016 - hacker.spacewalk();
「これで良し、と」
スクリーンから壁の設定に「許可:白石番兵」を双方向で付け加えた。特定の個人を指定できるかは疑問だったが、案ずるより産むが易しだ。どうやって個人を特定しているのかはわからないが、恐らくマギデバイスの所有者認識と似たような仕組みなのかもしれない。
などと考えていると、僕のズボンの裾をくいくいと引っ張る存在がいた。黒犬のバレットだ。いや、狼だったかな? 裾を食わえて「クゥン」と鳴きながら引っ張っている。小柄なのに力が強い。
「ん? どうしたバレット?」
「クゥーン」
何を言いたいのかわからずに困惑していると、横からボスが口を挟んだ。
「連れていってほしいんじゃないのか?」
「ガウッ!」
その通り、とでも言うように一鳴きするバレット。まだまだ意思の疎通ができていないな。これでは飼い主失格だ。それにしても、こんなかわいいバレットを危険な場所に連れていくのは気がひける。
「うーん、でも、いくら魔物とはいえ小さいバレットじゃ危ないぞ?」
「クゥーン……」
「はぁ……バンペイ、バレットを元の大きさに戻してやればいいだろう」
「あ、そういえば、バレットって元々は大きかったんでしたね。僕が小さくしたのに、今の姿があまりにもしっくりきていて忘れていました」
早速バレットを大きくしようとマギデバイスを取り出すが、ボスから待ったがかかる。この場で大きくするとブライさんの部下達が驚くからやめておけ、との忠告だ。バレットは黒死狼と呼ばれて恐れられる魔物で、いきなり近くに現れたら生きた気がしないとのこと。確かに言われてみればその通りなので、壁の内側に入ってから大きくする事にする。
壁の設定に「許可:バレット」を追加する。魔物の個体ですら指定できる事に、もはや何でもありなのではないかと疑う。
バレットの足の速さがあれば危なくなった時に逃げる事もできる。魔物だから新たに魔核に侵される心配もない。頼れる味方だ。
「それでは、そろそろ行ってきます」
「うむ。先ほど言った事を忘れるなよ。危なくなったら逃げてこい」
「はい、わかっています」
「バンペイ君、こんな時に言うべき事ではないかもしれないけど、君に一つ、商人の間に古くから伝わる言葉を贈ろうと思う。『自分の命で商売することなかれ』だ。この言葉を忘れた商人が、自分の命を安売りして破滅するのを何人も目にしてきた。君も気をつけてくれ」
「ええ、ありがとうございます」
「あのね、おにーちゃん。あぶないから、『まかく』とるのシィもついてく?」
「ダメだよシィちゃん。お父さんに危ないからダメだって言われてたんだろう? 僕は大丈夫だから、シィちゃんはここでみんなとお留守番しててほしいな。シィちゃんはちゃんとお留守番できるかな?」
「うんっ! できるもん!」
ボスとブライさんとシィに見送られて、僕とバレットはついに透明だった壁を通り抜けて内側へと立ち入った。
//----
壁の内側に入ると、まず壁の外側の様子が一切わからなくなった事に気がついた。上を見上げれば先ほどと変わらない青い空が見えるが、地上は壁を境界線にしてすっぽりと消えてしまっている。地面が途切れていて、周囲が崖になっているかのようだ。崖の下は見通す事ができない闇。
周囲を伺いながら、閉じ込められている商隊の元へと向かう。相変わらず焚き火の周りで横になっていたり、ぼーっと座っていたり、CPUに例えるならアイドル状態といった様子だ。まだ僕の存在には気がついていない。
「おーい!」
近づきながら声を掛けてみると、反応は劇的だった。無気力に座っていた人がバッと立ち上がりキョロキョロと辺りを見回す。そして、僕とバレットの姿が目に入ると、最初は信じられないという愕然とした表情、次に希望を見つけたような興奮した表情へと綺麗なフェードインを描く。
「おい! みんな起きろ! 助けが来たぞ!」
「なんだって!?」
「……幻覚じゃないのか……?」
信じられないのかのろのろと顔を上げる人達も、僕達の姿を認めると同じように狂喜して立ち上がる。しかし、反応がなく横になったまま動かない者もいた。立ち上がった人達は駆け出して僕にすがるように掴みかかってくる。
「ど、どこから入ってきたんだ!? どこから出られる!?」
