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アンロック・ゲフュール  作者: RynG
Chapter3 羨望の海王
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潮騒の余韻(2)

 ハシェット君と腰を据えて話す場所に選んだのは駅の構内にある喫茶店。

 蓄音機から流れる穏やかなジャズとコーヒーの香りが漂う落ち着いた雰囲気のレトロ喫茶って感じの店だ。

 

「失礼します。ご注文が決まりましたらボタンでお呼びください」

 

「おう。ありがとう」

 

 お冷を持ってきてくれた店員さんが去った後、タクトさんは丁寧に置かれていたメニュー表を対面のハシェット君に渡す。

 

「ほら、好きな物頼め。

 スイ達も姉さんのコンサートに行く前に腹ごしらえしとこうぜ。

 空腹じゃ貴重な姉さんの演奏に集中出来ないからな」

 

「うーん、私は護送の船の中でご飯を食べたのでストレートのアイスティーだけにします」

 

「そうかい。なら俺はフィッシュアンドチップスとコーラにするかな」

 

『では俺はフードメニューは同じ物にして飲料はキタザトと同じ物を頼む』

 

 私達の頼む品を決めた後、タクトさんがハシェット君に目配せすると彼もおずおずと頼む。

 

「じ、じゃあ、お、オレンジ、ジュースで・・・・・・」

 

 注文も済ませて対面はフードコートで学校のサボりを問い詰めた時と良く似た状況になった。

 少し違うのは隣にタクトさんがいる事だけ。

 テーブルを挟んで向き合うハシェット君から見れば前回よりも少し威圧的に感じるかもしれないね。

 ここはいつもより気を遣って優しく対応しないと。

 

「で? 今日は何してたのさ?」

 

 自分が使える最高の柔らかい声色でそう聞くと数秒の沈黙の後、ハシェット君が顔を逸らしながら細々とした声を発する。

 

「・・・・・・前にねぇちゃん達には伝えたよな? ペティシアタウンから少し離れた所に有名な陶芸師が仕事で来るから弟子入りを志願しに行くって。

 それが昨日。シュトラール号がエッセンゼーレに襲われたあの日に実行してたんだ。

 で、しばらく向こうで宛てもなく彷徨ってから今帰って来た、って感じ・・・・・・」

 

『結果はどうなったのだ? まぁ、その反応を見れば想像するのは難くないが』

 

「あ、あはは・・・・・・

 こうやって捕まった以上、正直に話すよ」

 

 

 撮影を中断してゆっくり話をする場を設けてくれるという大盤振る舞い過ぎる温情を見ず知らずの少年に与えてくれたジライヤが案内したのは少し湿った暑さを緩和させる心地良い風が吹き通る広々とした和室。

 桜の枝が壺の中で植えられていたり畳が敷き詰められた室内には簡素な茶道も出来る茶器や鉄瓶、囲炉裏まで用意された豪華な仕様で知識や感性に乏しいハシェットにも強烈な印象を残した。

 用意した座布団に座るよう促され、指示に従ったハシェットと同じ低さになったジライヤは死線を潜り抜けた元軍人の厳しい眼差しを向ける。

 

「二十分だ。それまでにわしを納得させるだけのおぬしの熱意を伝えてみせよ」

 

「ひ、ひゃい!!」

 

 自然と身が引き締まり背筋が伸びたハシェットは石材で制作された彫像みたいにガチガチに固まっていた。

 このままスムーズな受け答えが出来るか不安な状態だがアポイントも取らずに押し掛けてきた無粋な少年にこれ以上の施しなど不要と考えたジライヤは問う。

 

「何故、陶芸の世界に飛び込みたい?」

 

「オ、オイラ・・・・・・

 一目惚れした、作品があるんだ。

 学校帰りにペティシアのショッピングモールで見た、とっても綺麗な青い平皿。まるでペティシアの海みたい、だった。

 オ、オイラも、作りたいんだ。一目惚れしたあの作品みたいに、実用性にも美術にも優れた、さ、作品を・・・・・・」

 

 ハシェットの動機には幾らか嘘が混じっていた。

 まずショッピングモールに寄った時期は学校の人間から見下される冷ややかな目に耐え切れず適当な理由で早退した時である。

 たまたま足を止めた食器店で彼が口頭で説明した特徴の食器に心を惹かれたのは紛れも無い本心だがそれは陶芸家に憧れを抱いた直接的な起因では無い。

 ハシェットが陶芸家を将来の目標として定めているのは食器を作った人物が陶芸家だったので職の存在をここで知り、ネットで調べたら学歴や資格を問わないと書いてあった為に自分にも介入のチャンスがあると思っただけだ。

 要するに誰にも負けない熱意も高尚な動機など彼の中には存在しない。

 

「おぬしが志した背景は分かった。

 しかし陶芸家など腐るほどおるじゃろう。

 教えを乞う相手に他の奴ではなくわしを選んだのには理由があるのかの?」

 

