土曜日の午後
# 土曜日の午後
土曜日の午後四時。店内には四組の客がいた。
カウンターには常連の吉村さん、窓際には笹木さん、そして奥のテーブルには五十代くらいの男性が三人。見慣れない顔だ。
私はカウンターの奥で、静かにカップを磨いていた。
「いや、本当の話なんだって」奥のテーブルから声が聞こえてきた。
「信じられないな」
「信じられないけど、本当なんだよ。俺の知り合いの、そのまた知り合いが実際に見たんだ」
私は耳を傾けた。
「それで? 何を見たんだ?」
「UFOだよ。しかも、近くで」
「どのくらい近く?」
「五十メートルくらい」
「五十メートル!」
吉村さんが、こちらを見て笑った。私は首を横に振る。黙っていよう。
「それでね」男性は続ける。「UFOから、緑色の光が出たんだって」
「緑色?」
「ああ。で、その光を浴びた木が、一晩で三メートルも伸びたらしい」
私は手を止めそうになった。一晩で三メートル? それは、さすがに。でも、黙っていよう。
「すごいな」
「だろう? だから、宇宙人は植物を育てる技術を持ってるんだよ」
「なるほどな」
笹木さんが本から目を上げて、こちらを見た。私は目を逸らす。
「それから」男性の話は続く。「俺の親戚がね、古い蔵を整理してたら、江戸時代の小判が出てきたんだって」
「小判? 本物か?」
「たぶん本物。鑑定には出してないけど」
「鑑定に出せばいいじゃないか」
「それがね、出すと税金かかるらしいんだよ」
私は眉をひそめた。それは、どうなんだろう。税金の話は複雑だが。
「で、いくらくらいの価値があるんだ?」
「一枚百万くらいじゃないかって」
「すごいな」
「それが二十枚くらいあるらしい」
「二千万!」
吉村さんが、また私を見た。私は小さく肩をすかめる。
「でもね」男性は声を潜めた。「実は、江戸時代の小判って、今でも普通に使えるらしいんだよ」
「え? 使える?」
「ああ。法律上は、今でも通貨なんだって」
私は思わず手を止めた。それは、本当だろうか? 調べたことがないが、でも。黙っていよう。
「じゃあ、コンビニで使える?」
「理論上はね。でも、店員が受け取らないだろうけど」
「そりゃそうだ」
笹木さんが、カウンターに近づいてきた。
「マスター」小声で言った。「我慢できてる?」
「なんとか」
「偉いわね」
男性たちの会話は続く。
「あとね、これは最近知ったんだけど」
「うん」
「コーヒーの木って、実は日本でも育つらしいんだよ」
私は思わず顔を上げた。
「え? 日本で?」
「ああ。沖縄とか、小笠原諸島とか」
それは、本当かもしれない。いや、聞いたことがある気もする。でも、商業的に成功してるのだろうか?
「へえ、知らなかった」
「でも、収穫量が少ないから、市場には出回らないんだって」
私は耐えた。聞きたい。本当に日本でコーヒーが育つのか。どのくらいの規模なのか。
「それから」男性はコーヒーを一口飲んだ。「このコーヒーみたいな、深煎りの豆ってさ」
私は耳を傾けた。
「カフェインが少ないらしいんだよ」
「え、そうなの?」
「ああ。焙煎すると、カフェインが飛ぶんだって」
私は眉をひそめた。それは、違う気がする。いや、でも、少しは減るのだろうか? 飛ぶというほどではないが。
吉村さんが、こちらを見ている。私は首を振る。まだ我慢だ。
「だから、夜にコーヒー飲むなら、深煎りがいいんだよ」
「なるほどな」
「俺、それ知ってから、夜は必ず深煎り飲んでる」
私は手を動かし続ける。深煎りの方がカフェインが少ない。それは、よく言われるが、実際はほとんど変わらないはずだ。でも、黙っていよう。
「あとね」男性は続ける。「猫って、実は泳げるらしいんだよ」
「え? 猫が?」
「ああ。野生の猫は、普通に川を渡るんだって」
「でも、猫って水嫌いじゃないか?」
「それは、飼い猫だけらしい。野生の猫は、必要なら泳ぐ」
笹木さんが、また私を見た。私も分からない。猫は泳げるのだろうか?
