悲報は唐突に素っ気なく(3)
『ねぇ、聞いた?
緋袁様がメデルセ鉱脈で鉱夫達を殺したって』
『知ってる知ってる!!
その罰としてエッセンゼーレがいっぱいいる北の山に追放されたんだよね。
でもなんでそんな蛮行に走ったんだろうね?
前に立って人間と仲良くするべき立場の栄遠の銀峰の英雄が友好を築こうとする相手を襲うはずないと思うんだけど』
『これね、あくまで噂だからあまり信じ込まないで欲しいんだけど。
緋袁様って生前で過ごした環境が原因で実は人間嫌いらしいよ。だから人間を見た瞬間、怒りに身を任せた衝動的な犯行説が濃厚なんだって』
『え? 嘘? 彩ちゃんとか一部の子もそうだけどさ〜 なんで優しい人間を嫌うの?』
『さぁ? 見てる景色が違うとかじゃない? 知らないけど。
元ペットの私らからすれば人間を嫌うとか理解出来ない感覚だよね〜』
『分かる。パパとママと双子のお兄ちゃん達は私を家族みたいに接してくれて・・・・・・』
緋袁が英雄から大罪人へと転落して一ヶ月余り。
ある程度、人間の生活に詳しく比較的すぐに再現してみせた実績を認められ飾りの大役を任されていた彩が同僚の研究者達の会話を扉越しに聞いたのは栄遠の銀峰にネット回線を張り終えた研究の報告書を提出する途中だった。
何ヶ月も費やし漸く方が付いた仕事を終える猶予を使い、この後寄る店について楽しく悩みながら廊下を歩く途中で聞いた歓談に湧き上がる気持ちを抑制出来なかった。
彩の生前はニホンオオカミである。
疫病の根絶と家畜の防守を兼ねた人間の過剰防衛によって絶滅の末路を辿った種族の出身である彼女も例に漏れず飢えを凌ごうとして飼育された鶏を取ろうと人里に下りた時、銃で打ち抜かれ短命を終えた。
彼女にとって人間は自分に不利益を齎す存在に対して猶予も与えず武力を振りかざす冷酷無常な連中。心を許しきるなど以ての外だ。
別に共感が欲しい訳では無い。そういう考えも存在するのだと理解して干渉しなければ彩はそれで充分である。
だが安全な飼育環境で過ごしていた周囲は彩の荒んだ経験に基づかれた猜疑心に疑問と叱咤を浴びせ続け、彼女の居心地と本来の豊かな表情を無意識に悪化させていた。
緋袁も自分と同じように経た生前を交えて人間が信用出来ない事をあの白猫に伝えたのに理解されず問答無用で追放されたのだろう。
異端な考えを持ってるだけで心苦しい疎外感を強いられる悲しみ。今もそれに浸らされている彩だからこそ緋袁の現状を自分の事のように思え、無視出来なかった。
仕事終わりの予定はどこかに吹き飛んで行った。
今の彩の思考を占めているのは緋袁への憂慮と殺人に至る心情にまで目を向けない統主とその他観衆が抱く愚かさへの嘆きである。
『・・・・・・殿。彩殿』
目の前の男性の声が散漫していた彩の集中力をかき集めた。
研究施設の責任者に位置する職員と同じ白衣と緑のシャツに身を包んだ狐の紳士、ラルクは彩の報告書を見通しいつもと同じ優しい目で彩の調子を探っていた。
『ごめん、ボーっとしてた』
『随分とお疲れのようだね?
