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本日二話目です。ご注意ください。
翌日の早朝、僕とボスはブライさんと待ち合わせていた場所へと向かった。まだ人の気配も太陽の気配も少なく、薄暗い闇の中で朝もやと小鳥達だけが僕達を迎える。前世で徹夜したあとの早朝の雰囲気を思い出して妙に懐かしくなった。
待ち合わせの場所には、すでに一台の馬車が準備されていた。馬車の御者台には御者と思われる見知らぬ男性が腰掛けているのが遠目でわかる。
馬車に近づくと幌に覆われた荷台からブライさんが顔を出した。どうやら荷物を積み込んでいたらしい。僕達に気がつくと手を振って、相変わらずの柔和な笑みで迎えてくれた。
「やあ、おはよう。ルビィ君、バンペイ君、来てくれて嬉しいよ」
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「お、おはよう、ございます」
「ははは、そう固くならなくてもいい。こちらからお願いした事でもあるんだからね」
挨拶をかわしながら、早速とばかりに荷台へと案内される。中には立派な革製のソファのような椅子がいくつか置かれていた。他にも樽やカゴがいくつか所狭しと積まれている。もう準備はあらかた終わっていて、あとは出発を待つだけのようだ。
「昨日も話した通り、問題の場所はここから半日ほどのところにある。今日は一日中付き合ってもらう事になるが構わないね?」
「はい、大丈夫です」
「うん。ちょっと窮屈だが我慢してほしい。残してきた部下たちに食料を持って行ってあげなくてはならないしね」
「そういえば、他に一緒に行く方はいらっしゃらないんですか?」
「ああ、大所帯で行ってもあんまり意味がないようだからね。今日は私と君達、そして御者をしてくれる者だけだ」
そう言って、御者台側の幌を上げる。そこには小柄な男性が座っていた。小人族かもしれない。僕達を一瞥するとペコリと小さく会釈して前を向いてしまう。
「無口なやつなんだ。気を悪くしないでもらえるとありがたいな」
「大丈夫。バンペイも似たようなものですし」
ボスにひどい事を言われた気がする。
そうこうしている間に少しずつ日が昇り始め、徐々に辺りが明るみはじめたので、いよいよ出発する事になった。僕にとっては初めて王都の外に出る事になる。定期的に狩られているとはいえ魔物が跋扈する危険な世界だ。気を引き締めなければならない。
ボスを心配させたくないので話してはいないけど、一応自衛手段はいくつか準備してある。僕がボスを守ると言った時は笑われてしまったが、僕にだって男としての矜持がある。ほんとにごく小さな、吹けば消えてしまうような矜持だけど。
人知れず決意する僕と、そんな僕を生暖かい目で見る二人を載せて、馬車は王都を後にした。
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道中は持ってきた本を読んで過ごしていた。馬車はサスペンションがないのか振動が大きいが、柔らかいソファのおかげで多少緩和されている。昔から車酔いしないたちなので揺れていても本を読むのには問題ない。
ブライさんから聞いた話によると、透明の壁にマギが使えないのはマギデバイス側の問題である可能性が高い。そこで『マギデバイス構造・製造』を読んでおこうと思ったのだ。マギデバイスという名のハードウェアの事をもっと良く知っておかなくてはならない。
ソフトウェアのプログラマにとって、ハードウェアというのは近くて遠い世界だ。ソフトウェアと一口に言ってもその幅は広いが、扱うハードウェアの種類によっていくつかに分ける事ができる。
例えば、家電や自動車のように特定の用途に使うハードに組み込まれるソフトウェアを作るプログラマは『組み込み系』と呼称される。
こちらは非常にハードとソフトの距離が近い。なぜなら、ハードごとにソフトの内容が全然違うからだ。自然そのハードに特化したソフトを作る事になるため、ハードの性質を熟知していないとならない。自動車や医療機器のような人命に直接関わるプログラムを作る事もあるため、シビアな仕事が求められる。
