第32話 歓迎会
食堂のテーブルの上には、いつもより多くのお皿が並べられ、どれも見るからに美味しそうで、それを証明するかのような良い香りが辺り一面に漂っている。
「今日の料理は一段と美味しそうだな」
「お母さんと頑張って作ったんだよ」
「いつもより早い時間から準備を始めたからね」
「ニーナちゃんとホーリちゃんは、何か食べられない物とか苦手な物はあるのかしら」
「……いえ、特にありません」
「……なんでも食べられます」
「……それに、とても美味しそうです」
「……こんなごちそう、ありがとうございます」
「ニーナお姉ちゃんとホーリお姉ちゃんは、真ん中に座ってね」
「私とイーちゃんは、あっちとこっちに座るね」
ニーナとホーリを4つ並べた椅子の真ん中に座らせて、イールとロールが左右に分かれて挟むように座る。善司とハルがその前の席に並んで座り、全員が席についた。
「この家では、食事の前に“いただきます”って言うのを決まりにしてるから、ニーナとホーリも言ってもらえるか?」
「「(こくん)」」
「よし、ニーナとホーリが家族になってくれた歓迎会を始めようか。
2人とも遠慮せずに、たくさん食べてくれていいからね。
それでは、いただきます」
「「「いただきます」」」
「「……いただきます」」
6人になった食卓に、いただきますの声が響き、それぞれが料理に手を伸ばし始める。今日の料理もとても美味しくて、善司の心と体を満たしてくれる。ニーナとホーリも遠慮がちに手を付けているが、どの料理も口に入れると少しだけ表情が緩む。良く見ないとわからないくらいの微妙な変化だが、食事を堪能しているのは間違いないだろう、善司とハルは少しだけ視線を合わせて微笑んだ。
「料理は美味しい? ニーナお姉ちゃん」
「……とても美味しいです」
「ホーリお姉ちゃんはどう?」
「……こんなに美味しい食事は初めてです」
ニーナの横に座ったイールと、ホーリの横に座ったロールが、それぞれの感想を聞いて嬉しそうな顔になっている。
「今日の料理もとても美味しいよ、特にこの豆と野菜と肉のスープが良く煮込まれていて絶品だ」
「「ほんとっ!?」」
「これは、イールとロールが作ったのか?」
「そうなんですよ、ゼンジさん。
今日のお昼すぎから時間をかけて、じっくり煮込んで作ったんです」
「すごいな、そんな凝った料理だったのか。
どうりで柔らかくて、味もしみて美味しいはずだ」
「えへへ、良かったねローちゃん」
「うん、頑張った甲斐があったねイーちゃん」
「……本当に柔らかくて美味しい」
「……それに優しい味」
ニーナとホーリもスープを口にして、そう感想を漏らす。
他にも、蒸した野菜に手作りのドレッシングをかけたものや、少しスパイシーな味付けをして焼いたお肉など、調味料が豊富に手に入るようになって作るようになった料理もある。
そのどれもが、どこかホッとする味付けになっていて、ハルの優しい性格と料理スキルの高さを物語っていた。
「……少しお聞きしたい事があるのですが」
「……さっきの“いただきます”というのは、どんな意味なのでしょうか」
料理の感想を一通り話して少し間が空いた所で、ニーナとホーリはずっと抱えていた疑問を問いかけてみた。今まで聞いた事の無い言葉だったが、2人は不思議と凄く気になっていた。
「“いただきます”というのは、野菜やお肉なんかの食材や、それを作ってくれた人、そして料理をしてくれた人への感謝の言葉なんだ」
「私たちも最初は何の事だろうって思ったけど、ゼンジの話を聞いて納得したよ」
「美味しく育ってくれた野菜や、食べるために狩られた動物に、ありがとうって伝えるんだって」
「それに作ってくれた私たちにも、その気持を伝えてくれるので、とても嬉しいんですよ」
「……素敵な言葉ですね」
「……今の話を忘れないようにします」
「それから、食べ終わった後は“ごちそうさま”と言うようにしてるから、そっちも忘れないで欲しい。
この言葉は、今日の料理も美味しかったです、ありがとうございましたという意味があるんだ」
「「(こくり)」」
この世界には食事の時に祈りを捧げたり、何か言葉をかける習慣はなかったが、善司がそれを始めて意味を伝えると、すっかり定着してしまった。ニーナとホーリも今の話を聞いて、変わった習慣だが何故か心に響くものを感じて、これからも忘れずに続けていこうと決めた。
こうして和やかに食事の時間は進んでいき、ニーナとホーリも勧められるまま、少し多すぎるくらいの量を食べてしまった。
お茶とデザートも食べ終え、片付けをした後にお風呂に入ろうかと、みんなが動き始めた時にそれは起こった。
◇◆◇
「私たちはお風呂の用意してくるね」
「家族が増えたし、今日も楽しみだな~」
イールとロールは手を繋いで、スキップするように食堂から出て風呂場に向かっていく。初めて自分たちと歳の近い、それも同じ双子と一緒にお風呂に入るのを、とても楽しみにしていた。
「俺は食器を片付けるのを手伝うよ」
「ゼンジさんはお仕事で疲れてるんですから、休んでいても構いませんよ」
「お皿も多いし、これくらいはやるよ」
「……あの、私たちも手伝います」
「……お皿運びます」
「それは嬉しいな、よろしく頼むよ。
大きな皿は俺が運ぶから、みんなが使った小さなお皿を運んでもらえるか」
「「(こくん)」」
