095 - hacker.gain(privileges);
前に魔核を取り出した時はどうしたんだっけ? 確か、チタンを使って魔核を隔離しようとしたけど、黒い物質に触れた途端に腐食したようにボロボロと崩れ落ちてしまったんだ。
ああ、そうか。あの時は確か、バレットが爪を使って引きずりだしてくれたんだっけ。バレットがこの場にいないので同じ事はできないな。
僕はそう結論付けると、目の前に横たわるバーレイ皇子の身体に向けてマギデバイスを構える。
「まずは動けないようにしておくか……【コール・フロート】」
呪文を唱えると、バーレイ皇子の身体がフワリと空中に浮かび上がる。【浮かび上がれ】と命令する事でどんなものでも宙に浮かべられるのだ。重力やら物理法則やら無視しているにもほどがあるが、それがマギなのだから仕方ない。
「あとは……【コール・エアバインド】」
ちょんちょんとバーレイ皇子の手足をつつきながら別の呪文を唱えると、大の字を描くように手足が空中にガッチリと固定される。これは教え子のペペ君が発見した空間固定の応用だ。
今までの経験から例の『黒い物質』を考察したところ、一つの仮説として「マギで作られたものを壊す性質」を持っているのではないかと思い至った。複製された細胞はまさにそれだし、マギで生み出された拘束具が通用しなかったのも同じ理由ではないかと思う。
逆に「マギを通じて起こされた現象の影響」を防ぐ事はできないと思われる。例えば前回の魔物の時には周囲の気温を下げる事で動きを止めたが、気温を下げた事による影響は受けたわけだ。
マギが物質を生成する仕組みは謎のままだが、何もないところから出てくる以上、「元となる何か」が存在しているはずだ。あの『黒い物質』は、その「何か」に干渉するのではないかと仮説を立てた。
「空間の固定」は地球の科学では説明できないものの、マギで起こす事のできる「現象」に分類されるはずであり、『黒い物質』の影響は受けないはずだ。拘束具を作り出すよりは安全だと期待できる。
「さて……肝心の魔核の摘出だけど……」
前回のように魔核の隔離をするのは難しいと考えるしかない。隔離するための隔壁は、マギによって生み出されるからだ。バレットがやってみせたように、すぐに摘出してしまうのが一番手っ取り早いのだろう。
魔核にはマギが通用しないとわかっているので、自分の手で取り出すしかない。
「ボスには感謝しなくちゃな」
そう独りごちながらマギデバイスをしまい、代わりにナイフを取り出す。マギデバイスが使えない時の護身用として、ボスから渡されたものだ。マギで作られたものではなく普通に鉱石から精錬された鉄で鍛冶屋が作った一品なので、仮説が正しければ黒い物質の影響は受けないはずだ。
医者でもない素人のナイフで魔核を取り出すのは少し抵抗があるが、取り出した後に治療マギサービスを使えば問題ない。
「よし……」
気合を入れてナイフを握りしめ、バーレイ皇子の胸元に見える黒い点、魔核に近づける。
その瞬間。
「なっ!」
バーレイ皇子の胸元にある黒い点から、突如として無数の黒い『触手』が飛び出した。わっと広がった触手は、すぐ近くにあったナイフを持った僕の右手を包み込むように覆いかぶさる。
慌てて手を引こうとするが、すでに僕の右手は触手にガッチリと掴まれている。強引に引き抜こうにも、触手の力は非常に強く、僕の貧弱な腕力では引っ張るどころか、徐々に引き寄せられてしまう。
「このっ!」
反対側の左手でマギデバイスを取り出して、触手にむかって衝撃波を放つ。数本の触手がひるんだように僕の手を放したが、新たな触手が次から次に魔核から飛び出してきてキリがない。
右手はすでに蠢く黒い触手に覆われつつある。もはや肌色を見ることすらできなくなっていた。それどころか触手は徐々に手から腕へとせり上がり、僕の右腕へと侵食してくる。
何度かマギデバイスを振ったり呪文を唱えたりと思いつく限りのマギを繰り出しても、触手は増える一方で梨のつぶてだった。黒い触手は少しずつ体積を増しており、マギによる攻撃を受け付けなくなりつつあった。
それどころか、触手はマギデバイスを持つ左手にも狙いを向けてきた。慌てて避けようとするが、右手がグイッと引っ張られて体勢を崩してしまい、あえなく左手もマギデバイスごと触手に飲み込まれてしまう。
あっという間に両手の自由が奪われ、体勢を崩した僕は膝をついた。
「な……なんで急に……」
