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ゲッカビジン  作者: 織坂一
10/75

10.蠢くざわめき 後編1


カラン、とウィスキーのロックに入った自然と氷が音を立てたのでは無く、隣に座った男が軽くグラスを傾けては酒を煽っていたからだった。

夕方に公園で出会った不思議な青年と今こうして偶然にもバーで席を隣にし、渡された水を半分飲み干すと杏癒は言う。

「お水、有難うございます。それでもって覚えていただなんて吃驚しちゃいました。」

すると隣に座る青年もまたグラスを多少弄んでから呟く。

「僕の方こそ初めて見た時から変わった人だな……と思ってたんです。あの公園に女性1人というのが少し」

「ああ……確かに。」

夜になればパートナー探し、ましてやあそこに多く集まるのは男だけ。

確かに女がいたら印象に残るだろう。だが杏癒の方もややあって仕返しの様に呟いた。

「それを言ったら貴方もあんな時間に鳩に餌やってたら狙われますよ?」

「確かに」

軽くクス、と笑みを溢すとどこか影ある様子で青年は口を開いた。

「けれどもいいんです。別に誘われたからって断りはしますけど、この街では至って普通の事でしょう?ですから僕は否定はしません……なんて言うから怒られてしまうんですよね」

「誰に、ですか?」

「婚約者です。この間2ヶ月記念日を迎えたその日丁度にプロポーズしたら喜んで受けてくれて……僕としては嬉しいですけれど、こんな偏屈的な所は直せ、とよく言われているんです。」

「婚約者、ですか……。きっとその女性はとても善い人なんでしょうね。」

こちらも笑顔で返すと、青年は微笑んでは何か思い出したかの様に「あ」と短く呟いて。

「……そう言えばお名前を聞いていませんでしたね。僕は佐伯依人(さえきよりと)、普段は印刷会社に勤めているんです。勿論宜しければ貴女の名前も教えて頂けると嬉しいのですが。」

「こちらこそ紹介が遅れて済みません。私は柴田杏癒、小説家なんです。ほぼ無名なので判らないと思いますが……。」

へら、と笑う様子の杏癒を横に佐伯はまたグラスを傾け酒を一口舐めては言う。


「無名も何も誇りを持てばどれも等しく職業ですよ。それに小説とは人の人生を書くとも言いますし、立派な職業じゃないですか。例え無名でも。」

「そ、そうですか……?」

「ええ」

正直ここまで聞き上手で饒舌となると普段通うバーのマスター並に口上手だとは思うが、恐らく酒が回ったのもあるのだろう。

そして杏癒は気になっていた事を聞いてみる事にした。

「そう言えば佐伯さんって何でこんな所で呑んでるんですか?」

「……つまりは僕が同性愛者であるかどうかと?」

「い、いえ!そこまでは!」

勇気を振り絞ったし失礼なのも百も承知であったが、やはり失礼だったかと手を前に出してはぶんぶんと手を振る様子にまた佐伯は笑う。

「敵情視察です」

「敵情視察?」

「ええ。僕ももう24になり、仕事に慣れたと思ったら、今度は飲み屋に慣れろ……と上司に言われましてね。会社近くの居酒屋だと面白くないから、どこがいいか探して偶然ここに来たんです。」

「そ、そうですか……。」

たどたどしく答えるも、佐伯の笑みを見ると最早一周回って恥も笑い話へと打ち解けた中で杏癒はある事を思いつく。

「佐伯さん、先程会社と言いましたけど職場はどの辺に……。」

「東京郊外です。多くは三鷹辺りで呑んでいるのですが、それが何か?」

その問い掛けに杏癒はそっと佐伯の耳元で

「ならいい店を紹介しますよ?」

とだけ呟いた。

どうも、織坂一です。


あの公園で出会い再会した男の本名がようやく明かされましたね。

あらすじの所に書いてあるからやっと言えるのですが、これで主人公である杏癒と佐伯が揃いました。

ここから物語が始まっていくんですが、共通点が1つだけある事も忍ばせてます。

杏癒も佐伯も同じく「婚約者」がいるのですが、佐伯の場合はどうなのかはまた続きに……。


そしてまだまだ先ですが、何故佐伯が一瞬だけしか会っていない杏癒に声をかけたのかは物語の後半で明かされていきます。

作者としては佐伯みたいなキャラは初々しいですね(今まで俺様系しか書いてないので……)


この先はまた緩やかに進んでいきますが、どうか宜しくお願いします。

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