040 - hacker.pointOut(blindSpot);
慌てて頭を下げる僕達の横を静々と通り過ぎていく影。頭を上げて顔を見る事自体が不敬となるため、許しが出るまでは身動きを一切とれない。
影が円卓議会に用意された国王専用の玉座に腰掛けると、静かな、しかし不思議と通る声が、染み渡るように議会に響いた。
「苦しゅうない。皆の者、面をあげよ」
「ははーっ!」
議会に響く威勢のいい返事とは裏腹に、顔を上げるものはいない。なぜなら、促されたからといって簡単に顔を上げるのも、それはそれで不敬だからである。なんともややこしい『しきたり』だが、日本の殿様だと思えば不思議ではない。世界や国が違えど、敬意の表し方はそう変わらないという事だ。
「ええい、面倒な! 面をあげよと言っておるだろうが!」
しかし王様はどうやらこのしきたりを好んでいないらしい。不敬にならないための作法がかえって王様の機嫌を損ねるのが不思議だった。作法というのはそういうものなのかもしれない。
二度目の促しでようやくノロノロと顔を上げる。しかし、王の顔をジロジロと見ることは許されない。視線は地面に落としたままだ。
「ふむ……そこのお主、確かバンペイといったか。直答を許す」
「は、はいっ!」
直答を許されない限りは、王からの問いに直接答える事すら許されない。王の代理で答えを聞いてそのまま王の耳へと入れる、『プロキシ』みたいな人物がいるのである。
王から直答を許されてしまった僕は、視線を合わせないままに応える。
「お主が作ったという電話マギサービス。見事なものであった。褒めてつかわす」
「ありがたき幸せにございます!」
まるで江戸時代みたいな受け答えだが、あくまでも異世界の言語でのやりとりである。王とのやりとりでは、こういった古風な言葉使いをするのが伝統なのだ。といっても僕の脳内にある言語対応表にも限界があるから、そこまで適切な言葉遣いはできない。
そんな事よりも、王様までもが電話マギサービスの存在を知っていた事に驚いた。王直属の円卓議会が流行の発信源となったわけだから、知っていてもおかしくはないのだが、この王様はなかなか議会に現れる事はないという。もしかしたら側に侍っているジャイルさんが教えたのかもしれない。
自分の作ったサービスが王様にまで認められる。非常に光栄なことなのだろう。
「して、この場は一体なんの場なのだ? ジャイルは重要な議題としか言わんから埒が明かんぞ」
「は、はいっ! この場は、僭越ながら、ぼ、私が王国にとって非常に重大な問題を議員の皆様にお見せするために招集させて頂いたものです」
「ほう? 王国にとって非常に重大な問題とな? してそれは一体なんなのだ?」
どうやら僕の持って回った言い回しに興味を惹かれたらしい王様は、続きを促す。
「それは、陛下が賜られたマギシグネチャに関するものです。このマギシグネチャに疑義を持つことが、陛下への不敬である事は重々承知していますが……どうか、マギシグネチャの正当性を確かめる事をお許しください!」
今度は議会の誰も一言も発さない。当然だ、不敬の対象である本人が目の前にいるのだから、許すも許さないも本人の勝手という事になる。当然本人が激怒する可能性も考えていたのだが……。
「うむ、許すぞ。して、どのような問題なのだ?」
清水の舞台どころかスカイツリーから飛び降りる覚悟で放った僕のお願いは、非常に軽いノリであっさりと肯定された。どうやらこの王様は、自分への敬意とか不敬とかはどうでもいいと思っているようだ。それよりも、問題の方を気にしている。
「あ、ありがとうございます。それをご説明するにはまず、こちらの書類のマギシグネチャをこちらのマギデバイスで検証する事を――」
「あーよいよい。マギシグネチャの検証に関しては全て許すから、さっさと説明を進めよ。回りくどいのは好かん。簡潔に説明せよ」
「はっ、ありがたき幸せにございます」
王様からの全面的な許しを得た僕を止められる者は、この議会の中に存在しない。
「まずこちらの書類ですが、先日まさにこの場所で逮捕されたデイビッド=レイルズ氏がマギシグネチャで署名したとされる書類です。特定のマギサービス企業から金銭を受け取る代わりに、便宜をはかるという約束が書かれており、まさしく逮捕の要となった証拠書類です」
「ふむ。デイビッドめ、汚い金など受け取りおって。議会にも腐敗が見えるようになってきたようだな。嘆かわしいことだ」
「ですが、私はここに疑問を投げかけたいのです。果たして、ここに記されたマギシグネチャは、本当にデイビッド=レイルズ氏によるものなのでしょうか」
「うん? だがマギシグネチャの検証では……うむ、なるほど、つまりお主の言う『王国にとって非常に重大な問題』とは、その検証の正当性に関わるという事だな?」
「はい、ご賢察の通りです。そこで、デイビッド氏の手でもう一度マギシグネチャを検証して、改めてその正当性を確認したいと考えています」
