第14話 覚悟
誤字報告ありがとうございます。
いつも助かってます。
ひとしきり泣いて落ち着いてきた所で、ハルは薬の入った瓶に手を伸ばす。大事そうにそれを持って栓を取ると、ゆっくりと中身を飲み干していく。
「薬はどれくらいで効いてくるかな」
「熱だけでも下がるといいね」
「一晩眠るだけでもだいぶ変わってくると思うぞ」
「またお母さんと出かけられるようになるね」
「その時はゼンジも一緒に行こうね」
「ずっと寝たままだったから、ゆっくり体を慣らしていって、少しづつ散歩とかに出かけような」
「ゼンジさん、本当にありがとうございました。
このご恩は一生かかってでもお返しします」
「その事はあまり気にしないでください。この世界に来て間もない俺が、こうしてまとまった収入を得られたのは、イールとロールそれにハルさんと出会えたお陰ですから」
善司が魔操紙工房の働き口を紹介してもらえたのは、イールとロールによろず屋へ連れて行ってもらえたからだ。それに、新しい見本を生み出すモチベーションになったのは、ハルの存在が大きかった。それが形になって、当分の生活に困らない収入に繋がっている。
「あなたは自分の近くに居ると俺まで不幸になると言っていましたが、ここに来てから充実した日々を過ごせていますし、今回つかんだ幸運はハルさんのが居てくれたからだと思っています」
善司の言葉を聞いたハルの顔は申し訳無さそうな表情から、とても嬉しそうなものに変化して2つの瞳が徐々に潤んでくる。
「……そんな事を言ってくれる人が現れるなんて、ゼンジさん、私……わた…し……」
言葉を詰まらせたハルは、近くに座っていた善司の胸に縋りつくようにして、また泣き出してしまう。その折れそうなくらい細い体を善司は優しく抱きしめて、背中や頭をゆっくりと撫でてあげる。
暫くそうしていたが、薬の中に眠くなる成分でも入っていたのか、ハルは善司の胸の中で寝息をたて始めてしまった。
「ハルさん眠ってしまったな」
「ゼンジはそのままお母さんを抱いててあげて」
「幸せそうな寝顔だし、お願いね」
善司にもたれかかるようして、服を握ったまま眠ってしまったハルを無理に動かすのも忍びないと思い、お互いが楽な姿勢になれるように少しだけ位置を変える。
イールとロールに毛布をかけてもらい、ハルのぬくもりを感じていた善司にも睡魔が押し寄せてきて、そのまま意識を手放してしまった。
「ゼンジも寝ちゃったね」
「最近忙しかったから疲れてるんだよ」
「お母さんもすごく幸せそう」
「やっぱりゼンジに来てもらってよかった」
「2人を見てたら、私も眠くなってきたよ」
「みんなでお昼寝しようか」
眠気が伝染したのか、イールとロールも善司とハルに寄り添うようにして毛布をかぶり横になる。すると、すぐに2人の寝息が聞こえてきた。
◇◆◇
日が少し傾き始めた頃、善司がゆっくりと目を覚ます。腕の中にはハルが居て、近くにはイールとロールが寄り添うようにして眠っている。
「少し眠ってしまったのか……」
そうつぶやいて視線を自分の胸元に向け、そこで眠るハルの顔を見る。とても穏やかな表情で眠るその顔は、長い闘病生活のせいでやつれてしまっているが、まだ少女の面影を感じ取れるほど愛らしい。頭を優しく撫でていると、善司の中に一つの感情が湧き上がってきた。
「やっぱり俺は、この母娘の事を守りたと思うし、幸せにしてあげたい」
口に出してみて、自分の意志がはっきりと固まっている事を自覚する。この世界で生きていく覚悟と、3人を手放したくないという欲求が、善司の中にしっかりと根を下ろした瞬間だった。
その気持ちを確かめていた時、腕の中で眠るハルが少し身じろぎをして、まぶたがゆっくりと持ち上がり、善司の姿を捉える。
――それぞれの瞳にお互いの姿を映し、2人は無言で見つめ合っていたが、やがて吸い寄せられるように近づいていき、その距離がゼロになった。
しばらく口づけを交わしていたが、顔を真っ赤にしたハルが下を向いてしまう。そんな姿が可愛くて、善司はその頭を撫で続けている。
「あの……ゼンジさん、ごめんなさい。
私………どうしてあんな事を……気がついたら体が止まらなくなって……」
「俺もそうしたいと思っていましたから、ハルさんに受け入れてもらえて嬉しいです」
「私はまだ自分の中の気持ちが上手く整理できなくて、ゼンジさんに嫌な思いをさせてしまいそうで怖いです」
「俺もまだ過去の体験に囚われてしまっている部分があって、ハルさんの気持ちにうまく応えられるかわからないので、お互いにゆっくりと進んでいきましょう」