対して、汎用的なコンピュータ上で動くソフトを作るプログラマは『汎用系』や『オープン系』と呼ばれる。前者は企業が業務に使うような大型のコンピュータ、後者がパソコンやウェブサイトのサーバー上などで動くものだ。
これらは比較的ハードとソフトの距離が遠い。ハードが変わっても動くように書くのが当たり前だ。逆に言えば環境が違っても動くようにしなくてはならないので、環境の違いに悩まされる事も多い。
開発環境やOSによるサポートが充実していて組み込み系よりは幾分気楽だが、数千万人数億人が使うウェブサイトのような大規模でシビアなシステムを扱う事もある。この規模までくるとハードの性能を活かせるかが死活問題になるので、知らないではすまされない。
僕の場合はインターネット上で配布するソフトや、ウェブサイトを主に作っていたから『オープン系』に分類される。ハードからは遠い業種だ。
ハードに興味がないでもなかったが、どうしてもハードよりもソフトへ興味が向いてしまうので、ハードとは縁遠くなりがちだった。前職で便利屋扱いされた時に、ハードウェアの発注や設置を代行した事はあるが、専門職には遠く及ばないだろう。
正直マギデバイスを解析できる自信はないが、今回はやってみるしかない。この解説書がわかりやすいものである事を願うばかりだ。
しかし、そんな僕の心配は杞憂に終わる。読み始めて数分で驚愕するはめになった。
マギデバイスを誰が作ったのか、明らかになっていないというのだ。
マギシステムは、為政者に命じられた賢者マギハッカーが作り出した事は前に読んだ本に書かれていた。僕はてっきり、マギデバイスも同じ人物が作ったものだと思い込んでいたのだが、そうではなかった。
ボスが以前『マギデバイスが作られてから百年以上経っている』と言った時、百年以上経っている割には進歩がないと思ったのだが、マギシステムは後から作られたもののようだ。進歩がないなんて言っては、マギシステムを生み出したマギハッカーに失礼だ。
マギデバイスの作者がわからないとはいえ、これだけ普及しているという事は製法は伝わっているはずだと思ったのだが、これも当てが外れた。
マギデバイスの中身はほとんどブラックボックス、つまり内部構造が知られていないらしい。では、どうやって新しいマギデバイスを作り出しているのかというと、これにマギランゲージの実行機能が関わってくる。
マギランゲージで、マギデバイス自身に『複製せよ』と命じる事ができるのだ。すると、新たなマギデバイスが現れる。正直その発想はなかった。
ボスが気軽にマギデバイスを貸してくれたのは、簡単に手に入るからなのだろう。予備が持てるぐらいありふれたものなのだ。
さすがにマギランゲージが必要なだけあって、ボスが自分で複製する事はできないのだろうが、恐らく複製するためのマギサービスが存在するのではないか。もしくは国が支給しているのかもしれない。
マギデバイスの解説書『マギデバイス構造・製造』では、主にマギランゲージによる複製方法と、マギデバイスの機能の解説、そして判明している事実が書かれている。構造と題してあるのに内部構造について書かれていないのは詐欺ではないだろうか。
分解して内部構造を調べようという試み自体はあるが、分解しようとするとマギデバイスが消えてしまうらしい。自爆機能付きとは本当に徹底したブラックボックス化だ。
それでも、マギランゲージを駆使して一部材質の特定や内部の簡単なスキャン程度なら成功している。大部分が未知の合金で、金や銀が一部使われている事しか判明していないらしいが。内部のスキャンも、おぼろげに液体らしきものや、細かい部品が集まっている事ぐらいしかわからない。
金や銀が含まれる以上、もしマギデバイスを分解できれば金銀が無限に生み出せる事になる。分解を禁じているのは、それが原因なのかもしれない。
それにしても、複製して新たな物体を作り出すとは、まるで『プロトタイプベース』だと思った。
オブジェクト指向の一種で、プロトタイプとなるオブジェクトを複製して加工する事で、新たなオブジェクトを生み出していくのがプロトタイプベースの考え方だ。オブジェクト一つ一つの細かな違いを表現できるため、柔軟性が高い。
