71.追憶の1ページ
懐かしい言葉を見た――否、思い出したと佐伯は何時か読んだ本の一節とそのシーンを思い出す。
そう、そうだ。確か内容はこうだった。
世界が終わっても生き続けてね。
私はもう死んでしまうけれども、きっと貴方には新しい未来があるわ。
止めてくれ、止めてくれと男は内心で叫び続けた。屍蝋の様な白い肌に伝う涙は男が幼い日に母を病で亡くした時に流した物よりももっと酷で辛くて。
男は知っている。もう彼女は助からないと。何よりも殺しに長けている男が知らない筈もない。だから自身の白い手を濡らすその赤い液体がなによりの証拠。
止めてくれ、止めてくれ。彼女を連れていかないでくれと大声で叫んでも誰も彼女を救えない。
ならばならばいっそ男が彼女を殺せばいいのか?殺ししかできないこの男は結局愛した女さえ手にかけて、罪を重くしていくのか?
だったらこんな下らない命を彼女にと願っても、それは叶わない。この世の中が無情なのはまた男が最も知っているから。知ってなのか、それとも態とか女は微かに笑う。
ほら、笑って。私の愛しい愛しい浩蘭。
雪の降るこの山の麓。街1番美しい娘は愛した男を身を呈して守って、その命と引き換えに男を生かしては死んだ。
男は泣き叫ぶ。今ようやく知ったのだ。
“Nemo ante mortem beatus” 人は誰も死してなければ幸せにはならない。
なら死して永遠の死を手にした花嫁の代わりに罰を受け入れよう。
だから永遠の命を寄越せ、と男は叫ぶ。
置いていかれるのが嫌だから、一生この花嫁を抱いてこの山の麓の湖で彼女を永遠に愛する代わりに、殺してしまった彼女の――今迄手にかけた人間の命を寄越せ、と。
慟哭と同時にきっと天は約束するだろう。
罪に塗れた男に罰を。男に永遠の生を。
こうして沈んだ娘を守る様に男は永遠を揺蕩う。可哀想な2人。
愛しているよ、と最後に囁いて男は湖に彼女の亡骸を湖に沈めたと言う。
正にそれこそ沈殿花
美しく咲いた一輪の花
奥多正 著作「沈殿花」より。
自分は現実主義者で幻想論は物語の中だけでいいと言うのは自覚していた。だが、何時しか自分の愛おしい人はこう言っていた。
でも逆に本に幻想論を求めるって事は本当は現実でも幻想論を推したいんじゃないかしら?、と。
「……そうですね」
ふ、と自嘲気味に呆れて笑う。
もうこれ以上苦しみたくない、と思っていた。けれどもそう願う度に生への執着が増す矛盾。
――あの人はもう殺してもいい。そう思うと気が楽になった。
どうも、織坂一です。
ようやく8章に入りましたが、入って早々「なんだこりゃ!?」と思った方が大多数だと思います。申し訳ありません。
えっと、ブログの方を見ている方には「は?」と思う次第かもしれませんが、実はこの沈殿花を書いたのは紛れも無くこの織坂でございます。ただ沈殿花の方が発表は早く、PNを変えてしまったので、非常に混乱を招きましたが、一応まぁ…こんなのもあるよ、と。
今回は佐伯の心情を表す為に沈殿花からわざわざ引用したのですが(もちろん新潮社様にお送りしたのもそうです)、詳しい事には次回には判るよ、と。
何度も言いますがここからがもうラストなので、本当に焦らずに終わりを見届けていただければ……。そしてよろしければ沈殿花の方にも興味を示して頂ければ……。
では次回もお楽しみに。




