75.ゲッカビジン
何があったのかと思った時には既に佐伯はこちらを向いて何時もの様に微笑んでいる。
銀色のナイフを開いた右手で杏癒の首元を突き刺して。そして語る、語る。ゆっくりと。
「僕は許しませんよ、貴女を。一生。でもこうして貴女を最期に殺せたから随分と気は晴れました。だから、最期にもう1つだけ言わせて下さい。」
何を?意味が判らなかった。
しかしそれは一瞬の事で、すぐに心当たりを思い出す。
「そう、でした……ね。」
血反吐を吐き出しながら、杏癒はか細い声で精一杯に答える。
何故答えようと思ったのかは判らない。ただ勘がこう天啓の様に告げたのだ。
これが最期だ、と。
だから答えればまた佐伯は泣いていた。それを見て杏癒は思う。
やっぱりこの人は不器用で弱い人だなぁ、と。だから理解者で同じ罪を犯した共犯者同士の自分が判ってあげなくちゃ、と。
もう手を伸ばす気力はない、声も出ない。だから勝手に話を続ける佐伯が意地悪に見えた。
「人間は永遠に生きる事など出来やしないから、せめて一晩だけでも一緒に傍にいさせて下さい。そして」
「愛していますよ、杏癒さん。」
瞬間、ザプンと言う音と共に杏癒の身体は沈んでいく。
果たしてこれは夢なのか?嗚呼、そうだ。
これは永遠に覚めぬ夢。だけれどもこの光景にはどこか既知感を覚える。
何時か見た気がするのだ
漆黒の空に浮かぶか細い月だけが唯一の灯り。
そしてこの青と沈んだ赤い何か。
「ああ……。」
ようやく杏癒は思い出した。
これは佐伯と初めて会ったあの店で佐伯が杏癒を慰める為に頼んだブルーハワイのカクテルだ。
遠のく意識の中、杏癒は思う。
あの原液を少しただ薄めただけの酒の味を。
・数日後の新聞の一文
【神奈川県の小動岬にて男女2名の水死体を発見。
身元は男女の所持品から判明。亡くなったのは東京都在住の印刷会社勤務佐伯依人さん(24)と同じく東京都在住の小説家柴田杏癒さん(25)。
柴田さんは首元を切られており、警察は岬に飛び込む前に佐伯が切りつけたと推測。また結束バンドをしていた事から心中とみられ――】
結局最後まで陽の当たらぬ場所で散る。
そう、一夜に咲く月下美人の様に。
女――柴田杏癒の願いは永遠に叶わない。
どうも、織坂一です。
後数話と言いましたが、今回で「ゲッカビジン」は終わりとなります!
ネックとなった初めて佐伯と会った時のノンアルコールカクテル、そして結束バンド、最初の下りとあれらは全てここの為にあるものでした。
「ええええええ!?これで終わり!?」と思う方もいると思いますが、これで終わりです。
最後はすごく呆気ない話ですが、この話自体色々と脱線や下げに下げるスタンスを取っていた為、結果心中で幕を締める事はもう最初から決まってました。
正直嫌悪感を抱く人が多いと思いますが、ある意味このゲッカビジンはタイトルもそうですが、「一夜しか咲かない花」なので、その一夜というのはこの佐伯との心中のシーンだけです。
前回の話でも言いましたが、この2人は婚約者を裏切れない…つまり心は彼女らにあるけれども、せめて身体だけは渡しますと言う意味でもこの終わり方がある意味理想的でした。
賛否両論その他諸々、解釈なども各個人であると思いますが、これで終幕です。
全75話、ここまで読んで下さり本当に有難うございました!
次回はまた新しい作品でお会い致しましょう!
織坂一




