第9話 解析
気温と天気が安定している火期の朝、今日も快晴で街には朝日が差し込んできていた。壁際にある小さな家では、いつもの様にイールとロールが善司の腕を枕にして、抱きつくようにして眠っている。
4人で暮らし始めて、ハルも徐々に善司の近くで眠るようになり、今では寄り添うように横になっている。川の字になって眠っている姿は、本当の家族のように見える。
少しだけ早く目が覚めたハルは、善司と2人の娘の方を優しい目つきで見つめていた。
自分から近くに居て欲しいとお願いしたとはいえ、出会ってすぐはハルも警戒していた。人の悪意に敏感で他人を簡単に信じたり懐いたりしなかった娘たちが、突然連れてきた男性にあれほどベッタリと甘えているのは驚いたが、だからと言ってすぐ信じてしまえるほど子供ではなかった。
違う世界から来たと言う話は荒唐無稽すぎて、いくら語ってくれた内容に現実味があっても、全部作り話なんじゃないかと疑った。そして、何かの目的があって自分たち母娘に近づいてきたのではないのか、優しい言葉をかけてくれるがすぐ裏切られるのではないのか、そんな考えは常に頭の片隅にあった。
特に1人になって家で寝ている時は、娘が騙されて連れ去られたりしてないかとか、2人に懐かれてるのをいい事に心や体を弄んだりしていないかとか、そんな嫌な思考に何度も囚われていた。
しかし一緒に暮らしていくうちに、自分たちに対する変わらない態度や、常に体調の事を心配してくれる優しい気遣い、そして頭を撫でてくれた大きくて温かい手。近くに居る男を不幸にすると言われ続け、傷つきひび割れていた心が少しづつ癒やされていっているのを、ハル自身も感じていた。
「おはようございます、ハルさん」
「おはようございます、ゼンジさん」
ゆっくりと目を開けてハルの方を見た善司が、いつもの様に笑顔を浮かべて朝の挨拶をしてくる。それに返事を返したハルの胸に、暖かな安らぎが広がった。
◇◆◇
「それじゃぁ、お母さん、ゼンジ、行ってくるね」
「お母さんの事よろしくね、ゼンジ」
「あぁ、任せてくれ」
「2人とも気をつけてね」
「お母さんも今日は熱が高いんだから、ちゃんと寝ててね」
「ゼンジの言うこと聞かないとダメだよ」
「大人しくしてるから大丈夫よ」
「「行ってきまーす」」
「あまり無理しないようにな」
手を振りながら家から出ていった2人を見送った後、気の緩んだハルの姿勢が大きく揺れた。善司は慌ててその体を抱き留め、支えながら毛布の上に横たえる。
「ごめんなさい、ゼンジさん」
「謝る必要はありませんよ」
「あの子たちの前ではなるべく元気な姿でいたくて」
「その気持ちは俺にもわかりますから何も言いませんが、今日はずっとそばに居るのでゆっくりしていて下さい」
「やはりゼンジさんは優しいですね。
夕方までに少しでも回復できるように、休ませてもらいます」
「俺は横の机で作業していますから、何か必要な事があれば声をかけて下さい」
「私はゼンジさんに甘えてばかりですね」
「病気なんですから、いくら甘えてもらっても構わないですよ」
「このままあなたのそばに居ると、どんどんダメな人間になってしまいそうです」
ハルは少し笑いながらそう言って、毛布を胸元まで引き上げて目をつぶった。善司は絞った手ぬぐいをそっと額に乗せ、近くに置いたテーブルの上に、借りてきた魔操紙の見本を並べる。
何種類かの見本を比較しながら読み込んでいると、隣から静かな寝息が聞こえてきた。その頭をそっと撫でて、目の前の書類に集中し始める。
◇◆◇
魔操言語で書かれた、プログラムソースやスクリプトと言える見本を何枚も見ていると、入力している時には気づかなかった事もわかってくる。
この世界で使われている文字とは別の種類で書かれているが、善司の頭の中にそれらがどういった意味や機能を持っているか、この世界に飛ばされてきた時に身につけた言語解析スキルの助けを借りて、次々と対応表のように組み上がっていく。
どうしてこうまですんなりと魔操言語が理解できていくのか疑問に思ったが、新しい事への挑戦に心が踊っていたので、そんな些細な事は棚上げにしてしまう。
そうして読み解いていくと、見本として書かれているソースの欠点が、どんどん見えてきた。
おそらく何度も増改築を繰り返してきたんだろう、とにかく可読性と効率が悪い。構文や変数に統一性が無いのは複数人で改良や機能追加をした影響だろうし、別のソースから無理やり流用して強引に挿入したり、いわゆる“スパゲティコード”になってしまっている。