マギランゲージもオブジェクト指向のようだから、案外マギデバイスとマギランゲージの作者は同一なのかもしれない。
そこで、ハッと気づく。
教会によると、マギランゲージは神様によって授けられたと伝わっている。マギランゲージとマギデバイスの作者が同じだとすると、マギデバイスの作者は――
思考がそこまでたどり着いた時、馬車がガクンと急停止した。
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突然の衝撃に驚いて顔を上げると、談笑していたらしいボスとブランさんも慌てて立ち上がったところだった。時間からしてまだ目的地ではないはずだ。顔を見合わせる。
「どうしたんだい?」
ブライさんが御者台側の幌を引き上げて、御者の男性に話しかける。
「へえ、馬っ子ら急におっ止まりやっして」
そう言いながら馬を指し示す御者。初めて声を聞いたが、小柄な割に低い声だ。特徴的な喋り方だが、方言でもあるのだろうか。
二頭立ての馬車だが、御者の言う通り二頭とも立ち止まってぶるると嘶きをあげている。御者が何度か手綱を操るも前進する様子はない。怪我をしているわけでもなく、単純に進むのを嫌がっているような印象だ。
前方に何かあるわけではない。森を切り開いた街道のど真ん中だが、道の上には特に異変は見当たらない。となると、問題は森の中だろうか。荷台の後ろから幌を開いて顔をだす。
顔を出すと濃厚な青臭さが鼻を通り抜けた。道の片側にある森を眺めてみるが、鬱蒼と茂る青々しい草木に遮られて奥は見通せない。馬車がすれ違える程度の道幅があるので反対側の森までは距離があるが、やはり同様に何も見えない。
「特に何もありませんね……」
荷台の中にいるボス達に報告するが、心の片隅で違和感を感じている事に気づいた。違和感の正体を探っていると、御者の男がつぶやいた。
「やにひずかだんな」
ブライさんがそれに反応する。
「ん? 何か心当たりがあるのかい?」
「へ、へえ。やけぇ静かだぁ思ったもんで」
言われてみればその通りだ。馬の嘶きが止まると、無音といってもいいほどの静けさを感じる。森といえば虫や鳥が少なからず気配を発しているものだが、今はそれが感じられない。違和感の正体はこれだったのだろうか。
「なるほど、確かに……」
「あの。僕がちょっと見てきますね」
このまま立ち止まってまごついていても事態は動かない。僕は立候補して返事を待たずに馬車から飛び出した。やはり違和感が大きくなっている気がする。脳内でも警告まではいかないが、通告レベルのログを吐き出している気がする。
「ま、待て! バンペイ!」
ボスが慌てた様子で同様に馬車から出てくる。どうやら僕を心配して追いかけてきたようだ。
「ボスは馬車の中にいてください!」
「断る! 君こそ馬車に戻りたまえ! なんだか嫌な予感がする!」
どうも彼女は僕を過保護に考えている嫌いがある。子供扱いされたのといい、大人とは見られていないのはわかっているけど、成人男性としては少々傷つく。なんだかモヤモヤとする。ボスを危ない目には遭わせたくないのに。
ざわり。
森の前で僕とボスが不毛な言い合いをしていると、不意に森がざわめいた。ざわざわと継続している。それに併せて馬が大きく嘶く。
「……なんだ?」
言い合いをやめた僕とボスはお互いの顔を見合い、どちらともなくつぶやく。ざわめく森をぼんやりと眺める。鳥肌が立ち、脳内では警告ログが垂れ流されている。
ついには、森の中からガサガサと音がするようになった。
「……ボス、お願いですから、馬車に戻ってください」
一語一語はっきりと発しつつ、ボスの前に立つ。
「ここは、僕に任せてください」
懐に入れておいたマギデバイスを取り出して構える。
それにしても、出発前の決意が本当になるとは思わなかった。やはり、あの発言がフラグとなってしまったのだろうか? プログラマの僕がフラグを間違えて立ててしまうなんて笑えないな。
がさり。
「…………魔物」
そして、僕は異世界で初めての魔物と遭遇するのだった。