「はい、ゼンジさん」
ハルは腕の中でより一層もたれかかるように体を寄せ、善司はそんな彼女の事を優しく抱き寄せて頭を撫でてあげる。しばらくそうしていたが、どちらからともなく2人は離れ、寄り添うように座って、眠る子供たちを見つめる。
「あの、お聞きしたい事があるのですが、構いませんか?」
「えぇ、何でもどうぞ」
ゆったりとした時間を過ごしていたが、ハルが見上げるようにして善司に問いかける。
「ゼンジさんは元の世界で、ご結婚はされていなかったのですか?」
「俺に結婚の経験はありませんよ」
「変な事を聞いて申し訳ありません。
私とそう変わらない年齢だったので、どうしても気になってしまって」
「俺くらいの年齢で独身というのは、この世界だと珍しいですか?」
「居ない訳ではないですが、ゼンジさんの様に紳士的で優しい方は、女性の方が放っておきませんので」
「元いた世界には“借りてきた猫”という言葉があって、知らない場所では大人しくなってしまう動物に例えられているんですが、今の俺はそんな感じかもしれませんよ?」
「それなら、これからゼンジさんがこの世界に慣れていって、私たち母娘ともっと深い関係になっていけば、強い態度で何かを求められたりするのでしょうか?」
「傷つけるような行為はしないと約束しますが、少し抑えが効かなくなってしまう事はあるかもしれません」
少しいたずらっぽい視線を向ける善司に、ハルは「お手柔らかにお願いします」と言いながら、顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。そんな少女のような反応に善司は驚いてしまったが、こうした初々しい態度になってしまうのも仕方のない事だった。
資産家の家に嫁いだ時は親同士が決めた縁談だった上、複数いる妻の1人でしか無かった。ハルにとって異性との恋愛は、善司が初めてなのだ。
その姿を見た善司は話題を変えようと、少し疑問に思っていた事をハルに聞いてみる。
「以前イールとロールが、15歳になったら自由に結婚できると言っていましたが、それが普通なんですか?」
「はい、そうですよ。
この世界では15歳になると大人の仲間入りができますので、自分の意志で結婚する事が可能です」
「俺たちの世界だと20歳で成人でしたから、やはり驚きますね」
「あの……あの子たちが15歳になって、今と変わらない気持ちで居たら、ゼンジさんの元で幸せにしてあげて欲しいです」
「ハルさんはそれでいいんですか?」
「経済力のある男性が複数の女性を娶るのは普通ですし、逆に裕福な女性が何人もの男性を囲っている場合もあります。私たちだけでなく、他に何人いても構いません」
「俺のいた国では男女は一対一で付き合ってましたから、ちょっと想像ができないですよ」
「ゼンジさんがどうしても無理だとおっしゃるのなら諦めますが、その時は私より娘の方を優先してあげて下さい」
「以前も言いましたが、あまり自分を犠牲にしようとするのはやめて下さい。
俺もこの世界の常識を受け入れられるように頑張りますので、全員で幸せになれる関係を築いていきましょう」
「ごめんなさい、ゼンジさん。
どうしてもあの子たちの事を真っ先に考えてしまうので……」
「それは2人の母親だから、当たり前だと思います。
でも俺は、あなたたち3人を手放したくないと決めましたから、これからはハルさんも我儘を言うくらいで良いんです。それを受け止められるだけの力は、必ず身につけてみせますから」
その言葉があまりにも眩しすぎて、ハルは善司の顔をまともに見られなくなってしまう。視線をイールとロールに向け、2人の目が覚めるまで、いま聞いたセリフが頭の中にリフレインし続けていた。
◇◆◇
イールとロールが目を覚ますと、寄り添うように座った2つの視線が優しく見守っていた。そうして見つめられていると、とても安心できて、ずっとこのまま微睡んでいたくなってしまう。
同時にゆっくり起き上がったイールとロールは、床にぺたんと女の子座りをして、善司とハルに笑顔を向ける。2人の間に流れる空気がまた変化していて、それがとても嬉しく思えた。
「お母さん調子はどう?」
「少しは良くなった?」
「体は少し軽くなった気がするけど、熱はまだ少しあるわね」
「しっかり食べて、ゆっくり眠れば良くなってくるから、焦らず治していけばいいよ」
「お母さんもゼンジに腕枕してもらったら、良く眠れるよ」
「そうすれば治るのも早くなるね」
「ゼンジさんの腕枕は、あなた達も楽しみにしているでしょ?
