【2-12】アーク・ドーイの野望
ゴターの手引きで向かった先はこの学園に散在する庭園の一画だった。そこでアーク・ドーイ伯爵令息を含む四名の中級生徒はそこに備え付けられたガゼボで茶会を開いていた。
オウル達の登場に一同は色めき立ち、アークが代表して立ち上がり声を張り上げる。
「これは殿下!よくぞ我が茶会にお越しくださいました!ささっ、こちらへどうぞ!おい誰か、椅子を持て!」
アークは後ろに控える数人の取り巻き達に声を荒げたが、それをオウルが制した。
「丁重な歓迎感謝するよ、ドーイ君。だけど今日はお茶を頂きに来たわけではないから僕はここで結構」
「まあまあ、そう仰らずに。実は丁度某所より珍しい飲み物が手に入ったので運ばせているところなのです。是非殿下にもご賞味いただきたい」
だがドーイはそれをただの慎みと受け取ったのか、請ずる事をやめなかった。
アークは小柄だが恰幅の良い男性だった。口の周りに食べかすが付着しているのは突然の出来事でそこまで気が回っていないのか。中級だと思われる残りの三名も似たり寄ったりの感じで予期せぬ王子の来訪に浮足立っている様子がありありと見て取れた。
「まさか殿下と卓を囲む日が訪れるだなんて。ドーイ卿についてきて正解でしたわね」
「待てど暮らせどアレが届かぬ事に焦れておったが、これも怪我の功名というやつですかな。お陰で殿下にも振舞うことが出来そうだ」
「それにしても遅すぎやしませんか?まさか持ち逃げしたんじゃありませんこと?」
そわそわ落ち着きなさげにこそこそ喋る三人。
アークも眉間に皺を寄せながら周囲をきょろきょろ見渡した後、苦笑いを浮かべる。
「申し訳ありません殿下、もう少々お時間を頂きます。おいゴター!あの下女はどうした!お前はそもそもあいつを探しにいったんじゃなかったのか!」
オウルには揉み手をするものの、ゴターには目をつり上げて怒鳴るアーク。
「あ、いえそれが……」
「いいから貴様はもう一度探しに行ってこい!おい、お前らもだ!殿下をお待たせするような事などあってはならんぞ!」
アークはゴターに最後まで喋らせず、他の取り巻き達にもそう声を荒げた。今まさに椅子を運び込んだり準備していた取り巻き達は目を白黒させながら右往左往するが、それに再びオウルが待ったをかけた。
「せっかくのご厚意は痛み入るけど、必要ない。今日は彼女の付き添いとしてやってきたんだ」
「彼女……?そちらの方はどなたですかな?」
ここでようやくアークはエリーの存在が目に入ったようだ。訝しそうに彼女を上から下にねめつける。
アークの態度に暗澹とした気分になりながらも、オウルは答える。
「……君がさっき下女扱いした人だよ」
「なっ!?貴様一体今まで何をしていた!?余の濁汁はどうした!?早く寄こせ!」
相手が誰なのかようやく気付いたのか、それまでオウルに向けていた張り付いたような笑顔が一変、鬼の形相となり唾を飛ばす。
エリーはおずおずと前に出ると、空になった甕を億劫そうに渡そうとする。この様子に異変を感じ取ったのか、アークがエリーの手から強引にひったくった。
そして、受け取ったものを確認するとわなわなと震え出す。
「なっ!なんだこれは、中身がないではないか!?」
「しかも底が割れていますぞ!?」
「あ、あなた……まさか落としたの!?」
「信じられないわ!これがどれほどの価値があるものかわかってるの!?」
「ほ、本当にすみませんでした!」
四名の怒声を一身に受けながらエリーは深々と頭を下げた。
「謝って済む問題かこの役立たずが!」
憤懣やるかたないアークは彼女に手を上げようとしたが、オウルが割って入ったためその手を途中で止めざるをえなくなる。
「とりあえず、話を聞いてやってくれないか?」
王子にそう言われたら従わないわけにもいかなかったのだろう。アークはくしゃくしゃと頭を掻いた後、どかりと椅子に腰を掛けた。
「言え、何があった?」
「じ、実は……」
傲岸な態度で促すアークに、エリーはぼそぼそと説明した。
「……つまり貴様は、余の大事な品を容器ごと台無しにした挙句、無礼を働いた貴族相手に謝罪に赴けと、そう抜かすか?」
「……本当にごめんなさい!」
苛立たし気に指で机を叩き続けるアークに、頭を下げる事しか出来ないエリー。
ふんっと鼻息を強くした後、アークはゴターに射抜くような視線を投げた。