「トルコの猫は、泳ぐって聞いたことあるわ」笹木さんが口を挟んだ。
「ほら、やっぱり」男性が得意そうに言った。
私はますます分からなくなってきた。
「それから」男性の話は止まらない。「人間の爪って、死んだ後も伸び続けるって知ってる?」
「え、本当?」
「ああ。一週間くらいは伸びるらしい」
私は首を傾げた。それは、よく聞く話だが、実際は違うと聞いたこともある。皮膚が縮むから、伸びたように見えるだけだとか。
「怖いな」
「だろう? だから、昔の人は、死んだ人の爪を切ったんだって」
吉村さんが会計を頼んできた。
「マスター、すごい我慢してるね」
「ええ」
「顔に出てるよ」
「出てますか」
「出てる出てる」
吉村さんは笑いながら帰っていった。
男性たちの会話は、まだ続いている。
「そういえば」一人が言った。「富士山って、実は私有地らしいね」
「え? 富士山が?」
「ああ。八合目から上は、浅間神社の所有なんだって」
私は思わず、「本当ですか?」と言いそうになった。それは、聞いたことがある気もする。でも、本当だろうか?
「へえ、知らなかった」
「だから、登山者は、神社の土地を歩いてるんだよ」
「そうなんだ」
私はもう限界だった。日本でコーヒーは育つのか。深煎りのカフェインは本当に少ないのか。猫は泳げるのか。爪は死後も伸びるのか。富士山は私有地なのか。
「あの」私は思わず声をかけた。
「はい?」三人が振り向いた。
「すみません、ちょっと気になって」
「どうしました?」
「日本でコーヒーが育つっていうのは、本当ですか?」
「ああ」男性が頷いた。「小笠原諸島で、少量ですけど栽培してるそうですよ」
「そうなんですか」
「でも、商業ベースには乗ってないみたいですね」
「なるほど」
私は少しホッとした。では、他のことは?
「あと、深煎りのカフェインなんですけど」
「ああ、それはですね」男性が答えた。「正確には、焙煎してもカフェイン量はほとんど変わらないんですが、豆の重量が軽くなるので、同じ重さで比べると少し少なくなるらしいです」
「ああ、そういうことですか」
なるほど。微妙に正しいのか。
「猫が泳げるっていうのは?」
「ああ、それは本当ですよ。特にトルコのターキッシュバンっていう品種は、水が好きで有名です」
「へえ」
「爪が死後も伸びるっていうのは?」
「それは」男性が少し考えた。「実は都市伝説みたいです。本当は、皮膚が乾燥して縮むから、爪が伸びたように見えるだけらしいですね」
「やっぱり」
「富士山の私有地は?」
「それは本当です。八合目以上は、浅間神社の境内地なんです」
「そうなんですか」
私は驚いた。この人たち、意外と正確な知識を持っている。
「すみません、いろいろ聞いちゃって」
「いえいえ」男性は笑った。「俺たち、こういう微妙な話が好きなんですよ。本当か嘘か、ギリギリのやつ」
「なるほど」
「調べると面白いんです」
三人は笑いながら、会計を頼んだ。
「ごちそうさまでした。いい店ですね」
「ありがとうございます」
三人が出て行った後、笹木さんが笑った。
「マスター、我慢できなかったわね」
「ええ」私は苦笑した。「つい」
「でも、面白かったわよ」
「そうですか」
「ええ。マスターが質問攻めにしてるの、初めて見たわ」
私は頭を掻いた。
「気になっちゃって」
「分かるわよ」
笹木さんもコーヒーを飲み終え、帰っていった。
一人になった店内で、私は考えた。
本当のようで嘘。嘘のようで本当。
そのギリギリのラインが、一番気になる。
そして、つい口を挟んでしまう。
土曜日の午後。
今日は、負けてしまった。
そう思いながら、私は笑った。