頭に浮かぶのは疑問。潜伏中の魔核は摘出しようとすると『抵抗』を起こす事は知っていた。だが、それはあくまで宿主を一気に魔物へと変貌させるという反応であり、このような触手を出して攻撃してくるなど聞いたことがない。
マギハッカーなどと呼ばれて調子に乗っていたツケなのだろうか。他の人達は避難させたため、この場には誰もおらず、助けを求めることもできない。マギデバイスは触手に飲み込まれたままだ。
「ボス……すみません」
最後に見えたのは、視界を埋め尽くす触手が、僕の身体を飲み込む瞬間だった。
//----
沈む。
沈んでいく。
どこまでも暗い海の底を、導かれるように沈んでいく。
何も見えず、何も聴こえず、ただ緩慢な浮遊感を感じながら。
ここは、どこだっけ。
なにを、していたんだっけ。
何も考えられず、何も思い出せず、ただ深く深く潜行していく。
暗く、冷たい水の底へ、ゆっくりと。
> Deleting your account... Aborted
> Error: Your account is protected by the administrator.
ふと暖かさを感じた。
意識を向けてみれば、長い金髪の女性がジッとこちらを見ている。
その顔には何となく見覚えがある気がする。
誰だったっけ。
――私のバグで迷惑をかけた。だから今回は特別。
バグ?
――そう。本来ならファクターに手出しすべきではない。自由意思が大切だから。
どういう意味?
――でも君はなかなか面白い。少し権限を増やしてあげる。その方が面白そう。
> You are granted privileges to:
> * Access to Management Console
> * Access to Magi-Database
> * Customize Magi-Device
さっきから、頭の中で得体の知れない声が鳴り響いている。
この声は一体なんだろう?
――あ、ファイルのアクセス権限もいるんだった。
> You are granted privilege to:
> * Access to Object File System
――ん……ちょっと権限が広い気もするけど……まあいいか。
えーと、いいのかな?
――いい。じゃあ、後はよろしく。コアは……ゴミ箱に入れといて。
え? ゴミ箱?
> Connecting to Magi-World System... Success
> Loading avatar... Done
> Warning: Your avatar is polluted with Magi-Core.
> Sanitizing avatar... Done
> Notice: Magi-Device was merged into the avatar while sanitizing.
> Checking status... OK
> Welcome back to Magi-World!
//----
パチリと目を開ける。
ズキンと痛んだ頭に思わず顔をしかめながら天井を見ていると、ボヤけていた視界が徐々にクリアになってくる。見覚えのない天井だったが、すぐにスタティ皇国の城内にいる事を思い出した。そこから、少しずつ連想ゲーム的に何があったのかを思い出していく。
ハッと気がついて、即座に身を起こした。
そこは僕が魔核の摘出をするために入った部屋そのままだった。だが、僕を飲み込んだはずの黒い触手は、影も形も見当たらない。バーレイ皇子は相変わらず空中に浮かんだまま大の字に固定されているものの、胸元のどこにも黒い点は存在していない。
「どういう事だ……?」
とにかく身を守れるようにしなければならない。手に持っていたはずのマギデバイスを探して、部屋の中を見回してみる。ボスからもらったナイフは床に転がっていたが、肝心のマギデバイスはどこにも見当たらない。もしかしたら黒い触手と一緒に消えてしまったのだろうか。愛用のマギデバイスだったのに……。
「ん……?」
部屋の中を見回していると、床の上に『黒い石』のようなものが転がっている事に気がついた。黒い石はぼんやりと光っており、まるで生きて呼吸しているかのように光が強弱を繰り返している。
「これは……魔核?」
魔核がこのような石の形になるとは聞いた事がないが、なぜだか直感的に理解できた。これは魔核。『マギコア』とも呼ばれている、魔物を生み出す素となるプログラムだ。
ん? マギコア? プログラム?
