089 - hacker.workUp(courage);
「皆さん、守って頂き感謝いたしマス」
ようやく我を取り戻したジャワール皇子が、僕達に感謝を告げる。
「い、いえ。殿下にお怪我がなくて何よりです」
僕がそう応えると、皇子は頷いて厳しい表情をしながら下手人を見下ろす。兵士の格好をした暗殺者は、ロープでぐるぐる巻きに縛られ、砂まみれになって床に転がっている。高級そうな絨毯だけど砂まみれにしちゃって大丈夫かな、と場違いな不安を抱いた。
「しかし、この城の中に暗殺者が入り込むとは……。それも、第三皇子である私を狙うのは理解できまセン。一体、何が狙いだったのでしょうか?」
皇子は首をかしげている。暗殺者は観念したのか、目と口を閉じて何も答えない。
「まあ、尋問して聞き出せば良いでしょう。シライシさん達のおかげで生きたまま捕らえられましタ」
そう言って、皇子は警備兵達に命令を与え始める。応援を呼ぶように命じ、暗殺者は拘束されたまま運びだされ、他の不審人物が入り込んでいないか調べさせる。皇子が狙われたという事は、他の皇族も同じく狙われている可能性がある。
ジャワール皇子は先頭に立ってリーダーシップを発揮するタイプらしく、有無を言わさぬ指示が次々と繰り出されていく。最初は混乱していた兵士達もすぐに落ち着きを取り戻して、指示に従って行動しはじめた。開かれたままの応接間の扉から慌ただしく兵士達が出て行く。
その様子をボンヤリ見ていると、ボスが小声で話しかけてきた。
「大変なことになったな」
「ええ……。暗殺とは物騒ですね」
「ああ。しかし、まずい事になった。真っ先に疑われるのは我々かもしれん」
「え、なぜですか?」
「なにせ我々の訪問に合わせて事が起きたからな。それだけでも十分に疑わしいだろう。我々が侵入を手引きしたのではないか、とな。ましてや、他国の人間であればなおさらだ」
「で、ですが、僕達は皇子を守りましたよ?」
「うむ……。だから大丈夫だとは思うが……」
僕達は危うく疑われる立場に立っていたらしい。咄嗟に動く事ができて本当に良かった。もし、あそこで皇子が殺害されていたら『わざと見殺しにした』と言われかねなかったのだ。
『なにっ!? 本当に謀反が起きているだと!』
『はっ。どうやら一部の将兵が寝返っているようです。陛下の寝所や警備隊の詰め所が同時に襲撃を受けており混乱しております』
『くっ、父上……!』
皇子と伝令兵のスタティ皇国語による会話が漏れ聞こえてくる。かなりマズい状況のようだ。城内の重要拠点が同時に襲撃されているらしい。ジャワール皇子の暗殺未遂もその一つだったのだろう。
スタティ皇国語を少しだけ理解できるボスにも、状況が深刻である事はわかったらしい。
「いいかバンペイ。いざとなったら我々は転移でここから脱出するぞ」
「え? で、ですが、それでは襲われている人達が……」
「ここはダイナ王国の城ではなく、スタティ皇国の城であり、我々はあくまでも他国の人間なのだ。我々が必要以上に出しゃばってしまえば、かえって事態を悪化させる可能性もある」
ボスは脱出を躊躇する僕を諭した。確かに単なる招待客である僕達が、スタティ皇国の危機をどうこうする義務はない。そもそも、戦いの訓練も受けていない素人の一般人なのだ。自分たちの身の安全を考えれば、すぐにでも脱出するのが賢いのだろう。
だが、僕やエクマ君は普通の人に比べればマギの扱いに長けているつもりだ。何もせずに見捨てるというのは、少し薄情というものではないのだろうか?
