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アヒルの声  作者: Y’z
2/5

―2―

 鳥越(とりごえ)()(こと)、それが彼女の名前だった。

『トリゴエ』と聞き、可愛い顔をしてガラガラ声で歌うの彼女の姿を思い起こし、俺は『アヒル』を連想した。

 昨日真琴さんが帰った後、彼女について敦司さんが教えてくれたのはそれだけだった。俺はもっともっと色々と聞きたいことが山のようにあったのに、敦司さんは『バンド活動以外の付き合いも、プライベートなことを知ったり聞いたりしないのが、このバンドのルールだ』と言い、俺から訊くチャンスを奪った。

 身長百五十七センチメートル、体重は秘密、スリーサイズは上から八十二、五十八、八十二で、靴のサイズは二十四、山羊座のA型。誕生日は意外とクリスマスイブだったりする。多分俺の予想は会ってるだろう。しかし――、(ききてえ! しりてえ! うおお、我慢できねえ!)

山下(やました)君」突然呼ばれてハッとして横を向いた。同じ学科の美代子(みよこ)だった。俺が顔を向けると彼女は、はにかんだ表情で上目遣いで見つめてくる。俺はうんざりとしながら彼女の視線を外そうとして、思わず辺りを見回した。俺の周りは女だらけだった。皆、俺に熱い視線を浴びせている。

 午後の最後の講義。俺は代返を頼んで直ぐ出るつもりだったのに、ぼうと考え事をしていたらしい。

「山下君、由美子と別れたんでしょ」美代子が言った。

「最初から、付き合ってたつもりなんかないよ」美代子の顔を見ずにそう言って、教壇のまん前の席に目を向けた。その席で由美子が必死に黒板の内容をノートに書き込んでいる。

 由美子は頭がいい。本当ならもっといい大学にいけるはずだった。それが、受験日近くになって体調を崩し本命の受験に失敗し、浪人することを許されなかった彼女は、泣く泣くこの大学に進学してきたらしい。受験勉強が面倒で、推薦でとりあえず受かるところを探して入ってきた俺とは、全然違うタイプの人間だ。

 由美子と始めて会ったのは入学式の日。その日、俺は風邪気味で熱っぽかった。だるくて直ぐにでも帰りたかったが、同じ新入生のマキを見た途端、直ぐにどうやって口説くか考えた。でも、身体が言うことを聞かなかった。仕方なく、その日は諦めて自宅へ帰ると、アパートの階段の下に由美子が立っていた。俺と由美子はその時初めて会ったはずなのに、彼女は俺のことを知っていた。それで、具合が悪そうにしている俺を心配して、待っていたというのだ。

 俺は、追い返そうとしたが、彼女はどうしても看病したいと、半ば強引に部屋に上がりこんだ。多分、俺をモノにするために彼女は必死だったんだろう。俺は、身体がだるくて追い返すのも面倒になり、彼女の好きにさせた。

 彼女の作ったおかゆはうまかった。食欲はなかったのに、残さず食べた。引っ越してきたばっかりで、薬も水枕も何もなく、彼女が全部買ってきて、朝まで俺を看病してくれた。

 翌朝には熱も下がり、二人で大学へ出たが、講義説明会の間じゅう、彼女はずっと隣の席で居眠りをしていた。彼女の幸せそうな寝顔は今でも忘れられない。

 俺は彼女を恋人として認めた訳ではなかったが、彼女のほうはそれ以来完全に恋人きどりだった。でも、それなりに可愛いし料理も上手いし部屋の掃除もしてくれるし、抱きたいときには嫌な顔を一つも見せずに応じてくれる彼女が便利で、ついついだらだらと付き合ってきた。

 それが突然向こうから別れの電話を掛けてきた。

(俺様を振るなんて……)

 左を向いて窓際に座っているマキの姿を目を見つめた。

 直ぐに彼女は俺の視線を感じたように顔を上げ、こちらを向くと顔をトロンとさせた。

(ほら見ろ、俺の魅力が分からない女なんて、お前と真琴さんだけだ!)