チリッと頭の中に電流が走ったように脳が刺激される。マギコアなんて言葉、聞いたことあったっけ? あれ、そういえば、誰かが『コアはゴミ箱へ』と言っていた気がする。
……ゴミ箱か。
落ちている魔核をジッと見つめる僕の頭の中には白いスクリーンが浮かび上がっていた。まるでマギデバイスでエディターを開いたように、頭の中でいくつものスクリーンが次々と開かれていく。もともと似たような事はしていたが、それはあまりにも鮮明なイメージだった。
もしかして、と思いながらコードを思い浮かべると、頭の中のスクリーンにそれがマギランゲージとして書き込まれる。コードの書き込みも、修正も、まさに自由自在だった。頭の中で考えたコードがどんどんと形となっていき、僕は自然と笑みを浮かべている。
「はは……」
目を閉じて、直感に従ってコードを書き進める。魔核をマギランゲージで安全に扱う方法も、様々な物体を『オブジェクトファイル』と呼ばれるファイルとして操作できることも、僕は知っていたのだ。
いつもなら試行錯誤が必要だったマギランゲージによる『命令』も、まるで頭の中にマギランゲージの辞書が入っているかのようにスラスラと理解できる。オブジェクト、メソッド、パラメータ。コードの奔流が止まることなく溢れだし、僕の頭を満たしていく。
あっという間にコードを書き上げたが、それはあくまでも脳内での話だ。マギデバイスがなければ実行できるはずがない。それにも関わらず僕は確信していた。このコードを実行できる事を。
ラン。
口に出さずに考えただけだったが、反応はすぐに現れた。床の上に転がった魔核は、スゥっと煙のように薄くなり消えてしまう。あれほど扱いに苦労した魔核は、ウソのようにサッパリと消え去っていた。
「魔核はゴミ箱へ……か」
僕が組んだコードは、魔核を表す『ファイル』を『ゴミ箱』へと移動させるものだ。ゴミ箱がどこにあるのかは知らない。しかし、ゴミ箱に捨てられた魔核が、この世界のどこにも存在しない事は理解できた。
それにしても、これは一体どういうことだろう。考えるだけでコードが書けて、考えるだけでコードが実行できる。それもマギデバイスを持たずにだ。
思わずまじまじと自分の両手を見ていると、コンコンと扉がノックされた。
「シライシさん……もうよろしいデスか?」
「……はい、どうぞ」
ガチャリと扉が開かれ、ジャワール皇子が恐る恐る顔を出す。
「……兄上!」
「……ああ、すみません。いま下ろします」
そういえばバーレイ皇子が宙に浮いたままだった。僕が手を振るとバーレイ皇子を固定していた拘束が外れ、身体はゆっくりと下がっていき地面に横たわる。
「えーと、魔核はきちんと取り除かれたはずです」
「そ、そうデスか……」
ジャワール皇子はホッとした顔になってバーレイ皇子の様子を確認している。
「おっと。念の為に治療マギを掛けておきますね」
頭の中で治療マギサービスを呼び出す。バーレイ皇子の身体が白く輝いて、治療マギが正常に発動した事がわかる。なぜだか、こうすればマギサービスを呼び出せる事も理解していたのだ。
それどころか、今まで自分で書いてマギデバイスに溜め込んできたコードも、思い浮かべれば即座に呼び出す事ができた。いちいち対象をマギデバイスで指し示す必要もないし、呪文をいちいち口にする必要もない。モーションどころか、考えるだけでマギが実行できてしまう。
まるで、僕自身がマギデバイスになってしまったかのようだった。




