014 - hacker.hack(wall);
透明の壁は明らかにマギに関する力で動いている。
物理的な手段が一切通用しないならば、マギでどうにかするしかない。しかし、試行したマギランゲージでの命令は何らかの制約によって上手くいかなかった。マギデバイスで指し示しても動作しない。となると、それ以外のマギ的な手段で干渉する必要がある。
「【オープン・エディター】」
僕は思いついた事を実行するために呪文を唱え、マギデバイスのスクリーンを呼び出した。そもそもの発想は、ブライさんが何気なく言った「何か伝えたい」という言葉だ。人に何かを伝えるのは様々な方法があるが、代表的なのは「声」と「文字」だろう。
この内、「声」は内側に届かない事がわかっている。しかし「文字」ならばどうか。
目の前にスクリーンと呼ばれる白い板が現れる。
考えれば考えるほど、このスクリーンというのは不可解な存在だ。重さを感じさせず空中に浮かび、文字をマギデバイスで書き込むと文字認識したように整形される。マギランゲージを書き込めば実行できるし、書いたコードを保存する事もできる。
そして、極めつけは先ほどの「エラー表示」だ。
僕にはこのスクリーンがマギデバイスやマギランゲージを作った誰かのための『開発環境』のように思えるのだ。
開発環境、つまり何かを開発するための環境。環境とはコードを書き込むためのエディタに始まり、コードを書いて実行するために必要な様々なソフト、動かしたコードをテストするためのソフト、他にもマニュアルやドキュメントを書いたり、コードを動かすOSやマシンそのものを指してそう呼ぶ事もある。
要するに開発に必要な様々なモノをひっくるめてそう呼ぶ。マギデバイスを作った誰かだって、マギデバイスやマギランゲージの開発には開発環境が必要だったはずだ。
開発環境を作るためにその開発環境を利用するというと矛盾しているようだが、実はソフトウェアの世界ではそんなに珍しい事ではない。世界で広く使われているオープンソースのOSやプログラミング言語の実行環境は、この手法で作られている事も多い。
具体的には最初にごく単純な環境を別の手段で用意して、あとはその環境を環境自身の手によって徐々に育てていくのだ。
そう、まるで人類が人類自身の手によって徐々に発展してきたように。
僕は何も書かれていないスクリーンを手に取ると、そのまま透明の壁に貼り付けた。すると、どうやら僕の予想は的中したらしい。
「……これは!?」
横で様子を見ていたブライさんが驚きの声を上げる。マギランゲージを知らないブライさんでもわかるほどの劇的な変化が現れたのだ。
真っ白だったスクリーン上には、今や様々な情報が表示されていた。全てがマギランゲージで使われる文字で書かれているが、例えば『壁内に存在する人間たち』の情報がある。名前や生年月日、年齢、容姿の特徴、身長、体重。ただし、日付や身長体重は使われている暦や単位が異なるのか具体的にはわからない。
また、よく分からない項目もいくつかあった。「ID」のところには長大な数字が書かれているし、「ステータス」のところには「ノーマル」や「インフェクテッド」といった文字や刻々と変化する数字が踊っている。
マギランゲージの読めないブライさんに書かれている内容を伝えると目を丸くしていた。壁の中にいる人達の名前や容姿の特徴を読み上げると、まさしくその通りだと何度も頷いた。
そして、僕にとってはもっと目を引く情報があった。
スクリーン内はいくつかの『窓』によって分けられているのだが、その中の一つに「ファイヤーウォール・ポリシー」と題されたものがあった。そこには「マギ・プロテクション」や「トランスペアレンシー」、「インバウンド」、「アウトバウンド」といった言葉が並んでいる。
それぞれを訳すならば、「防火壁の設定」「マギの保護」「透明度」「内向き」「外向き」という意味になる。明らかに例の透明の壁に関する内容だ。もしかしてこの設定を変える事ができたら、壁に出入りする事ができるようになるのではないか。
