告げられる開戦(3)
私はアンブルート・タウラスの要求を呑んだ。
歯が立たない相手なのは百も承知。
それでもタウラスの願望に付き合おうと決心したのは困っている人々を見捨てられないUNdeadの社員としての使命感、元々のポリシー、そして事件に巻き込んでしまった責任感からだ。
エクソスバレーに来たばかりなのに交渉材料として、突然ミノタウロスみたいな異形の奴に攫われた漂流者の人達が怖い思いをしているのは、中途半端に奴を刺激し、不利な戦いを破天荒な方法で逃走したせいで不完全燃焼にさせてしまった私の責任でもある。
待ち望んだ答えを得られた狂戦士は分かりやすいくらい口を歪ませ牙を剥き出した無邪気を宿していた。
『決まりだな』
タウラスから指定された場所がスマホの地図にピンで示される。
神殿密集地の中央にある王宮を彷彿させる神殿。
タレンザ石塔街の何処からでも見える断崖にも似た階段に囲まれた一番巨大な石造りの建物を奴は一時的な拠点として占拠したらしい。
隣にいた藤波さんがちょこっと画面を覗き込むも怪訝そうな顔をする。
「翠ちゃんのスマホ、真っ暗なままだけど何か映ってるの?」
「藤波さんには見えてないんですか?
となると霊獣の力でコントロールされて私しか見えていないのかもしれませんね」
よく考えれば私と一対一の勝負を望んでるんだから他の人に知られない工夫くらいするか。
貨物車内部で聞いた短い会話から必要な情報を取捨選択出来たり、保護すべき漂流者を簡単に切り捨てられない交渉材料として利用したり単なる戦闘狂の一言じゃ片付けられない知性を持ってるのがタウラスの厄介なところだ。
『なるべく早めに来いよ。
でなきゃ大事な人間達が泣き叫んで煩くて仕方ねぇからな。
釘を刺しとくが余計な奴は連れて来ねぇで必ず一人で来いよ』
その警告を最後にタレンザ石塔街全域に流れていたタウラスの放送は終了した。
直後、桐葉さんから残っている漂流者の避難を優先させる指示が出て、社員さん達がタウラスの殺気に押されて慌てふためく漂流者に安全性を説きながら社用車に乗るよう促す。
桐葉さんから受け取った個別のメッセージには "いざという時には秘密裏に手を回す。君は生存だけに集中して欲しい。" と書いてあった。
どこまで本気か窺えない暴力的なタウラスの脅迫によってUNdead全員で挑む算段が封じられてしまったから、予備プランを用意した事を知らせてくれたのだ。
忙しなくなった駐車場を眺めながら藤波さんが優しく聞いてくる。
「あれも霊獣って奴に分類されるのかな。
放送越しでも私達、霊体とは比べ物にならない強大な実力を感じたよ。
けど他にも強そうな人達もいる中でなんで特別、翠ちゃんに執着するのかな」
「・・・・・・あいつは純粋に私との完全な勝敗をはっきりさせたいんだと思います。
一度、戦えって強引に引き込まれた事があってその時は交戦の途中で命からがら逃げたんです。
それが今の事態に繋がる引き金になったのかもしれません」
でも有耶無耶にされた己の欲望を満たす戦いの続きを望んだ故に無関係な大勢を巻き込む事も厭わない身勝手な奴だとは思ってなかった。
タウラスの以前の行動を聞いて戸惑いながら藤波さんが首を傾げる。
「別の事に注力すれば何かを成し遂げられそうな一途な集中力をよりによって完全な敗北を与えられていない相手に向けちゃったんだ・・・・・・
話を聞いた限りだと苦戦したみたいだけど勝算はあるの? 翠ちゃん」
「・・・・・・多分、ウィンドノートがいても勝てないでしょう。
ひょっとしたら激しく怒られるし、同行するのも拒否されるかも」
ウィンドノートは強い霊獣でありながらいつだって私と同じ立場と目線に合わせ、勝てる戦いを見極め、勝利までサポートしてくれた。
けど今回の相手は実力差があり過ぎる。天と地程の差と言ってもいい。
人を助ける為、なんて聞こえのいい大義を掲げても、そんな奴に愚直に挑むのは命を投げ打つのと変わらない。ウィンドノートは間違いなく制止する。
それにあの子はタウラスと初めて対峙した時から戦う術を持たない弱者を無価値と見下したり、世界に闘争が齎される事を望む、あいつの思想に普段は隠している獣の本能を晒してまで嫌悪を示していた。
