097 - hacker.intercept(link);
皇王は僕の手の上に乗った『アンチマギ酵素』の山を見て、目を瞬かせた。体内にこれほどの量が入り込んでいたのでは、治療マギが正常に動作しないのも納得だ。
「ほう……これが……」
「はい。あとは治療マギサービスを掛ければ……」
手の上に乗った黒い粉の山を手渡された袋に移し、念には念を入れて、『デバッガ』を頭の中で開きながら治療マギサービスを呼び出す。
脳内のスクリーンに全身図が映しだされて、マギによって長い闘病生活で弱っていた身体が癒やされていく様子がよくわかった。治療マギでは体力までは回復しないが、ゆっくりと休んでしっかりと栄養を摂れば問題ないだろう。
「これで陛下のお身体は治ったはずです」
「ほ、本当ですか、バンペイさん」
「ええ。あとは、しっかりと食事をして安静になさっていれば完治するでしょう」
「よかった……。よかったですわ、お父様……」
薔薇姫は感極まったのか、涙を流しながら皇王に抱きついた。皇王は少し困った顔になりながらも、娘の頭をそっと撫でている。それを見守っているジャワール皇子も、目元を手で押さえていた。
「そんなバカな……ありえない……」
主治医の男性は放心して立ち尽くしていた。心ここにあらずといった様子で、ブツブツと独り言を呟いている。毒を見破れなかった事で、これから肩身の狭い思いをするかもしれないが仕方ない。
それにしても気になるのは、この『毒』がどこからどのようにして皇王の体内に侵入したかという事だ。これだけの量となると、恐らく一年前から定期的に摂取していたとしか思えない。また、そもそも『アンチマギ酵素』だけでは治療マギが効かなくなるだけで、体調を崩す効果は無いはずなのだ。
「シライシさん、父を救って頂き、ありがとうございマス」
ジャワール皇子がダイナ王国語で礼を述べてくる。皇王との会話はスタティ皇国語で行なっていたが、わざわざダイナ王国語でお礼を言うのは誠意の表れなのだろう。
「これでシライシさんには、私、姉、父、そしてこの国を救って頂いた事になりマスね……。本当に、この恩にどのように報いれば良いのか……」
「あはは……。大げさですよ。僕がいなくとも、何とかなっていたと思いますよ」
「はぁ……。シライシさんは、ご自身の価値をもっと知るべきです。今回、シライシさんが行なった事は我が国にとって『英雄』と呼ばれてもおかしくないほどの偉業なのですよ?」
「え、英雄ですか……」
「今回の経緯については、国民達に広く知らしめます。もちろん、国を救ったマギハッカーとしてシライシさんの名前もです。きっと国民達はあなたの事をそう呼ぶでしょう」
「そ、その……できれば僕の名前は広めないで頂けると……」
「……本当に無欲な方ですね」
ジャワール皇子は呆れ半分、感心半分といった顔になる。だが『マギハッカーの再来』という称号だけでも荷が重いのに、これ以上に名前が広まるのはどうしても避けたい。名が知られれば知られるほど、トラブルが舞い込んでくる気がしてならないのだ。
「わかりました。今回の件は、兵士達の活躍によって解決した事といたしましょう。ですが、正式な国賓としてお招きしている以上、ダイナ王国の方には事の子細をお伝えしますが……」
「は、はい。そのぐらいでしたら構いません」
それなら王様や議員達の耳に入るぐらいだろう。
ホッとしたのも束の間、次の『トラブル』がやってきた。
「困ります! 陛下は只今、お客様と面会中にございます!」
「ええい、うるさい!」
何やら外が騒々しくなったと思ったら、急に寝室の扉が開かれる。そこに立っていたのは、今回の騒動でまったく姿を見せなかった第一皇子デベス=オラル=スタティ、その人だ。
使用人達の制止も聞かずに、相変わらず尊大な態度でズカズカと寝室に入り込んでくる。
「おお! 父上、ご無事で何よりです!」
デベス皇子は両手を広げて大げさに喜んでみせる。オーバーリアクション気味なところも相変わらずだった。
「……うむ。デベスも無事で何よりであった」