それに共通部分もバージョン管理が徹底していないのか、同じ機能のソースでも新しい時代に作られたものの中に、古い時代のものが一部紛れ込んでいたりする。
善司はその辺りを洗い出して、まずは比較的小規模なソースで動く計算機の見本から無駄な部分を削ったり、より効率が高く処理速度を上げられる様なものに書き換えてみる事にした。
今まではパソコンの画面に向かって、キーボードで打ち込みながら試行錯誤していたコーディングを、まさか手書きでする事になるとは思ってなかったが、慣れないペンと格闘しながら何とか形にしていく。
修正したり入れ替えたり、紙束をバラバラにして並べていき、それを再度清書する。
下手に機能を追加せず、いま普及している魔操器で使えるものを仮組みしてみたが、書き上がったソースは既存の見本より文字数も少なく、美しく仕上がっていた。
機能を増やすには、操作を複雑にするよりボタンを増やして簡単に扱えるようにした方が良いだろうし、そうなると魔操器を新規に設計するところから始めないといけない。
流石にそれをやるのは大変だし、時間がかかってしまっては本末転倒だ。
動作確認をして新たな見本として公開し、それのロイヤルティー収入が得られるようなら、高価な薬を買う資金調達の弾みになる。
◇◆◇
集中して作業をしていたせいだろう、気がつくとだいぶ時間が経っていた。隣で寝ているハルの手ぬぐいを取り替えようと近づいていくと、うわ言のような言葉が善司の耳に入ってくる。
「……ゼンジ…さん………私たち…母娘を……見捨てないで」
何か悪い夢でも見ているらしく、毛布から出している手も所在なげに彷徨っている。善司はその手を取って、頭を優しく撫でた。
「俺はどこにも行きませんから安心して下さい」
そう言ってしばらく頭を撫でていると、苦しそうだった表情も穏やかになり、寝息も安定してきた。額の手ぬぐいを取り替えた後、善司はハルの手を再び握り、隣でその寝顔を見つめていた。
子供を育てる苦労というのを善司は知らないが、誰の助けも借りられない10代の女性が成し遂げるというのは、想像を絶する苦難を乗り越えてきたのだろう事はわかる。
そうして頑張ってきたが病気で動けなくなり、子供たちが狩りをして何とかその日を生きている状態で、救いが欲しいと思うのは当たり前だろう。
「この母娘に召喚されたわけじゃないよな」
そんな突拍子もない考えが浮かんだが、慌てて否定する。どこかの王様が勇者召喚したわけでもあるまいし、こうやって普通に生活している人間にそんな事が出来る訳がない。
この世界にいきなり飛ばされてきた理由もわからないし、元の世界に戻れるかどうかも不明だ。今はこうして流されるままに生活をしているが、いずれこの世界で生きていくか、元の世界に帰る方法を探し続けるか、自分の意志で決めないといけない。
「俺はどうしたいんだろう……」
この街で短い時間だが生活してみて、やはり日本に比べて不便に感じる部分は多い。しかし住みにくいかと言えばそうでもなく、最低限必要なものは手に入るし、食事も受け入れられる。街の中に緑も多いし、住んでいる人たちも何かに追われている感じもなく、全体にのんびりとしている。
社会人になって仕事の納期に追われる事が多かった善司にとって、安らげる時間が過ごせているし、自分のライフスタイルに合っていると感じる。
「元の世界に帰る方法がわかったからお別れとか、ハルさんの病気が治ったからサヨナラなんて真似はしたくないな」
善司はこれまでの人生で、これほど誰かに頼られた事は無かった。仕事やプライベートで頼りにされる事はもちろんあったが、精神的にここまで寄りかかられたのは初めての経験だ。今まで付き合ってきた女性とは、お互いに対等の立場で接してきたし、2人きりの時に甘えられたりする位だった。
イールとロールが向けてくれる真っ直ぐな気持ちは心地良いし、ハルの警戒心が徐々に無くなってきて、自分を飾ったり強がったしなくなったのも嬉しい。
「もしかすると俺が思っている以上に、大切な存在になり始めているのかもしれない……」
ハルの手を握ったまま、その寝顔を見つめていた善司の口から、そんな言葉がポツリと漏れた。この気持ちがどこに向かっていくのかまだわからないが、今は自分の出来る事に集中しよう。
ハルの手をそっと離して善司は再びテーブルに向かい、紙の上にペンを走らせていった。
――その後姿をじっと見つめる視線に気づかないまま。
主人公の持っているスキルが判明しました。
異世界の言葉や文字が読めるお馴染みのスキルが大幅に拡張されていて、魔操言語というプログラミング言語まで解析できるチートスキルになっています。
資料集の方もスキル名だけ反映しています。