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エヴァリーが地上に引き戻されたのは、ブライトンの生徒の人だかりの向こうから、一際大きな声がした時だ。
「オーッ!オースティン!」
低く、それでいて溌剌とした声だった。
オースティンは聞こえないふりで反応しない。エヴァリーでさえ聞こえているのに。
「オースティン、呼ばれてない?」
「気のせいだろ」
だが、確実にオースティンの名前を呼びながら、その人物は近づいてくる。
ほら、とエヴァリーがオースティンをせっつくと、オースティンは深い溜め息を吐いて重い体を起こした。
「オー!聞こえてるだろっ!」
ニコニコとした笑みを浮かべた茶色い短髪で、目鼻立ちがハッキリとした精悍な顔立ちの男子生徒が、オースティンに近付く。
「…すみません、ちょっとぼーっとしてました」
オースティンも嘘が上手いか下手かは別として、口から適当な言い訳が咄嗟に出せるところはエヴァリーとの共通点だ。
「なんで来るって言わなかったんだよ、水くさい!ドリース叔父さんが教えてくれたんだ。オーは部活は何もして無いって聞いてたから半信半疑だったが」
そう言いながら、オースティンより背が大きく、筋肉量は3倍程ありそうな男は、オースティンに肩を回している。
オースティンは絵に描いたような張り付いた笑みを浮かべ、それを崩さない。
「こんにちは、オーの友達だよね?兄のエメレンスです、嬉しいな、オーの友達に会えるなんて」
兄?…兄?確かにそう言われれば…なんだか目鼻立ちが似ている…ような……
オースティンに兄弟が居るなんて話は今まで一度もエヴァリーは聞いたことがない。
「あっ…お世話になってます、エヴァ…です」
エヴァリーは言ってる途中で自分が男子生徒の格好をしている事に気づいた。
それが気になって、どうしても名前の後半は消え入りそうな声になってしまう。
「エヴァン!会えて嬉しいよ!」
エメレンスは相変わらずの満面の笑みで、ガバッとエヴァリーを抱きしめた。
ひっー…!突然鍛え上げられた筋肉に体が包み込まれてエヴァリーは驚きに悲鳴を上げそうになる。
挨拶ならおかしいことも無い…
そして、何よりオースティンの兄は記憶を失うことは無い。
「兄さん、やめてください。そういうの嫌がる人も居ますよ」
オースティンはすぐさまエメレンスをエヴァリーから引き剥がした。
そのままオースティンはエメレンスとエヴァリーの間に割り込む。
「あっああ、悪い、つい嬉しくって。オーに会うのも久しぶりだし、友達に会うのは初めてだから」
エメレンスは素直に体を丸めてエヴァリーに頭を下げた。
なんだかオースティンの家もいろいろありそうだな…––なんて思いながらエヴァリーは軽く頭を下げる。
「エヴァ!オー!お待たせ!帰りましょっ」
そこに練習が終わったリリアンが現れた。もうフェンシングのユニフォームは着ていない。
シャツにスカートでタイもしていないラフな制服姿だ。縛っていた髪も解いて、程よく広がっている。
練習終わりで上気した頬が薔薇色だった。
––はあああああ可愛い…––––!
「可愛い…」
あれ、今心の声漏れた?––とエヴァリーが目を見開くと、オースティンとリリアンはエメレンスを見ている。
確かにエヴァリーが心で唱えた言葉は、思いの外低かった。
「兄さん…勘弁してください…」
オースティンは気まずそうにそうエメレンスを諌める。
「いやっ…そのっ…」
エメレンスは先程と打って変わって顔を赤らめ、か細い声で狼狽える。
「兄さん?あぁ、オーの?初めまして、お話は聞いてます。リリアン・ヴォルラーヘンです」
リリアンは大して動揺もしていない。 それもそうだ、こんな反応は慣れたものだろう。
そうか…––リリアンとオースティンは同郷だし知っていてもおかしく無い––
でもエメレンスは、リリアンも知らない?っとエヴァリーは不思議に思った。
本日2回目のオースティンの家もいろいろありそうだな…––––だ。
「あっ…」
エメレンスは先程の圧が嘘の様に、もじもじとしてただ頭を下げる。
「エム、エム!」
ヒソヒソと騒ぎ立てる人混みの向こうから、頭2つ分出た白に近いブロンドの髪の毛をした人は、エメレンスを呼んだ。
生憎、エヴァリーは目が余りよろしく無い上に余り興味もないので、特徴しか認識出来ない。
「リリ、エヴァ、帰ろう。兄さん、それでは…」
オースティンは片眉を上げて、このタイミングを逃すまいとリリアンとエヴァリーを促す。
既にフェンシング部の面々は、練習場を後にしていた。