 見え透いた考えを悟られたのかはジライヤの厳格な表情を見ただけでは分からないが、このまま沈黙しては彼に更なる悪印象を与える。

 ハシェットは足りない頭を捻ってみるも結果はご覧の通り。

 

「あ、え、あ、あっ、そ、それは・・・・・・」

 

 ハシェットがジライヤに弟子入りを志願しているのは自分の力で行ける範囲の中で最も近かったからだ。

 なので本来尊敬する人物に対して済ませるべき彼の作風や陶芸家としてのこだわりは下調べすらしていない。

 誤魔化す言葉など思い付くはずが無い。

 

「なんじゃ、その反応を見るにわしでなくとも良かったようじゃのう。

 先程の言動でおぬしへの信頼度が少し下がった。この後の対話ではもう少し気を引き締める事じゃ。まずは姿勢を正せ、それから言葉遣いも」

 

 鋭い指摘の後、ジライヤは続けて尋ねる。

 

「陶芸家になるという事は先人が積み重ねた伝統を受け継ぎ、土から生み出す芸術を知らぬ者達にも関心を示して貰うように作品を作り続け波及させる使命を背負うという事。

 おぬしにその覚悟はあるのか? 言っとくが、半端ならば今すぐ立ち去れ」

 

 武器を構えて突進してきた敵と戦場で相まみえた様な殺気を向けられハシェットは既に泣きそうになっていた。

 無能な自分でも成就出来るかもしれないと淡い期待を抱いて生半可に飛び込んだせいで無情な現実を直視する羽目になったのだ。

 このままでは弟子入りを認めて貰えない。

 軍隊仕込みのプレッシャーに押し潰され足りない理性すら完全に破壊されたハシェットに取れた行動は深々と頭を下げ、懇願するだけだった。

 

「お、お願いします・・・・・・

 この際、陶芸家の技術は要りません。

 ジライヤさんの下で働かせて貰いたいんです。

 身の回りのお世話や怠い雑事の押し付けでもなんでもやります。

 オイラはただ一刻も早く抜け出したいんです。

 同級生の奴らからも先生からも軽蔑の目を刺され、劣等感に埋め尽くされる息苦しい学校生活から。

 思い詰めてビルから飛び降りて死んで心機一転で頑張ろうと思っていたけど、どんなに努力しても結局無能なままのオイラじゃ受け止めてくれる場所なんてどこにも無いんだ。

 い、居場所を、くださいっっっ・・・・・・!!

 オイラに、救いの、手をぉ・・・・・・!!」

 

 悲痛な声はくぐもったまま反響していた。

 それでも一言も聞き逃さないよう不動を保っていたジライヤは全てを聞いた後、彼は老化によって少し下がった小さな霊体を持ち上げて背を向けた。

 

「悪いが帰ってくれ。

 わしにはおぬしを受け入れられる懐は持ち合わせておらん。

 大事なインスピレーションを得られる機会を他人に委ねたくは無いからな」

 

 明らかな落胆を見せるハシェットに "だが" とジライヤは遮る。

 

「今の話を聞いて確信した。

 おぬしはまだ、社会に旅立つには早すぎる。

 まずは学校で必要な知識を身に付けてからじゃ」

 

 それだけ言い残すとジライヤは中断していたテレビ撮影に戻って行く。

 

 

「・・・・・・って感じで追い出されて、今に至るって訳さ」

 

 ハシェット君の話を聞いてから私は頭を抱えた。

 人の忠告を振り切って強行で実施した時点で嫌な予感はしていたよ。

 しかも無断で押し掛けたから最初の印象が悪いのに簡単な敬語も会社の下調べすらしていないなら誰だって取りたいとは思わないでしょ・・・・・・

 

「・・・・・・せっかく将来を見つける為に我慢して籍を置き続けてる氷よりも冷たい刑務所から離れられると生まれ変わった自分になれるかもと思ったのに。

 やっぱりオイラは生前と同様に何者にもなれない運命なのか・・・・・・」

 

 自分の実力不足とはいえ千載一遇のチャンスを逃して心がぽっきりと折れてしまったハシェット君の顔を上げさせたのは "んな事ねぇよ" と否定したタクトさんの言葉である。

 

「極論過ぎるが夢ってのは諦めない限り、必ず実現するぞ。

 例え、お前さんが周りと自分自身から馬鹿にされるような低能な人間だって決め付けられてもだ。

 坊主、夢を叶えるのに重要な事はなんだと思う?」

 

「え? えっと、勉強したりとか?」

 

「確かに色んな知識を吸収したり反復で練習して必要な技能を習得するのも夢を叶える上で必要な要素だ。大半の奴はそれらまとめて "努力" って形容するな。

 けどその努力を継続させる為にもっと重要な要素があるんだ」

 

「ど、努力よりもっと大切な事?」

 

 ハシェット君の質問にタクトさんが間を作って答えた。

 

「夢を "忘れない" 事だ」

 

「忘れ、ない?」

 

