私の番
1
かべの近くにいすが五こありました。
左から三ばん目のいすに、男の人が下をむいてすわっていました。
その前にはその男の人と同じようにうつむいた一人のかわいいりぼんをつけた、おんなの子がいました。
そこにでん車がきたことをつげる声がします。
おんなの子は思いきったようにかおを上げます。
だんだんとでん車が近づく音がします。
しかしおんなの子は前へとすすみます。
男の人はやっとなかなか気づきませんが、もうすぐのところで気がづきました。
男の人はいつもどんかんです。
その男の人はすこしどうしようか、とまようかおをしました。
どうしてすぐにたすけてあげないのでしょう?
しかしすぐにおんなの子のもとへとかけつけます。
やさしく、てをつかみ、ひき止めます。
でん車が止まる音がします。
つぎにドアがひらく音がしました。
たくさんの人の足音がします。
おとなのひとはこういうことにはむかんしんです。
手をもたれたまま、おんなの子はじっと男の人をみつめました。
そんなおんなの子のとなりに男の人もじっと立ってます。
やがておんなの子の手をひいて、さっきのいすにすわらせて、
じぶんもとなりにすわりました。
二人はただだまっていました。
そしておんなの子からしゃべりかけます。
そこでおんなの子はなぜあんないけないことをしたのかせつめいをします。
男の人がそれに対してそんなことはいけないよとせっとくをしました。
これからおこるゆめのようなたのしいはなしをたくさんしました。
やがておんなの子と男の人はちがうところに行きます。
どうやらおんなの子はこれからも生きていくことをきめたようです。
めでたしめでたし。
2
場所は同じく駅構内。
ただそこにいるのは少女だけである。
さっき、自分がした会話を思い出す。
最近の自殺を題材としたドラマや携帯小説なんかじゃよく語られる会話。
生きることへの無反省の賛美。
全体的に何処となく精彩を欠いた話。
思い出しただけでもぞっとして、鳥肌が立つ。
そして自分がついた嘘。
これもまたありがちな自殺の理由。
つまらない理由。
自殺だと思っているが、実際には他殺である。
彼らは自ら死んではいない。
殺されたのだ。
なにかに。
そんなロマンスの成れの果て。
鞄から電話を取り出し、どこかに掛ける。
「……はい、……えぇ今、終わりました、暫くは大丈夫かと。そうです……此処にいる私たちにできるのはただ、ただ生きること。生きる義務はあっても、死ぬ権利など誰にもありません……いえいえ、お礼なんて……方法ですか、それは企業秘密です。まぁちっぽけな虚栄心を満たすとでも言いますか。はい、事前の契約通り料金は振り込みでお願い……」
会話が途中で遮られる。
なにかが地面に落ちる音。
電車のブレーキ音。
激しい衝突音。
人身事故による運行停止のアナウンス。
そんなありふれたアナウンス。
終
3
一九九〇ねん一月二二日
きょうはおともだちのエリちゃんのおたんじょう会でした。
その子はとてもうれしそうでした。
わたしもうれしかったです。
みんなでおはなしたり、あそんだりしました。
ただひとりのおんなの子だけぽつんとさびしそうにしてました。
わたしはその子もなかまにいれてあげようとおもってはなしかけてあげました。
はじめはめいわくそうにしていましたが(人にしつれいだとおもう)
やがてだんだんとおはなしするようになりました。
だけどそのおはなしでその子はよんでいたほんのはなししかしませんでした。
おうじょうのなんとかとか、からまるきょうだいとか、
むずかしいことばかりを言ってました。
もっとたのしいおはなしをしたらいいのに。
おたんじょう会のあと、いえにかえって、
わたしもおはなしをかんがえることにしました。
たのしいおはなしをかこうとおもいましたが、
すこしだけかなしいこともいれました。
よんだらナオキくんなんかはないてしまうかもしれません。
このにっきのつづきにかいておきます。
4
二〇一一年五月二十一日
久しぶりに休みを取って実家に帰郷した。
田舎はいい。だなんてよく言われるが、虫が出たり、近くにコンビニがないなど面倒な事が多い。
それに人に会うたびに「結婚したの?」「彼氏は?」なんて聞かれる。
余計なお世話だ。
田舎のこういう行き過ぎた近所付き合いはあまり好きじゃない。
何年振りだろうか、私の部屋に入る。
部屋は上京してからとあまり変わってないように思う。
掃除はちゃんとしてくれていたようだ。
母に感謝。
本棚を見る。そこは少女漫画で埋め尽くされていた。いちご畑のように甘酸っぱい。萩尾望都もある。
たしか転校していった子から貰ったものだったはず。
小学生のとき、その子は本ばかり読んでいてあまりクラスには馴染んでいなかった。
高校で同じクラスになったときは出席番号が近いということもあって、それなりに喋るようになった。
しかし二年の途中で転校して私より先に東京に行ってしまった。
それ以降連絡もない。
今、彼女は小説家となっているようだ。去年、なにか賞を貰っていたのをテレビで知った。その本は買ってない。
そんなことを思い出しながら見ていると、その中に一冊、場違いであるかのような黒い手帳のようなものがあった、パラパラと見る。
小学生のときの日記だった。恥ずかしげもなくいろんなことが書かれている。その中の一ページで手が止まる。
ちょうどその子について書かれていた。幼いながらずいぶんと残酷な考え方をしている。彼女とどこか少し壁があった理由がわかった。それを覚えていなかった今の自分も残酷だろうか。
その日記のあとに小説があった。
すぐさま見たことを後悔する。なにを考えていたのだろうか、恥ずかしいことこの上ない。
誰かに見せていないか心配になったが、こんな稚拙な文章を覚えている人などいないだろう。そう思い込み抑える。
しかし私も小説なんて書いていたのか、書いたことをまったく覚えておらず、自分でも意外であった。
今でも書けるのだろうか。そう思い「めでたしめでたし」のところに線をして、この話の続きを書くことにした。
最初はすこし考えたが、案外スラスラと書けた、十分かそこらか。
書き終わって初めから読み返す。
誰に向けたものではない苦笑い。
自分で書いたものだけど展開が急でよく分からないし、詩もどきで気取っているところが鼻につく、論理もめちゃくちゃで、わけがわからない。当たり前だがプロのものとは違う。
それに結末を濁しているところに、どこかしらあざとさを感じた。
少女が落とされたのか、男が落ちたのか、それとも二人とも落ちたのか。
私は少女だけが落とされたと考えている。
「……そうか」
私は小さくつぶやいた。
きっとこの落とされた少女は私だ。
幼い頃の私、少女だった頃の私。
この話は幼い私の死で終わる。
それが結末であり、また事実でもある。
幼い私の死と引き換えに、今の私が生きている。
最後まで書くことで本当に彼女は死んでしまったのだろう。
私が殺した。
それでもきっとこの物語は、いつか書き終えなければならなかったのだろう。
この私の手で。
そんなことを考えながらふと窓を見た。
いつの間にかもうあたりは真っ暗、田舎は日が暮れるのが早いとはよく聞くが、こんなに早いとは。
台所で母が私を呼んでいた。「今、行くよ」と言って、ドアノブに手を掛ける。
そのとき窓の向こうの、月も照らさない遠くの暗闇から、ほんの微かな足音が聞こえたような気がした。