085 - hacker.meet(princess);
投稿が遅くなり申し訳ございません><
第五章の開始です!
ハッカーは意外と読書家だ。
といっても、彼ら彼女らが熱心に読むのは、分厚くて重い技術書である。もちろん一般的な小説や雑誌、漫画だって好んで読むが、一冊が数千円もするような技術書を頻繁に買うのは専門職ならではだろう。コンピュータやタブレット端末の中にはさらに多くの電子書籍が詰まっているかもしれない。
IT企業に行けば共用の本棚に技術書がずらりと並んでいるだろうし、個人のデスクにだって読みかけの本が山となっているのが見られる。会社によっては経費での購入も認められる。技術者にとって、書籍というのは昔から変わらない貴重な情報源なのだ。
これだけインターネットが普及しているのだから、わざわざ本を買う必要があるのかと思われがちなのだが、まとまった情報や体系的に新技術を学ぶなら、書籍は相変わらず媒体としての価値が高い。
反面、書籍というのはどうしても『鮮度』が問題となってくる。
特に進歩のスピードが非常に早いITの世界では、書籍の『賞味期限』は短くなりがちだ。書かれている中身が古くなってしまったり、そもそも解説している技術が時代遅れになってしまったりする。
最近では電子書籍化が進み、インターネットから更新する事もできるようになってきたが、やはり書籍で書かれる内容というのは陳腐化しづらい普遍的なテーマが選ばれる傾向が強い。
その最たる例が「コードの書き方」に関する技術書だろう。
例えば、読みやすくメンテナンスしやすいコードを書くにはどうすれば良いのか、実践的なコードとは一体どのようなものか、といった解説やテクニックの説明。大規模なソフトウェアを作るためには、どのように書いたら安全か、複数人で書くには何に気をつけるべきか、などのチーム開発についてなど。
プログラムを書くためのプログラミング言語は多種多様だが、こういった内容は言語を問わずに有益である事が多い。
なぜ有益かといえば、それらは『先人の知恵』だからだ。先人達の失敗が積み重なって作られたノウハウというのは、同じ失敗を避けるために非常に役立つ。それは、どんなに有能なハッカーであっても変わらない。人間である以上、失敗は避けて通れないからだ。
そして、そんな『先人の知恵』が詰まった本が、僕の目の前にある。
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話は数日前に遡る。
僕達が住んでいるダイナ王国の隣に位置するスタティ皇国。その第三皇子であるジャワール様から、僕に宛てて一通の招待状が届いた。国交のパイプを通じて送られてきたために、王国軍人であるジャイルさんがわざわざ僕達のオフィスまで届けてくれたのだ。
そこには、マギエンジニアである僕を正式な国賓としてスタティ皇国に招待したいと書かれていた。だが、一緒に書かれていた内容が王国上層部にとっての大きな問題となったようだ。僕がスタティ皇国に滞在する間の接待役として、薔薇姫と呼ばれる人物があたると書かれていたのである。
薔薇姫とは通称であり、その正体はスタティ皇国の現皇王であるサマロ=オラル=スタティの第一皇女マリア=オラル=スタティ。皇国一とも謳われる絶世の美貌を持ち、同時に知能にも優れると言われる才色兼備の女性だ。
今まで外交の場に現れなかった彼女が接待役につくことを重く見た王国上層部は、この招待を受ける事にしたようだ。断れば皇女の面子に泥を塗る事になり、外交関係にヒビが入ると予想された。つまり、一介のマギエンジニアである僕が断ることなど、到底許されなかったのだ。
なぜか薔薇姫の名前に大げさに反応して同行を主張してきたのは、僕の上司であり、我が社の女社長であるルビィ=レイルズ。愛称はボス。僕よりもやや長身で、赤毛のショートカットを持つボーイッシュな雰囲気の女性だ。
その彼女は今、我が社のオフィスにて、社員たちを前に満足気にうなずいていた。
「よし、バンペイ。準備は万端だな?」
「はい、ボス。シィちゃん達も、忘れ物はないかい?」
「ないよー!」
「がう」
「……うん」
僕の問いかけに三者三様の返事が返ってくる。
元気よく手を挙げているのは、ふわふわ金髪ロングヘアの幼女、シィちゃんだ。最近は子ども塾で友達も増えており、子供らしい側面を見せるようになっている。心と一緒に身体も成長しているはずなのだが、身長は出会った時からちっとも伸びていない気がする。
その横で舌を出しているのは、バレットと呼ばれる黒い犬。その正体は「黒死狼」と呼ばれ、人々に恐れられる大きな狼の魔物だ。しかし、もはやその事を覚えている人は少ない。バレットをマギで小さくした僕ですら、時々その事を忘れてしまう。人の言葉を解していると思われる、賢い忠犬だ。