いや、無理もない。人口領域内限定とはいえあれだけ広さのある城下町にネット環境を用意するのは大変だっただろう。伴う疲労も尋常ではないと容易に想像出来る。
事前に伝えた通り、君のこの後から三日間は有給に設定してある。存分に楽しんでくれ』
仕事を終え、家に帰ろうとすると彩は親友のサラン(後の招蘭)と出会いお茶をすることになった。
彼女達の友情は因縁を付けられカツアゲされかけた彩を統主公認の一般兵だったサランが助けた事で始まる。
高貴な身分である自分達を差し置いて先に道を渡ったなどと人間が実施していたとは思えない少なくとも栄遠の銀峰では有り得ない荒唐無稽なルール違反を耳にしそんな物は存在しないと正論をぶつけ、力でねじ伏せようとした男達を超える実力で返り討ちにして以降、普遍した世相と違う考えによって孤立していた彩の状況を知り、カウンセリングも兼ねて共に行動する機会も増えていった。
その一環であるひと時の軽食も彩は相反する人間の敵視を公表したせいで今の自分と違う生活を送る緋袁について考えてしまい素直にミルクティーとプリンを楽しむ事など出来なかった。
彩は食事の醍醐味も感じられないならと唯一の友人に思い切って聞いてみる。
『サラン、緋袁様のことどう思う?』
普段、受け手に回りがちな彩から投げられた質問にサランはロールケーキを食べる手を止める。
市民にも広く知れ渡ったメデルセ鉱脈での事件なら一般兵であるサランも知っているが末端が特別な詳細を知るはずも無く、知っていたとしても守秘義務で話せない。
なので獣人内で流布されている情報量で彼女は意見を述べた。
『緋袁様・・・・・・?
まぁ、なんであの結果? とは思うよ。何の理由もなく人を殺すなんて死罪でも文句は言えないのに』
インドの動物園で大事に育てられた身の上であれば当然の価値観が返ってきた。
大罪人の称号を背負わされた緋袁を心配する彩とて殺害は許せる道理では無い。自分をエクソスバレーに送った最も忌むべき手段なのだから。
だからといって悪行に隔たれた背景を無視していい理由には至らない。
ここは魂が行き着く終着点。現実と違い死はいくら死のうとも永遠の決別とはならず空虚の残滓が残るだけ。
いずれまた人の輪に戻るならば全てを否定しては駄目だ。
本人が辿った過去を真摯に受け止め二度と非行に走らないよう周囲が努力しなければ完全に居場所が無くなってしまう。
だが野生側の境遇を知らずに罪人は如何なる理由があっても許すなと主張する民衆の一人である眼前の友人にそう伝えたところで理解し受け入れてくれるだろうか。
『ふーん・・・・・・ そっか』
『いきなりどうしたのよ彩? 犯罪者を気にかける必要なんて無いっしょ。
どんな事情があろうともあいつらはみんなで平穏に過ごす為のルールを破った。あたしらを裏切ったも同然なんだから』
『・・・・・・だよね』
気心の知れたはずの相手に胸の内を曝け出し共感を求めるのは諦めた。
気まずいティータイムが過ぎ去った後、彩は一大決心を固めた。
『一度、全ての偏見を置いて腹を割って話す機会を作ってみてください。
案外、すんなり上手く行きますから』
北里との質素なお茶会を終え、感銘を受けたその言葉に突き動かされるまま彩が向かった先は暴雨の囚獄の玉座。
洞窟の中にある椅子には支えになろうと決めた人物は座っていない。
ならばと地下の修練場に降りれば彼は腕立て伏せに励んでいた。
上裸から吹き出た汗と滴り落ち濡れた石材から長時間集中しているのは一目瞭然であるが鉄は熱いうちに打てと言うように再燃した情熱が冷める前に招蘭との復縁をすぐにでも取り戻したい彼女は鍛錬し直す主に急いで声をかける。
「緋袁様、今お時間よろしいですか?」
「なんだ?」
「翠達と戦った後なのに追加で鍛錬をしてたんですね」