「ハッハッハ! このデベス、日頃鍛えた剣と弓にて、襲いくる不埒者どもを斬っては捨て、斬っては捨てと、少々はしゃぎすぎましたな! マギを見せつける暇もありませんでしたぞ!」
「そうか。それにしては、随分と身奇麗な格好だが……」
皇王の指摘通り、暴れまわっていたとは到底思えない身奇麗さだ。先ほど会った時とは違う青みがかった緑色のジャケットを身に着けている。もし皇子の言葉通りに活躍したなら、血痕の一つも付着しそうなものだ。
「は、ハッハッハ。父上に不浄な格好でお会いするわけには参りませんからな! きちんと湯浴びをして参りましたとも!」
「……まあ良い。そなたにも伝えておこう。先ほど、こちらにいらっしゃるシライシ殿の治療を受けてな。見事に原因となっていた毒を取り除いてくださり、しばらく安静にしておれば完治するとの事だ。そなたには長らく世話を掛けたな」
それを聞いたデベス皇子は顎が外れんばかりの大口を開ける。
「な……な……。ど、毒を……取り除いた?」
「うむ。実に見事な仕儀であった」
「そ、そ、そうですか……そ、それは、えー、おめでとうございます」
なぜかデベス皇子はしどろもどろになりながら祝辞を述べる。その後、キッと主治医の男を睨みつけた。先ほどから放心していた主治医は視線を受けて、すっかり青くなっている。
「……しゅ、主治医たる貴様はこの一年間、何をしていたのだ! この不始末、どう落とし前をつける気だ! ええい、成敗してくれる!」
「ひぃっ!」
そう言ってデベス皇子は腰に差したマギデバイスを引き抜いて、主治医の男に差し向ける。男は悲鳴をあげながら怯えてへたり込んでしまった。
「兄上! 何をするのです!」
「黙れ、ジャワール! その毒とやらも、この男の仕業に違いない! 【コール・フレイムボルト】!」
ジャワール皇子が止めようとするも、構わずにデベス皇子は呪文を唱えた。構えているマギデバイスの先端に炎の矢が現れる。薔薇姫が悲鳴をあげた。
――割り込み。
脳内で素早くコードを展開して実行。マギデバイスと『魔素』のリンクに割り込む。炎の矢を形作っている『魔素』に【リセットしろ】という命令を上書きで送り込む。
するとマギデバイスから飛び出した炎の矢は、男に当たる寸前で煙のようにフワリと消えてしまった。
「な……! 何が起こった! くっ……【コール・フレイムボルト】! 【コール・フレイムボルト】!」
デベス皇子は狼狽しながらも再度呪文を唱えるが、炎の矢はいずれも途中で消失してしまう。しまいには、炎の矢自体が現れなくなってしまった。
マギによる効果を形作る『魔素』とは、どこにでも存在する微粒子であり、ただそこにあるだけでは目に見えず、人には無害な存在だ。マギデバイスはその魔素に対して命令する事で、何もないところから様々なものを生み出す事ができるようになっている。
魔素に命令する際には、マギデバイスとの間に『リンク』を張る必要があるが、僕が今やったのはその『リンク』に割り込んで、新たな命令を送り込むという荒業だ。【リセットしろ】という命令は、魔素を元の無害な状態に還元するという事であり、結果として炎の矢は消えてしまったのだ。
これらの知識は全て、いつの間にか頭の中に浮かんでいた。他のマギデバイスに割り込めるなど知らなかったはずだ。一体、僕の頭はどうなってしまったのだろう。
「こ、これは一体どういう事だ……! なぜマギサービスが使えんのだ!」
「お兄様! いい加減にしてください! ここはお父様の寝室ですよ! それに、例え主治医の職責について瑕疵があろうとも、それのみで処刑するなど許されません!」
「う、うるさいっ! 私に指図するな! ええい、放せジャワール!」
薔薇姫が諌めるも、デベス皇子は聞く耳を持たない。ジャワール皇子が押さえ込もうとして、揉み合いになっている。
「ひぃ……お、お許しください! わ、私はデベス皇子に言われた通りに……!」
「だ、黙れぇぇ!」
主治医が頭をかばうように縮こまりながら聞き捨てならない事を口走ると、デベス皇子は憤慨しながら大声でそれを掻き消そうとする。
