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本日二話目です。ご注意ください。
「がう、がう」
僕の足元で小さくなったバレットがじゃれついている。先ほど現れた狼の魔物に名前を付けてあげたのだ。ボスによると黒死狼という名で人々に災厄として恐れられている魔物らしいが、そんな威厳は欠片も感じられず、いまや黒くてやや精悍な犬にしか見えない。
バレットという名前はソフトウェア工学の有名な論文である『銀の弾丸などない』の弾丸からとった。狼と聞いて最初に連想したのがそれだったのだ。あっちは人狼だけど。
黒い狼の魔物が現れた時には驚いたが、なんだか興奮している様子だったので一度大きなショックを与えれば冷静になるのではないかと思った。
そこで、ビリッとする軽い電撃と共に非常に大きな音と光を放つ『スタンガン』と『スタングレネード』のようなマギを使ってみた。昨日の内に自衛手段として作っておいたものだ。実は作ったはいいものの軽くしか試し打ちしていなかったので、思ったよりも大きな音と閃光が出てしまったのは内緒だ。
一応、マギ行使者の後ろには効果がいかないように調整したつもりだったんだけど、余波が届いてしまったようだ。ボスが目を白黒していたので、後で怒られるかもしれない。やはりテストは大事だと思う。
それにしても魔物が懐いてくるとは思わなかった。僕のマギにビクついているバレットを見たら、つい昔飼っていた犬のしつけを思い出してしまったのだ。仕草が叱られた時の愛犬そっくりだった。
魔物について本で読んだ時はなんとも物騒な存在だと思ったが、実際に対峙してみると賢いし愛嬌もある。案外、みんな見た目に騙されているのかもしれないな。バレットに限った話かもしれないが。
バレットが付いてきたがったおかげで物の大きさや角度を変化させるマギを思いついたのだから、何が閃きにつながるかはわからないものである。
「あの……本当にそれがあの黒死狼なのかい?」
「はい、そうですよ?」
ブライさんの腰が引けている。魔物と聞けばこうなるのは当たり前なんだろう。見た目が小さくなれば大丈夫かなと思ったけど、あまり他の人には吹聴しない方が良さそうだ。
「いやはや……ルビィ君の話を完全に信じたわけではなかったが、バンペイ君は本当に非常識だったんだね……魔物を手懐けてしまうなんて……しかも小さくするなんて」
「ええ、バンペイは非常識な奴です。本当に」
なぜかボスまでもがウムウムと頷いている。異世界人だから常識がないのはわかっているけど、あまり何度も言われると傷つく。ハッカーにとって常識なんて投げ捨てるべきものなのだと断固として言いたい。常識に固執していたら良いソフトウェアは作れないんだ。うう。
あれから何とか馬たちをなだめて馬車を発車させる事ができた。黒死狼であるバレットに怯えているようだったが、バレットが「がうがう」と叱責(?)すると慌てて走りだした。
先ほど自作の洗浄マギで全身を洗ってあげた時も大人しくしていたし、やはりバレットは賢すぎるのではないかと思った。まあ、魔物の知性なんて詳しくないから別にいいか。
御者の男もバレットが黒死狼だと説明すると目を見開いて「ひんずらんね」とポツリとつぶやいたが、それ以上は特に何も言わなかった。
とにかく僕達はバレットを加えて道程を再開した。その間は、バレットにしつけを教えて過ごした。マギデバイスの本は読み終わっていて、すでに得るものも無さそうだ。いくつか知らない機能があったので、後で試してみたいと思う。
バレットの物覚えは非常に良く、そこらの犬より完璧なマナーを覚えた。もはやどこに出しても恥ずかしくない愛狼である。トイレだってちゃんとできるし、干し肉をあげてみると「よし」と言うまでちゃんと待つ事ができる。
しつけを教えている間、ボスとブライさんから生暖かい視線を受けていた気がするのだが、なぜだろうか。二人もバレットを撫でたいのかな?
