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ゲッカビジン  作者: 織坂一
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11.蠢くざわめき 後編2


流石に立派な店を前にして客がいるにせよここはカウンター前。

酒に酔って酒臭いかもしれないが、それでも佐伯は笑みを絶やさずに鞄から携帯を取り出しては言う。

「でしたら宜しければ連絡先を。そちらの方がいいでしょう」

「有難うございます」

杏癒もまた鞄から携帯を取り出すとその儘操作すれば、どうすればいいか悩んでいると佐伯が突然杏癒の手を包んだ。

「良ければ貸して下さい。僕の連絡先を打ち込みますので。」

「……有難うございます」

思わず杏癒は頬を緩めた

なんて紳士的で優しい男性(ひと)なんだろうと。確かにここまでの人であれば世の女性方は佐伯を放って置きやしないだろう。そして再び自分が彼に向けた言葉を思い出す。

『きっと婚約者は善い女性なんでしょうね』

勝手ながらその2人が脳裏に思い浮かぶ。優しく気の利いた物腰柔らかい佐伯と偏屈的な所を直せと言いつつも笑う婚約者の姿が。


すると自然と涙が出た

「あれ……?」

「柴田さん?」

何故?と杏癒は思う

確かに人は他人の幸せを妬む事もある。

だが、杏癒は別段佐伯の事を特別と思っている訳でも無いし、それに彼女の性格上そんな事はないと言うのに何故か涙が止まらないが、1つだけその原因が思い浮かんだ。

それは自分の婚約者の事だ


辛辣な事も言うし、加虐的な部分もあるし、幼い面もある。

しかし杏癒にしか見せない可愛らしい面や優しい面を思い出すとどうも涙が出てしまう。

連絡が取れない、たったそれだけの事で。だが杏癒にとって笑い事ではなく、真剣な悩みだ。彼女の声が聞きたい、字面上でも会話がしたい、それだけでいい甘えたい、傍に居たい――そう思うと涙が止まらない。

隣にいる佐伯にとっては酷く面倒な話だろう。

初対面でこうして会って、ここまで世話を焼く必要なんてどこにもなければ、寧ろこれは店の人間が乗るべき話を彼はいとも容易く蹴り飛ばして、青いハンカチを杏癒に差し出した。

「……少しお酒が入りすぎたみたいですね。それと、これ。」

そう言っては自分の連絡先を入れた携帯電話をそっと差し出す。

その優しさに更に泣き出してしまう様子を見て、ようやく店の人間も事態に気づいたのか、店員が声を掛けようとしたその瞬間に佐伯は人差し指を指しては「しーっ」と言っては杏癒の背を軽く数度叩いては店員に言った。

「済みません、ノンアルコールカクテル2つ。」

「あ、はい……。」


店員は注文を受けては奥に消えるが、佐伯は静かな声で杏癒へと呼びかける。

「判りますよ、その気持ち。僕も少し惚気が過ぎました、申し訳ない。けれどこうしただけでその想い描ける人がいる事はきっと幸せな事なんでしょうね。だから嬉し涙の酒くらい、お礼に付き合いますよ。」

ひっぐ、と嗚咽を漏らしながら涙を流す今の杏癒に出来たのは頷く事だけだった。数度頷くと佐伯は溜息を吐きながらもずっと背を撫でてくれていた。

どうも、織坂一です。

正直今回のこのシーンは佐伯との距離を縮める為だけに使ったので、杏癒の心境に関してはただただ「不安」としか言いようがないですね。


しかし佐伯は一応抱擁力はあるので、案外割と気の利く男性に仕立てたつもりです。(まぁ人間としての優しさは最低限しかないのが難点ですが……)


ただ後編に入ったという事は佐伯と杏癒両者の間で決定的な何かがなければ話は進みません。(多分勘のいい人は判ったと思います)

果たしてそれが一体なんなのかという事、と、後このカクテルだけは覚えておいて下さると助かります。

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