 今日の講義がすべて終わり、俺は食堂の一角で缶コーヒーを飲んでいた。

 同級生や先輩などに、真琴さんのことを聞いたが、彼女のことを知っている人間はひとりもいなかった。彼女はこの大学の学生ではないということが分かっただけだ。

 でも、早朝や夜中に学坂を信じられないスピードで走り抜けていくCBXのことは、バイク好きの人間の中では伝説になっていることを知った。


     *


 数日後の土曜日の深夜、バイト先のコンビニエンスストアーでレジ打ちをしていた。普段は、夕方から夜の九時までしか働いていないが、今日は体調不良で深夜のバイトの人間がこれなくなったので、代わりを務めることになった。

 バイパス道路沿いにあるこの店は、深夜でもわりと客が来る。

 相撲取りのように太った大男の客に、商品を入れた袋とつり銭を渡し、愛想よく礼を言う。

 下げた頭を上げ、次の客を見た瞬間、驚いて思わず声を漏らした。

「真琴さん!」

 俺が反射的に口説き目線を放ったのに、彼女は無表情だった。

 俺が戸惑っていると、レジカウンターの上に生理用品とコンドームの箱を置いて、ズボンのポケットからくしゃくしゃの札を出し、無造作にそれをカウンターの上に乗せて、ぼうっと俺の胸元辺りを見つめている。

 俺は急いでその二つの商品のバーコードを読み取り、茶色い紙袋に入れると、さらにコンビニ袋に入れて真琴さんに渡し、レジを打ってつり銭を渡した。

 真琴さんは無表情にそれを受け取る。

「あの、真琴さん?」

 声を掛けたのに彼女は無表情のまま出口へ向かった。

 引き止めたかったが、次の客がレジの前に立ったので、俺は彼女の後ろ姿を気にしながら、レジを打った。

(ゴムなんて……、男がいるのか?)


 朝七時、バイトを終え裏口から店を出た。朝の光に目がちかちかする。

 俺はおんぼろスクーターに跨り、考えていた。

 真琴さんは、歩きでこの店に来ていた。ということは、この近くに住んでいるはずだ。俺は彼女が歩いていった方向にゆっくりとスクーターを走らせた。

 手がかりはCBXだった。暫く付近を捜したが、彼女のバイクを見つけることが出来なかった。

 たまたま知り合いの家にいて、そこから買い物にきただけかもしれない。でも、買っていったものを思い起こすと、自分の家からきたとしか考えられなかった。

 俺は彼女の家を探すのは、また今度にしようと思いながら、徹夜で腫れた目を擦った。


 結局彼女の家は見つけられず、次の練習の日となった。練習は毎週水曜日の夜中だ。

 休憩しようと敦司さんが言って、彼がトイレに行くと俺はすかさず真琴さんに話しかけた。

 趣味は? 好きなミュージシャンは? いつからギターをやってるんスか?

「…………」

 好きな男のタイプは? キム拓と稲垣吾郎だったらどっちが好き?

「…………」

「家、どこなんですか?」

「…………」

「彼氏……、いるんスか?」

「…………」

「俺のこと、どう思います?」

「…………」

 何も答えない彼女にいい加減腹が立ってきた。

「ばらしますよ! この間、ゴム買ってったこと!」

 そう怒鳴っても、無表情のままタバコをふかしている。

 俺は溜息をついてドラムセットに向かった。

 むしゃくしゃして、とにかく叩いて発散したくなった。

 暫く無心で叩いていると、ふと彼女が俺のリズムにギターソロを乗せているのに気がついた。

(はあ……、ほんとかっちょいいんだよなあ……)