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「これが『透明な壁』ですか」
僕達は半日かけて商隊が閉じ込められている場所に到着した。
ブライさんに教えられて透明の壁に近づいてみるが、やはり何も見えない。壁の位置にはわかりやすく地面に線が引かれていた。
触れてみると、確かに硬い感触が返ってきた。ノックすると、ガラスやプラスチックなどよりよほど硬くどっしりとした材質である事がわかる。確かに物理的な手段で壊すのは難しそうだ。
壁の奥には商隊の商人達がたむろしているのが見える。不貞腐れているのか諦めているのか横になって眠っている人が多い。食べ物はあっても、病気になったり怪我をしたりしていないか心配だ。内部でマギサービスが使えるのかもわからない。
「どうかな? 何とかなりそうかい?」
「まだ何とも言えないですね……」
考えている事はいくつかある。一つ一つ試していこうと思う。
まずは、本当にマギデバイスが使えないのか検証だ。足元をうろついていたバレットを撫でて促しつつ、壁を不思議そうな表情で撫でていたボスに壁から離れるよう告げる。
「【コール・アイアンボルト】」
自作した鉄の矢を飛ばすマギの呪文を唱えると、マギデバイスの先端が赤く光る。鉄の矢が出てくる様子はない。確かにブライさんの話通りマギデバイスが無効化されてしまうようだ。マギサービスではなくマギランゲージで自作したものなら、とも思ったのだが関係なかった。念のためエディタースクリーンを開いて【ラン】で実行してみるが、同様だった。
「確かにマギデバイスが使えませんね……」
「うーん、やっぱりか」
ブライさんが悔しそうに唸る。
「まだ試したい事がいくつかあるので、待ってください」
次に、壁にマギランゲージで直接『命令』を送れないか確認する。壁に『消えろ』と命令できるなら、それが一番手っ取り早い。僕が考えていた中で一番可能性が高い方法だ。
スクリーンに壁への命令を思いつくまま記述していく。問題は対象とする壁をマギデバイスで指し示せない事だ。そこで、大気中の水分を集めたように、周囲にある壁全てを対象にするように書いてみた。
書き終わって早速【ラン】で実行してみると、今までとは違う現象が起きた。
スクリーン上に謎の表示が現れたのだ。しかも、マギランゲージで書かれている。
【ランタイムエラー:対象オブジェクトへのメソッドコールはプロテクトされています。(エラーコード:3026)】
「なぁっ!?」
ランタイムエラー。実行中に起きた問題という意味だ。その後ろの『対象オブジェクトへの……』というのが問題の説明だが、こんなもの用語を知らなければ理解できるわけがない。
この説明は要するに『壁への命令はできないようになってますよ』と言っている。プロテクトというのが『命令からの保護』を意味するならば、だが。
後ろのエラーコードはエラーの種類を区別するために割り振る番号のことだが、その意味はわからない。この番号を使う誰かがいる事、他にも様々なエラーがある事だけは推測できる。
しかし、マギランゲージによる命令から保護ができる事といい、マギデバイスの無効化といい、謎の透明な材質といい、どう考えてもこの壁を設置したのは――
「バンペイ君、大丈夫かい? 何やら大声をあげていたようだけど」
「え、ええ。ちょっとマギランゲージで見た事がない状態になって驚いてしまって」
すると、ブライさんは鷹揚に頷く。
「さもありなんだね。マギデバイスが使えないんだから、そういう事もあるだろう」
「ええ……しかし、まだ他にも考えていた方法はあるので、色々やってみます」
「うん、よろしく頼むよ」
そう言ってブライさんは離れていった。ここに置いていた部下達の様子を見に行くようだ。部下達は運んできた食料を協力して馬車から下ろしている。
それにしても、手強い壁だ。こうなれば泥臭い方法を片っ端から試してみよう。
今度はマギデバイスを斜めに地面に向ける。壁でなければマギが発動するなら、壁の下の地面には干渉できるのではないかと思ったのだ。
「【コール・ディグ・10メートル】」