「いい加減にせぬか! デベス!」
落雷のような一喝が轟く。デベス皇子はこれに怯み、部屋に静寂が戻った。
見れば、皇王はベッドから身を起こし、薔薇姫の手を借りて立ち上がっている。厳しい目でデベス皇子を見据えている。その姿はやせ衰えていようとも威厳に満ちており、皇王の威を感じさせるには十分だった。先ほどの薔薇姫による叱責も迫力があったが、やはり父親の方が何倍も畏怖を感じさせる。
「ち、父上。これは違うのです。その者は父上の……」
「例えその者に罪があろうとて、それを罰するのはそなたの役目ではない!」
「し、しかし……」
なおも言い募ろうとするデベス皇子を、鋭い目で睨みつけて黙らせる皇王。薔薇姫の手を借りながら、床にへたり込んでいる主治医の元へと歩いていく。
それを見た主治医は、青を通り越して顔面を真っ白にしながら、土下座のように床に這いつくばった。
「お、お許し下さい、陛下。わ、私は……私は……」
「私はそなたを責めるつもりはない。マギを壊す『毒』など、マギハッカーの再来と呼ばれるシライシ殿でなければ、対処できぬものであっただろう」
「へ、陛下……」
「よいか。私はそなたを信じ、我が身を託したのだ。そなたの腕が足りずとも、それ即ち私の目が足りなかった事の証左に過ぎぬ。そなたの責任だけではないのだ」
「…………」
皇王の言葉に、主治医の男は這いつくばったままブルブルと震える。しかし、しばらくすると震えが止まり、主治医はゆっくりと顔を上げた。
「お、恐れながら……陛下に申し上げます」
「申せ」
「私は……私は、罪を犯しました。陛下への治療薬と偽り、デベス皇子から受け取った『毒』を渡していたのです」
「き、貴様! 嘘をつくな! 私はそのような毒など知らぬ!」
ジャワール皇子に押さえられているデベス皇子は、慌てた様子で主治医の独白をさえぎる。しかし、皇王がギロリとひと睨みすると、冷や汗をかいて黙りこんでしまった。
「嘘などではございません。デベス皇子は、私の最愛の娘を……娘を人質に、私に命じてきたのです。娘の命が惜しければ……陛下にこれを含ませよ、と」
「なんと……卑劣な!」
薔薇姫がデベス皇子を非難すると、同じように非難の視線が部屋中から皇子に注がれる。皇子は顔を真っ青にしながら、キョロキョロと目を泳がせている。
「私は……私は……」
「もうよい。よくぞ話してくれたな」
皇王が優しく声をかけると、主治医は感極まって涙を流しながら頭を下げた。
「さて、デベスよ。何か申し開きはあるか?」
「ち、違うのです、父上。その者がデタラメを言っているだけです。私は父上に毒を盛ってなど……」
「ふむ。私もそなたを信じたいのだがな。何か身の証を立てる手段はあるか?」
「そ、それは……」
黙りこんでしまうデベス皇子。身の証を立てる、つまり自身の潔白を証明する事は難しい。この場合は、主治医の証言を覆す証拠が必要となるわけだが、恐らく皇子にはそんな証拠を用意する事はできないだろう。逆を言えば、皇子の犯行を証明するのは主治医の証言だけに過ぎない。
少し考え込んでいた皇王だったが、突然、手をポンとうって何かを思いついたようだ。
「そうだったな。ここにはマギハッカー殿がおられるのだった」
「は……?」
好々爺のような皇王がニコリと僕に笑いかける。
「どうであろう。シライシ殿には、真の犯人が何者かを特定できるのではないかな?」
「は、はぁ……」
「先ほどの見事な治療といい、私はすっかりそなたのファンになってしもうての。そなたの力で、不埒者を炙り出してみせてはもらえぬだろうか?」
「えーと……。わ、わかりました。やってみます」
「おお! さすがはマギハッカー殿!」
皇王直々の頼みに小市民の僕がまさかNOと言えるはずもなく、頷いてしまう。皇王はニコニコと笑っているが、ジャワール皇子は少し呆れ顔だ。薔薇姫は期待に目を輝かせている。
どうしてこう王様というのは、無茶ぶりばかりしてくるのだろう。
マギデバイスと一体化しても相変わらずシクシクと痛む胃を抱えながら、僕は必死に頭を悩ませるのだった。