 直ぐにさっきまでの嫌な気持ちがどこかへ消えていく。

 それでも物足りなさが少し残る。

 楽器でしか気持ちを伝えられない。

 それなら、言葉はなくてもいい……、せめてもう少し、楽しそうな顔を見せてくれないかなあ……。



 グオオオン! とまた前輪を浮かせたまま走り去っていく真琴さんを見送った。敦司さんは横にしゃがんでブラックの缶コーヒーを飲んでいる。

「今度焼肉パーティーとかやりません?」

「パーティーねえ……」

「ねえ、やりましょうよ」

「そうだなあ……」敦司さんはめんどくさそうな口調で答えた。

 それでもしつこく誘っていると、「そのうちな」と言って立ち上がり、片手を上げて「またな」と言って帰ろうとした。

「敦司さんは平気なんですか?」敦司さんの後姿に話しかけると、敦司さんはゆっくりと振り返った。

「なにが?」

「真琴さんと話したいって思わないんですか?」

「別に」と敦司さんは眉毛を不思議そうにたれ下げて答えた。

 俺が奥歯を噛んで俯いてしまうと、敦司さんは何も言わずに帰っていった。

 自動販売機の明かりの中で俺は、ぽつんと一人しゃがんで俯いていた。辺りは真っ暗闇だった。

 駐車場のほうから車が走っていく音が聞こえる。

 その音がやがて聞こえなくなると、辺りはしんと静まり返った。

 今までやってきたバンドは、練習が終わると必ずみんなでどこかへ繰り出し、飲んだり食べたりゲームセンターでわいわいやったり、必ずそういう時間があった。

 演奏が半分、その後みんなで遊ぶのが半分。

 俺の今までのバンドの楽しみ方はそういうものだった。

 でも、このバンドは違う。ただただ演奏するのみ。

 練習中でも、一言の会話もない。

 確かに演奏については、俺が今まで味わったことのない刺激を感じる。演奏を始めると直ぐにのめりこんでしまう凄さがあるのは確かだ。

 そう思えば思うほど、もっと二人と親しくなりたいと俺は思う。

 でも、当の二人はさっぱりだ。練習が終わると、缶コーヒーを一本飲んで、さっさと帰ってしまう。

 練習で思いっきり高ぶった心に、ドライアイスをぶちかけられたような気持ちになる。

 俺は飲みかけの缶コーヒーを無造作にゴミ箱に放り込み、おんぼろスクーターのエンジンを掛けた。

 ペーッペリペリペリ……、真琴さんのバイクとは対照的な情けないエンジン音を響かせ、俺はクラブハウスを後にした。



 翌週の火曜日、俺はサークル仲間に誘われて、仲間の一人のアパートでマージャンをやっていた。

「ロン!」(げっ! またか)俺の対面のヤツにまた当たられた。

「ぐぞお!」俺は思いっきりパイをかき混ぜながら悔しさを紛らわそうとした。

「光二、おまえ今日全然駄目じゃん」

 その通りだった。今日は全くついていない。


 溜息をつきながら、仲間のアパートの部屋をでた。時刻は深夜一時になろうとしていた。

 俺はマージャンで負けた罰として、買出しに行かされることになった。仲間のアパートはバイト先のコンビニエンスストアーの近くだったので、俺はそこに向かってとぼとぼと歩き出した。

 人通りのない暗い細い道を、自分の靴音だけを聞きながら歩き、角を左に曲がると、正面にバイパス道路が見えた。

 ポケットから財布を取り出し、金を確かめようと思ったときだった。

『フォン! フォン!』とバイクの集合管の音が聞こえてきて、思わず顔を上げた。すると、バイパス道路から、一台のバイクが姿を見せたかと思うと、『グオオーン』と前輪を浮かせながらこちらに向かってきた。