仮に戦力が優位にタウラスを越していたとしても彼なら極力、言葉すら交わしたいとは思わないかも。
「そ、そんな事言われちゃったら翠ちゃんはどうする気?」
「そうなったら私一人でタウラスの所に行くしかありませんね。
あの子がいないって理由はUNdeadの使命、私の助けたい気持ちを裏切る原因には至りませんから。
・・・・・・正直、怖いですよ。でも自分を犠牲に誰かを助ける事は慣れましたから」
藤波さんにちょっと強がりながら言った。
正直、五ヶ月程の月日をエッセンゼーレとの戦いに費やしているけど未だに緊張と恐怖は完全に克服していない。
タウラスは再戦を真剣勝負と銘打って望んでいるけど命が左右されるような危機的な死闘にしたがってるあいつが生かしてくれるとは思えず野良のエッセンゼーレ同様、手加減無く私を殺すつもりでかかって来るだろう。
私一人で戦うと想定したら一分保てば御の字。あいつの前に立てばこの命はまさに吹けば散る落ち葉の様な物。失うのはまだ怖い。
それでもスケート場で身を呈して女の子を助けた時から私は正義感よりも好きなフィギュアが出来なくなった虚無を埋め尽くそうと自分を賭ける事を躊躇しなくなっていた。
半分、常人の感性を失いかけてる私に藤波さんは軽く叱る。
「仕事熱心なのは悪くないけど、これだけは忘れちゃ駄目だよ。
例え凶悪な犯罪者にも死んだら悲しむ人は必ず一人以上はいるようにどんな人にもあなたの死を嫌がる人がいるって。
だから最後の最後まで生に執着する事を諦めちゃ駄目だよ」
ガンにより六十八歳で急逝した藤波さんから重い言葉を戴き、生きる事の大切さを再確認していたら急激に吹いた背後の風に驚いたので振り返るとウィンドノートがそこにいた。
「あ、ウ、ウィンドノート・・・・・・」
息を切らしながら凄い形相で睨みつける顔を見ただけで分かる。
なんの相談もなくタウラスとの再戦を受け入れちゃったから凄く怒っている。
『お前、自分がどれだけ無謀な決断をしたのか自覚しているのか!?
あの霊獣に戦いを挑むのは命を投げ打つのと同じなんだぞ!!
タウラスに単身で挑めばどうなるか、貨物車の件で身をもって知っただろう!!
今すぐ改めろ。奴の要求を呑んでお前自身を犠牲にせずとも他の方法があるはずだ!!』
今にも獲物に食ってかかりそうな獣の迫力を浴びつつも私は必死に説得を試みる。
「でも私があいつと戦わないと漂流者の人達は解放されないんだよ?
タウラスに捕まってる彼らは今でも恐怖に怯えてるかもしれないのにこんな所で手をこまねいてるなんて嫌だ。
大丈夫だよ。今度は負けないから」
あいつの勝負との最中で他者を介入させる隙を作る場合でも指名された私が出向いてスペックの違う霊獣の感覚を逸らさないといけない。
だからどうやってでもウィンドノートの制止を押し退けて行きたいけど、すぐに見栄だと分かる強がりなんかじゃこの頑固者に叱られるかと思ったけど想定と違う声色が返って来た。
『駄目だ、行くな、考え直せ・・・・・・
俺が言った事を、覚えているか?
戦える者が強いのでは無く、生き抜く者こそが強いのだと。
憂う必要は無い、逃げても誰も責めはしない・・・・・・』
「ねぇ、ウィンドノート。今日は変だよ?
相棒として私の行動に付き添ってくれるんじゃないの?
なんで一緒に立ち向かおうとしてくれないの?」
普段は軍人みたいに厳格で冷静な態度を崩さないウィンドノートが震えてる。
気分はさながら子供が癇癪を起こさないように我儘を華麗にいなすお母さんを意識しながら慎重に顔色を伺うもご機嫌取りは失敗に終わり、駐車場に押し留めていた本音が爆発する。
『お前を喪いたくないからだ!!』
鋭く見据えるウィンドノートの大きな目には大粒の涙が溜まっていた。
こ、ここまで感情を崩壊させた彼の顔を見たのは初めてだよ・・・・・・
『大事な人々が、目の前で突然、生の幕を閉じる・・・・・・
そんな経験は、光景は、もう御免だ・・・・・・
お前まで俺の傍から離れるな・・・・・・』
「な、泣いてるの? ウィンドノート・・・・・?
