夢に衝撃(1)
暗い底から海の上を優雅に駆けるシュトラール号を見据える影がいた。
吸盤の付いた八本の足を怪しげに揺らしながら海中に響く重い声が問う。
『若い男よ、あの船が見えるか。
贅の限りを尽くした眩い玩具に乗っているのは貴様が成し遂げるはずだった夢を実現させ、数多の価値に囲まれた人生の勝ち組という分類に属する同族達だ。妬ましいだろう?』
『・・・・・・あぁ。だが私情を抜きにしてもあんたに生き返らせてもらう為ならなんでもやるさ。そして俺は友達と約束した夢を叶えてみせる』
自らの虚ろな肉体を影への御供として捧げた男は正常な思考が出来ない程、夢を叶えた霊体への異常な憎悪に支配されている。
彼の片隅に残っているのは仲間と交わした約束と途絶された夢への執着のみ。身勝手に奪われた夢の続きを再び描く為、彼は自らの意思で影の傀儡へ成り下がっていた。
『殊勝な心意気だ。では貴様の力を存分に活用させて貰うとしよう。
さぁ、我に向けて命令を叫べ』
『分かった。昏海王よ、あの船を昏き奈落に引きずり込め』
奪った絶望、憎悪を食物から栄養を摂取するように吸収し影の足は肥大化する。
巨大な大木にも似た足はシュトラール号に向けて急速に伸ばし巨大な船体を激しく揺らし、命中の手応えを感じると間髪入れずに殴り続け、船の中を賓客の悲鳴で埋め尽くしていく。
演奏される賓客の焦燥と叫喚は人々の暗い感情を糧とする影に更なる活力と影響を齎す。
『良いぞ、若い男よ。
やはり貴様と契約を結んだのは最良の選択であった。これなら我が予見した全ての未来が思いのままだ』
影の珍しく浮ついた声に気を止めず霊体の男、ガルヴァン・ポートスはエッセンゼーレの派遣と攻撃を続行する。
全ては夢の挑戦権を再び取り戻す為。
外的要因によるシュトラール号の振動が船員には荒らげる対応の強制を他のお客さんには動揺を生み出す。
『用心せよ。アレイフ殿、キタザト。
今、この船は海底に潜む何者かからの襲撃を受けている』
「マジかよ・・・・・・
海の一番奥に居る奴なんてどうやって対処するんだよ」
タクトさんが表情が険しくなる。
シュトラール号の重要な顧客でありながら一度この船の危機を救ってる彼からすれば二度も大事な場所を失いかける経験など耐え難いだろう。
船長からの緊急アナウンスによると船底から繰り返し打撃の様な攻撃を受けているシュトラール号は航海に必要部品やシステムの大半が大破し、無防備で大海原を棒立ちしてる状況との事。
その報告がされるって事はシュトラール号はエッセンゼーレにとって格好の餌場になってると言ってるのと同義な訳で・・・・・・
案の定、エッセンゼーレは船内のあちこちに出没し乗客達を襲い始めている。
「スイ、ウィンドノート。上層の方を頼む。
俺は地下を回って来るわ」
「はい、任せてください」
『武運を祈る』
二手に分かれ廊下に出ると湿った青緑の鱗に覆われた魚人の形を真似たマーマンマシンの亜種、”アビスマーマン” が乗客達を襲う寸前だった。
「写せ、氷鏡」
突進技のアイシクルロードで迅速にアビスマーマンの群れに接近し冷たい刺突で距離を離すと乗客に頑丈な扉が備え付けられた部屋に駆け込むように強く伝えた。
せっかく獲物で遊べるチャンスを庇い立てした私に邪魔されてご立腹な魚人擬きの群れは鉤爪を鋭く煌めかせる。
水中を機敏に泳ぐように飛び掛かる攻撃をすぐさま無力化しそこそこいたアビスマーマンの群れを一瞬で壊滅させた後は急いで他の乗客の護衛に向かう。
船内では他にも遠目から見れば伊勢海老っぽいビジュアルだけど実際はサソリを真似た堅固な殻で紛いの命を守り、鎌の様な尻尾で獲物を死の淵に沈める生物型エッセンゼーレ、赤甲のスリープサイズもいてこの襲撃は一筋縄では対処出来ないと落胆する。
厄介なのは倒すのに時間がかかる赤甲のスリープサイズだけじゃなく尖兵として暴れるアビスマーマンもだ。
三体以上の個体で小規模の群れを複数作るマーマン系のエッセンゼーレは連携も良く取れてるし単純に数が多すぎる。そいつらが船内の随所に放流されたとなるとその群れの数も比例して増加するはずだからてきぱきと倒さないと全ての乗客が数の暴力で押し潰されるかもしれない。
そう思って船内の様子を見ながら襲撃する敵を倒していくんだけど少し様子が変だ。
一階から三階までの乗客がいそうな大まかな部分を見て回ったのに敵の数があまりにも少ない。船の動力を狙って破壊してる以上、この襲撃は計画的で悪質な物のはずなのに占領にやって来た敵の数が大々的な規模に見合っていないのだ。
「船に残ってる敵は確認出来る?」
シュトラール号のデッキから襲撃の指導者がいないか見渡しながら私が聞くと相棒は襲撃の警戒で溜まった緊迫を鼻息と一緒に少し発散させて言う。
