第2話 遭遇
近くのコンビニへ行くだけだったので、ジャケットの上からコートを羽織っただけで出てきたが、さすがにこの場所の気温だと暑すぎるので、上を脱いでシャツだけの格好になった。
日本だと6月くらいの気温だろうか、鬱蒼とした森の中だが湿度はそれほど高くなく、2枚脱ぐだけでかなり過ごしやすくなる。
日本と反対の季節だから、ここは南半球だろうか。それよりも、ビルを出たはずなのにこんな森の中というのは、自分の身に一体何が起きたんだろう。ガラス戸越しにコンビニは見えていたから、間違って変な扉を開いた可能性もない。
次々と疑問が浮かんでくるが、どう考えても突然こんな場所に飛ばされた理由は思い当たらない。夢かと思って頬を軽くつねってみたが、痛みはしっかり伝わってきた。
ビルから見える場所にあるコンビニだったからスマホも会社に置きっぱなしで、GPSを使った位置測定もできない。持っているのは財布とハンカチだけだ。
「完全に詰んだな」
仕事を辞めて傷心を癒すために、自然の多い場所でのんびりしたいと考えていたが、まさか何の準備も前触れも無く、こんな場所に飛ばされるとは誰も想像できないだろう。善司の口からそんな言葉が漏れるのも、仕方のない事だった。
◇◆◇
しばらく周りの状況を確かめていた善司だったが、森の中に突っ立っているだけでは何の解決にもならないと、遠くに見える山と反対方向に歩き出した。務めていた会社は私服勤務が出来たので、ズボンもチノパンだし靴も歩きやすい物だが、舗装されていない凹凸や障害物の多い場所を移動するのは、やはり大変だ。
「ビルの出口が、どこでも行けるドアに変わるなんて、普通はありえないだろ……」
慣れない事をやらされているせいか、さっきから独り言が口をついて出てくる。プログラムを書いている時に独り言が出てしまうのは、善司を含めて他の社員にも良くあったが、いま口から漏れているのは単なる愚痴だ。
北極や南極、あるいは宇宙空間に繋がって無くて良かったと思う半面、都市や道路に出られなかったのは不運としか言いようがない。
「こんな不親切なバグは俺が修正してやりたい」
時々足を取られながらも何とか森の中を進んでいるが、出口らしき開けた場所には一向にたどり着けない。ちょうど夜食を買いに行こうとしていた時で、お腹も空いてきたし喉も乾いてきているが、見た事も無い果物っぽい実を食べる勇気は持ち合わせていなかった。
「せめて買い物をした後だったら、サンドイッチやおにぎりを持って来られたんだがなぁ……」
善司の頭の中に2人の先輩の事がよぎる、買い出しに出たまま戻って来ないので心配をかけているだろう。幸い仕事の方は細かい修正と実動テストを残すのみなので、一人居なくなっても何とかなると思うが、自分の関わったプロジェクトを最後まで確認できなかったのは残念に感じていた。
「このままだと無断欠勤で、俺の席は無くなるだろうな」
日本と逆の季節になっているこの場所から出られたとして、帰るまでにはそれなりの時間が必要だろう。例え連絡が出来たとしても、仕事を途中で放棄して姿を消したのだから、大きなペナルティーが待っているはずだ。
しかし善司の顔に悲壮感はあまり無い。元々転職を考えていたという事もあるが、この場所の空気や匂いを感じていると、不思議な事に落ち着いた気持ちになれる。
コンクリートやアスファルト、それに街にある様々なものから漂ってくる匂いと違い、ここでは土と緑の香りがする。
風も夏が近づくに連れて、じっとりと重たくなる日本では考えられないほど、爽やかで乾燥していて気持ちがいい。買い出しに出る前に自然の多い所でのんびりしたいと考えていたが、環境だけに注目するならまさに理想の場所だ。
「近くにホテルか温泉宿でもあれば最高だ」
冗談ぽくそんな言葉を口にした時に、近くでガサガサと音がした。ここまで歩いてきて見かけたのは、高い場所に止まっている鳥くらいで、誰か人でも近くに居るのかと思いその方向に目を向ける。
まず視界に飛び込んできたのは、赤く光る眼だった。明るい場所でもわかるくらい目立っていて、炎のように揺らめいている感じに見える。
大きさは中型犬くらいのサイズだが、体の周りからは黒い湯気のようなものが立ち上っていて、明らかに普通の動物とは違う。まるでゲームに出てくるモンスターのようだ。
(こんな生き物は地球上に存在しないはずだ、もしかしてここは別の世界なのか?)
