62.必要不可欠な言葉
たった一言だけ言うと、1人分のスペースを空けては笑う訳でもなく、机にあるグラスをもう1度傾けた。
取り敢えず佐伯の隣に腰を下ろすも言葉が出ない。否、言いたい事はあったのだ、だがそれが上手く声にならない。
「あの佐伯さ」
「済みません、ウィスキーを1つ。……柴田さんは何を呑みます?」
「……ハイボール」
重い調子で答えるも、佐伯の手元を見たら既に先程まで呑んでいた酒は一滴さえ無かった。
酒が運ばれるまで会話はなかった
肝心の話どころか、挨拶さえなく、酒が運ばれてくると杏癒はちらり、と佐伯の方を見る。
しかし佐伯は何事もない様にただグラスに口付けている。
もうここまで来たら自分も腹を据えなければならないのに、何故こう肝心な所で怯えてしまうのか?そんな弱さが嫌で一気にハイボールを飲み干すと、途中で噎せてしまう。
「げほっ……げほっ」
「大丈夫ですか?」
そう言われ、顔を上げて佐伯の顔を見た時に杏癒の脳裏を掠めたのは初めてあのバーで青いハンカチを差し出された光景。それと今の光景が重なって見えた。
否、全くを以て同じだったのだ。目を見開き、言葉を失いかけるも、苦笑して杏癒は喉の奥から声を絞り出す。
「あ、有難うございます……。」
「いえ、お気になさらず。」
この時、久々に――否、絶縁してから見る事の無かった佐伯の笑顔を見る。
別段美男子でもない佐伯ではあるが、杏癒はその佐伯の笑みがどうしても忘れられないと言うよりも正直に言えば好いていた。
どこか優しさを含んだその笑みはまるで彼女――唯の様に何もかも許してくれるそんな気がしたから。
なんとも勝手な話だが、言わなければタダだしそれを知るのは杏癒だけだ。すると佐伯はようやく口を開いた。
「……済みません、急に呼び出したりして。僕の方からもう会わないと言って置きながら……。」
「いえ、私が同じ立場だったら多分同じ行動を取ったと思いますし……。」
そう言うと、ジトリ、と佐伯の視線は一気に手元にあるグラスではなく、杏癒へと向けられては重い声音で佐伯は呟いた。
「何故、そう思うんです?許す訳でもなく、ただ中途半端にこうなった理由を。」
「それは……。」
一瞬口篭る。だが、ここまで来てもう引き下がれやしないのは杏癒自身は判っている。
――これが終われば死んでもいい。
婚約者である唯を悲しませてしまう結果にはなるが、それぐらいの気持ちでなければ打ち明ける事など出来やしない。だから杏癒は死に向かう。何時しか書いた小説の様に。
どうも、織坂一です。
とうとう腹を割り話し始めるかと思わせておきながら、まだ深い所に触れずに申し訳ありません。
まずこの8章自体が短い上に、この話のオチの決定打なのである意味慎重に触れてはいるのですが、まぁそこは発刊版でもいいかなと思いましたが、それをやったら何もかもおじゃんなので、こんな演出にさせて頂きました。
杏癒はまだ幸に諭されても罪悪感を抱いて佐伯に接しているので、「これが終わったら死んでもいい」というのは本当に勝手な言葉です。
果たしてこの返答はどうなるのか、続きは次回をお楽しみに。