そんな僕の逡巡を見抜いたのか、ボスは溜息をつく。
「確かにバンペイはマギが得意だし、その力があれば救える人もいるかもしれない。しかし、だからといって君が命の危険を冒してまで見ず知らずの他人を助ける義務などない。それを負うべきなのは、国に仕えている軍人や、この国の皇族、貴族達なのだ。私は見ず知らずの他人よりも、君や、我が社の社員の方を大事にしたい」
ボスの言う事はもっともだと思う。恐らくボスは社長としてだけではなく、ボス個人としても僕達の事を大事に思ってくれている。その上で脱出するべきだと判断したのだ。
それに、この場にはシィやエクマ君もいる。シィはまだ幼い子供だし、エクマ君だって中身は子供だ。僕達は保護者として二人を守らなくてはならない。
僕の個人的なワガママで皆を危険に巻き込むわけにはいかない。
「わかりました……」
渋々ながらうなずくと、ボスはホッとした表情を見せた。
「まぁ、この国にだって軍隊はある。すぐに鎮圧され――」
『報告です! 薔薇姫様が……第一皇女マリア様が、反逆者達に人質に捕られました! 攻撃すれば命はないと主張しており、にらみ合いになっています!』
ボスの楽観的な言葉を遮るように、伝令兵の報告が応接間の中に響いた。
『マリア姉さんが……』
ジャワール皇子も愕然とした様子でつぶやいた。そういえば薔薇姫は僕の提案を受けて皇王陛下の診察を調整するために席を外していたのだ。もしかしたら、その道中で襲われたのかもしれない。
まずい事になった。薔薇姫は兵士達からの人気も高い。その姫が人質にされたとなれば、兵士達の士気は極端に下がるだろう。事実、伝令兵の報告を聞いた兵士達もざわめき始めている。
その様子を見たジャワール皇子はハッとした様子になり、大声で演説を始める。
『落ち着け、皆の者! 姉上が人質に捕られたからといって、まだ諦めてはいけない! 我々の手で姉上を取り戻せば良いのだ! その為には皆の力が必要だ!』
『おおーっ!』
皇子は発破をかけて兵士達の士気を立て直す。ざわついていた兵士達は、声を合わせて皇子に応えた。普段は頼りなさ気に見える第三皇子だが、うってかわって皇族らしく人心を統率している。少なくとも、あの第一皇子に比べればよほど皇子らしいのではないだろうか。
と、そこで、ジャワール皇子はこちらに目を向けて近づいてくる。嫌な予感がした。
「シライシさん。皆さん。我が国のゴタゴタに巻き込んでしまい、申し訳ありまセン」
「い、いえ……」
さすがにこの悲惨な状況を目の前にして「僕達は脱出するから、後はがんばってね」とは言い出しづらい。どう切り出したものかと悩んでいると、皇子は頭を下げてきた。
「マギハッカーと呼ばれるシライシさんを見込んでお願いがありマス……。どうか、姉を助け出すために協力して頂けないでしょうか? 他国からのお客様にこんな事を頼むのは筋違いなのですが、人手がどうしても足りないのデス……」
やはりそうきたか。僕だって薔薇姫は助けたい。だが……
「お断りします! バンペイは私の大切な……部下なのです。危険な真似をさせるつもりはありません」
僕が答える前に、ボスが一歩踏み出して皇子の頼みを一刀両断する。どうやらボスは、薔薇姫を助けるつもりはないらしい。
兵士の中にはダイナ王国語を理解するものもいたらしく、彼らにもボスと皇子のやりとりが伝わった。ボスのあまりの無下な対応に、周りにいた兵士達は色めき立っている。彼らにとって薔薇姫はアイドル的な存在だ。皇子が頭を下げたにも関わらず彼女を助けようとしない僕達は、非常に印象が悪いだろう。
「そうですか……。先ほど命を助けて頂きましたし、無理は言えませんネ……」
皇子が非常に残念そうな表情で言う。彼としても姉の事が心配なのだろう。
その様子を心苦しく思いながら見ていると、僕の服がクイクイと引っ張られた。見れば、今まで黙っていたシィが不安そうな表情で僕の事を見上げている。
「ねぇ、おにーちゃん。お姫さま、あぶないの? つかまっちゃったの?」
「うん……そうだよ」
「どうして? どうして、助けてあげないの?」
シィの純粋な質問が胸に突き刺さる。
「おにーちゃんなら、助けられるでしょ? シィの事も助けてくれたもん!」
シィも以前、誘拐されて人質にとられた事があった。まあ、あの時シィ自身は誘拐されたなんて思っておらず、知らないおじちゃんと遊んでいただけだったのだが。それでも、誘拐犯の元からシィを助けだしたのは確かだ。あとから『知らない人に付いていってはいけない』と言い聞かせたので、シィはきちんと誘拐のことを認識している。