「あの時は俺から故郷を奪った人間と重なって完膚なきまでに叩きのめそうとしたんだが、最後にカウンター貰っちまったからな。
ワンパターンの動き見切られて攻撃受けたの悔しいし無関係な復讐だけに囚われていたみみっちい自分を鍛え直さねぇと」
至らぬ点を迅速に見つけ改善する為の強化に取り組む。
厳しすぎるストイックな性格は黄金の雨と静謐に包まれ瞑想に浸っていた時に出会った当初から変わっていない。
『あの・・・・・・緋袁様、でしょうか?』
『なんだ・・・・・・? その呼び方からして俺を非難しに来た訳じゃなさそうだな。
ま、落ちぶれた英雄を罵倒する為だけにこんなばけもんしかいない危険な山に好んで立ち入ったりしねぇよな』
無我の世界から戻った緋袁の声は瞑想に水を差されただけではならない敵意を鋭く研いだ廃れた低音になっていた。
追放された当時と変わらない服も酷く汚れ、頬もやつれている様子から瞬光と呼ばれた英雄でもエッセンゼーレだけが住むこの山で適応するのに如何に苦労を重ねたかが顕著に出ていた。
栄遠の銀峰から持ってきていた食物を口にしなければ間違いなく対処が間に合わない容態になるまで衰弱していただろう。と回想に耽っていると緋袁が過酷だった当初と違う優し気な声で尋ねてくる。
「それで用はなんだ?」
意を決し、彩は振り絞って伝えた。
「・・・・・・栄遠の銀峰に帰らせてください」
王の認可を得た離脱、無言の脱走。
どんな形であれ囚人にとって暴雨の囚獄を離れるのは仲間を裏切り何より緋袁が授けた寛容を無下にする許されざる行為。
特に彩の様な街の基礎を築いた優秀な技術者が暴雨の囚獄から離れたと聞けば囚人は血眼になって連れ戻そうとするだろう。
緋袁にとっても縋っていた根本の思想すら拒絶され途方に暮れていたあの時から支えてくれている彼女の離脱を簡単に受け入れる事は出来ないはず。
しかし本来の出身への郷愁を告げられても緋袁は動じず、この先から聞かされる胸の内を一言も逃さないよう真剣に構えている。
「そりゃ随分、急な心変わりだな」
「暴雨の囚獄の財産が尽きるかの瀬戸際が迫った状態で申してしまいすみません。
ですが緋袁様と同じく翠に勇気づけられた今、有耶無耶で別れてしまったサランと話し合いたいんです。
勿論、ずっとではありません。ある程度の決着を付ける事が出来ればすぐに戻ります」
「仲直り出来たならもう戻って来なくて良いぞ」
一瞬、もう用済みだと突き放されたのかと戸惑った彩に緋袁は否定した。
「彩がここまで来たのは栄遠の銀峰では受け入れられない人間の嫌悪を持っていた俺に一人じゃないと教えたかったからだろ?
本来、恥じるべき罪を犯していないお前は俺についてくる必要なんて無かったのに自ら閉ざされた檻に入って排斥された俺達の居場所を作ってくれて罪人にも幸福があるべきだと教えてくれた・・・・・・・
正直、感謝してもしきれない程だ」
作物を育てる畑、遠隔の罪人を繋げたトランシーバー、冷たく暗い夜を照らした照明。
彩が携わったこれらの開発はどん底に沈んでいた囚人達の希望を灯し未来に進む力を与えてくれた。
集落に暮らす仲間達も滅多に口を出さないが感謝していたと緋袁の口から伝えられる。
「彩はこんな辺鄙な所で独占していい逸材じゃねぇ。
ここにいる技術職志願者もまだお前の仕事には叶わねぇが大抵はこなせるようになった。もうこっちは充分やって行ける。
だから自分の幸せを探しにどこへでも羽ばたいて行け。で、どこ行っても気まずいって感じるんだったらまたここに戻ってくれるか?」
「・・・・・・勿論です!!」
力強く背中を押された彩は勢い良く階段を駆け上がった。
しかしこの時の緋袁は思いもしなかった。サメノキ地方を脅かす破壊兵器を従えたもう一人の人間が彩と邂逅するなど。
悲報は唐突に素っ気なく(3) (終)