第35話 結末
話を聞き終わった善司は、2人を抱きしめていた。ハルも涙を浮かべながら、善司と挟むように2人を背中から抱きしめている。
「ニーナとホーリの事は俺が絶対に守ってやる、二度とそんな思いはさせないと約束する」
「私もあなた達をこれからいっぱい愛してあげるわ」
「……ゼンジさん、ハルさん」
「……うれしい」
ニーナとホーリは胸から感じる善司の温もりと、背中から感じるハルの温もりに包まれて、今まで感じた事のない幸せな気持ちになっている。家族の温かさというものを、その時初めて知ることが出来た。
「すごく怖かった」
「いつも寂しかった」
「私たちなんでこんな目に合うんだろうって」
「何も悪い事してないのに」
「辛くて悲しかっただろ」
「いっそ消えちゃいたかった」
「その方がどんなに楽だろうって」
「もうそんな事は考えなくていいからな」
「ずっと誰かに名前を呼んで欲しかった」
「私たちの事をちゃんと見て欲しかった」
「頭を撫でて欲しかった」
「抱きしめて欲しかった」
「ニーナとホーリのして欲しい事は俺が全部叶えてやるから、もう我慢しなくてもいいんだ」
「「……ゼンジ…さん………うっ、うわ~~~~~ん」」
善司の顔を見上げて、涙を浮かべたニーナとホーリは、そのまま胸にすがりついて泣き出した。2人の頭を善司は優しく撫で、ハルも背中を愛おしそうにさすっていた。
◇◆◇
ニーナとホーリはしばらく泣き続けていたが、ゆっくりと顔を上げ善司をじっと見つめる。2人の表情からは陰りが消え、少し恥ずかしげでどこか熱い視線を善司に向けていた。
「……泣いちゃってごめんなさい」
「……もう15歳なのに恥ずかしい」
「2人には甘えてもいいって言ったから、何も恥ずかしいことなんて無いよ」
「「……これが甘える?」」
「まだまだ難しいかもしれないけど、まずは自分たちのやって欲しい事を言ってみるのがいいと思う。
そうやって誰かに甘えたり、依存したりする事に慣れていけばいい」
「私も聞いてあげるから、何でも言ってみてね」
「「……あの、それじゃぁ、ハルさんにも頭を撫でて欲しい」」
「えぇ、いいわよ」
ハルは善司の方に移動して、ニーナとホーリの頭を優しく撫で始める。2人は目を閉じ、少しうっとりした表情でなでなでを堪能している。
「……ハルさんのなでなでも気持ちいい」
「……すごく落ち着く」
「2人とも、今夜はゼンジさんと一緒に寝たらどうかしら」
「……あの、今夜は2人で話したい事があるから」
「……また今度お願いします」
「そうなの? 私たちに遠慮しなくてもいいから、いつでも言ってね。
ゼンジさんの隣は早いもの勝ちよ」
ちょっといたずらっぽい笑顔を浮かべて微笑むハルの顔を見て、ニーナとホーリも表情を崩しならが「はい」と返事をする。
「……今日は話を聞いてもらって、ありがとうございました」
「……すごく気持ちが軽くなった気がします」
「話したい事や聞いて欲しい事があったら、いつでもおいで」
「「……はい」」
2人は名残惜しそうにベッドから降りて扉の前まで行ったが、立ち止まって善司の方に視線を向ける。
「……あの、ゼンジさんにもう一度抱きしめて欲しい」
「……構いませんか?」
「あぁ、それくらいお安いご用だ」
善司はベッドから降りると2人のそばまで行って、そっと抱きしめて頭を撫でる。
「「……ありがとうございました、お休みなさい」」
「2人ともお休み。
夜中でも寂しくなったら部屋に来て大丈夫だからな」
「お休みなさい、ニーナちゃん、ホーリちゃん」
2人は軽く会釈して、部屋から出ていった。
◇◆◇
ニーナとホーリは軽い足取りで廊下を歩いているが、その顔は真っ赤に染まっていた。善司に抱きしめられた後、部屋を出るまでは何とか平静を保っていたが、廊下に出た途端に未知の感情に支配されてしまった。
『どうしようホーリちゃん、顔がすごく熱い』
『私も同じだよニーナちゃん』
『ゼンジさんの事を思い出すと、胸のドキドキが止まらないの』
『それに体の奥が熱くなってくる』
『これって病気なの?』
『わからないけど、苦しかったり嫌な気持ちにはならないから、違うと思う』
『このままだと眠れないよ』
『部屋に帰って落ち着きましょう』
2人はそんな会話をしながら廊下を歩いているが、口を動かさず声も発していない。熱くなった頬に両手を当てて、無言で歩いているだけだ。
昔から2人は、お互いの考えている事がわかった。それはごく当たり前の事で、誰でも出来るんだと思っていたら、実は違っていた。母親からはロクに喋らない陰気な子供だと思われていたが、実際は声に出さずに会話をしていて、よく喋る2人だったのだ。
『でも、話を聞いてもらえてよかった』
『うん、イールちゃんとロールちゃんの言った通りだった』
『ハルさんはすごく優しくて、あれが本当のお母さんなんだなって』
『それにゼンジさんは、とても大きくて温かい』
部屋に戻りベッドの上に座った2人は、善司の事を思い出して、また頬が赤く染まり胸の鼓動も激しくなってくる。
『やっぱりゼンジさんの事を考えるとドキドキする』
『奴隷商で頭を撫でてもらった時も少しドキドキしたけど』
『あの時はまだちょっと怖かったね』
『でも、次の日ちゃんと名前を呼んでくれて、すごく嬉しかった』
『私たちの事をわかってくれる人が、この世界に居たんだって』