シィを助けて、薔薇姫を助けないのはなぜか。シィはもはや家族同然だが、薔薇姫はあくまでも他国の人間だ。でも、シィにとってそんな事情はわからない。シィは、自分に優しくしてくれたお姫さまを助けたいだけなのだ。
ようやく、決心がついた。
「そう……だね。お姫さまを助けるぐらい、手伝ってあげなくちゃね」
「バ、バンペイ! 手助けすれば巻き込まれるぞ! 薔薇姫を助けたとなれば、今度は君が狙われるかもしれないのだ!」
心変わりをした僕に、ボスが慌てた様子で忠告してくる。
「ボスが心配してくれるのは嬉しいです。ですが、薔薇姫は、彼女は僕達の理想である『万人に使えるマギサービス』に共感して、皇国を変えようとしています。僕達は彼女を助けるべきです。違いますか?」
「う……だが、しかしだな……」
「ボスは薔薇姫を助けたくないのですか?」
「ち、ちがう。私はバンペイの事を思ってだな……」
「…………」
じーっとボスの目を見ると、ボスの目は泳ぎまくっている。どうも何か隠しているようだ。ボスと出会ってからそんなに経っていないが、ボスの考えている事は何となくわかるようになっていた。
僕が無言で問い詰めていると、ついにボスは観念して白状をはじめた。
「う……うー……。だ、だって、仕方ないじゃないか! バンペイが陛下や薔薇姫を助けたら、どう考えても美談として皇国中に広まるし、薔薇姫の方もバンペイに惚れてしまうに決まっている! いや、すでに気がある素振りをしていた! もしかしたら、バンペイがスタティ皇国に取られてしまうかもしれない! そうなったら私は……私は……!」
ボスが目をギュッと閉じて大声で叫ぶ。その声は応接間中に響き渡った。
誰もが何事かと驚き、またはその内容に唖然とし、部屋を静寂が支配した。
僕は無言で、ボスの頭に手を載せる。僕の手がボスの赤い髪に触れると、ボスはビクリと身体を震わせた。
「ボス……。僕は……僕は、貴女と一緒に作った会社を放り出すつもりはありません。例え、どんなに大金を積まれたって、地位や名声を与えられたって、スタティ皇国に行ったりしませんよ」
「う……ぐす……だ、だって。バンペイだって、薔薇姫にデレデレして仲良さそうにしてたじゃないか。私なんかより、薔薇姫の方がキレイだし、女性らしくて、頭もいいし……」
「ボス」
うつむいていたボスの柔らかい頬をむにゅりとつまむ。
「にゃ、にゃにふぉすりゅんだ」
「あのですね。恥ずかしいので一度しか言いませんよ」
ボスの潤んだ瞳をまっすぐ捉えて、勇気を振り絞った。
「僕はボスがいるからこそ、ここまで来れたんです。貴女以外にパートナーは考えられませんし、貴女以外の女性と付き合いたいとも思いません。薔薇姫より、他のどんな女性よりも、僕にとってはボスの方が百万倍、魅力的なんです」
すうっと息を吸って、最後の言葉を付け足す。
「だから僕は……貴女の事が好き、みたいです」
「びゃ、びゃんぴぇい……」
頬をつまんでいた指を離すと、元の魅力的なボスの顔に戻った。潤んでいた瞳から、ポロリと透き通った雫がこぼれる。
「バンペイ!」
ボスは名前を叫びながら僕の胸元に飛びついてきた。慌てて両手で受け止め、後退りしないように踏ん張る。ボスがそのまま両手を背中に回してきて、僕の胸に顔をうずめる。
僕も、恐る恐る彼女の背中に手を回す。
フワリと、ボスの付けている香水が香った。
「不安だったんだ……! 社長と言ってもいつもバンペイに頼ってばかりだし、失敗ばかりだし……それなのにバンペイはどんどん皆に認められて……! もしかしたらバンペイは私の事なんて置いて、どこかへふらりといなくなるかもしれないって……!」
「言ったでしょう。ボスを置いていったりしません」
「私なんて、女らしくないし、偉そうにしているし、男からしたら生意気かもしれないって……」
「ボス以上に魅力的な女性なんていませんよ」
「う……バンペイは小心者だし、私の方から言わなくてはと思っていたのに……どうしても踏ん切りがつかなかったんだ。バンペイに嫌われるのが怖かったんだ……」
「そ、それについては、すみません……。僕もなかなか勇気が出なくて……」
それから数分間、ボスと僕は抱き合いながらお互いの気持ちを打ち明けあった。
唖然とするジャワール皇子と兵士達の存在を完全に失念したまま。
数分後、あまりの恥ずかしさに部屋を飛び出そうとするボスを引き止めるのが大変だった。
[2016-05-26 14:45]
抱き合う時間を「小一時間」→「数分間」に修正しました(Thanks to 冷凍野菜さん)
差分: http://bit.ly/1UeMwMj




