15.2人の朝
それから他愛ない話や、時々幸の茶々が入ったりして過ごす事1時間半。
「そろそろ仕事に行ってきな」という幸の言葉に従い、2人は店を出ようとし、勘定の際に財布を取り出した瞬間に、杏癒よりも先に佐伯が勘定を済ませた。
それを見て流石に焦る。
「佐伯さん、悪いですよ!ここは私が払います!」
こうも杏癒が粘るのは彼女が別に割り勘主義だとかそういった訳ではなく、ここに来る前にいたバーの料金もタクシー代も佐伯が払っていたからだった。すると佐伯は平然と返す。
「別に構いませんよ、誘ったのは僕の方ですし。それに酒代はノンアルコールカクテルは僕が出しましたけど、それ以外は別に払ったでしょう?」
そういう問題じゃないと言う事を酷く叫びたかったのと、バーでの会計の時も心なしか佐伯の方が明らかに多く払っていた。
流石に働いていると言っても相手は歳下でもあるし、これでは格好がつかない中で幸は言った。
「お嬢ちゃんもここは依ちゃんに甘えておきなって。男には面子ってモンがあるんだしさ。」
「はぁ……」
「と言う訳でご馳走様でした」
「はいよ。お嬢ちゃんもまたおいでな」
2人分の食事代を払うとその儘平然と店から出て行くものだから慌てて呼び止めた。
「佐伯さん!」
くるり、と振り返っては「どうしました?」と一言言う様子に出会ってから何度言ったか判らない感謝の気持ちを伝える。
「あの……っ、ありがとうございました!お礼は……」
「お礼ならばいいですよ。ですがそこまで言うのであれば1つだけ」
「なんですか?」
「来週の金曜日、柴田さんがよく通う良いバーへ連れて行ってくれると言っていましたよね?それで良しとしましょう。」
「判りました……?」
思わず拍子抜けして疑問形となる杏癒の言葉に小さく吹き出して佐伯は言う。
「ではお願いしますね」
「はい!」
そう答えると2人は1階まで向かい、佐伯は再びタクシーを捕まえては言う。
「ああ、そう言えば柴田さんは乗っていきますか?僕はこのまま会社へ直行しますが。」
「あ……」
何故だろう、と杏癒は思う。
何故自分はこんなにもこの時間が止まればいいと思ったのか。
弱っていた所を優しくしてくれたから?それとも親切で饒舌な彼と話すのが楽しいから?でも、でも2人には共通点がある。
「いえ、私はいいです。それでは御休みなさい。」
そう、婚約者がいると言う事。その裏切れない事実が胸を刺した。すると佐伯は笑って
「僕の方こそ楽しかったです、では御休みなさい。」
パタン、とタクシーのドアは閉まり無常にもエンジン音を立てては遠ざかっていく。
だが、杏癒も落ち着いて考えれば簡単な事だった。
別にこの感情は恋じゃない
ただ弱っていた中で優しくされ、それだけならばここまで思わない。
こうも杏癒の心を引っ張るのは彼がまた同じ境遇でいると言う事だからだ。
先程朝食を共にしたが、ついつい自分だけ惚気が進んで、幸は横で豪快に笑い、佐伯は苦笑交じりに終始聞いてくれていた。
謂わば同じ境遇の人間の傷の舐め合いだ。
ただそれが心地良かったからと言って、それは急に恋になったりはしない。
そう思っては杏癒は駅へと向かった
どうも、織坂一です。
今回はタイトル通り正に2人の朝に限ります。
正直ここまで読んでると「あれ?これって蛇足じゃね?」と思う方もいるかもしれませんが、確かにその通り蛇足なので、書き手としても強く言えないのですが、今後の繋ぎとしては重要なので、こんな蛇足物でもどうかお付き合い下さい。
ですが、ここで重要な主人公たる2人が出会ったので、後は先に進むだけです。
次回の事も話すと、次回は超短いです。(今回が割と長かった所為でもあるのですが…)
一言で言うと、このゲッカビジン自体、杏癒の視点で描かれているので、もう1人の主人公である佐伯の心境が非常に疎かな作品でもあります。
なので、次は佐伯視点で佐伯にとってこの朝はどうなのか?という視点でお送りします。
と言う事で次回もよろしくお願いします。




