第11話 心配
魔操組合の建物の中が、急に騒がしくなってきた。何人かの職員が走り回り、大声で指示を出したり、身振り手振りで何か説明をしている。
「急に慌ただしくなってきたな」
「大方、お前さんの持ってきた見本を見て騒ぎ出したって所だろう」
「それは支部の審査を通ったってことか?」
「間違いなく通ってるぞ、ほれ支部長が大慌ててこちらに走ってきてるだろ」
奥の部屋から出てきた支部長が、カウンターを越えてロビーの方まで来て、善司とスノフの前に立つ。
「お待たせいたしました」
「見本はどうでしたか?」
「まずはあちらの応接室の方に移動していただけますか」
支部長は2人を連れて、建物の奥にある応接室に移動する。金のなる木になり得る魔操紙の見本という話を、ロビーでする訳にはいかないからだ。
支部長と善司たちはローテーブルを挟んでソファーに座り、女性職員の持ってきてくれたお茶を飲む。
「見本をこちらの方で確認させていただきましたが、間違いなく動作いたしました」
「そうですか、それは良かったです」
「計算結果も全く問題なく、普及品の魔操器が高級な製品と変わらぬ速度で動いていました」
「ワシの言ったとおりだろ」
「はい、職員全員驚いております」
「では王都の本部に送っていただけるんですね」
「先ほど本部へ人を送りましたので、数日中には結果がわかると思います」
「新しい見本として採用された場合、こちらで何か手続きするような事はありますか?」
「ゼンジ様には会員証と口座を作っていただいておりますので、これ以上の手続きは必要ありません」
「わかりました。
見本の販売代金や使用料の入金はどうなるのでしょうか」
「こちらは一日分をまとめて入金いたしますので、朝には前日分の引き出しが可能になります」
「了解しました」
「それでゼンジ様は他にも何か見本をお作りになるご予定はありますか?」
「まずは今回の見本が採用されて、世間の評価を見てから考えたいと思います」
「新しい見本をお作りになった際には、是非とも当支部にご提出いただけると幸いです」
「はい、その時はよろしくお願いします」
その後少しだけ話をした2人は、上機嫌の支部長に玄関まで見送ってもらい、魔操組合を後にした。
話の途中で人を別の場所に転送できる魔操器があると聞いて、善司はとても驚いた。そして同時に、自分がこの世界に来たのは、その技術が何らかの異常を引き起こした可能性を疑った。
それが判れば元の世界に戻る事や、自由に行き来できるヒントに繋がるかもしれない。今すぐハルたちと別れて元の世界に帰る事は絶対にしないが、生活が落ち着いて転送技術に触れる機会があれば、調べてみたいと考えている。
「まさか持ってきてすぐに本部に届けられるとは思ってなかったよ」
「転送の魔操器がたまたま空いていたのか、予定を変更して王都へ運んだのかわからんが、これは予想より早く見本が公開されるかもしれんな」
「なら早く帰って在庫を増やすか」
「そうだな、忙しくなるぞ」
「俺もしばらく働く時間を増やすよ」
「無理をして倒れたら元もこうもないから、見本が公開されるまでだぞ、それ以上はワシが認めん」
「わかった」
2人は少し足早に工房へと戻っていく。もし今回の見本が採用されて広く普及したら、薬を買う金に困る事は無くなる。支部長と話した時に提示された販売代金や使用料は、それほどの金を生み出すものだった。
簡単に改良できそうなものと選んだ計算機の見本だったが、普及率や需要を考えると実は大正解だった訳だ。こんな幸運にたどり着けたのはハルたちのお陰なんじゃないか、善司はそんな風に考えていた。
◇◆◇
いつもより遅くなった通りを善司は歩いている。大きな通りは飲食店や酒場など、比較的遅くまで営業しているお店の光が漏れていて明るいが、そこから外れると一気に暗くなる。
「月が2つあるっていうのは不思議な光景だな……」
歩きながら空を見上げた善司がそうつぶやく。視線の先には大きな月と少し離れた位置に小さな月が浮かんでいて、大きな方は白に近い色だが小さな方は少し赤みがある。
この2つの月のおかげで、街灯のない夜道でもライト無しに歩いていける。夜の街を歩くのが初めてだった善司は、空をぼんやりの眺めながら歩いていたが、いつの間にか母娘の住む家にたどり着く。周りをろくに確かめずに歩いていたが、体は既にこの家へ帰る道順を憶えてしまっていた。
「ただいま」
「「あっ、ゼンジ!!」」
善司が帰ってきたことに気づいたイールとロールが、靴も履かずに地面に降りてその体に抱きついた。
「2人とも足が汚れるぞ」
「そんなことよりゼンジはどこに行ってたの?」
「帰ってくるのが遅いから心配したよ」
「もうここには戻ってこないんじゃないかって不安だった」
「私たち嫌われたんじゃないかって」
左右から抱きついてきた2人は、泣きそうな目で善司の事を見上げている。2人を抱き寄せて、その頭を撫でていると少しだけ表情が柔らかくなってきた。
