36.修復までの足音 前編
あれから8日が経った
美月の容態はようやく回復し、事件の捜査は精神科医同行の下、聞き取り調査が始まった。
だがやはり恐怖からか、あまり口を開かない。
「君を襲った人はどんな人か見たかい?」
その問いかけに関してだけ美月はぽつりと俯いてはこう呟くのだ。
「……茶髪の悪魔」
そしてその後は決まって過呼吸の発作を起こす。
肩の傷も問題ないと診断されても手掛かりがこれだけとなると警察も顔を顰めるばかり。
「美月」
コンコン、と病室のドアをノックして佐伯は病室に入ると美月のすぐ隣に座る。
そして佐伯は何を聞く訳でもなく、ただただ「調子はどう?」や「今日は晴れてるなぁ」などと言うばかり。
正直佐伯も兄として、1人の人間として妹を襲った犯人に怒りを覚えていた。
警察の事情聴取に同行した際に美月はあの日普通に学校を出た後に何者かに人気のない学校の門の反対側の道に連れ込まれて怪我を負ったのだ。
ここまで聞くと美月に悪い点などどこにもなかった。
茶髪の悪魔は一体誰なのか?
しかし手掛かりがこれだけだとあまりにも捜査は難航するし、何より家族として兄として妹を救えないのが何よりも悔しい。
だから佐伯は美月に向かってこう言った。
「美月、良かったら聞いてくれ。昔、僕が読んだ本でこんな一節があったんだ。」
「?」
美月はただ首を傾げ、それを見ると佐伯は虚空に向かってぽつりとある言葉を呟いた。
「生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業か……ってね。こんな一節があった。」
「それで?」
「僕が突然転勤になったのは知ってるだろう?正直会社では使い走りにされるし、早上がり出来る金曜日でさえ上司に付き合わされるのがほとんどだ。それに母さんからまだ結婚相手は見つからないのか、とか小言ばかりだし、お前とも正直仲が良い訳でもない。でも僕はそんな人生を否定した事は1度もない。」
「……何で?大変なんでしょ?」
「大変だよ。けどさっきも言った通りこれは大事業なんだ。自分が自分として生涯を終える為のね。だから僕はこの言葉1つで色んな事を乗り越えてきた。」
そう言うと、美月は俯いて歯を噛み締める様子を見て佐伯はただ美月の頭を撫でて、苦笑しては言ったのだ。
「だからお前がこうしている事も大事業の1つで乗り越えなきゃいけない事なんだ。だけれどもそれを1人でやれとは言わない。だって何だかんだ言っても母さんと父さんは僕達を育ててくれてる訳だし、友達もお前の悪ふざけに付き合ったりしてくれてるだろう?辛いかもしれないが、その事だけは忘れないで欲しい。」
「お兄ちゃん……」
その言葉を聞いて顔を上げる美月に対し佐伯は微笑んだ儘それ以上は言わなかった代わりに頭を撫で続けた。
それに対して思わず美月は涙を溢す。
嫌いでも好きにもなれない兄がこうして伝えてくれた言葉は実はこれが初めてだった。
いつも顰めっ面で寡黙なこの人がこんなに優しい言葉を掛けるとは思わなかった。
そんな冷徹に見えた兄の手がここまで温かった事を何でこんなにも長らく忘れていたのか。
溢れる涙を抑えきれずに嗚咽交じりに久々に発した声は贖罪の言葉だった。
「うぁあ……っ、ごめんなさい、ごめんなさい。もうあんな事しないからっ……もう唯ちゃんに近付かないからっ……。」
「唯ちゃん?」
ここで出てきた第3者の名前に思わず佐伯は反応する。
佐伯は刑事でも探偵でもないが判る事は1つだけ。
明らかにその唯と言う子がこの事件に関わっている。
どうも、織坂一です。
今回は佐伯と妹の美月の話になりましたが、また唯というあの少女が深く関係しています。
また長くなったのは申し訳ないのですが、毎回言っている通り、この部分で杏癒と佐伯の関係性が一気に変わります。
なのでタイトルにある「修復」とは美月の怪我でもありますし、精神的な面を治す一方で何かが瓦解としていくという意味で書かせて貰いました。
ただここまで来たので、次はもはや佐伯もいよいよ真実に付き迫るのですが、この先はまたまた次回のお楽しみと……。
本文にある言葉は文豪である太宰治氏の名言から頂きました。
ではまた次回に