「助けて、助けてくれ! いきなり閉じ込められて、ここから出られないんだ!」
「ちょ、ちょっと、待って下さい。落ち着いてください。こ、ここからは出られます。ですが、その前にやらなくてはいけない事があるんです」
「もう限界なんだ! ここから出たくても周りは崖だし、変な壁があって出られないし、マギサービスも効かないし!」
「あそこに寝ている奴なんか、数日前から熱が出始めて動けなくなってる! 食料も水も限りがあるんだ!」
人々は泡を飛ばしながら矢継ぎ早に言葉を浴びせてくる。とりあえず、何とか落ち着かせなくては話もできないが、うまく言葉がでてこない。
「ガウッ! ガウガウッ!」
どうしようか思案していると、バレットが吠えながら人々の足元を走り回った。おかげで興奮していた人達は「い、犬っ!?」「うわっ!」とバレットに注意を逸し、バレットが吠えるのをやめて座ると、水を浴びせられたように静まった。
「大丈夫です、落ち着いてください。ブライさんも一緒に来ています。すぐに出られますから、少しだけ話を聞いてください」
「あ、ああ、わかった。それで、話とは何なんだ?」
集団の中からまとめ役らしき男性が尋ねてくる。
「実はあの寝ている方は流行り病にかかっている可能性があります。この壁はこれ以上の病の拡大を防ぐために設けられたようです」
「な、なんだって? しかし、一体誰がそんな事を……」
「と、とにかく、あなた達も病気にかかっている可能性がありますから、念のために確認させてください。外に出るためには病気を治療しなくてはなりません」
「む……むう、わかった。そういう事なら仕方ない」
さすがにシィの事や魔物の事を話して、これ以上の混乱を喚ぶわけにはいかないので、何とか無理矢理に押し切った。
とはいえ、スクリーンに表示されていた「状態:感染」の人物は把握している。僕は一応マギデバイスを取り出して、診断するふりをしながら容姿と名前を確認していく。感染者は一名だけだが、この集団の中に該当する人物はいなさそうだ。やはり、まだ横になったままの男性が感染者に違いない。
「よかった、みなさんへの感染は見られないようです。不幸中の幸いか、あそこに寝ている彼だけが感染者のようですね」
僕の言葉に胸をなでおろす面々。
「では、みなさんは僕が誘導して外へお連れします。あそこに寝ている方は治療後にお連れしますので、みなさんは先に外へと出ていてください」
「あ、ああ、わかった。よろしく頼む」
これで他の人達は隔離できる。あとは魔物、いや魔核退治といくか。
//----
一旦彼らを誘導して壁の外へ送り届けた。壁の設定で一人一人の名前を追加していったのだ。彼らはブライさんの姿を見ると、ようやく安心したのか泣き崩れて助けに来てくれた事に対する感謝を述べた。
それを横目に僕は一人、いや一人と一匹で中に戻り、寝ている人物の元へと向かう。途中でバレットの大きさを元に戻すのも忘れてはいない。半日ぶりに大きくなったバレットは、大きくなっても相変わらず愛くるしい。
寝ている彼は顔色が悪く、額には汗が浮かんでいる。魔核の侵入に身体の免疫系が抵抗して発熱しているのだろう。まさしく風邪にかかったのと同じ状態だ。
意識がないようなので、手早く彼の上着を脱がせると下着のシャツに手をかける。はたから見られると勘違いされる事請け合いだが、医療行為の一環として見逃してほしい。
「う、うう……」
「大丈夫ですか? 起きられますか?」
「うう、ううう……」
朦朧としているのか、高負荷でダウンしてしまったサイトのように返事が返ってこない。ステータスコード503、一時的な応答不可だ。さっさと高負荷の原因となっているバグを取り除かなくてはならない。それこそがプログラマの仕事だ。
シャツをめくりあげると、胸の真ん中にポツリと黒い点が見える。ボスに事前に聞いていたとおり、魔核が感染した動物に現れる特徴に合致している。この黒い点が魔核で、潜伏状態だとおよそ数ミリから数センチほどの大きさだ。
潜伏中にも関わらず体外に露出している理由はわかっていないが、恐らく空気が必要なのではないかと推測されている。
これらは全てボスが教えてくれた事だ。ボスは妙に魔物に詳しい気がするが、どこかで勉強した事があるのだろうか?