 直ぐ横を走り抜けていくそのバイクを見て、思わず叫んだ。

「真琴さん!」とその瞬間、俺は彼女のバイクを追って走っていた。

 小さくなった、彼女のバイクが右に曲がって消えていく。俺は必死に彼女を追ってとにかく走った。

 彼女が消えた角を曲がり、その先を見渡したが、彼女の姿はもうなかった。バイクの音も聞こえない。

 俺は両手を膝について、肩で息をした。

 暫くその場で息を整えてから、ゆっくりと彼女が消えた方向へ歩き出した。

(絶対見つけてやる)と思いながら携帯電話を取り出して、仲間を呼び出すと、「用事ができた。借りは今度返すから」とだけ言って電話を切った。


 かなりの時間付近を歩き回ったが彼女のバイクを見つけることはできなかった。俺は諦めて帰ろうと、来た道を戻り始めた。

彼女が曲がった角が見えてきたところで、携帯電話を取り出して時刻を確認すると、午前二時を過ぎていた。

どおりで眠いはずだと思った。俺は大きく欠伸をしてふいに横を見た途端ハッとなった。目を擦ってもう一度見てみる。

 間違いなく彼女のバイクだった。

 何度もここを歩いていたはずなのに、今になって気がついた。彼女のバイクは、彼女が曲がって消えた道を百メートルも行かないところで、道から少し奥に建てられたアパートの前に止められていた。

 遠くからこのアパートの二階を見たときに、あまりにも朽ち果てそうな建物だったので、無意識に探す対象から外していたんだと思った。

 アパートの前は駐車スペースになっているが、真琴さんのバイク以外は止められていない。明かりのついている部屋もない。

 俺は息を殺して、真琴さんのバイクに近づいていった。

 一階の向かって一番右端の部屋の前にバイクは止めてあった。俺はその部屋のドアの辺りをじっくりと見渡したが、表札はなかった。

 俺はなるべく足跡を立てないように、一階から順番に部屋の表札を確認していった。

 表札のある部屋もあれば、ない部屋もある。あっても、鳥越という名前の部屋はなかった。

 本当に彼女がここに住んでいるのか、心配になってきた。彼女だけでなく、誰もここには住んでいないんじゃないかと思った。

 それくらい、このアパートはボロい。

 それでも、俺はたった一つの手がかりを捨てる気にはなれなかった。二階の外廊下から、アパートの向こう側を眺めてみる。そこには、小さな児童公園があった。

 俺は、そこで張り込みをすることにした。


 車が走り去っていく音を聞いて、ハッとして目を開けようとしたが、あまりの眩しさに直ぐ目を閉じた。

 目を擦りながら起き上がろうとしたが、首筋が酷く痛んで起き上がれない。仕方なく、痛む首を左に向け真琴さんのバイクを確認すると、バイクはまだ止めてあった。

 ほっとしながらようやく居眠りしていたベンチから起き上がり、ずきずきと痛む身体を揉み解した。

 日はすっかり昇っている。よくこんなところでこんな時間まで眠れたもんだと思いながら、立ち上がって腰を伸ばした。

 携帯電話を取り出し、時刻を確認すると、午前十一時を過ぎている。

 俺は、小便がしたいのを我慢しながら、もう一度ベンチに腰掛け彼女が姿を現すのを待った。

 気になりだすと、数秒ごとに尿意が襲ってくる。無意識のうちに足がバタバタと地面を踏みしめてしまう。

 もう、限界だった。(トイレに行きたい!)

 どうしよう……。バイト先のコンビニまで行くか、仲間の部屋へ行くか考えていた。仲間は学校へ行っているだろうと思って、コンビニへ行こうと思い、立ち上がったが、なんとなく彼女が出てきそうな感じがして思いとどまった。

 しかし、小便のほうも予断を許さない状態だ。

 俺は、周りを見渡して、小さな滑り台の影にズボンのチャックを下ろしながら、小走りに進んだ。

(はうう……)至福の瞬間を身体を痙攣させて味わったときだった。

『キュルル! フォン!』とバイクのエンジンを掛ける音を聞いて慌てて横を向いた。

「げっ!」真琴さんがヘルメットを被ってバイクに跨ろうとしている。(うおお!)俺は溜まっていた小便を一気に吐き出そうと力んだが、全く小便の勢いは収まらない。

 結局、身動きがとれずに、彼女が走り去っていくのをただ見送るしかなかった。

 がっくりとうな垂れて、最後の一滴まで出し切ると同時に、溜息も出た。でも、なんとなく希望が出てきたのも確かだった。俺は、ほんの少しだけ彼女に近づけたような気がして、嬉しくなった。