「ふむ、良いぞ。王国の根幹に関わるマギシグネチャに問題があるというのならば、すべからく検討されるべきだと朕は考える。不敬だからと言ってその問題を放置した結果、王国に不利益がもたらされる方がよほど不敬であろう」
王の言葉に、先ほど罵声を上げていた議員達が首をすくめる。脊髄反射で不敬だと反応してしまうのは仕方がない。それが『伝統としきたり』というやつだからだ。むしろ、このような考え方をする王様の方が異端なのである。
王の登場によってだいぶ脇道に逸れてしまったが、やっと本道に戻れる。
「では、こちらのデイビッドさんにマギデバイスを」
僕が指示すると、警察隊員がマギデバイスを彼に渡す。そして、彼は渡されたマギデバイスをゆっくりと証拠書類のマギシグネチャに差し向けた。
議会の緊張が高まっていく。
「【コール・マギシグネチャ・ベリファイ】」
署名検証のための呪文が唱えられると、証拠書類のマギシグネチャは、ぼんやりと青い光を放ち始めた。どこからどう見てもマギシグネチャが正しい事を証明する発光である。「やっぱりな」という弛緩した空気と、デイビッド氏を信じる議員達の溜息が議会に蔓延する。
「おお、やはりしっかりと光っているではないか。どうやら、デイビッドがその名誉ある席を穢していたのは間違いないようだな」
「待ってください。その結論を出すのは尚早だと思います」
「ほほう? ここまでやっておいて、何もなかったでは済まされぬぞ? その覚悟があるのだろうな?」
王様の挑発的な言い回しに、僕は確固たる自信を持って頷く。なぜなら、もう証明は終わっているからだ。
「陛下のご期待を裏切るような事はありません。なぜなら……お願いします」
警察隊に合図を出すと、議会の扉が再び開いていく。しかし今度はそこにいるのは王様ではない。最初はポツポツとした小雨のようだった議会が、徐々に暴風雨のような大雨へと変化していく。ありえない光景に目をゴシゴシとこする議員が続出した。
「こ、これは……どうしたことか。デイビッドが、もうひとり?」
王様の困惑した声が聞こえてくる。そう、この議会には今、デイビッド氏の姿をした人物が二人いる。当然ながらこの状況は、ある人物の協力によってなされたものだ。
「紹介します。あそこの扉に立っているのが『本物』のデイビッド=レイルズ氏、そして今ここでマギシグネチャを検証したのはデイビッド氏ではありません。変装の得意な赤の他人なんです」
議会の中心に立っていたデイビッド氏の姿をしていた人物は、大きな黒い布を取り出すとガバリと上からかぶる。姿がすっぽりと見えなくなったかと思うとすぐに布が取りさられ、中からはデイビッド氏とは似ても似つかない男性が現れる。
大道芸じみた早着替えと手品のような入れ替わりに驚きの声をあげる議員や警察隊員がチラホラいる。そう、この人物の正体は僕が協力をお願いしたミミックのディットーさんだ。ディットーさんは多くの好奇の視線に晒されて居心地を悪そうにしている。
ディットーさんに協力を仰いだのは、この『成り代わり』を実現するためだった。最初から議会にいたのは実はディットーさんで、マギシグネチャの検証をしたのもディットーさんだ。
「へ、変装とな? しかし、マギシグネチャはしっかりと反応しているではないか! 変装でマギシグネチャまで騙したとでも言うつもりか!」
「ある意味ではその通りです。変装がマギシグネチャを騙したのですよ」
陛下の御前にも関わらず、再びざわつきはじめる議会。
「それではまるで、マギシグネチャに人の意思があるようではないか?」
「はい。その通りです。このマギシグネチャは、マギデバイスに反応して光っているのではありません。デイビッド氏らしき人物に反応して光っているだけなのです」
「そ、そんな事、ありえん! マギシグネチャ自体が偽物だとでも言うつもりか? 確かに見た目だけなら再現する事も可能かもしれんが、警察隊によって署名は確かにマギシグネチャのマギサービスで作られたものに相違ないと確認されておるはずだ」
「ええ、この署名は確かに署名マギサービスで書かれた事は間違いありません。その事については警察隊長も証言してくださるでしょう」
僕が目線を向けると、警察隊長は「間違いございません」と大きく頷く。
「うううむ、わからん! わからんぞ! 一体どうして別人に反応して光った!」
うむうむと考えこんでいる気配を発する王様に、僕から種明かしをする。
「陛下、その種明かしのために、マギデバイスの使用をお許しください」
「う、うむ。苦しゅうない」
陛下の許しがでたので、僕はマギデバイスを取り出して書類に向けて構えると、『とある呪文』を唱える。
「おおっ! 光った! 光ったぞ! なるほど、どうやらデイビッドのマギデバイスでなくても反応する……うむ? しかし、今の呪文は変ではなかったか?」
「ええ、その通りです。なぜなら先ほど使ったのは、マギシグネチャのマギサービスではありません。私が自作したマギなんです」
そして、一本指を立てて言い放つ。
「非常に重大な問題とはこれのことです、陛下。マギシグネチャは、別に特定のマギデバイスでなくても、簡単に光らせる事ができるのです」
