1 初恋
ルクス歴2344年
サンフィリア王国 ウィスプ村
畦道をずぶ濡れの少年が歩いていた。畑には最近収穫されたばかりの麦束がギラギラした炎陽の元に干されている。
この少年、ウィルは5歳にもなって〈点火〉〈点光〉〈火球〉の3つしか魔法が使えない。普通5歳にもなれば生活に必要な基本的な魔法はほとんどマスターして、いくつかの攻撃魔法も習得しているものだ。
ウィルも努力をしていないわけではない。むしろ毎朝、村外れで新しい魔法を覚えるべく練習を続けている。この日も必死になって〈水球〉を発動させようとしていた。魔力で球を作るところまではできた。それでもその球を水に変えるところが何度やってもできない、毎回火に変わってしまう。
そうやって練習しているといつものように同い年のバスタとその取り巻き二人がやって来て馬鹿にする。ウィルはバスタ達に向かって〈火球〉を放った。しかしウィルが唯一使える攻撃魔法も三人の〈水球〉で打ち消される。ウィルと三人の間にいくつもの〈火球〉と〈水球〉が飛んではぶつかって消滅していく。大人が使えばどちらの魔法もかなり危険なのだが、子供が使えば〈火球〉は当たれば消えてしまうし〈水球〉はせいぜい水浸しにする程度だ。
結局、今日もウィルは〈水球〉に濡らされた。しかし今日はバスタに一つだけ〈火球〉を当てることができた、負けはしたがウィルの心は軽い。三人と撃ち合って一人には魔法を当てられる。これは凄いことだと自賛する。元々、ウィルは祖父が魔族ということもあって魔力量は人よりかなり多い、それだけに使える魔法が少ないのが口惜しい。
昼時に家に着く頃には、真夏の太陽がウィルにかかった水をすっかり乾かしてくれていた。
今日の昼食はスパゲッティ・アッラッサッシーナ。母の得意料理である。
午後は祖父に武術や魔法、文字を習う。祖父バジュード・オーブはかつて王都の騎士団で中隊長まで務めた生粋の武人である。バジュードはウィルが木刀を振る様子を魔族の特徴である赤い目でじっくりと見て、時々振り方や型を指導する。父が薬師として別の町へ行商に出ていることが多かったので、その間はバジュードが父代わりであった。
「ウィル今のは良い感じじゃ。そのままいけ」
「分かった」
「うむ、成長しとるの。立派な騎士になれるぞ」
「騎士なんてならないよ、もう戦争もないし。それに魔法がないと騎士にはなれないよ」
「なんじゃと、戦争だけが騎士の仕事ではない。街の平和を守るのも大切なことじゃ。他の魔法も直に出来るようになる」
「村には犯罪者もいないし、騎士もいないよ冒険者の方がかっこいい」
「うーむ……。ウィル、お前の目は赤い。儂と同じじゃ。じゃが、同じ道を歩く必要はないかもしれんの。よいか冒険者も騎士と同じじゃ。国と民を守るために戦うんじゃ。それを忘れるなよ」
「うん! わかったよ。次は何するの」
「次は槍の訓練をしようかの」
「やったー! 槍楽しい」
そんな日々を続けて年が変わった。ウィルはまだ他の魔法を使えない。
今年からウィルは夢である冒険者に近づくために魔法の道場に通うことになった。
初めてやってきた道場で父バーリと道場の先生が話をしている。ウィルは父の横に立ってこれから魔法を習う先生と道場をぼんやりと眺めながら2人の話を聞いていた。父と先生はかつてこの道場で共に競った仲のようだ。話題がウィルの魔法の話になると、2人の楽しげな雰囲気が少し変わって真剣な表情になった。
「ウィル君、君の魔法を見せてくれないか」
道場の先生に言われてウィルは使える三つの魔法を順番に見せた。
「うーん。これは……
ウィル君、少し体を見ても良いかな?」
