
「王都に行って60年ほど経っておるんじゃぞ、この街に帰ってきたのも20年ぶりくらいじゃ」
2人の会話を聞いていて、善司の中でどんどん疑問が大きくなってくる。まずわからないのがスノフの年齢だ、100年以上前のことを、つい最近のように語っている。それにチサの年齢が108歳というのも、こうして聞く限り事実のようだ。
「2人とも済まないけど、一体何の話をしてるんだ?
100年とか200年とか、この国の人間はそんなに生きられるのか?」
「ワシもスノフ爺も、精霊の血がとても濃いんじゃよ。
ワシなどは、精霊とほとんど変わらんと言っても良い位じゃ」
「少し混じっとるくらいなら青年期が長いくらいなんだが、ワシらみたいな人間は4-500年は生きられるな」
「じゃぁ、この工房って出来てどれくらい経ってるんだ?」
「ここは200年以上経っとるかの」
「お主はそれを知らずに働いておったのか?」
「老舗の工房だってのは聞いてたけど、代々受け継いできたものだと思ってたよ」
「ここはワシがこの街に来て作った工房だからな」
「なぁ、スノフさんの年齢っていくつなんだ?」
「300歳を超えてからは数えておらんからわからんが、あと100年位は生きられるはずだ」
「俺の方が先に寿命が来るな、それ」
「ワシはスノフ爺より長生きできるから、お前の数倍は生きてやるぞ、うひひひひ」
ちょっと嫌味っぽく笑うチサの顔を見て、善司は天を仰ぎたくなった。昔の見本も丁寧に保管してあるので、長い時間この工房が存在していたのはわかっていたが、まさか一代で経営を続けていたとは想像できなかった。
「とりあえず、チサの年齢が108歳というのは納得するよ」
「ほれ、それがわかったなら今までの非礼を詫びて、これからはチサ様とでも呼ぶが良いぞ」
「それは無理だ、チサを見てるとどうしても子供にしか見えない」
「なんじゃとーっ!」
椅子を降りたチサが、腕をぐるぐると振り回しながら駄々っ子パンチを善司に浴びせるが、威力も何もなく全くダメージを与えられていない。
「お前さんたち、本当に仲がよいな」
「ワシはこいつなんか嫌いだ! このっ、このっ!
少しは痛がるとかしたらどうだ、この鈍感男め!!」
「フリだけでいいのならやってみるが」
「面白い、やってみるがいい」
「うーわー、やーらーれーたー」(棒読み)
そう言って善司は椅子の上でぐったりと力を抜いて倒れたフリをするが、それはまさに子供相手のごっこ遊びだった。
それを見たチサは、回していた腕を止めて、手を握りしめたままブルブルと震えだした。
「こっ、こっ、こっ……
このワシを馬鹿にしおってー、お前なんか大嫌いだー、びぇぇぇぇぇーん」
「あー、いや、すまん、ちょっとからかい過ぎた。
チサは今まで俺の近くに居なかった個性の持ち主だから、こうして話したりするのがすごく面白くて悪乗りしすぎたよ、本当に済まなかった」
善司が両目に涙を浮かべて泣き出したチサを抱きしめて、頭や背中を優しく撫でていると、しばらくして嗚咽も収まってくる。
さっきの言葉通り、善司はチサの事をとても気に入っていた。家族はみんな行儀や聞き分けが良く、こうして自分の感情をストレートにぶつけてくる人間が居なかったので、冗談や皮肉を気兼ねなく伝えられる相手を目の前にして、ついつい加減を誤ってしまっていた。
自分より遥かに年上だが、見た目が幼女の女性を泣かせると罪悪感が半端ない、イジメにならない程度に手加減しようと固く心に誓った。
「……お菓子と果物」
「え? 何か言ったか?」
「お菓子と果物をワシにご馳走するのだ、それで許してやらんでもない」
「わかった、仕事が終わったら買いに行こう」
「約束じゃからな」
ハンカチが果物の汁でベタベタなので、カバンからタオルを取り出して涙を拭いている善司と、それを素直に受け入れているチサの姿を眺めているスノフは、とても面白いものを見たという顔をしている。
「それでチサ坊は、突然この街に帰ってきて何の用だったんだ?」
「この街に来たのは人探しが目的だったんじゃが、それはひとまずどうでも良い。
それよりも、あれはどうしたんじゃ?
