032 - hacker.sow(seeds);
「他の幹部の人達のマギフィンガープリントはわからないんですか? もしわかるなら、無理矢理にでも喚び出すという手が使えますが」
「残念ながら私は知らないのだ。やはり登録者としての登録情報を見ない限り、マギフィンガープリントというのはわからない」
「そうですか……」
僕達の前にはマギ・エクスプレス社で使われている、転移マギサービスの根幹であるマギデバイスが置かれている。さすがに重要なマギデバイスだけあって、厳重な金庫の奥にしまわれていたが、社長が取り出して見せてくれたのだ。
なんとかして、僕達の前に立ちはだかったマギデバイスのセキュリティという分厚い壁を迂回できないか検討してみるも、良案はすぐに思いつくものではない。
いつもは助けられているマギデバイスだが、いざ相手にしてみると非常に厄介なものである事がわかる。
マギランゲージでハッキングまがいの事ができないかも考えたが、下手に手を出してデータが消えてしまったりロックが掛かってしまったりしたら、マギ・エクスプレス社の根幹が失われる事になる。いくら人命がかかっているとはいえ、このマギデバイスにはマギ・エクスプレス社の社員たちの生活がかかっているのだ。
「くっ、せっかくここまで来たのに……」
ボスが悔しそうに唇を噛む。ミミックの男を前にしていた時は存在を公表すべきではないかと苦悩していたのに、今度はそのミミックの男を助けるために苦悩している。きっとボスの中では彼が魔物である事はもはや関係ない事実なのだろう。
天敵であるはずの魔物を助けるために、人間たちが知恵を絞っているという状況が不思議だった。それもこれも、シィの人徳のなせる技というべきだろうか。シィに泣きつかれてしまったら助けずにはいられない。
そのシィは僕達のやりとりを不安そうな表情で見ていた。キャロルと寄り添って、目を真っ赤に腫らしている。
「おにいちゃん……おじちゃんは、助けられないの?」
「うん……このマギデバイスから『おじちゃん』のマギフィンガープリントを取り出せれば助けられるかもしれないけど……」
シィの期待に応えられない不甲斐なさが嫌になるが、セキュリティというのは一朝一夕に身につく技術で破れるものではない。
地球でだって普段の生活の根底を支えているのは、こういった地味なセキュリティなんだ。ネットバンキングが当たり前の時代、セキュリティがしっかりとしていなければ安心してお金を預ける事なんてできやしない。
コンピュータのOSだって、セキュリティが考慮されていないOSなんて使い物にならない。マギデバイスのソフトウェアがどうなっているのかは知らないが、中では恐らくOSのようなものが動いているはずだ。
マギデバイスの所有者登録はOSでのユーザー登録に近いはずだ。ユーザーごとに個別の領域があり、複数のユーザーが1台のパソコンで作業できるようになっている。
複数人の同意がなくては使えないというのは多少変わっているが、『権限』の一種だろう。個人がパソコンでよく使っている窓型のグラフィカルなOSよりも、システムやウェブサイトの内部でよく使われるコマンド型のOSに近いのかもしれない。
権限とはコンピュータ用語で『パーミッション』とも呼ばれ、コマンド型のOSではファイルやフォルダに設定できる属性の一つだ。読み取り、書き込み、実行という操作それぞれについて異なる権限を設定できる。
例えば、特定のファイルは他のユーザーからの読み書きを許して共有状態にしつつ、一方で別のファイルは他のユーザーからの読み書きは一切禁止にする、という事ができるのだ。ユーザー単位だけでなく、グループ単位の設定もできる。マギデバイスでも恐らく似たような仕組みがあるのではないか。
今、僕達がやろうとしているのは、社長のユーザー権限だけでは読む事のできないファイルを、無理矢理に読もうとしているという事だ。こんな事がもし許されたら、OSの基本的なセキュリティが破綻している事になるので、通常はありえない。
しかし、そのセキュリティは思わぬ形で突破される事になった。
それも、マギデバイスOSの正規の手段によって。
//----
「うーん、そのマギデバイスの、中身が見られればいいの?」
シィがくりくりとした大きな眼で僕を見上げる。父親から渡されたマギデバイスを器用に使いこなしてみせる割には、マギフィンガープリントの仕組み自体はよくわかっていないようだ。だが、しっかりと要点は理解してみせるのがシィらしいところである。
僕が頷いてみせると「そっか」とうんうんと一緒に頷いてみせる。そして、笑顔になって明るい声で僕に提案してみせる。
