第10話 革命
翌日、善司はいつもの様に狩りに行く2人を送り出した後に出勤する。昨日のハルは夕方には少し熱が下がり、起き上がれるようになったが、今日もまだ微熱が続いているので横になって休んでいる。
「おはよう、スノフさん」
「おう、おはよう。
よく休めたか?」
「おかげさまでゆっくり休んで、一日好きな事をやってたよ」
「まさか、一日中魔操紙の見本を眺めてたのか?」
「実はそうなんだが、一つお願いがあります」
「何だえらく改まって、背中がくすぐったくなるって言っただろ、古い見本だったらいくら持って行っても構わないから、その口調はやめろ」
「すまない、仕事に関係ない頼みごとなんで、つい出てしまった。
それで試しに、お金の計算をする魔操器用の見本を作ってみたんだが、実験してみてもいいだろうか」
「ちょっと待て、お前さんたった一日で新しい見本を作ってきたっていうのか?」
「こいつなんだが……」
差し出した手書きの見本をスノフはパラパラとめくっていたが、それを置いて善司の顔をじっと見つめる。
「ワシもこの仕事を長く続けてるが、今まで見た事の無い書き方だな」
「いま使ってる見本は、長い時間をかけて改良や機能追加をして手を加えていっているから、色々と無駄な部分が多かったんだ、それを出来るだけ簡素になる様に修正してみた」
「それを一日でやってしまったなんて、俄には信じられんが、今日は急ぎの依頼も入っていないし、試しに魔操紙を印刷してみろ、ここにある魔操器で試してやる」
「ありがとう、やってみるよ」
善司は椅子に座って、机の上にある魔操鍵盤に向かい、昨日作ってきたコードを入力していく。自分で組んだ事に加えて、既存の見本より効率化されて文字数の少なくなった魔操紙の印刷は、あっという間に終了した。
それを善司とスノフの2人で読み合わせをしていき、間違いが無いと確認できた所で魔操板にインストールする。
出来上がった魔操板を、工房に置いてある計算をする魔操器のものと取り替え、スノフはボタンを押してゆく。足し算と引き算しか出来ない単純な計算器だが、上についている数字のドラムがクルクルと周り、計算結果を正確に表示していった。
「あれでちゃんと動くのか、これは凄いぞ」
「計算結果も間違ってないようだが、速度はどうだ?」
「この古い魔操器が、性能の良い魔操核を付けた新しい物と変わらん速度で動いとる」
「これを新しい見本として公開したらどうなる?」
「印刷する文字数も減って速度も上がる、こんな物が公開されたらみんな飛びつくぞ」
「それなら公開して収入に繋げたいんだが、この工房で買い取ってもらえないか?」
「バカを言うな、これはお前さんが作ったものだ、自分の名前で登録して金を受けとらんでどうする」
「それは雇ってくれたスノフさんに悪いと思うが」
「若いくせにそんな事に気を使うな、これが公開されて世の中に出回りだして、人気に火がつくとすぐ在庫不足になる。今のうちに大量に作っておいて、それを出荷すればどうなると思う?」
「使いたい奴は我先に飛びつくだろうな」
「金の計算をする魔操器はどんな店や工房にも大抵置いてある、貴族や商売人も必ずこいつの世話になるんだ。そんな連中にとって計算速度は少しでも速いほうがいい、客を待たせる時間が減れば儲けに繋がるし、毎日数字に追われている奴は、寝る間も惜しんで計算を繰り返してるからな」
「そんなに需要があるのか?」
「この国で商売してる連中は、新しい魔操板が出ると交換する奴が多い、性能の良い魔操核はなかなか手に入らないからだ。そこに上位の魔操核を付けたものと変わらない速度を出せる魔操板が発売されてみろ、需要がどれだけ発生するかは見当もつかんぞ。
お前さんは見本が使われた分だけ収入を得る、ワシの所は品薄状態の市場に出荷して利益を得る、全く問題ないだろ?」
「わかった、それでどうすればいい?」
「まずは同じ魔操紙を3枚作れ、それを持って組合に行くぞ」