穴を掘るマギを唱えてみる。しかし、やはりマギデバイスが赤く発光してマギが発動しない。どうやら壁の影響は地面の下まで及んでいるらしい。この分だと手で穴を掘っても壁が続いているかもしれない。
さらにマギデバイスを垂直に足元の地面に向けてみる。
「【コール・エレベート・+5メートル】」
ぐぐぐ……と僕の立つ半径1メートルほどの地面が徐々に持ち上がっていく。今度は発動したようだ。やはり発動範囲が壁に掛からなければ問題なく発動する。
いくら壁が高くても宇宙空間まで伸びているのでも無い限り、上に登っていけばいつかは切れ目に到達するのではないかと思ったのだ。そうすれば壁を越えて中に入れるかもしれない。
5メートルの時点ではまだ壁があったので、少しずつ上昇しながら手で触れて壁の存在を確かめていく。下を見ないように気をつけないと落ちてしまいそうだ。
10メートルほど昇った時点でついに壁が途切れた。途切れた箇所を探ってみるが壁の厚みがあるようで、壁は奥まで続いているようだ。さすがに壁の上に立つのはちょっと怖い。
こういう時はマギだ。エディタースクリーンを開いて即興でコードを組み上げていく。上空10メートルでのコーディングは少し肌寒い。
「できた。【ラン】」
壁の上空に向けてマギデバイスを掲げ、出来たばかりのコードを動かしてみる。マギデバイスの先端から黒い塗料が吹き出して壁に降り注ぐ。地上の方でボスが騒いでいる気がするが気にしない。なんだか異世界に来てから図太くなってきた気がする。
降り注いだ塗料は思った通り壁に付着して黒く染め上げる。しかし、数秒経つと色が薄くなるように透明になっていき最後には消えてしまう。どうやら壁に付着したものも消してしまう性質があるようだ。人間が触れても問題ないので、生物には影響がないのだろうか。
それでも数秒間は壁のある場所がわかるわけで、塗料を撒き散らして壁の切れ目が無いか確かめていく。コードを調整して塗料の散布範囲を拡げたり、遠くまで飛ばしたりしてみたが、どうやら天井のように反対側まで切れ目なく覆っている事がわかった。
要するに商隊のいる空間を円柱形で囲っているのだ。これでは壁をどうにかしない限り中に入る事は出来なさそうだ。忌まわしい壁を睨みつけながら、ゆっくりと地上へ降りていく。
考えていた方法の大部分が通用しない事がわかった。天井に重石を積み上げていき重量で崩壊させるのも考えたのだが、重石が数秒で消えてしまうため難しい。
壁を直接狙えないので、何かを飛ばしてぶつけるにしても必ず斜方投射して放物線の下降中にぶつかる形になる。初速度と重力だけでは十分な加速は得られないため、あとは大質量の物体を隕石のように落とす方法しか思いつかない。だが、それは中の人達に危害が及ぶ可能性がある。
つまり、お手上げという事だ。
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「なんだか黒い雨が降ってきたようだが、バンペイの仕業か?」
地上に降り立つと、チャームポイントである赤い髪をところどころ黒く染めたボスが腕を組んで待っていた。
やってしまったとペコペコ平謝りすると、ニコリと柔らかく微笑んで許してくれた。「バンペイだから仕方ないな」と言われたが、なんだか釈然としない。バレットを手懐けてからボスからの扱いが変わった気がするんだよな。
ちょこんと座って行儀よく待っていたバレットを撫でながらそんな事を考えていると、ブライさんが話しかけてきた。
「どうだい? 色々やっていたようだが、進展はあったかな?」
ブライさんに判明した事実を説明する。壁が地面の下まで続いている事や、壁が10メートルほどの円柱形である事を教えると驚いた顔になっていたが、それ以上の進展が無い事を知ると落胆したようだった。
「そうか……やっぱり難しいか。せめて、中にいる者たちが不安にならないよう、何か伝えられればいいんだけどね」
ブライさんの何気ない言葉を聞いてハッとする。脳内の回路に激しく通電が起こり、CPUがフル回転して、アナログな豆電球が頭の中で点灯した。
「ブライさん……もしかしたら、中の人達にメッセージを届けられるかもしれませんよ」
本当に、何が閃きにつながるかはわからないものである。