期待感を持ちながら、設定を変える方法がないかどうか探る。スクリーンに指で触れてみても、いつものほんのり暖かい感触が返ってくるだけで何の反応もない。そういえば、文字を入力する時はマギデバイスを使っていたんだった。
慌ててマギデバイスを取り出してスクリーン上の「透明度」という項目をいじってみる。今度は反応があり、透明度の横に書かれていた100という数値を変化させる事ができた。100より上には増えないようなので、数値を下げて50にしてみる。
「バ、バンペイ! 見ろ! 壁に色がついたぞ!」
ボスの驚いた声が耳に届いた。スクリーンから顔を上げて見てみると、透明の壁は透明ではなくなっていた。白い色で彩られ、散々悩まされた壁がそこに存在する事がわかるようになった。いや、完全に真っ白ではなく、よく見ると壁の向こうの風景も相変わらず透けて見える。半透明というやつだ。
ブライさんや周囲の人達も、透明だった壁に突如として色がついた事に驚きざわめいている。そして原因だと思われる僕に視線が集まる。
「大丈夫です。どうやら、このスクリーンを通して壁に干渉できるみたいです」
「おお! さすがはバンペイだ! 相変わらず意味不明な理解力だな!」
もはやボスからの評価は覆しようがないのだろうか。足元にいたバレットが慰めるように僕の手をペロペロと舐めてくれる。やっぱりバレットは賢いなぁ。なでなで。
気を取り直して、透明度を変更できた事に気を良くした僕は、いよいよ本題の設定にとりかかる事にする。「内向き」「外向き」という設定項目だ。
その横には数値ではなく、「禁止」「許可」と書かれたいくつかの項目のリストが存在している。外向きのリストの先頭には「禁止:全て」と書かれていて、その下に「許可:自然光」「許可:空気」「禁止:空気の振動」と並んでいる。内向きもほぼ同様だがリストの末尾に「禁止:大気以外による反射光」の項目がある。
これは要するに壁を通過できるものとできないものを定めているに違いない。「禁止」が通過できないもので、「許可」が通過できるものだ。空気が通らないと息ができなくなるし、光が通らないと真っ暗になり、中の様子を見る事もできないからだ。
しかし空気の振動の出入りが禁止されているので、『音』や『声』は届かない。また、大気以外による反射光の通過が中から外への片方向だけ許可されているので、外から中の様子を伺う事はできるが、中から外の様子は見えないのだろう。
先頭に「禁止:全て」というのがあるのは、まず最初に何も通れないようにしておいてから、通れるものを一つずつ例外として挙げるという設定方法を採っているからだろう。これによって人間やマギで作った塗料などは通れないようになっている。こういう設定方法は『ホワイトリスト』と呼ばれる。
反対に、最初に全てを通れるようにしてから一つ一つ通れないものを決めていく方法は『ブラックリスト』だ。
通過する物を厳しく取り締まりたい場合はホワイトリストを採用するのが一般的だ。ブラックリストだと抜けが出る事が多い。未知の物体の通過を禁止する事ができないからだ。
しかし、ホワイトリストは「完全な白以外は通さない」事になるため融通が効かないという問題もある。よって、法律や空港の税関ではブラックリスト方式が採用されている。何事も適材適所というわけだ。
つまり、僕達が壁を通れるようになるには、これらのリストに「許可:人間」を追加できればいいはずだ。
僕はマギデバイスを手にして、リストに手を加えようとした。
「だめぇぇぇぇ!!」
そして、ドンと衝撃を受けて吹っ飛ばされた。
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「あたた……な、なんだ?」
突然吹き飛ばされて尻もちをついた僕は、お尻を押さえながら立ち上がる。幸いといっていいのか別に怪我をしたわけでもなく、痛いのはお尻だけだ。