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言ってみれば単純な事であった。しかし、単純な事なのに気づきにくいのが盲点と呼ばれるゆえんだ。
そもそも、マギシグネチャは一体どのような手順で検証されて発光しているのか。僕は最初、マギデバイスと署名に含まれる微小な『核』のやりとりは、こうなっていると考えていた。
つまり、マギデバイスが『所有者のマギフィンガープリント』を核に伝えて、核自身が覚えているマギフィンガープリントと一致すれば発光する、という流れだ。
だがスキャナで見た通り、あんな微小な核の中に「近くにあるマギデバイスを判別して」「そのマギデバイスからマギフィンガープリントを受け取って」「マギフィンガープリントを比較して」「発光する」という多種多様な機能を含められるはずがないと考えたのだ。
実際のやりとりは、恐らくこうなっている。
『核』が覚えているマギフィンガープリントを近くにいるマギデバイスに向けて発信し、それを受け取ったマギデバイスが一致確認をした後、正しければ「発光せよ」と核に命令するのだ。
これならば、核が考えるべきなのは「自身のマギフィンガープリントを発信する」「発光する」という単純な二つだけになる。
一致した場合の発光は、核への「発光せよ」という単純なマギランゲージの命令で行われるようになっている。
だがもし、この「発光せよ」という命令を、一致の確認をせずに直接送り出したとしたら? 核の方は一方的に命令されるだけで、検証が行われたかどうかなんて確認のしようがない。つまり有無をいわさず『発光してしまう』。
要するに、核へ「発光せよ」という命令を送るだけで、どのマギデバイスであろうと署名を光らせる事ができてしまうのだ。いちいちマギフィンガープリントの検証なんかしなくっても、一番最後の命令だけ送れば署名は発光させられる。
設計者が意図していない手順で操作する事で、本来行われるはずのない動作が行われてしまう。これこそが『セキュリティホール』と呼ばれるものだ。
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僕の説明を聞いた議員達、警察隊員達は青い顔になって静まり返っている。
王様ですらも一言も発さないままだ。
「これほど単純な問題です。恐らくこれまでも何人かのマギ技術者が発見していたことでしょう。しかし公表はしなかった。なぜなら不敬にあたるから」
脆弱性の報告者問題である。匿名での報告を受け付けるような機関が存在していない故に、脆弱性の報告にリスクやデメリットが発生し、積極的な報告が行われなくなる。
「そして今回のデイビッド氏の一件は、おそらく氷山の一角にすぎません。悪用が繰り返されてきたはずです。発覚しづらいのも、やはりマギシグネチャ検証の正当性を確かめる事が不敬にあたるからでしょう」
「不敬であるがゆえに……大きな不敬を犯す、か。朕が先ほど言った事が、まさか本当に起こっていたとは、笑えんな」
王様の口調に静かな怒りが宿っているのを感じる。
「そうか……では、デイビッドのやつも……ん、いやしかしそうなるとおかしいな。デイビッドが、いや偽物の方か、ええい紛らわしい。そこの者がマギシグネチャを検証した時に光ったのはなぜだ? そこの者が唱えた呪文は、いつものマギサービスのものだったぞ?」
「はい、まさしくその点が次の問題なんですが……恐らくこの議会の中に、タイミングを見計らって遠くから署名を発光させた人物がいます」
そう、それが恐らくオスカーの行なった偽装のカラクリだろう。マギシグネチャを発光させられる事を知ったオスカーは、衆人環視の中でデイビッド氏が告発されるように誘導した。そしてまんまと議会の真ん中で偽装発光を成し遂げてみせたのだ。
ミミックのディットーさんに成り代わってもらったのは、このトリックを逆に利用して罠にはめるためだった。外見がデイビッド氏であれば、マギフィンガープリントの確認などしようのないオスカーは、署名を発光させると踏んだのだ。そしてその策略は見事に成功し、こうしてマギシグネチャの脆弱性は露見した。
もう何度目かわからない波が議会の中をたゆたう。今回は議員だけではない。警察隊の隊員達ですらお互いに顔を見合わせている。議会の中にデイビッド氏を陥れた犯人がいると聞いて、疑心暗鬼になっているようだ。
「うむ、それが道理か……朕の足元の組織にそのようなおぞましい真似を行なう者がいるとは考えとうないが、道理を否定する事はできん。して、それは一体誰だと考えておる? お主のことだ、見当はついているのであろう?」
なぜか王様から謎の信頼を受け始めている。ここでオスカーの名前を出すのは簡単だ。奴は青を通り越して白い顔をして議会の一席で小さくなっている。奴は自分が捕まるはずがないと高をくくって議会に現れていたのだ。
しかし、このままではオスカーを追い詰める証拠が足りていない。根拠もないのに名前を出せば、今度は僕に侮辱罪が適用されるだろう。
あと、もう一歩。その一歩はもうすぐやってくるはずだ。