0番の魔操板など、この工房で請け負えるわけなかろう」
「あぁ、あれか。
貴族からの依頼で、金庫用の見本を新たに作れってのがあっただろ」
「全くくだらんことを言いおって、あんなバカどもに付き合うくらいなら、新しい見本でも読んどる方が数百倍マシじゃ」
「お前さんがそうやって断るから、他の開発者も全員手を引いてな」
「だらしのない奴らばかりじゃのぉ」
「そのせいで魔操紙工房にも依頼や問い合わせが来て迷惑しとったんだぞ」
「あんな連中は放って置けばいいんじゃよ」
「そうも言っとれんから、ワシがそいつに依頼をして新しい見本を作ってもらったんだ。
それが採用されて初期出荷を任されたから、0番の魔操板がここにあるって訳だ」
スノフの言葉を聞いたチサは、善司の方にゆっくりと顔を動かし、探るような視線を向ける。
「あの見本をこいつが作った……じゃと?」
「誰も作る人が居ないと聞いたから俺がやってみたんだが、王都で有名な開発者ってチサの事だったのか」
「長年見本の開発をしとるからな、お前さんはこの仕事を始めたばかりで知らんだろうが、チサ坊より出来るやつはこの国にはおらんぞ」
「へぇ、凄いじゃないか」
「しかも、この仕事を始めたばかり……じゃと?」
「俺がこの国に来たのは火期のはじめ頃だったから、仕事もその時の覚えたんだ」
「いきなり新しい見本を作ってみたいと言われた時は驚いたぞ」
「ハルの病気を何とかしたいと思って必死だったからな」
「双子でも魔操作が出来るようになった時は、もっと驚いたがな」
「ちょっと待つのじゃ。
双子でも魔操作の出来る新しい見本も、お主が作ったのか?」
「双子が魔操作できないなんて、どう考えても欠陥だろ?
この街に居る双子の姉妹に協力してもらえたから、色々試行錯誤して何とか成功したよ」
「なら作り方の似ておる計算器の見本もお主か?」
「そうだよ、良くわかったな、さすがは長年魔操言語に触れてる開発者だ」
「そうか、そうじゃったのか……ふ…ふふふふふふふ」
チサは座っていた椅子から降りて下を向くと、肩を震わせながら乾いた笑いをあげ始めた。
「何か俺の見本に変な部分があったのか?」
「ふふふふふ、やっと見つけたぞこの悪魔めっ!!」
チサは“ズビシッ!”と効果音が鳴りそうな勢いで善司を指差し、親の仇でも見るような形相で睨みつける。
「いきなり人を指さして悪魔とは、ずいぶんな言い様じゃないか」
「最近立て続けに新しい見本が発表されておると思ったが、全て貴様の仕業じゃったのか……
しかも、あそこまで難解な見本を作りおって、ワシが解読するのにどれだけ苦労したと思っとるんじゃ、そんなやつは悪魔で十分じゃ!!」
「あれを解読したのか、やっぱりチサは凄いな」
「うるさい、うるさい!
3日じゃ、3日も徹夜したんじゃぞ!!」
「そんなに一生懸命、見本を読み込んでくれたのはちょっと嬉しいな」
「あんな意味不明の文字を並べて、回りくどい記述や無意味な処理を詰め込みおって、どれだけ性格が悪いんじゃと思っておったが、貴様だったとはな!
やっぱりお前なんか大嫌いだ、ワシの睡眠時間を返せっ!!」
「そういう依頼だったんだから仕方ないだろ?
そもそも俺は簡素で読みやすいものが好きで、あんな見本を作るのは嫌いなんだよ」
「そう言っとるくせに、出来てしまうのが気に入らんのじゃ!
絶対にぎゃふんと言わせてやるから覚悟しておけよっ!! ちくしょーーーーーー
―――ふぎゃっ」
そう叫びながらチサは扉を開けて外に飛び出したが、出っ張りにつまずいて地面にダイブしてしまう。
「おっ、おい、大丈夫か?」
「……貴様の助けなんぞ借りん。
これでもワシは大人なんじゃ、絶対に泣いたりせんからな!」
ゆっくりと起き上がり、善司の方をキッと睨みつけると、涙目になりながら表通りの方に走り去ってしまった。
「一体何だったんだ……」
突然怒り出して嵐のように走り去っていった方向を見ながら、善司は唖然と立ち尽くしていた。