「だーめーなーのー!」
そこには、手を腰に当ててプンプンと頬を膨らませた幼女がいた。いや、正確には宙に浮かんでいる。
腰まで伸びた金髪をひるがえし、蒼い瞳が僕をギロリとにらみつけ、白いフワフワとしたワンピースを身に着けている。五歳児くらいだろうか。僕の目線より高く浮かんでいるためパンツが見えそうになっているが、僕には断じて小児性愛の気はない。
「何がダメなの?」
出来るだけ穏やかな声を作って尋ねてみる。いくらコミュ障の僕といえ、このぐらいの歳の幼児に怯えたりはしない。
「とおっちゃ、めっ! あぶないの!」
どうやらこの子は僕が壁を通るために設定に手を加えようとした事に気がついているようだ。そして、壁の中に入る事が危険だと警告しているらしい。
「うーん、でもね、僕達は中の人達を助けたいんだよ。何が危ないのかな?」
「え? んーと、んーと……あのねー、がおーってなっちゃうんだよ! そしたら、みんながおーってなっちゃうの!」
わけがわからないよ。
五歳児の文法と語彙を理解できるほどのコミュ力が僕にあるわけがない。
話を聞いてますます混乱する僕に救いの手を差し伸べるように、見かねたボスが横から助け舟を出してくれた。
「バンペイ、ここは私に任せてくれ」
「え、ええ……お願いします」
早々にギブアップ宣言して、ボスに相手を譲る。ボスは浮かんでいる幼女と目線を合わせると、柔らかく微笑みかけた。
「やあ、私はルビィ。君の名前は?」
「あのねー、えへへ、シィはシィなの!」
「ほうそうか。君はシィと言うんだな」
どうやら幼女の名前はシィというらしい。意外な事に、ボスは子供の扱いに慣れているようだ。いや、僕を子供扱いしていたのだから意外でもないか。ボスは手慣れた誘導によって、シィからするすると情報を引き出していく。
「それで、『がおー』とは何だろうか?」
「んーと、がおーはがおーだよ。みんなをたべちゃうの! こわいの!」
「ふむ……がおーに食べられてしまうのか。それはこわいな」
「うん! こわいでしょー!」
こわいがおーの話なのに、なぜかシィはニコニコと自慢気にしている。
それにしても、人を食べる『がおー』の正体には心当たりがある。自然、僕の視線は足元に座っているバレットへと向かう。僕がシィに吹き飛ばされた時は、すぐに近寄ってきて頬をペロペロと舐めてくれた。
ボスも僕と同様の推論に至ったらしい。バレットを見ながらシィとの話を続ける。
「がおーというのは魔物の事かな?」
「うんっ! そうだよー! まもの? だよー!」
「それで、がおーになっちゃう、というのは、何が『がおーになってしまう』のだ?」
「えーとねー、わかんない!」
「……そうか」
支離滅裂だが、ニコニコしているシィを見ていると、わからないなら仕方ないなという気になってくる。根気よくシィとやりとりを続けるボスは笑顔を崩さない。
『がおーになる』という事は『魔物になる』という事だから、動物が魔物になる事を言っているのだろう。魔物とは動物に魔核が与えられる事で生まれてくるものだと本で読んだ。
シィは魔物が生まれる兆候があって危険だと警告しているのかもしれない。危険なはずのこわいがおーは足元であくびをしているが。
「それで、その『がおー』はどこにいるのだ?」
「あそこー!」
そう言ってシィが指差した方向は、壁の内側だった。
その小さな指の先には、閉じ込められた商隊の馬車が停められていて、相変わらず商人達が焚き火の周りで横になっている。
そうか、そういう事か。
商隊を見て僕と同じように気がついたのであろうボスが、何度か頷いてシィに確認する。
「あそこにいる『がおー』とは、馬のことだな?」
そう。壁の中にいる動物といえば、馬車を牽いている馬しかいない。
「え? ちがうよー! おうまさんじゃないもん!」
だから、シィのその答えに僕達は愕然となった。
「がおーはあそこでねてるもん! もうすぐがおーになるんだもん!」