 その日は練習の日だった。いつものように無言でただ音の絡め合いに集中し、あっという間に二時間強の練習を終え、外の自動販売機の前にしゃがんで缶コーヒーを飲んでいた。

 後ろを振り向くと、真琴さんはいつものようにしゃがんで自動販の横にもたれかかり缶コーヒーを飲んでいる。

「真琴さん、焼肉好きですか?」答えないのを覚悟で訊いてみたが、俺の声など耳に届いていないかのような表情でいられるのは辛い。俺はそれ以上話しかけるのをやめた。

 真琴さんがいつものようにバイクで走り去ると、敦司さんが言った。

「さすがに諦めたか?」

「えっ? なにをですか?」

「んっ? あいつと話するの」

 俺は愛想笑いを見せて答えなかった。そして、ゆっくりと立ち上がり、この日は敦司さんより先に帰った。

(ムフフ、だーれが諦めるもんか。俺様が落とせなかった女はいないの)

 俺はウキウキとした気分で、おんぼろスクーターで軽快に学坂を下っていった。

 例のアパートの近くでスクーターを降り、押しながら歩いて前までいくと、前に真琴さんのバイクが止めてある部屋だけ明かりがついていた。(ビンゴ!)俺は思わずガッツポーズをした。

 忍び足で近づき、ドアの横の窓ガラスに耳を近づける。中からは、チャーの曲が聞こえてきた。

 間違いないと思った。彼女の部屋を見つけた喜びに、思わず飛び上がりたくなった。

 もう、いてもたってもいられず、俺はドアをノックしていた。

 何度かノックしたが、誰も出てこない。

 無駄だと思いながらドアノブをひねると、あっさりとそれは回った。

(うそ、鍵かけてねえの?)

 唾を飲んで、ゆっくりとドアを引いていく。チャーの演奏の音がはっきりと聞こえてきた。

 少し空いたドアの中を見ると、テレビ画面にはチャーが映っている。俺は思い切ってドアをさらに開き、そっと首を突っ込んだ。

 徐々に左に視線を移していくと、ローテーブルの向こう側に、真琴さんがグラスを傾けていた。

「真琴さん?」

 俺が声を掛けても、彼女の視線の先はテレビに向いたままだった。

「あの、真琴さん!」少し声を大きくして言ってみたが、全く反応がない。

 部屋の中を見渡しても、彼女以外いそうになかった。

 仕方なく、俺は勝手に上がらせてもらうことにした。

(あんたが、何にも言わないからいけないんだからな)と俺は心の中で呟きながら、彼女の部屋に足を踏み入れた。

 ゆっくりと部屋の中へ進み、彼女の右手に正座すると、ちらりと彼女の様子を伺った。

 彼女は左腕でテーブルに方杖をついて、ぼうっとテレビを見つめている。テーブルの上に乗せた右手にはタバコを挟んでいる。

 俺がそのタバコを見つめていると、ふいに彼女はそのタバコをくわえ、煙そうな目をしてテーブルの上に置いてあった透明な液体の入った瓶を掴んだ。そして、左の手のひらで横から擦るようにしてシャーっと音をさせて蓋を回して開け、グラスに注いだ。

 その後瓶をテーブルの上に置くと、グラスを掴んでグイッと一気に飲み干す。俺は彼女の置いた瓶を見た。見慣れないラベルだった。彼女の表情を伺いながらそれを手に取ると、それはウォッカだった。