お母さんはいいわよ」
「私とローちゃんは日替わりで腕枕してもらうからいいよ」
「ゼンジに抱っこされて寝てるお母さんはとっても幸せそうだったから、そうしてくれたら私たちも嬉しい」
「ゼンジさん、どうしましょう……」
「2人ともこう言ってくれてるんですし、ハルさんさえ良ければ今夜から腕枕で眠って下さい」
ハルは頬を染めてうつむきながら、小さな声で「お願いします」と善司に告げる。先程もっと我儘になってもいいと言ったからだろうか、恥ずかしそうに控えめな声ながら自分のやりたい事を告げてくれた姿を見て、善司はとても嬉しくなった。
「良かったね、お母さん」
「これで明日の朝には、もっと元気になってるよ」
「それから、イールとロールにお願いがあるんだ」
「どんな事でも言っていいよ」
「ゼンジの言う事なら何でも聞くよ」
「しばらく狩りはお休みにして、ハルさんの事を見ていてくれないか?」
「うん、元気になるまでは、ちゃんとお母さんのお世話するよ」
「動けるようになったら、お母さんすぐ無理しそうだから、しっかり見てる」
ハルは少し責めるような視線を子供たちに向けるが、言われた事に心当たりがあるので黙ったままだ。
「それから、この家の生活費は俺が稼いで来るから、3人には自分の好きな事をやって欲しい」
「それって私たちは狩りに行かなくても大丈夫ってこと?」
「でも、それだとゼンジのしたい事は出来ないよ?」
「そうですよゼンジさん、自分たちの生活費は私が働いて稼ぎますから」
「ずっと家に居ろと言う訳じゃないから、やりたい事をやってくれて構わない。だけど危険な目にあったり、誰かから心ない言葉を投げられる様な場所で働いて欲しくない。
俺はハルさんやイールとロールを支えて、守っていきたいんだ、それが俺のしたい事だから、もっと頼りにしてくれないか?」
「もしかしてゼンジはお母さんと結婚してくれるの?」
「それとも私たちと結婚してくれるの?」
「俺とハルさんにはもう少し時間が必要だし、2人はまだ15歳になっていないんだから、しばらく答えは待って欲しい。
でも、結婚はしてなくても家族にはなれると思うんだけど、どうかな?」
3人はお互いに顔を見合わせるが、その答えは決まっている。辛い現実と、先の見えない未来しか無かったこの家に善司が来て、全てが変わった。ハルの病気に効く薬が手に入ったし、イールとロールには大きな安らぎをくれている。
「ゼンジッ! 嬉しい!!」
「これからもずっと一緒だね!」
イールとロールは左右から抱きついて頬ずりをし、ハルと善司はお互いに視線を合わせて頷きあった。この世界に来て、こんな短時間でここまで惹かれ合う人に出会えるとは、善司も思っていなかった。
最初は同情から来る感情の方が大きかったのは紛れもない事実だが、優しくない世界で懸命に生きていこうとするイールとロール。そして、突然現れた男を、怯えながらも少しづつ受け入れてくれたハル。そんな姿を見ていると、異世界だとか失恋の経験だとかは、とてもちっぽけなものに思えてきた。
そしてこの世界では、自分の仕事をちゃんと評価してくれる人達がいる。これは日本で仕事をしていた3年間で、一度も得られなかった事だ。
こうして家族になると決めたからには、次にやるべき事がはっきりと固まってきた。また過去の見本を何種類か見て、何度か遭遇した不便な部分が解消できれば、もしかすると意外な副次効果を生み出せるかもしれない。善司の頭の中に、その計画が形になって浮かび上がってきた。
次話でハル編が終了になります。