10
なんだか自分の中で蠢く暗く鬱々とした気配を感じて、エヴァリーは教科書を放り出し、外に出る。
行き先も決めてないが、パーベルの門を潜った。
とりあえずバスに乗って、門限に間に合うように帰れば良い…––そう思いながら、エヴァリーは歩を速める。
「ねぇ」
エヴァリーが門を潜ってすぐ、誰かの声がした。
「…」
嫌な予感がする––––
エヴァリーは足を止めるが、振り向けない。
まさか…––
エヴァリーの視界に、ふっとその人物は現れる。
うげぇっ––とエヴァリーは顔を歪めて顔を見上げた。
「…」
目の前の人物は両眉を上げて目を細める。
「…昨日の話の続きなら、お断りです。 もう言いふらしてるんでしょう?パーベル・アビーに変態が居るとか適当な事言って」
エヴァリーはアイゼイアを睨みつけ、アイゼイアを避けて前に進もうとした。
「待って」
アイゼイアはそれを手で制すると、エヴァリーの前に薄い水色の本と、その本に細く赤い紐で結び付けられた薄い桃色のラナンキュラスの花をパッと出す。
「昨日はすまなかった。この通りだ」
アイゼイアの表情は微塵も申し訳無さそうには見えないが、なんとも可愛らしい装飾を施された本に、エヴァリーは計らずしも固まってしまった。
「…良い本だった。確かに表現方法は過激な部分もあるが、心情の描写が機知に富んでいて、感情移入し易くて良いと思う」
「読んだんですかっ––!?」
エヴァリーは短い悲鳴を上げてそう叫ぶ。
「…借りただけだよ」
アイゼイアは、本を差し出すと、少しだけ微笑んだ。
エヴァリーは呆気に取られて本を受け取るしかない。
「……ちょっと歩かない?」
アイゼイアが、朗らかにそうエヴァリーを誘う。まるで天使の様に、小首を傾げて––––
いや、待て待て待て……––––
アイゼイアの頭の上にあるのは光輪か?ツノは生えていないか?––
こんな花なんて添えて本を返されても、悪魔には変わりない。
エヴァリーはアイゼイアの風貌に騙されるわけにはいかない。
「いえ、結構です」
一瞬緩んだ表情をもう一度引き締めて、エヴァリーはまた歩き出す。
バス停に着くと、エヴァリーは街の中心地に行くバスに乗り込んだ。
そして……––エヴァリーの隣にアイゼイアはあくまでも自然に座る。
「……もしかして付いてきてます?」
エヴァリーの困惑した問いに、アイゼイアは誰もがうっとりするような笑みを浮かべていたが、エヴァリーの体には悪寒が走った。
「エムの……エメレンスの弟とは仲が良いの?」
バスから降りて歩くエヴァリーの隣には相変わらずアイゼイアが居る。
「…パーベル・アビーに入ってからです」
ぶっきらぼうに答えるエヴァリーを、アイゼイアは横目で見た。
「ふうん。エムの弟は線が細いね。話には聞いてたけど…」
エメレンス…オースティンの兄。
どうやらアイゼイアはエメレンスと仲が良いらしい。
「エムは弟が居るって、よく自慢してるよ」
アイゼイアは、ふっと笑みを漏らしてそう溢す。笑みを浮かべるアイゼイアは何とも優し気で、悪魔の片鱗は見えない。
「そういえば君、古典は読まないの?普通の書店には新しいものが多いけど、あっちの通りの裏に古い本を集めた書店がある。行った事ある?」
バスから降りると、アイゼイアはそう言って、エヴァリーには馴染みの無い通りを指差す。
エヴァリーが怪訝な顔で首を振ると、じゃあ行ってみようとアイゼイアはエヴァリーの腕を掴んで歩き出した。
アイゼイアは、古典文学に明るいらしく、幅広い知識でエヴァリーに一冊一冊丁寧に説明する。その解説が思いの外面白く、エヴァリーは数冊の本を買い求めてしまった。
「なぜ、そんなに詳しいんですか?」
「家に図書室があるから。試験にも出たりするでしょ?」
図書室がある……さらっとブライトンらしい言葉を吐くアイゼイアは当たり前だよね、という様な顔でエヴァリーに言った。