「内容が自分の好きな事だったとしても努力ってのは痛みを決して顔に出さないように茨の道を歩む物、まさに苦行だ。

 何も考えずに突っ切った大抵の奴は必ず音を上げて早い段階で断念する。

 だったら先人達は如何にして大規模な夢を形に出来たのか。

 その答えこそ常日頃から叶えたい夢を心に掲げて、常に意識する。

 言わば "夢見る状態" が挫折しそうな自分を支える柱になってくれるって訳だ」

 

 タクトさんの話を聞いてフィギュアのコーチが教えてくれた事を思い出した。

 大きな夢を叶えるにはまず小さな目標を事細かに定めて一つずつ達成しろと。

 教えて貰った振り付けを少しづつ物にして氷上の上でも綺麗に滑れるようになって、そうやって少しずつ達成を感じる事で厳しい練習も楽しくなって継続出来たし全国大会で悪くない結果も残せた。

 タクトさんの言う通り、全国大会で入賞という目標を忘れなかったからこそストイックに頑張れた訳だ。

 でもハシェット君は自分には何も出来ないと決め付けて諦めてるせいで彼自身どう生きるべきなのかを見つけられていない。

 だからあんなに自暴自棄な行動に突っ走ってしまった。

 

「夢は人を動かす唯一の原動力だ。

 だが、お前さんはまだその夢自体も見つかってないんだろ?

 それじゃあどう頑張るべきかも分からなねぇから路頭に迷っちまうのも当然だ。

 だからその陶芸家も学校で勉強してやりたい事見つけろって言ったんだろ。素直に従っとけって」

 

「で、でも・・・・・・」

 

 出来るなら他の地方にある学校への転校も勧めるべきかもしれないがハシェット君にそれが出来る財力は無い。

 かと言って拒絶と冷遇の対応ばかり浴びて来たハシェット君にあの学校への復学は厳しい選択かもしれない。

 思い詰めるハシェット君の耳を揺らした扉のベルの音。

 やって来たのは華仙さんと柔和そうな雰囲気を持つ男性だ。

 

「やっほー、翠ちゃん。連絡してくれて助かったよ」

 

「あ、あんたは・・・・・・」

 

 後ろの男性を見て心の底から驚いてるハシェット君に華仙さんはサプライズ成功と言わんばかりに少し誇らしげな笑みを浮かべていた。

 

「君にとっては馴染みある人物だよね。

 お茶の途中で申し訳ないけど彼から大事な話があるから聞いてあげて欲しいな」

 

 後ろに控えた華仙さんと入れ替わるように出て来た男性はチタンと名乗ってプリントの束を渡した。

 

「ハシェット君、これを受け取って欲しいんだ」

 

 分厚いプリントの内容はハシェット君が休んだ日に開催された講義の内容やハシェット君のテスト結果から分析して特に苦手とする部分を噛み砕きつつ詳細に解説している丁寧なテキストみたいで学び直すのにうってつけの教材になっていた。

 誰の目から見ても時間も手間もかかるのが分かるお手製の物がハシェット君に渡された理由は一つしかない。

 

「校長や陶芸家のジライヤさんの口添えもあって成果のみに執着していた職員達を徹底的に更正させ、あの学校は少しずつ変わり始めているよ。

 もう僕達、教師は成績が揮っていない子も一度、道を踏み外しかけた子も含めて生徒を誰一人見捨てたりしない」

 

 実はチタンさんはペティシアタウンの学校の中では希少な全ての生徒と真摯に向き合う真っ当な教員の一人で、ナーガ達ばかりに肩入れする他の教師と違って息苦しそうに学校を過ごしバイトに没頭して登校しないハシェット君の事をずっと気にかけていたのだ。

 特定の優秀な生徒にしか寄り添わない学校内部に疑問を抱いていた彼は校長や華仙さんと手を組み、ついに平等な環境を整え終えたのである。

 それを報告したいと華仙さんから連絡してきたのでハシェット君と一緒にいる事と現在地を共有した事で今の状況を作る事に成功したって訳。

 

「が、学校に行ったら対等な扱いを用意されてて、もう見下される事も無くなるのか?

 だったらオイラ、戻りたい!! ちゃんと気持ち良く勉強に励んで夢って奴を見つけたい!!」

 

 うんうん。やる気が湧くのは良い事だ。

 でもチタンさんはまた勢いのまま行動を起こさないように待ったをかけた。

 

「出来れば学校に来て欲しいけど無理だけはしちゃ駄目だよ。

 昔、受けた扱いを思い出して戻る勇気が湧かない時はおうちで今のプリントやリモートを活用して欲しい。

 ハシェット君は決して一人じゃないって事だけ、忘れないでね」

 

「は、はい!!

 あ、ジュースご馳走さんだ。にいちゃん」

 

 すっかり元気になったハシェット君は頼んだジュースを飲み切って勢い良く立ち上がった。

 記念すべき彼の再出発の日にタクトさんは少しだけ引き止め、餞別の言葉を贈る。

 

「最後にこれだけは忘れんじゃねぇぞ。

 夢に挑戦するならとことんやれ。諦めて別の道に進んだとしても未練が残らない程にな」

 

 潮騒の余韻(2) (終)

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