まずは一旦落ち着こう?」
初めて知ったウィンドノートの過去と弱さに呆気に取られつつも私は取り敢えず自分の胸の間に彼の霊体を抱き、風で出来た毛並みを優しく撫でていく。
死に立ち会うってどんな感じなんだろう。
両親のおじいちゃん達はまだまだ元気だったから、交通事故に見舞われるまで縁遠い存在だと思っていた私には特別な悲しみを経験した人をいっちょまえに慰める方法など分からない。
だから取り敢えず偽物の体温を感じさせて安心させる事にした。
「そっか。色んな人との別れを経験してきたんだね、君は。
ごめんね。私はそういうのに疎いから傷付いた心の底まで理解出来ないけど、胸を貸すくらいなら出来るから気が済むまで泣いちゃってよ」
これで少しは落ち着いてくれるかな・・・・・・
よし、次は最大限の共感を示して、同伴して貰うよう説得しよう。
「不安になる気持ちは良く分かるよ。
私はまだ君に守られてばかりの弱卒だから、タウラスに挑んだら抵抗も出来ずに殺されるって思われるのも無理は無いよね。
だから、力を貸してくれないかな?
勿論、タウラスと対峙して嫌気が差す持論を聞きたくないなら諦めるけど」
穏やかに説得を語り掛けていると、急に覚醒したウィンドノートが私の抱擁から離れ、瞬く間に走って行った。
彼の中で起こった心変わりを理解出来ないまま呆然としていると、藤波さんがウィンドノートの決断の内容を予測し始めた。
「もしかしてあの子、神殿密集地の方を目指したんじゃない?
翠ちゃんの代わりにタウラスの所へ行こうとしてるのかも・・・・・・」
そんな。ウィンドノートは戦う力はあっても攻撃的な技を持ち合わせていない。
天災と同じ能力を持つタウラスと同じ種族であっても、彼一人で挑んだら苦戦は免れないし、簡単に殺されるかもしれない。
あの子、同じ末路を辿るなら自分が代わりになろうって考えたのか。
「翠ちゃん。今こそ、彼の相棒として相応しいかどうか試されてる時じゃないかな?」
もう迷ってる暇は無い。
藤波さんに催促され、私はウィンドノートの追走を決意した。
「当然、行きますよ。
あの子は、ウィンドノートは私の唯一の相棒ですから」
「分かった。じゃ、私も同行するよ。
まだ道中にエッセンゼーレがいたら追い払ってあげる。
好敵手の無駄な体力の消耗はタウラスにとっても不本意だろうし、途中の護衛までは問題ないでしょ」
初めての別れは俺を家族として迎えてくれた老夫婦だった。
重い事情では無い。お爺様、お祖母様の順で天寿を全うしただけの幸せな別れだ。
しかしその後に待ち受けていたのは地獄以外に形容出来ない物だった。
飼い主不在の俺を引き取ったのは政府の傘下にあった研究機関。
そこは武力で隣国の制圧を企んでいた腐った組織の指示に基づき、戦争で優位に立つ為のとある兵器を追究していた。
"生物兵器" 。
野生の動物や飼い主が逝去、または飼育放棄されたペットに殺戮に特化した機巧を改造手術で搭載させ、命を軽んじた外道の兵器を産み出す研究に巻き込まれた俺は本望では無い戦争への参加を強要され、過酷な訓練漬けの毎日を送らされた。
『とろいぞ、P2ー49C!!
貴様はこの国で育まれた恩を還元する気は無いのか!?
もっとやる気を出さねば祖国の繁栄を成す礎にすらならんぞ!!』
大切なレギンの名も自由も剥奪され、訓練で腑抜けた動きを見せれば調教師の様な人間が鞭打つ。
家族時代には許されていたささやかな抵抗と怒りの咆哮は偉大なる軍隊には不要な仕草とみなされ、それに類似する動きを見せた日には貴重な休息であった食事と水浴びが一日中禁止される。
過去の俺も何度かその懲罰を喰らい、その度にお爺様とお祖母様の暖かな思い出に耽っていた。
あぁ、灰色の毛並みと純粋な血肉で構成された生身の肉体で庭や公園を駆け回っていた頃が恋しい。
気付けば心を殺されたはずの鋼鉄の塊に悲しみが膨れ上がっていた。
そこから漏れ出た鳴き声が不快に感じたのか牢屋の様な同室の者から苦言が呈された。
『ピィピィ煩いねぇ。
あたいの食事を邪魔すんじゃないよ』
魚の水煮を大事そうに舐めている橙色の雌猫。
これが後に肩を並べて戦う俺の心強き友となるP6ー11Oこと "フィアレス" との初対面であった。
告げられる開戦(3) (終)