マギデバイスを取り出して黒い点に指し向けると、組み上げておいたコードを実行した。
僕が組んだコードは、魔核を体内から隔離して安全に摘出するためのものである。マギランゲージで魔核に直接『命令』を送り出す事も考えたが、恐らくそれに反応して『抵抗』が始まってしまう可能性が高い。
そこで、魔核の周囲にチタンによる『壁』を作り出して、これ以上宿主に影響を与えないように隔離したのち、安全に摘出しようと考えたのだ。医師免許のない医療行為だが、世界が違うという事で許してほしい。
ちなみにチタンというのは金属アレルギー反応が出づらく、体内に埋め込んでも影響の少ない金属だと知られている。以前、父親が歯医者のインプラント治療を受ける時にチタンを利用したのを覚えている。水を集めた時の要領で、地面の下から集める事ができた。
【ラン】を受けて動き出したチタンの小さな塊は、するすると細くなると魔核の近くへと潜りこむ。潜り込んだチタンは体内に潜伏している魔核を覆っていき、徐々に閉じ込めるのだ。
これがうまくいけば、魔核の『抵抗』もなくすんなりと助けられるかもしれないと期待を持っている。
そんな僕の淡い期待は、黒い魔核が突然赤く光りはじめた事によって裏切られた。なんだか僕が立てたフラグはことごとく裏目を行っている気がする。
赤く光った魔核は、取り囲もうとするチタンに抵抗するようにぶるぶると蠕動して徐々に大きくなりはじめている気がする。
様子を見ていたバレットが歯をむき出して唸り声をあげている。どうやら、本格的に魔核の抵抗が始まってしまったらしい。こうなればもう、あとは野となれ山となれ、魔物を押さえ込んで無理矢理にでも魔核を取り出すほかない。
懸念されるのは、魔核が人間に取り憑いた例がないことだ。どうなるのか、どのような魔物になるのか予想がつかない。そして、そんな僕の嫌な予感はよく当たる。
どちらかと言えば細身だった商人は、全身が魔核から染みだした黒い粘着性の物質に覆われて、ブクブクと膨れ上がるように肥大化していく。本当に魔核を摘出すれば元通りになるのか心配になる。
それをぼんやり見ているわけもなく、マギデバイスを構えてマギを実行する。まずは動きを止めるために拘束しなくてはならない。
「【コール・バインド・10ミニッツ】」
地面が隆起してムチのようにしなり、横になっている男性の手足を締め付ける。そして徐々に硬化していく。地面の中の炭素と鉄分を集めているので、鉄の腕輪と足輪を付けられたようなものだ。力自慢でも抵抗できない。
「なっ……!?」
しかし、そこで予想だにしていない事態が起こる。
魔核から染み出した黒い物質が形成した拘束具に触れると、まるで腐食したかのようにじわりと黒くなり、ボロボロと崩れ落ちてしまったのだ。
「これは……一体?」
何度か拘束のマギを繰り出すも同じ結果に終わる。そして、肥大化が終わったらしくギシギシと音を立てて身体が動き始めた。バレットの唸り声が大きくなる。
僕は舌打ちをして仕方なく魔物から距離を取った。
//----
立ち上がった魔物は全身が黒くテカテカとしていた。人の形を少し残しているが、頭からは細長い触覚らしきものが生えており、顔に当たる部分には無機質に黒く光る目が二対。白目がなくトンボの複眼のようになっている。背中からは薄い羽が生えている。
まるで家庭の台所にいる害虫のような姿に、虫が苦手な僕は尻込みしてしまう。
「こうなれば、申し訳ないけど拘束はあきらめて一時的に気絶してもらうしかないか……黒い表皮がある程度分厚いとすると……【コール・スタンガン・500サウザンドボルト】!」
五十万ボルトの高電圧だが、アンペア数は低く設定してある。それでも、人間なら厚い上着を貫通して気絶してしまうほどの威力はあるはずだ。
マギデバイスの先端から火花が散り、青い閃光が走り抜ける。バレットに放った時にも聞いたバチチチッという甲高い音が鳴り響いた。
