第13話 薬
善司は約束どおり狩りを休みにしたイールとロールを連れて、通りを歩いている。薬を買いに行く事を、ハルには告げていない。彼女の性格上、何も出来ない自分を責めたり、娘たちを優先して遠慮したりしそうなので、問答無用で押し付ける事に決めていた。
「今日はどこに行くの?」
「なにか買うものがあるの?」
「買いたい物はいくつかあるけど、まずは魔操組合に行こうと思う」
「街にあるおっきな建物だよね」
「入ったこと無いからちょっと怖い」
「用事はすぐ済むから、外で待ってても構わないぞ」
「そうするよ」
「待ってるから早く終わらせてね」
「少し挨拶をして、確認したい事があるだけだから、大丈夫だ」
「その後はどうするの?」
「どこでも案内するよ」
「それは魔操組合に行ってから決めるよ。
それより一つ聞かせてもらってもいいか?」
「なになに?」
「何でも聞いて」
「お母さんの病気に効く薬って、金貨が必要だって言ってたが、どれくらいするんだ?」
その言葉を聞いた2人の顔が暗くなる、善司が来てからかなり楽になっているが、それまでの2人の収入だと爪に火を点す生活をやっと維持できる程度だった。もう少し危険な場所に行って、中型や大型の魔物を倒せば収入も増えるが、それだけは絶対に止めるように母にきつく言われている。
「あのね、金貨2枚いるって」
「前に聞いた時は、私たちには絶対払えないから諦めろって言われた」
「でも、そんなのは嫌だから、頑張ってきたんだよ」
「魔物をいっぱい倒して、魔操核を集めれば何とかなるもん」
「そうやって頑張ってきた2人は偉いな」
善司が2人の頭を撫でると、落ち込んでいた表情が少しだけ柔らかくなる。2人にも、このまま狩りを続けているだけでは、金貨2枚というお金を得る事が絶望的なのはわかっている。だからと言って、何もせずに母の事を諦めるなんて選択肢は絶対に無い。
たった1人で自分たちをここまで育ててくれた母に、何とか元気になってもらおうとして、がむしゃらに頑張って来たのだ。
「俺は中に行くから、ここで待っててくれるか」
「わかった」
「待ってるね」
歩きながら話をしていた3人が魔操組合の近くに到着し、イールとロールを建物の横に残して、善司は中に入っていった。
「お母さんの薬のこと聞いてたけど、お金が溜まったのかな?」
「この街に来てから少ししか経ってないのに無理だと思う」
「じゃぁ、ここにお金を借りにきたの?」
「ここはお金を貸してくれる所じゃないと思うな」
「ゼンジは何しに行ったんだろう」
「仕事の話なのかな」
魔操紙を印刷する仕事をしていると聞いているが、具体的にどんな事をしているのかは2人も知らない。ただ、最近はずっと忙しそうにしていたし、少し前は文字がいっぱい書かれた紙を何枚も家に持ち帰って読んでいた。
まさかそこから新しい魔操紙の見本を作って、それを売り出していたなんて、イールもロールも想像すら出来なかった。
◇◆◇
魔操組合の中は昨日の喧騒も収まり、いつもと変わらぬ状態に戻っている。ただ、魔操板の検品依頼は一気に増えた。それはもちろん善司が作った計算機に使うものだ。
個人の商店や小さな飲食店などにはまだまだ知れ渡っていないが、大きな商会や卸売業者の間で話題になっており、在庫の確保が既に始まってた。
「こんにちは」
「ゼンジさん、こんにちは。
本日のご用件は何でしょうか」
「今日は口座の残高確認と引き出しをお願いします」
「では会員証の提示と、こちらの丸い部分に真ん中の指を置いて下さい」
この組合に始めて来た時から対応してもらっている受付嬢に会員証を渡し、中指で生体認証を完了させる。
「こちらが現在の残高になっていますので、その下にある硬貨の種類の欄に必要な枚数をご記入下さい」
二つ折りにされた紙を開くと、そこには薬の代金に十分届く金額が記載されている。見本が一気に売れたからだろう、贅沢をしなければ当分の間は収入無しでも生活できそうな額だ。
そして、惜しげもなく金貨の欄に“2”と記入して受付嬢に手渡した。
「それでは、このまま暫くお待ち下さい」
流石に訓練された受付嬢だけあり、善司の引き出し金額に表情も変えず、別の部屋に入っていく。そこからすぐに出てくると、トレイの上に小さな袋を乗せて善司に差し出した。
「こちらが今回の引き出し額になります、ご確認下さい」
「問題ありません」
「本日はご利用ありがとうございました、またのお越しをお待ちしております」
袋の中に入った金色の硬貨を確認した善司は、受付嬢に会釈して組合を後にした。外には慣れない場所で所在なげに立っているイールとロールがいて、善司の姿を見た途端に走り寄って行った。
「ゼンジ、用事は終わったの?」
「これからどこに行く?」
「用事は終わったよ、次に行く所が決まったから、少し向こうの方で話をしよう」
人の多い場所を避けて、3人は通りから少し離れた広場に移動する。そこで善司は、先ほど引き出してきたお金を袋ごと2人に渡す。
「これは俺を助けてくれたお礼と、今まで頑張ってきた2人への贈り物だ」