 足を崩して部屋の中を見回す。真琴さんの後ろにはベッド、その向こうは押入れ、正面の窓の下には白いカラーボックスが横倒しに置かれていて、その上にはバーボンやウイスキーのビンが置かれている。そのまま右に目を向けていくと、テレビがこちら向きに置かれていて右の壁側に風呂場とトイレと思われるドアがある。俺の後ろには小さな流し台があり、横には一口コンロが置かれている、ざっと六畳一間だと思った。

 まったく女らしい感じのしない部屋だった。ひょっとすると、ここは男の部屋で、突然パンチパーマでもかけたヤクザみたいな男が帰ってくるんじゃないかと不安になってきた。

 真琴さんに顔を向けると、彼女は酒に酔ったのか、目がトロンとしていて、その目の周りはほんのり赤みを帯びていた。

「真琴さん、一人で住んでるんですか?」

 彼女は何も答えず、眠そうな目でゆっくりと瞬きした。

 そして、テーブルの上のリモコンを掴んで、ビデオを止めてテレビを消すと、立ち上がって蛍光灯を消した。

 その後床にごろりと丸くなって寝てしまった。

「えっ? ちょっと、真琴さん。ベッドで寝ないんですか?」

「…………」

(えっ? マジかよ……。これって……、好きにしてって言ってる?)

 俺はどうしようか迷った。

 いつかは彼女を落とそうかとも考えていたが、彼女の先制攻撃に戸惑っていた。

(でも、なんかシャワーも浴びてないし、歯も磨いてないし、なんかなあ……)

 それでも、ここで何もしないで帰ると、ますます馬鹿にされて、それこそ一生何も話してもらえないような気がしてきた。

(よし!)俺はついに彼女を抱く決心をして立ち上がった。

 そして、玄関へ行き鍵をかけようとした。

「えっ?」鍵が壊れてて、掛けられなかった。

 少し戸惑ったが、壊れているものは仕方がないと思い諦めて、彼女の横に添い寝した。

 胸がドキドキする。女を抱くのにこんなに緊張したのは久しぶりだった。

 彼女の顔にかかっている髪を人差し指でよけてみて、ハッと息を呑んだ。

 彼女の口元は嬉しそうに、微笑んでいた。

 夢の世界を楽しんでいるかのような寝顔だった。

 現実の世界へ引き戻すのをためらいたくなるような寝顔だ。

 なぜか、胸がきゅうっとなる――。心臓の鼓動がさらに高鳴る。

 初めて見る彼女の感情を表す表情に、俺はついつい見とれてしまっていた。

 暫くその寝顔を見つめていて、やはり彼女を抱くのをやめようと思ったときだった。

 突然彼女が目を開け、じろりと目を合わせてきたので、ぎくりとした。

 何か言い訳しようと思ったのに、声が出ない。

 うろたえていると、彼女が俺にのしかかってきた。

「んっ! んん!」いきなりキスされた。

「やっ……、んん……、んん……」彼女の舌が俺の口の中で暴れだす。

 女に無理やりされるのは初めてだった――。


 彼女が感じているのかは分からない。時折低く呻くような声を出すだけだ。でも暫くして、下から俺に突かれている彼女の腰が、小刻みに痙攣するのを感じて俺はそれに釣られるように一気に果てた。

 俺は彼女を抱きしめて、快感の余韻に浸っていたかったのに、彼女はするりと俺の上から降りると、簡単に自分の後始末をして、パンツだけを身につけ、またごろりと床に丸くなって寝てしまった。

 俺は起き上がり、溜息をついた――。

(ただ……、やりたかっただけ?)

 俺はがっかりしつつ、自分の後始末をすると、パンツだけはいて、彼女を見つめた。

(とにかく、真琴さんのことをもっと知ろう)

 俺はそう思って、彼女を抱き上げると、ベッドに寝かして自分も横に寝た。

 俺の腕枕の上の彼女の寝顔は、楽しそうに微笑んでいる――。


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