善司の頭の中にいくつもの疑問と仮定が浮かび上がり、最終的に思い当たったのがゲームの世界だった。パソコンは自作するほど好きで、ゲームで遊んだりライトノベルや投稿サイトの小説を通勤中に読んだりもしていたが、そんな世界の登場人物になってしまったのではないかという考えが頭をよぎる。
(これは目を逸らしたり、背中を向けると襲われるパターンだな)
こちらをじっと見たまま動きを止めている得体の知れない生き物からは、そんな空気が伝わってきて、頭の冷静な部分が警笛を鳴らした。
そのままゆっくりと後ろに下がるが、その生き物もジリジリと距離を詰めてくる。
少しずつ下がっていったが背中が木の幹に接触し、木登りはやった事は無いが何とかよじ登ってみようかと考えていた時、別の物音が背後から聞こえた。
(挟まれたか……)
この状態で後ろを向くわけにもいかず、痛い思いをするのは嫌だと考えていると、木の後ろにいた気配が回り込んできたのが感じ取れた。
「お兄さん、何してるの?」
「にらめっこ?」
右と左から少し幼さの残る声で同時に話しかけられ、視線を少しだけ動かすと、そこには小学生くらいの女の娘が2人立っている。2人とも顔がそっくりで声もよく似ていて、双子の姉妹のようだ。
「見たことない生き物に襲われそうになって、逃げようとしてる所だよ」
「あれ弱いからすぐ倒せるよ?」
「お兄さんは魔物と戦ったこと無いの?」
肩の辺りまで伸ばした少し赤みがかった青い髪をして、青緑の瞳を持つ少女に左右から覗き込まれる。
「あんなのに出会ったのは初めてなんだよ」
「じゃぁ、私たちが倒しちゃっていい?」
「やっちゃうよ?」
「すまないけどお願いしていいか」
「「わかったー」」
双子はそう言って離れていくと、左右に分かれて生き物の横に回り込み、同時に剣を振る。善司から目を逸らさずにじっと見つめていたからだろう、その生き物は抵抗すること無く切り裂かれ、形が崩れるように消えていった。
「終わったよ」
「倒した」
「ありがとう、助かったよ」
「「どういたしましてー」」
「あと、これ拾ったよ」
「お兄さんが使う?」
片方の女の娘が差し出したのは、小さなガラス玉のようなもので、中心に小さく光る部分があった。
「それは何だい?」
「これは“魔操玉”って言うんだよ」
「お兄さんは使わないの?」
「俺はそんな物を使った事は無いな」
「じゃぁ売っちゃうね」
「良かったねイーちゃん」
「そうだねローちゃん」
2人の姉妹は手を取り合って喜んでいて、仲が良くてほっこりする光景だ。そんな2人を見ていると、善司の中にあった緊張と恐怖が薄くなっていく。
「助けてもらったのに自己紹介もまだだったな。
俺の名前は龍前善司と言うんだ」
「リュウマエゼンジ……長い名前だね」
「呼びにくい」
「あぁ、すまない。ゼンジと呼んでくれたらいいよ」
「わかった、ゼンジだね」
「よろしくね、ゼンジ」
「君たちの名前を聞かせてもらってもいいかな」
「私はイール」
「私はロール」
「イールとロールか、2人とも可愛い名前だね」
「可愛いって言われちゃったよローちゃん」
「お母さん以外に言われたの初めてだねイーちゃん」
腕を組んでその場でクルクルと回りだした姉妹を見て、善司は不思議な顔をする。髪の毛や瞳の色は日本人からすれば変わった色だが、2人とも美少女と言って差し支えない程の容姿をしている。テレビや動画投稿サイトに出演したりすれば、間違いなく話題になるだろう2人が、初めて可愛いと言われたとは信じられない。
ここは地球と違う場所なのはほぼ間違いがないが、美意識が違うのだろうかと考え始めていた。
「2人に聞きたいことがあるんだけど、構わないかな」
「いいよー」
「何でも聞いて」
「日本って言葉に聞き覚えはないか?」
「“ニホン”って初めて聞いた」
「知らないよ」
「じゃぁ地球はどうかな?」
「そっちも知らない」
「聞いたこと無いね」
「この場所や国の名前を教えてもらってもいいかな」
「ここはエイミングって名前の大陸にある、ノールって国だよ」
「私たちはエンって街に住んでるの」
それを聞いて善司の予感が確信に変わる、間違いなく地球とは違う世界に飛ばされてしまったと。
そもそもこうして言葉が通じている事がおかしい。ファンタジー小説に良くあるように、転移者が現地の言葉や文字を理解できるようなシステムになっているんだろう。そんな部分に力を入れるなら、転移先も考えてくれればいいのにと、少し頭を抱えてしまいそうになる善司だった。
「ねぇねぇ、私たちもゼンジに質問があるんだけど」
「聞きたい事がいっぱいある」
「あぁ、かまわないよ」
「ゼンジは変わった格好してるけど、どこから来たの?」
「そんな服、見たことない」
「あぁー、これか……」
自分の着ている服装を聞かれ、どう答えようか少し悩んだが、明るく天真爛漫な双子の姿を見て、ありのままの話をする事にした。
「俺はこことは違う世界から来たみたいなんだ」
「違う世界って、別の国のこと?」
「それとも別の大陸?」
「違う違う、もっともっと、ずーっと遠い場所から来たんだ」
「ゼンジの住んでたのって、どんな所だったの?」
「教えて教えて」
2人に左右からせがまれて、少し場所を移して座れる場所で話をする事にした。横長の岩の上に並んで腰掛け、地球の事や日本の話、それにゲームやアニメの事も少し話すと、2人ともキラキラとした目で善司を見つめ、次々と話をせがんでくる。
会話を続けるうちに、善司からもよそ行きの口調が抜けてきて、3人はそうして暫くの間、話に花を咲かせるのだった。