最後に小さな声で返事したのは、最近我が社に入社したばかりのエクマ君。エルフ族で高身長の男性だ。外見は間違いなく大人なのだが、事情があって中身はまだ幼い子どもである。常識や道徳に疎いが、お姉さん役のシィと一緒に勉強中である。しかし、非常に優秀なマギエンジニアでもある。
「いいか。我々マギシード・コーポレーションはこの度、社員旅行として隣国であるスタティ皇国に向かう事になった。本来はバンペイのみが招待されていたが、先方のご厚意で社員全員を迎え入れてもらう事になったのだ」
ご厚意というか、無理にお願いしたというか……。ま、まあ、最終的にはきちんと了承ももらったし、大丈夫だろう。うん。
ボスが着いてくるとなれば、シィちゃん達だけを残していくわけにはいかなかった。そこで、我が社としては初の『社員旅行』と称して、スタティ皇国に皆で行く事にしたのだ。
社員として他にもインターンである学生のパールがいるのだが、今回の参加は見送りとなった。本人は行きたがったのだが、さすがに国外となると両親の許しが出なかった。一週間ほどの滞在予定で、マギアカデミーも欠席する事になるためだ。
「王国の代表である事を肝に銘じて、くれぐれも恥ずかしくない態度でだな……」
「ボス。そろそろ時間なんですけど……」
「なにっ!? ……む? まだ約束まで時間はあるじゃないか」
「入国手続きがあると言ってませんでしたか?」
「あ……。う、うむ! それでは、早速スタティ皇国に向かうぞ!」
早速うっかりをやらかして赤面したボスは、懐から黒いマギデバイスを取り出す。この異世界における魔法のような存在である『マギ』。それを行使するために必要な魔法の杖のような端末だ。
スタティ皇国への移動はいくつか方法があるが、僕達はその一つである『転移マギサービス』で移動する事になった。高額な利用料が必要だが、ありがたいことに招待ということで先方もちだ。馬車や徒歩などに比べれば移動時間はほとんどかからず非常に助かる。
「そういえば、転移マギサービスを使うのは初めてですね」
「ふ、バンペイはいつも自分で作ったマギばかり使っているからな。たまにはマギサービスも使った方が良いぞ?」
「そうですね……。利用料がもっと安ければいいんですが」
「そうだな。しかし、時をおけば値下げは進むだろう。バンペイのおかげでな」
僕達が電話マギサービスを格安の利用料で提供した事によって、マギサービスの利用料を見直す動きが始まっている。治療マギサービスが公営となって無料化されたのも、その動きに拍車をかけている。今まで高額の利用料にあぐらをかいていた各社はどこも大慌てだ。
先日開催されたマギカンファレンスで、オープンソース化された治療マギサービスのコードが解説されて、マギサービスの改善は大きく進むはずだ。
「よし。では、転移するぞ……。【コール・トランスポーテーション・スタティ皇国・皇都】」
ボスが呪文を唱えると、僕達がいる場所が白い光に包まれる。いつもは自分のマギで転移しているため、新鮮な気分だ。僕の転移マギでは転移先の座標を特定する必要があるため、未知の場所への転移は危険が大きい。
視界がパッと切り替わる。どうやら転移は成功したようだ。
辺りを見回すと、そこは高い天井と大理石のような白い壁に囲まれた大きなホールだった。僕だけでなく、シィやエクマもキョロキョロと見回している。
「ここは……?」
「ああ、そうか。バンペイは初めてだったな。ここは、転移マギサービスの『マギステーション』だ。駅馬車の駅のようなものだな。転移先にはどこもマギステーションが建てられているのだ」
「そ、そうなんですか」
「あっ、あそこに出口があるよ」
シィが指差した先に、金属製の門のような出口が設置されている。荷物を運び出す事を想定しているのか、馬車がそのまま通れるような大きい門だ。門番らしき人物が立っており、こちらを見ている。
「うむ。では行くぞ。迷子にならないように、しっかりと着いてくるように」
「はーい!」
「がうっ」
シィ達は元気よく返事をする。エクマ君もコクリとうなずいた。
ホールが大きいため、門まで距離がある。歩きがてらボスに質問してみた。
「ボスはスタティ皇国に来たことがあるんですか?」
「いや、他の国なら行った事があるのだが、スタティ皇国は私も初めてだな」
「そうなんですか」
「そういえば、バンペイの方こそどうなのだ? 東からの移民であれば、スタティ皇国を通ってきたのではないか? 転移マギサービスで来たわけではないようだしな」