「うん」
「魔力を使って調べる、くすぐったいかもしれないけど我慢してね」
「………やっぱりそうか。バジュードさんは魔族だったね」
そう先生が呟いた。
「ウィル君、君の使える魔法は3つではない。君が使っているのは〈火球〉だけだよ」
「え!?」
「魔族の血が混じっている人に稀に起きる現象なんだけどね。1つの属性しか適性がない人もいるし君みたいに1つしか使えない人もいる。かなり少ないけど。君の〈点光〉は赤いけど普通〈点光〉は白いんだよ。君のは小さい小さい〈火球〉だ。〈点火〉も普通は紡錘形になるんだけど君のは球だ。これも小さい〈火球〉だね」
「え……」
新しい魔法を身につけられると思って行った道場でまさか魔法が減るとは思ってもみなかった。
「せ、先生。もし魔法が一つしか使えなくても冒険者になれますか」
「なれるよ。冒険者と行っても魔法だけで戦うわけじゃないからね。中には魔法だけで戦う人もいるけど、ほとんどは剣も槍も使う。剣に専念してる人だっているよ。それに〈火球〉だって鍛えれば魔獣相手でも十分通用する」
「じゃあ僕は〈火球〉を鍛える!鍛えて鍛えて最強の冒険者になります!」
「ウィル君ならきっとできるよ。君の魔力量はバジュードさんに似てとても多いし、何より君は無意識だろうけど〈点光〉ほど小さく〈火球〉を出すなんて普通の人には真似できないよ。君の魔力操作はすでにかなり高い域に到達してる。自信を持ちなさい」
「じゃあそう言うことだからバーリ。ウィル君は任せてよ」
「あぁ、頼む」
ウィルは午前に祖父との武術の稽古、日曜日以外の午後は道場に通うことになった。
一つしか魔法が使えないと割り切ってしまうと、ウィルの成長は早かった。豊富な魔力量を生かして一日に何百発も〈火球〉を撃った。立って狙えば的には百発百中、走って撃っても半分は的に当たるほどになった。ウィルはメキメキと頭角を現した。
道場では対人戦をする時に〈無垢の腕輪〉という魔具を付ける。これを付けて魔法を撃つと魔力に指向性が与えられずただの魔力の塊となって放たれる。炎や水を出して戦えば道場がすぐに壊れてしまうし、何より子供の魔法といえど鍛えれば人を殺す可能性もある。腕輪はそれを避けるための道具なのだ。
この対人戦でもウィルは強かった。いつもウィルをからかっていた例の三人もこの道場の門下生であったが一対一ではウィルには遠く及ばなかった。
ある日、イルケブの街に魔法の修行に行っている先生の娘リーナがウィスプ村に帰って来た。
次の日、道場の少年たちの中で一番強くなっていたウィルと大きな街で修行をしているリーナの練習試合が行われることになった。
ウィルは7歳、リーナは12歳だったが実力は拮抗していると思われた。
しかし実際にはウィルはリーナに手も足も出なかった。というよりウィルはリーナの前に立つと不思議な気分がしてまともに魔法を撃つことができなかった。リーナはウィルが今この道場で一番強いと聞いていたので油断せずに全速力の〈石弾〉を放った。もちろん〈無垢の腕輪〉によって〈石弾〉は石にはならず密度の大きな魔力の塊として飛んでいく。〈石弾〉はウィルの胸に突き刺さり、ウィルは大きな音を立てて道場の床に倒れた。ウィル胸は周りに聞こえそうなほどの音を立てて拍動していた。
「大丈夫!?」
リーナがウィルに駆け寄った。
ただの魔力の塊となっていた〈石弾〉は問題ではない。ウィルは受け身も取らずに倒れて頭を打っていた。リーナは腕輪を外すとウィルの頭に手を当てて〈回復〉を唱えた。頭の痛みが引くにつれて胸が痛くなるような気がした。
その日の夜はなぜかリーナの事を考えてなかなか寝付けなかった。