『上層部にエッセンゼーレの濁りは一切無い。
アレイフ殿が向かった地下の方も途轍もない勢いで悪しき気配が霧散している。恐らく彼が一騎当千にも似た実力を以て不純物を排除しているのだろう』
今の所、船内のエッセンゼーレは減少傾向にあって束の間の平穏が戻ってるみたいだけど・・・・・・
うーん、やっぱりこれで終わりって気がしないなぁ。
エッセンゼーレ達を豪快に吹き飛ばし救助の道をこじ開けながらタクトはスタッフのみが立ち入りを許された地下三階を進んでいく。
肉体を用いた近接格闘と片腕で振るう打撃の機巧だけで勇猛果敢に突き進む顔つきは太陽の様に平等に恩恵の光を振り撒くいつも通りの笑みを浮かべているが、同時に接近し過ぎれば身を焼き尽くす程の激怒も備わっていた。
「俺の大事な場所を潰そうってんだ。
お前さんらもありったけの覚悟を掲げろよ?」
タクトが肩に掲げる巨大な武器は蓄電性能を携えたギターケース型の鈍器、フェローチェ。
障害を打ち砕く槌にも悪意の手から身を護る盾にもなる特殊な機巧は自らの好きと努力で実現させた夢の形でもあり冷めない熱意とがむしゃらな実直を織り交ぜて音楽を離れざるを得なくなった仲間達の分まで世界を熱狂させる音を奏で続けるタクトの覚悟の形でもある。
「1stチューニング」
障害の規模に合わせて段階毎に纏う電力を調整する自己強化技、ボルテージレイズを発動させたタクトの指示に応え、フェローチェが弦を弾いた刺激的なギターの電子音の様な稼働音を奏でながら橙色の情熱的な人工の雷を蓄えていく。
目が覚めるような光彩で周囲を刺激しながら横暴に振る舞うエッセンゼーレに制裁を下す最適な形状に変形し終えるとタクトはライブの客に更なる熱狂と歓声を煽るようにフェローチェに呼び掛ける。
「さぁ・・・・・・ 昂れ」
自らが生み出した電力を放出するフェローチェの威力はさながら勢い付いたイントロでウォーミングアップ程度に真価の片鱗を晒したに過ぎない。
それでも柔な攻撃を軽く受け止め嘲笑する事を何よりの喜びとする赤甲のスリープサイズが身の危険を察せる程の高温と電圧が迸り、ロックサウンドの狂騒にも等しい迅雷がエッセンゼーレ達を一瞬の閃光で被せようとしていた。
「2ndチューニング、鳴動閃裂」
タクトは敵の懐に潜り込む道筋を屈強な突進で力づくでこじ開けると衝撃と共に溜めた雷をアビスマーマンの一体に付着させる。
まるで小型爆弾を巻き付けられたように破裂寸前の雷を押し付けられたアビスマーマンは当然、攻撃してきたタクトも巻き添えにしようと奮闘するが義体は既にフェローチェによる打撃によって他のエッセンゼーレを巻き込む位置に投げ込まれ、無慈悲に光る。
アビスマーマンの一体を中心に麻痺と焼尽が支配する広範囲の空間が一時的に展開されると瞬く間にエッセンゼーレ達は形無き影へと還った。
「ふぅ、取り敢えずはこんなもんか」
一時的に溜めた電力を全て使い切り、簡単な冷却を終えたフェローチェと同様に持ち主のタクトもエッセンゼーレ達を駆逐し終えた金網の緊急通路を見て安堵する。
「アレイフ様。こちらも全ての脅威を取り除く事に成功致しました」
柄の長い掃除道具を持ってシュトラール号の船長が合流する。
シュトラール号の試験的航海の際、予期せぬエッセンゼーレの襲撃に遭いタクトに助けて貰った経験を活かした彼は僅かにだが招かれざる客を退散させる程度の実力を身に付け、他のスタッフへの共有も徹底している。
その為、比較的スタッフが多い地下の奪還は地上階よりも手早く終わったのだ。
「エッセンゼーレ共は空気が読めなくて嫌になるな。
俺は羽を伸ばしに来たのであって清掃のバイトをしに来たんじゃねぇってのに」
「私とした事が油断を・・・・・・
この数年、シュトラール号の航海が万事順調だった故にエッセンゼーレの襲撃を危惧していないなど未熟なんて一言では済ませられません。
大事な休暇を託してくださったアレイフ様のお手を煩わせてしまい申し訳ございません」
「悪いのはお前さんじゃなくて楽しい雰囲気をぶち壊しやがった悪意の塊さ。
それに奴らに億さず抵抗出来て、完全に消滅させられる霊体は数少ないんだ。遠慮せず助けを求めてくれ」
「お気遣いに感謝致します。
幸い、エンジニアチームの報告によりますと設備には甚大な破損が見受けられないとの事なので数時間の修理が終わればすぐにでも航海を再開可能です。
私はこの事を乗船されてる全ての皆様にご報告しますのでこれで」
丁寧に別れを済ませて立ち去ろうとする船長にタクトが制止をかける。
「放送はまだ控えた方が良い。
恐らくさっきの襲撃は第一波みたいな物だ。
念の為、救命ボートとUNdeadへの通報も準備して欲しい」
夢に衝撃(1) (終)