今日は工房を臨時休業にすると言ったスノフと一緒に、魔操紙を印刷してそれをチェックしていく。間違いなく3枚出来上がった所で工房を出て、組合に向かって2人は移動した。
◇◆◇
魔操紙の見本を管理したり販売をする組合に向かいながら、スノフは善司に細かい説明をする。
「組合の本部は王都にあって、各街には支部が存在する。新しい魔操紙の見本はまず支部で審査を受けるが、ワシの見た所それはまず間違いなく通る」
「それから王都の本部に持ち込まれるわけか」
「王都の本部で動作確認や安全性の試験を受けるが、計算の魔操器だから簡単に終わるはずだ」
「それが通ったらどうなるんだ?」
「さっき同じ魔操紙を3枚印刷させただろ、そのうち1枚が試験用の魔操板を作るために使われる。もう1枚は見本を作るために利用され、最後の1枚は原版として厳重に保管される」
「なるほど、それで同じものを3枚作ったわけか」
「新しい見本として認められれば組合から大々的な発表があり、希望する工房に販売されるんだ。そこでまずお前さんの収入になる」
「その後の使用料ってのはどう集計するんだ?」
「魔操板は販売前に必ず検品されるんだ、それに合格すれば特殊な刻印を押して戻ってくるから、そいつを顧客に渡す決まりになってる」
「そこでどれだけ使われたか判るんだな。
検品せずに売ったり使ったりしたらどうなるんだ?」
「売ったやつも使ったやつも犯罪奴隷落ちだ」
「それは厳しいな……」
「全く無い訳じゃないが、まっとうな奴らはそんな事はしないから、まず大丈夫だ」
「今回の新しい見本は、どれ位で発表になると思う?」
「ワシの予想だと5日後だな」
「じゃぁ、その間にどれだけ量産できるかで、売上が大きく変わるな」
「お前さんの作った見本はまず間違いなく採用されると踏んでる、急ぎの仕事以外は全て新しい魔操板を作る事にするから、頼りにしとるぞ」
「あぁ、自分で作ったものが世の中に広まるのは楽しみだからな、全力でやるよ」
発表前の魔操板を大量生産するのはリスクが有るが、スノフは長年の経験で問題ないと判断している。仮に失敗したとしても善司に責任を負わせるつもりはないし、その程度の損失が出たくらいならいくらでもやり直しが効く。
別の国から来たと言っていたが、とんだ拾い物だ。まさか魔操言語を扱って数日で、新しいものを作り出すとは思っていなかった。工房の運営は半分趣味みたいなものだったが、新しい見本の誕生に立ち会える機会が来るという予想外の出来事に、スノフは年甲斐も無くワクワクしながら通りを歩いていた。
◇◆◇
「邪魔するぞ」
「いらっしゃいませスノフさん、今日も魔操板の検品ですか?」
受付カウンターに座った若い女性が、スノフの姿を見て声を掛けた後、今日は見た事の無い男性を連れているが誰なんだろうと、視線をそちらの方に向ける。善司は軽く会釈して、スノフと一緒にカウンターに近づいていった。
「今日は新しい魔操紙の見本を審査に来た、これを頼む」
「えっ、新しい見本ですか!? スノフさんってそんな事もできたんですか?」
「ワシじゃないぞ、新しく雇ったこいつが作ったんだ。
それから、この男の会員証発行と口座の開設も同時にやってくれ」
「わっ、わかりました、少々お待ちください」
受付嬢はスノフから受け取った3枚の魔操紙を持って、後ろの方に座っている上司のもとに持っていく。それを受け取った上司は驚いた顔で、カウンターの方に走っていった。
「スノフさん、いらっしゃいませ。
新しい魔操紙の見本という事ですが、これは一体……」
「この男が作ったんだが、金を計算する魔操器用の見本だ。
こいつは凄いぞ、古い魔操器が性能の高い魔操核を積んだ最新の物と同じ速度で動く」
「スノフさんがそこまで言うなら動作くらいはするんでしょうが、こんな少ない文字数でそれはいくら何でも言い過ぎでしょう」
「審査のために魔操板を作るんだろ?