善司が取り分ける前の料理が入っていた大きな皿を両手に持って、次々と台所に運んでいく。2人も小さな取り皿を何枚か重ねて慎重に運んでいくが、ニーナが少しバランスを崩し、重ねていたお皿を落としそうになった。
「「……あっ」」
とっさにホーリが支えようとするが、自分もお皿を持っていた事を忘れ、重ねていたものが次々と落下してしまった。
―――カラン、カラン、カラン
陶器やガラス製ではないので砕け散ったりはしなかったが、お皿に残っていた汁や骨や種などが、辺り一面に散らばってしまう。
ニーナとホーリはそれを唖然と眺めていたが、慌てて膝をついて集め始める。服や手が汚れるのも構わず、汁や骨を必死に元に戻そうとしていた。
「2人とも、大きな音がしたけど大丈夫か?」
「どこか怪我とかしてない?」
皿が落ちる音を聞いて善司とハルが近くに来たが、それには目もくれずに必死になって床に落とたものを集めたり、自分の服できれいに掃除しようとしている。
「落ちたものは掃除しておくから、手を洗っておいで」
「服でそんなに拭いたら傷んでしまうから、やめなさい」
「「あのっ……あの……」」
「ごめんなさい」
「次はうまくやります」
「もう失敗しませんから」
「許してください」
「怒ってないから大丈夫だよ」
「お皿を落としたくらい大した事ないわよ」
善司とハルがそう言い聞かせるが、2人は必死になっていてそれどころではなかった。小さな種を一つ一つ拾い集め服の袖で拭き取り、それでもシミになった所は舐め取ってでも綺麗にしようとする。
さすがにそれを見た善司は慌てて2人に駆け寄り、肩を掴んで阻止しようとした。
「そこまでしなくてもいいから、やめるんだ!」
「「ひっ!」」
「お願いします、もうぶたないで」
「痛いのは嫌なの」
「ちゃんと大人しく言うこと聞きます」
「絶対逆らったりしませんから」
ニーナとホーリはガタガタと震えだし、足元に水たまりが広がっていく。
善司はその光景に驚いて一瞬動きを止めてしまったが、そのまま濡れるのも構わずに床に足を付き、膝立ちの姿勢で2人を抱きしめる。
「すまない、強く言い過ぎたな。
叩いたり怒ったりしないから安心してくれ」
「「ごめんなさい、ごめんなさい」」
「大丈夫だよ、ここにはニーナとホーリの事を傷つける人は、誰もいないから」
抱きしめながらあやすように、頭や背中をなでていると、お風呂の準備をしていたイールとロールが戻ってきて、食堂の中の光景に驚いて立ちつくす。
「これ、どうしたの?」
「ニーナお姉ちゃんとホーリお姉ちゃん、大丈夫?」
「俺が2人を急に触ったから、びっくりさせて泣かせてしまったんだ」
「怪我とかしてないんだね?」
「痛いところとか無いよね?」
「大丈夫よ、すぐ落ち着くと思うから、イールとロールは何か拭くものを持ってきてくれる?」
「「わかった! すぐ取ってくるね」」
イールとロールが脱衣所にタオルを取りに行き、善司の腕に抱きしめられているニーナとホーリも、謝る事をやめて嗚咽を漏らしていた。
「ゼンジさんは2人と一緒に、お風呂に入っていただけますか。
ここは私と娘たちで掃除しておきますので」
「わかった、済まないけどここはお願いするよ」
「2人とも立てるか?」
「「(……こくん)」」
僅かに首を縦に振ったのを確認して、2人を抱きながらゆっくりと立ち上がる。持って来てもらったタオルで濡れてしまった部分を拭いて、3人でお風呂場へと歩いていった。
○○○
汚れてしまった床や、散らばってしまったお皿をハルとその娘たちが片付けていく。善司は自分が驚かせてしまったと言っていたが、イールもロールも彼が理由もなくそんな事をする人でないのは良くわかっている。
「お母さん一体何があったの?」
「ゼンジはあんな風に言ってたけど、何か理由があったんだよね」
「ニーナちゃんとホーリちゃんが、お皿を運ぶのを手伝ってくれてたんだけど、途中で落としてしまったの」
「それくらい誰でもやるよね」
「それで泣いちゃったの?」
「2人は急に何度も謝り出して、床に落ちたものを拾って綺麗にしようとしてたのだけど、自分で舐めて掃除しようとしたのよ」
「それはゼンジでなくても止めようとするよ」
「私も大きな声で、やめてって言いそう」
「ゼンジさんも慌てて止めようとして2人を掴んだから、それでびっくりしてしまったの」
「ニーナお姉ちゃんとホーリお姉ちゃんは、ずっと怖い怒られ方をしてきたんだね」
「きっと小さな失敗でも怒られてたんじゃないかな」
イールとロールにも、あの双子の姉妹が今までどういった環境で育てられたのか、何となく察しがついてしまった。それくらい、さっきの状況は尋常でなかったからだ。
2人も怒られる事は良くあるが、罵倒されたり体罰を受ける事はなかった。ハルもそうだったし、善司もなぜそれがダメなのかを説明して、反省したらちゃんと許してくれる。
「そんな怖い思い出が消えてしまうくらい、2人には幸せになってもらいましょうね」
「ゼンジが居るし、きっと大丈夫だよ」
「それより、早くここを片付けてお風呂に行こうよ」
「今日はお姉ちゃんたちと一緒に入るのを楽しみにしてたから、それがいいね」
「洗い物もササッと片付けちゃおう」
「家族で入るお風呂は私も楽しみにしているから、そうしましょうか」
3人は言葉通りに手際よく片付けを済ませていき、洗い物も終わらせてお風呂場へと向かっていった。