「えっ!? 何これ」
「開けてもいい?」
「あぁ、開けてごらん」
2人が袋を開けると、そこから金色に輝く2枚の硬貨が現れた。
「えっ……うそっ」
「どうして……」
「今からそれでお母さんの薬を買いに行こう」
「ゼンジはここに来たばっかりなのに何で?」
「もしかしてさっきの所でお金を借りてきたの?」
「そんなのダメだよ」
「いくらゼンジでもそれは受け取れないよ」
「違う違う、ちゃんと仕事で稼いだお金だから、心配しなくても大丈夫だ」
「でもこんな大金を一体どうやって」
「普通に働いても1年以上かかるよ」
「前に文字がいっぱい書いた紙を何枚も持って帰っただろ?」
「うん、すごく難しそうなやつ」
「見たら頭が痛くなりそうだった」
「あれを使いやすいように改良して、さっきの魔操組合で売ってもらったんだ。
昨日やっと発売になって、それのお金を今日は受け取りに行ってきたんだよ」
「じゃぁ、最近ずっと忙しかったのは、それを作ってたからなんだ」
「あれは私たちのためだったんだ」
「ハルさんには早く元気になって貰いたかったからな」
「うぅ……ゼンジィ、ありがとう」
「とっても嬉しいよ、ゼンジ」
2人は両目に涙を浮かべて善司にすがりつくと、その胸に顔を埋めて泣き始めた。この小さな体で、どれだけの不安と苦労を抱えて生きてきたのだろう、それを考えると胸が締め付けられる思いがする。善司は2人の背中や頭を、泣き止むまで撫で続けた。
◇◆◇
「あのね、ゼンジ」
「私たちが溜めたお金も使って欲しい」
「そうだな、薬は3人のお金で買おうな」
「「うん!」」
笑顔になった2人から、もしもの時のためにいつも持っている分のお金を受け取って、薬屋へと向かう。魔操作で開ける自動ドアとは違う、普通のドアが付いた小さな店に入ると、中には年配の女性がひとり座っていた。
「お母さんの病気に効く薬がほしいの」
「お願いします」
「あんた達に買える金額じゃないと言ったろ、諦めな」
「ちゃんと用意してきたから」
「これ受け取って」
2人がカウンターの上に置いた金貨を見た女性が、善司の方に視線を向ける。
「これはそっちの兄さんが出したのかい?
この2人に何を言われたのかは知らないが、こんな連中に貸しを作るのはやめておきな、返せる見込みなんか無いよ」
「いや、これは3人で作った金なんだ。
母親を助けるために必死で用意したものだから、薬を売ってやってくれ」
「何をやったのかは知らないが、ちゃんと支払ってくれるなら文句は無いよ。
ほれ、これが病気に効く薬さ。中に5本の瓶が入ってるから、毎日一本づつ飲みな」
「「ありがとう!!」」
女性から小さな箱を受け取った2人は、それを大事そうに抱えて、とても嬉しそうな顔をしている。
「しかし、あんたも物好きだね。
双子なんかに手を貸しても、何も良い事は無いだろうに」
「いや、そんな事はないぞ。
この2人に出会わなかったら、この金は用意できなかったからな」
「この子たちがあんたに金でも運んできたっていうのかい? 信じられんね」
「この店にも金の計算をする魔操器があるだろ?
もうすぐそいつがもっと使いやすくなるが、それはこの2人のおかげさ」
何を言われたのか判らないといった顔をした女性をそのままにして、3人は店を出て通りを歩いていく。今にもスキップしそうなくらい上機嫌なイールとロールを連れて、今日の分の少し豪華な食材を購入し、家に戻った。
◇◆◇
「「お母さん、ただいまっ!!」」
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい、イール、ロール、ゼンジさん。
もう用事はお済みになったのですか?」
「えぇ、今日の予定は全部終わりました」
「「お母さん、これっ!!」」
「あなた達すごく元気だけど、何かいい事があったの?」
「うん、すごくいい事があったよ!」
「それ、開けてみて」
「一体なにかしら、お土産?」
上半身を起こして迎えてくれたハルの近くに、イールとロールが走っていき薬屋でもらった箱を手渡す。不思議そうな顔をして受け取った箱を開けたハルの顔が、驚きの表情に変化していく。
「これは……薬…?
もしかして、私の病気を治すものなの?」
「そうだよ、お母さん」
「これを毎日一本づつ飲むと治るんだって」
「でもこの薬はとても高いって……」
薬をじっと見ていたハルの視線が、善司の方に移動する。善司も靴を脱いで床に上がり、ハルの近くに行って腰を下ろした。
「これは3人でお金を出し合って購入したんです、薬を飲んで早く元気になって下さい」
「そんな……イール、ロール………ゼンジさん……」
薬箱を見つめたハルの目から、涙がポロポロと落ちる。イールとロールもそんなハルに抱きついて、一緒に泣いている。
「お母さん良かったね」
「これでもう苦しい思いをしなくて済むよ」
「2人とも、ありがとう」
母娘3人で抱き合っている姿を、善司は嬉しそうに見つめている。この世界に来て良かったという思いが、善司の中でどんどん大きくなっていた。