「え……え、っと、南の方を経由して来たので……」
苦しい言い訳だ。スタティ皇国はダイナ王国から見て東に位置する。僕の設定は遠い東の国からの流民という事になっているため、ボスの言う通りスタティ皇国は通り道だ。
だが実際には、こちらの世界に来てからダイナ王国を出た事はなかった。何しろ、異世界から来たと言っても信じてもらえるかわからない。ボスにはこれまで真実を話さずにいた。
だが、よく考えてみれば、もうそろそろ話しても良い頃合いだろう。信じてもらえなくても仕方ないが、ボスなら僕の言う事をむやみに否定したりしない。
「うむ……そうか。まぁ、深くは聞かん」
ボスはどうも僕のウソを見抜いている気配がある。しかし、深く立ち入ろうとはしてこない。こちらを気遣ってくれているのがわかって、胸が痛くなる。
「皇都へようこそ。どちらからの転移でしょうか?」
気がつけば門番の前にたどりついていた。門番の男性は金属製の軽鎧を身に着け、槍を手にしている。どうやらスタティ皇国の軍人のようだ。転移マギサービスは国の玄関であり、なかば国営扱いなのだろう。
門番達の視線はやや胡乱げだ。傍から見れば妙な組み合わせの集団なので仕方ない。何せ子どもと犬まで連れているのだ。どうやら、国から連絡を受けていないらしい。
いつもならボスが代表で出るところだが、今回ばかりは正式に招待された僕が前に出なければならない。
「え、えーと、ぼ、私達はダイナ王国の者です。貴国の第三皇子であらせられるジャワール様から招待にあずかり参上いたしました。招待状はこちらになります」
そう言って懐から招待状を取り出す。スタティ広告の皇族の紋章である黒鷲が描かれた、立派な封筒に包まれている招待状だ。
門番たちは僕の口上を聞いて、慌てて居住まいを正した。特に、僕達に対応していた門番は驚いた表情となり、慌てて頭を下げる。
「し、失礼しましたっ!」
「い、いえ……」
「そ、それでは、招待状を拝見いたします……」
恭しく招待状を受け取り、手を震わせながら招待状を開く。中身を確認すると、門番の男性は目を見開いた。何をそんなに驚いているのだろう?
「ば、薔薇姫様の……。あ、し、失礼しました! た、確かに確認いたしました!」
慌てた様子で僕に招待状を返すと、門番は他の門番達に合図する。すると、ギギギと音を立てて大きな門が開いていく。建物はこのホールだけで、門を出ればすぐに外につながっているらしい。出発したのは朝であり時差もほとんど無いため、開かれる門の隙間から陽の光が差し込んでくる。
「えーと、入国手続きは……?」
「必要ございません! 国賓としておもてなしせよと厳命を受けております!」
「そ、そうですか……」
フリーパスらしい。さすがは皇族による招待である。入国手続きを見込んで約束の時間よりも早めに出たのだが、特に必要なかったようだ。どうせならボスの訓示を最後まで聞いてあげればよかったかな。
「ダイナ王国より、バンペイ=シライシ様、及び、マギシード・コーポレーション御一行様の御到着です!」
門が開ききると門番が大きな声を張り上げた。近くにいた僕は驚いて身をすくませる。
誰に来訪を知らせたのだろう、と思って見回すと門のすぐ側に立派な馬車が止まっていることに気がついた。馬が四頭もつながっている大型の馬車だ。白と赤の二色に彩られ、こちらにも皇族の紋章である黒鷲が入っている。どうやら相手はすでに待っていたようだ。
執事と思わしき老人が馬車の扉を開くと、中から一人の女性が姿を見せる。
思わず息を呑んだ。
紺碧の大きな瞳と、白磁のような透き通る肌。肩より下に伸びた花のような淡いピンク色の髪は、陽光を浴びて天使の輪を作り出している。白いドレスとの対比が実に見事だ。
均整の取れた見事なプロポーションで、絵画から抜け出してきたような一分の隙もない完璧な美貌だが、かといって教皇のような人形らしさは感じさせない。あくまでも人間的な魅力に溢れている。
まさしく絶世の美女と言っても過言ではなかった。皇国一というのも過大広告ではないだろう。
失礼な事に思わず皇女の顔に見惚れていると、足に激痛が走る。
見れば、ボスが僕の足を踏んづけていた。
「いたっ! な、なにするんですか、ボス!」
「ふん。バンペイがいつまでも間抜け面を晒しているからだぞ。ほら、さっさと挨拶しないか」
皇女の前だというのに、ボスと二人でそんな馬鹿なやり取りをしていると、皇女はクスリと微笑んだ。そのまま、ふわりとドレスの裾を持ち上げてカーテシーをする。
「お初にお目にかかります。スタティ皇国の第一皇女、マリア=オラル=スタティと申します。噂に名高いマギハッカー様にお会いできて光栄ですわ。この良き出会いに感謝を」