「あのね、それじゃあ、シィが開けてあげる!」
「えっ?」
開けるとは一体何を、と聞く前にシィはマギ・エクスプレス社の基幹マギデバイスの前にトテトテと歩き、両手を掲げてみせた。まるで天に祈りを捧げるように天上を仰ぎ見て、シィの綺麗な金髪がたなびく。
「【スー・ドゥー・ファイル・オープン!】」
シィが不思議な呪文を唱えると、それは劇的な変化をもたらした。
これまで反応がなかったはずの基幹マギデバイスが、突如としてまばゆい白い光に包まれて輝きはじめたのだ。そして、何もしていないのにおなじみの四角いスクリーンが中空に現れる。
『リーディング・ファイル・アズ・アドミニストレータ』
そう題されたスクリーンには、これまで僕達が見ようと頭をひねっていたマギ・エクスプレス社の登録者情報が羅列されている。そこには当然、マギフィンガープリントも記載されていた。
「シ、シィちゃん? これは一体なんなんだい?」
「えーとねー、あのね、シィには『かんりしゃけんげん』っていうのがあるんだって、おとーさん言ってたんだよ?」
「かんりしゃけんげん?」
「うん! あのねー、ほかの人のマギデバイスでも、つかえちゃうんだって!」
その言葉に僕は口を大きく開けて唖然とする。まさか、そんな権限があったとは。いや、地球のコマンド型OSに近いというのであれば、当然考えつくべき可能性だった。
ファイルやフォルダごとに設定できるパーミッションで、他人による読み書きを一切禁止できると書いたが、それには一つ例外が存在する。
それが『管理者』と呼ばれる存在だ。
管理者、別名でadminやrootと呼ばれるそのユーザーは、コンピュータ上のファイルやフォルダがどんなパーミッションに設定されていようと、問答無用で読み書きする事ができる。
コンピュータに関わるあらゆる事ができるので管理者と呼ばれるわけだが、当然その大きすぎる権限はトラブルの元でもある。
コンピュータウィルスが侵入してきた時、この管理者権限を狙うウィルスも多い。なにせ一度権限の奪取に成功すれば、一切の操作を拒むことすら可能になるのだ。もちろん実際にはそんなあからさまな事はせず、こっそりと裏口を仕込んだりするのだが。
シィの言っている『かんりしゃけんげん』は、あきらかにこの管理者権限の事を指している。マギデバイスにも管理者が存在していたのだ。しかも、シィの父親はこの管理者権限を他者に与える事すら可能である。
僕達はマギデバイスを複製して使っているわけだが、実はそのマギデバイスは誰かの管理の元にあった。言われてみれば、内部構造がブラックボックスになっているなど、明らかにユーザーを『全面的には信頼していない』形で作られている。
フールプルーフという考え方があるが、まさにそれに近い。『ユーザーはミスをするもの』という前提に立って、ミスをしたとしても危険がないようにしておく設計手法のことだ。フールとは愚か者、プルーフとは耐性を表すので『愚か者でも安全』という意味の言葉である。
マギデバイスの大部分の機能は開放されているが、管理者権限やブラックボックスなどの肝心な部分は隠しておき使わせないというのは理にかなっている反面、上級者のユーザーにとっては焦れったく感じる面でもある。
さらに管理者権限を他者に預けているというのは、シィが実演してみせた通り、金庫の鍵を無条件で渡しているようなものだ。本当の秘匿すべき情報や重要なシステムにマギデバイスを使うのは危険だとも思えた。
「ねー、おにーちゃん? これでおじちゃんは助かる?」
自分が今やってみせた事が、どれほどこの異世界の社会に影響を与えるのか理解していないシィは、無邪気な様子で僕に問いかける。それも仕方ないだろう。どちらかというとこんな幼い子に管理者権限を与える『おとーさん』を問い詰めたいが、今はそんなおとーさんに感謝しなければならない。
「やってみるよ。ちょっと待っててね」
シィが管理者権限を行使する場面を目撃したボスや社長、そして社長の息子である青年も、今見たものを理解できないのか目を白黒とさせている。
僕は開かれたファイルからミミックの男の名前を探しだし、そのマギフィンガープリントをピックアップする。長大な数字であるため、いちいち手で入力していては面倒だ。基幹マギデバイスを操作して別に開いたエディタースクリーンへとコピーし、それを僕のマギデバイスに転送するように設定する。
マギデバイス間のやりとりというのは、ファイルの転送に近い。マギデバイスをくっつけるとマギフィンガープリントを知らせる事ができるのは、マギフィンガープリントが書かれているファイルを送っているようなものなのだ。