奴隷商で自分たちに興味を持った人が来たと聞いた時は、またあんな目に合うかもしれないと思って、目の前が暗くなった。でも奴隷の身分で嫌とは言えずついて行ったが、連れて行かれた部屋で待っていたのは、背は高いけど優しそうな人で少しだけホッとした。
その人は私たちを椅子に座らせると、その前にしゃがんで低い目線で話しかけてくれた。そんな風に話してくれる人に出会ったのは初めてだった。
母も奴隷商の人も、そして連れて行かれた屋敷の人も、全員が上から私たちの事を見つめてきた。その視線はとても怖くて、言葉がうまく出なくなってしまう。
『でもゼンジさんに見られるのは全然怖くない』
『背は高いけど不思議と平気』
『ねぇホーリちゃん、これって……』
『うん、きっとそうだよニーナちゃん』
『明日はゼンジさんと一緒に眠ってみたい』
『そこで確かめてみようね』
ニーナとホーリはお互いの気持ちを確認すると、抱き合うようにしてベッドに横になる。胸のドキドキはなかなか収まってはくれなかったが、色々な事が重なって疲れていた2人は、そのまま夢の中へ旅立っていった。
―――――・―――――・―――――
街の中にある大きな屋敷で、1人の太った男が不機嫌そうに歩いていた。
「使用人どもはどこに行きやがった。
着替えや食事の用意もしてないとは、一体どういうつもりだ」
厨房や倉庫、それに使用人の部屋の扉を乱暴に開けて、そこに誰も居ないとわかると悪態をついて移動していく、男は先程からずっとこれを繰り返していた。
「職場放棄しやがって、どこで油を売ってやがるんだ。
戻ってきたら全員を泣くまで再教育してやる」
この屋敷には労働奴隷や、借金のカタに連れてこられた娘を使用人として雇っていた。相手が逃げられないのをいいことに、男は性的虐待を繰り返していたのだ。
愛玩奴隷として買われた人間は更に酷い仕打ちを受ける事もあり、人知れず屋敷から消えてしまった者も多い。
「おい! 誰か居ないのか!!」
「御用でしょうか、旦那様」
何処からともなく現れた背の高い年配の男性は、ニーナとホーリをこの屋敷に連れてきた、太った男に仕える執事だった。
「使用人が一人残らず消えやがった、一体どういう事だ」
「使用人たちは全員に暇を出しております」
「はぁ!? 俺はそんな事を許した覚えはないぞ、一体誰が決めやがった」
「私でございます」
その言葉を聞いた男は、手をブルブルと震わせ顔を真っ赤にして執事を睨み付けた。
「きっ、貴様、執事の分際で何を勝手に決めてやがるんだ!」
「旦那様は当家が今どういった状況に置かれているか、ご存知でしょうか?」
「そんなものは知らんし興味がない」
「当家との取り引きを停止すると、全ての商会から通達が来ております」
「何でそんな事になってるんだ、困るのはアイツラの方だろう!」
「いいえ、それは違います旦那様。
当家と取引する事は、この街はおろか国中の商会にとって、悪い印象を与えてしまいます」
「それはどういう事だ」
「理由はわかりませんが、当家の悪い噂が急速に広まっております」
執事はこうしらばっくれているが噂の原因は当然知っている、もちろん奴隷商を敵に回したからに他ならない。全国にネットワークがあり、そこに住む住人とのパイプも太い奴隷商から敵として認定されるというのは、こういう事だ。
そんな悪い噂の立っている人物と関係を持ち続ければ、商会のイメージダウンは避けられない。次々と取り引きから手を引くのは、当然だろう。
「くそったれが、そんな噂を流したのは何処のどいつだ……」
「それに、大旦那様が残してくださった遺産も、もう底をついております。
この屋敷もすでに売りに出されておりますので、旦那様もご退去の準備をお急ぎ下さい」
「それを黙って受け入れたっていうのか! お前は執事だろ何とかしろ!!」
「大旦那様から受けたご恩をお返しするためと、今までお仕えしてまいりましたが、あなたには愛想が尽きました。
もう私はこの家の執事ではありません。
長い間お世話になりました、これからは一人で生きて下さい」
唖然とする男を残して、執事だった男性は屋敷から出ていった。
一人残された男は執事が消えていった方向をじっと見ていたが、やがて力が抜けたように床にベッタリと座り込む。
「……家が無くなるだと…それに親父の遺産ももう無い?
……うひっ、うひひひひひ……………」
生気の消えた瞳で虚空を見つめる男の口から出た不気味な笑い声が、誰も居なくなった屋敷に響き続けていた。
僅かに残った先代の遺産や屋敷を売り払ったお金は、執事が全て使用人たちに分け与えていた。彼もずっと心を痛めており、先代から受けた恩と暴虐の限りをつくす現当主との間で、その忠誠心は揺らぎ続けていたのだ。
つい最近も成人したばかりの、まだ少女と言える双子に手酷い体罰を加えた事で、とうとうその天秤が傾いてしまった。そして街に流れ始めた悪い噂とその出どころを知って、今回の行動に出た。
この屋敷に住んでいた当主が、その後どうなったのかは誰も知らない。
あの日以来、その姿を見た者が居ないからだ。
バッドエンド回でした。
資料集の方にニーナとホーリや奴隷商セルージオを追加しています。
(その他、細かい修正や追記、身長対比の画像も差し替えました、よろしければご一読下さい)