とにかくそれを動かしてみればわかる」
「わかりました、3枚が同一のものか確認して試してみます、その間にお連れの方の登録手続きを済ませておいて下さい」
上司の男は首を傾げながら奥の部屋に行き、そこの職員に3枚の魔操紙を渡して確認作業を進めてもらう。代わりにカウンターに戻ってきた受付嬢が、善司の前に一枚の紙を置いた。
「こちらにお名前と住所の記入をお願いします」
「この街に来たばかりで住所は良くわからないんですが」
「住所はワシの工房にしておけば問題ない、名前だけ書いておけ」
「わかった」
善司は名前の欄だけ記入して受付嬢に紙を渡す。
「ゼンジさんですか、変わったお名前ですね」
「別の国から来たばかりで、今はスノフさんの所で働かせてもらってるんですよ」
「そうなんですか。
住所はこちらの方でわかりますので、この丸い部分に中央の指を乗せて下さい、少し刺激がありますが大丈夫ですので」
「これは?」
「ゼンジさんの会員証を、本人しか使えないようにするんです。
口座のお金を不正に引き出されないために必要なんですよ」
生体認証が出来るなんて進んでいるのか遅れているのか良くわからない世界だと考えながら、善司は言われたとおりに中指を乗せると、確かに少し痺れるような刺激があった。
「会員証の作成に少し時間がかかりますので、あちらにお掛けになってお待ち下さい」
「わかりました、よろしくお願いします」
善司とスノフは、椅子が並べている場所に移動する。魔操組合の建物の中はかなり広く、カウンターも複数存在する。人の出入りも結構あり、魔操板を検品に出すため袋や箱を持って、カウンターに行っている工房の従業員も多い。
善司はその様子を眺めながら、新しい見本のチェックが無事終わるのを願っていた。
○○○
建物の奥の部屋では、新しい魔操紙の見本だという3枚の紙が並べられ、それを2人の職員が丁寧にチェックしている。
「今まで見た事の無い書き方をしてますが、これ本当に動くんですか?」
「あのスノフさんが動くと言ったんだから間違いないと思うが、私にもわからん」
「それにしても古い魔操器が、性能の高い最新の物と同じ速度で動くなんて信じられませんよ」
「スノフさんも結構な年齢ですから、何か勘違いされてるんでは?」
「動かしてみればわかると言っていたから、実際に使ってみるのが早い。
確認が終わったなら魔操板に焼いてみてくれ」
「3枚とも完全に同一でしたので、魔操板を作ってみます」
職員の1人が機械に魔操紙と魔操板をセットしてボタンを押すと、小さな動作音がしてインストールが終了した。
それを計算をする魔操器にセットして、次々とボタンを押していく。
「えっ!?」
「どうしたんだ?」
「こっ、これ、ありえないくらい計算が速いんですが……」
「俺にもやらせてくれ」
別の職員が割り込んで次々と数字と計算のボタンを押していくが、ドラムがクルクルと回転して正確な結果を次々表示していく。
「数字を押した時の反応も高級な物と変わらないくらい速いし、計算も同じくらいの速さだ」
「あんなに文字数の少ない魔操紙で、どうしてこんな事が出来るんだ!?」
「スノフさんの言っていた事は本当だったのか……
おい、転送の魔操器の予約はどうなっている、予定があっても支部長命令で空けさせろ、すぐ王都の本部に人を送るんだ!」
職員の一人が慌てて部屋から退出して確認に走る。転送の魔操器はエネルギー消費が大きく連続使用できないため、予約を入れて決まった回数しか使えないようになっている。しかし、この様な画期的な見本が王都以外から生み出された大事件の前では、そんな些細な事に拘っている場合ではない。
スノフが連れてきた、あの黒い髪の男は一体何者なんだという疑問は残るが、開発者保護の大原則があるので、仔細に素性を聞き出すのは無理だ。
まずは王都の本部にこれを提出して、一刻も早く評価してもらわなければならない。間違いなく新しい見本として発表されると思うが、ここから魔操紙の歴史が変わるかもしれない。
そんな瞬間に立ち会える事になった支部長の体は、興奮で打ち震えていた。
ここから歴史が始まりますが、基本はスローライフです(笑)