「ギッ!」
「なっ! 避けた!?」
魔物は素早くステップを踏んで空中に跳躍し、マギデバイスの先端から放出された電流を回避した。まさかここまで早く動けるとは想定していなかった。
「まずい!」
魔物の羽がブブブ……と低い音を鳴らしながら振動して動き出し、空中にいた魔物は大きくカーブするとこちらへ真っ直ぐにつっこんできた。
慌ててマギデバイスを向けて再度スタンガンを放とうとするが、こちらのモーションを見て細かく軌道修正しながら前進してくる。完全に攻撃を読まれてしまっている。知能もなかなか高そうだ。
「ガウッ!」
待機していたバレットが僕をかばうように割り込み、鋭い爪を振り上げて魔物へと攻撃する。バレットもスピードでは負けていない。災厄の魔物、黒死狼の名誉挽回だ。
黒い魔物もバレットの爪を急激な方向転換でかわすと、バレットへと攻撃のターゲットを変えて肥大化した腕を振り回している。二者の間で激しい応酬が繰り返されるが、どちらの攻撃も相手に当たらない。
バレットが時間を稼いでくれている間に対策を考えなくてはならない。素早い相手にも当てる事ができ、なおかつ黒い表皮に触れないような攻撃だ。
「……やつの外見は昆虫に似ている。もしかしたら、弱点も同じかもしれない」
昆虫の弱点といえば、一つは火気だろう。しかし複眼のせいか、バレットと戦闘しているにも関わらず、こちらがマギデバイスを向けただけで回避行動に移ろうとする。これでは炎をぶつけるのは難しい。
「形のないもの……避けようがないもの……そうか」
僕は【オープン・エディター】と唱えてスクリーンを開くと、急いで思いついたマギランゲージのコードを書き込んでいく。
かつてないほどの集中力を発揮してゾーンに入り、バレットと魔物がやりあう音すら彼方へと消失した。
//----
無音の世界。
暗闇の世界。
僕は宇宙の中心にいる。
星を集めて、言葉をつなげ、星座を作り、コードを描く。
今この瞬間だけ、僕は宇宙をこの手の上に載せている。
光よりも速く、宇宙の端から端までを自由に行き来する。
宇宙を泳ぐように、魔法の海へと潜り込む。
深くて暗い海の底には、たくさんの宝物が置かれている。
息の続く限り精一杯に手を伸ばし、一つずつ宝物を拾い上げる。
この綺麗な宝物は、誰が置いたんだろう?
答えはいまだわからない。きっとお茶目で悪戯好きだ。
いつしかピンが届いたならば、楽しいポンが返るだろう。
今はただ、その時を待ち続ける。
//----
楽しい宇宙遊泳はすぐに終わりを告げた。
なぜなら、書き終わったコードが手元にあるからだ。
「熱いのがダメなら、冷たくすればいい。【ラン】!」
スクリーンが光り、書き終えたばかりのコードが熱を持って動き出す。
途端に、辺り一面にキラキラとまばゆい光があふれだした。
「本当に、宇宙にいるみたいだ」
まだ終わっていないのに、少し楽しくなる。思わずニヤついてしまう。
僕が書いたコードは周囲の気温をいっぺんに下げていくもの。0度を通り越して一気に氷点下へと落ち込んでいく。
辺りに漂うキラキラとした光は、大気中の水分が一気に固体へと昇華した事で起こるダイアモンドダストという現象だ。まさに、氷の世界と呼ぶにふさわしい光景になった。
「ギッ! ギギギギッ!」
昆虫型の魔物は急激に冷えた気温に、動きが段々と緩慢になっていく。ついにバレットの振るう爪がヒットして、空から地面へと叩きつけられた。
魔物があげる苦痛の声はやはり昆虫を連想させた。セミのようにやかましく耳に障る音と、コオロギのような高周波な音が組み合わさった独特の声だ。
「これで終わりにしよう。【コール・スタンガン・500サウザンドボルト】」
五十万ボルトの電流が途切れた時そこにあったのは、気絶して倒れ伏しピクピクと痙攣している魔物の姿と、漂う刺激的なオゾン臭だけだった。