「すまない、仕事が忙しくて少し遅くなったんだ」
「一緒に暮らすのが嫌になったんじゃないの?」
「どこにも行ったりしない?」
「心配かけて悪かった、黙ってどこかに行ったりしないから安心してくれ。
さぁ、足を拭いて上にあがろう」
2人の足を綺麗にして床に上がり、テーブルの近くに居たハルの隣に座る。2人もテーブルを囲むように並んで座ったが、その上には食事が手付かずのまま残されていた。
「すいません、遅くなってしまって」
「お帰りなさい、ゼンジさん」
「心配かけてしまったようで申し訳ないです」
「私は大丈夫だと言ったのですが、この子たちが心配してしまって、もう少しで外に探しに行くところでした」
「2人とも行き違いにならなくてよかったよ。
ご飯まだなんだろ? 食べようか」
「うん、安心したらお腹が空いてきた」
「私も急にお腹が空いてきたよ」
すっかり冷めてしまったが、それでも美味しい食事を食べながら、善司はしばらくの間は帰りが遅くなると3人に説明をする。見本の審査結果はまだ出ておらず、ぬか喜びさせてはいけないので、薬を買えるお金が手に入るかもしれないという事は黙っておく。
「忙しいってどのくらい?」
「ずっとじゃない?」
「そうだな、4日か5日ってところだ」
「それくらいなら我慢する」
「言われた通りご飯も先に食べておく」
「その代り、俺の忙しい時期が終わってから、狩りも一日休みにして一緒に過ごさないか?」
「うん、わかった、絶対だよ」
「約束だよ、ゼンジ」
「食事の時間がバラバラになって、ハルさんにも迷惑をかけてしまいますが、少しの間だけ許してください」
「ゼンジさんは私たちのために、こうして力を貸してくれているのですから、迷惑なんてありません。むしろ、何もお返し出来ない事が心苦しくて……」
「そんな事はありませんよ、ハルさん。
こうして帰る家があって、誰かが待ってくれているというのは、とても励みになりますから、それだけでも十分です」
「ゼンジの帰る家ってここだけ?」
「私たちが待ってるのは嬉しい?」
「今日は空を見ながら暗い道を歩いてきたんだけど、それでもこの家にまっすぐ帰れるくらい、ここは俺にとって馴染みのある場所になったんだ。それに2人にお帰りなさいと言ってもらえるのは、すごく嬉しいよ」
ご飯を食べ終えた2人が嬉しそうな顔をして、善司の隣に移動してくる。その頭を撫でながら、やはりこの家は居心地が良くて大切な場所になっているんだと、再確認していた。
―――――・―――――・―――――
次の日から、善司はこれまで以上に精力的に働いた。
2人を見送ってからハルの体調を確認して出掛けるのは変わらないが、急ぎ足で職場に向かい食事も簡単に済ませて、ひたすら魔操紙を印刷する。
同じものばかり入力しているので、スピードもどんどん速くなり、次々と魔操板の在庫が積み上がっていく。
「もう少しゆっくりでも大丈夫だぞ、こっちの確認作業が追いつかん」
「俺、今回の仕事が終わったら休みが欲しいだ」
変なフラグが立ちそうな言い方をした善司だが、この世界でそれは通じない。
「あぁ、数日休んでも構わんぞ」
「2日ほど貰えれば大丈夫だと思うから、その分も印刷しておくよ」
「在庫は一度に全部を卸す訳じゃないからな、それくらい何の問題もない」
「一度で売りきらないのか?」
「お前さんは作る才能はあるが、売る方は全くダメだな」
スノフが少し呆れた顔で善司の方を見る。
「物が少ないうちに売ってしまった方が、売れ行きは良いと思うんだが……」
「全く新しい魔操板が発売されたとしても、真っ先に飛びつくような耳の早いやつは極一部だ。そいつらが実際に使ってみて、その凄さが噂になるには少し時間がかかる。
だが、一度噂になると一気に広まる」
「そこで需要が爆発するのか」
「そうなると何とか手に入れようとする卸売が、各工房を訪ねて来るんだ。場合によっては他の街から来る奴らも居てな、高い値段でも構わないから卸してくれと言われる」
「その時点で在庫を抱えていると、取り合いになって値段が釣り上がるんだな」
「だから最初はある程度の数を卸すが、後は小出しにしてそういった連中を待つ。
商機を逃せば普通の価格に戻ってしまうが、その判断はワシに任せておけ」
「スノフさん、凄いな」
「伊達に長い事この仕事をしとらんからな」
少し意地の悪い笑みを浮かべるスノフを、善司は尊敬の眼差しで見つめる。そして同時に、この工房で働くことが出来て良かったと感じた。
「高値で卸せたら、お前さんにも特別手当を出してやれるから、楽しみにしておけ」
「それはありがたいな、楽しみにしておくよ」
スノフに感謝の言葉を述べて、善司は再び魔操紙の印刷に集中した。
――そして、いよいよ運命の日が訪れる。
資料集の方に支部長を追加しています。
敬称は基本的に様付けですが、スノフは本人が希望してさん付けになっています。