しかしあくまでも接触による転送だけなので、メールの代わりにはならない。メールの開発を急がなくてはならないだろう。
転送されてきたマギフィンガープリントを元に、急いで相手を『喚び寄せる』マギを組み立てる。といってもパラメータを変えるだけなので、それもすぐに終わった。
「では、喚び出します……【ラン】」
//----
喚び出されたミミックの男は憔悴していたものの、怪我もなく命に別状はない状態だった。社長が念のために病院へと運ぼうかと提案したが、ミミックの男は慌てて断った。さすがに病院では魔物だとバレる恐れがあるからだろう。
どこに飛ばされたのかと思えば、見たこともない草原が延々と広がる場所だったらしい。歩いても歩いても何もなく、飛ばされた時点で夜だったはずなのに頭上には煌々と照らす太陽が輝いていた。
くたびれて休憩していたところで、いきなり僕のマギによって戻されたらしい。男は僕達が自分を助けるために奔走してくれたことに感涙し、何度も何度も深い感謝を告げてきた。シィにも「助けてくれてありがとう」と深々とお辞儀してみせると、シィは「また『どうわ』きかせてね!」と笑顔で返した。
一方、社長の息子であるが、社長の考えもあって通報することになった。懸念点としてシィの管理者権限の事をペラペラと吹聴しないかという心配があったのだが、彼自身も何が起きたのかよく理解しておらず、それよりも父から叱られたショックが大きかったらしい。
今まで表で良い子を演じ続けた彼は、父親に叱られるという経験がほとんどと言っていいほどなかったという。それだけに、父親も子どもに対する信頼を厚くしていたのだが、それがかえって非行に走る原因になったのは報われない話だ。
その社長も今回の件の責任をとり、引退を表明するらしい。せっかくマギ・エクスプレス社のトップとのつながりが出来たのに惜しかったが、社長は息子の悪行を暴いてくれた僕達に非常に感謝しているらしく、後任との伝手をとってくれると言う。むしろ、恨まれても仕方がないと考えていたのだが、責任感が非常に強い人物のようだ。
シィの件についても口外はしないと確約してくれた。同時に僕オリジナルの『転移マギ』の存在についても黙ってくれるとは言ってくれたのだが、僕はそれに対してこう答えた。
「どうせなら、転移のマギを共同研究しませんか?」
「共同研究……? それはつまり、お互いのマギを見せ合って研究しあうという事かね?」
「それももちろんですが、それだけではなく、有益な発見や研究成果を共有するんです。もちろん、どちらかが一方的に損をしないような調整は必要でしょうが、僕達は転移マギをマギサービスとして提供するつもりはありませんので、転移マギに関しては色々と提供できると思います」
この点についてはボスにも了承を得てある。今から転移をマギサービスとして提供しても、できあがっているマギ・エクスプレス社の物流網には対抗できないし、横のつながりというものもあるだろう。
マギサービスで人々の生活をより便利にしたいという目標はあるが、それはマギ・エクスプレス社のような企業を潰してまでも行なうべきではないと考えている。
それよりも、存在していなかった新たな価値やサービスを提供していくほうが、はるかに人類にとって役立つだろうという確信があるからだ。
「しかし、君の作った転移マギは正直な話、我々のマギサービスよりも優秀だろう。三十年もやってきて悔しい話ではあるが、それは素直に認めなくてはならない。共同研究という事は、その転移マギを我々がサービスに転用する可能性もあるが……」
「構いませんよ。だって、その方が便利でしょう?」
僕がしれっと答えると、社長は目を丸くして、次には大声で笑い始めた。
「ふっ……はっはっは!! なるほど、その方が便利だからか! 確かにその通りだな! そうだ、そうだったな……私がマギ・エクスプレスを始めた時も、転移マギが便利だと思ったから、皆に使ってもらいたい一心で始めたんだ……」
社長は過去を思い出しているのか、ここまでの道のりを思い返しているのか、目を閉じて感慨に浸っている。
「うむ、わかった。引退する以上は確約できないが、後任の責任者にもしっかりと社の利益になる事を説明して提案してみよう。申し訳ないが、それで良いだろうか」
「はい、ありがとうございます!」
この異世界に来てまだ二週間ほどだが、また夢に向けて一歩前進できた気がする。共同研究を通じて少しずつ『新しいものを創りだす面白さ』を伝えられればいい。それがきっと、新たな豊かさの芽になるのだから。