「全く……ゴター、貴様もとんでもない疫病神を連れて来たものだな」
「誠に申し訳ありません!」
ゴターもまた、エリーの隣で頭を下げ続けていた。他の取り巻き達も冷や冷やした様子でこの様子を見届けている。
「ドーイ君、君の気持ちもわかるが彼女だってわざとやったわけじゃ……」
オウルが宥めるも、アークの態度は先ほどのように軟化したりはしなかった。苛立たし気に貧乏ゆすりをしながら鬱陶しそうに答える。
「お言葉ですが殿下、この女のやったことは他ならぬ余の……貴族の貴重な所有物を損壊させた上に我が名誉を毀損しようとする事実があるのみです。それが故意であるか否かは一切関係ないと考える所存ですが、如何かな?」
オウルは少し言葉に詰まるが、それでも務めて柔和に説得しようとする。
「……確かに、君からすれば中々受け入れがたい事だとは思う。だけどそれこそ被害を被った相手には関係のないことだ。彼女を従者に迎え入れた以上、名誉にかけて頭を下げるのも貴族としての重要な役割だよ」
この正論と思われる言葉に、何故か不遜にもアークは唇をつり上げた。
「その事なのですが、そもそも余はこの者を従者とした覚えはありません」
「「え!?」」
驚いたのはエリーとゴターだ。
そしてその二人をアークは顎で指す。
「この女はそこにいるゴターが勝手に引き連れてきただけの事。確かにこの男にはここで余の従者としての立場を与えております。だからこそ、この学園に似つかわしくない農民などという下賤の輩にも下女として働かせてやったまでです」
この言葉に他の三名の貴族階級も追従する。
「農家の娘風情がアーク卿の従者など、身の程知らずにも程があります」
「ええそうです、その通りですわ」
「恩を仇で返すとはまさにこのこと」
これにアークは満足そうに頷いた。
「なので、余が相手の貴族に謝罪する必要など全くありません。これはこの女個人の問題です」
卓を囲む三名もまた頷き、話に入ってくる。
「そしてこの者は我らにも弁償する義務があります」
「あの飲み物……濁汁は我々でも滅多に入手できない海外産の貴重なもの。貴族倶楽部のポイントを貯めに貯めてこの度ようやく手に入れたというのに……」
「あの甕もそうですわ。そんじょそこらの安物じゃありませんのよ」
「もっとも、農民など逆立ちしても返済できない金額でしょうが」
「時に娘、相手の貴族とはどこの家の方なのだ?」
アークの仲間である男性貴族がそう問うと、アークも何かに気づいたように方眉を上げた。
「おおそうだ、向こうの爵位次第でこちらの出方も変わってくるというもの」
「確かにこの一件は我々のあずかり知らぬことであるとはいえ、全く無碍に知らぬ存ぜぬを決め込むわけにもいきませんからね」
「特に上級の方がお相手なら、可能な限り我々の誠意をお見せしておく必要がありますわ」
「で、誰なのだ。言え、女」
再び男性貴族に問われると、エリーは素直に答えた。
「確か、ヤッチャネン……伯爵家のお嬢様だったと」
「ヤッチャネン?パアナ様に食って掛かった、あの?」
「はい……」
黒髪の女性貴族の確認に首肯するエリー。
すると何故か彼らは声を落とし何やら喋りはじめた。
「アフォーナが相手だったのか」
そんなノイズの中独り言ちるオウル。エリーはそんな彼の様子を不思議そうに見つめたが、何かを尋ねる前に貴族たちの話し合いが終わったようだ。
なにやら薄ら笑いを浮かべながらアークが口を開く。
「これはどうやら、一層謝罪に赴く必要はなくなったな」
「え、な……何で!?」
驚くエリーにアークはふんっと馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「何故も何も、次期国母になられるであろうお方へあんな態度を示した家に未来などあるわけなかろう。敵に回したところで将来的な脅威にはならん」
そして何かに気づいたようにぱんっと手をならす黒髪女性貴族。
「そうだわ、むしろ件のモノはヤッチャネンの仕業でひっくり返されたということにしませんか?そうすれば逆に謝罪と賠償を引き出すことすら出来るやもしれません」
「おおそれは良い案だな」
盛り上がる貴族たちに、さすがに慌てるオウル。
「君たちは一体何を考えてるんだ!?」
「迷惑かけたのはあたしの方なのに!」
エリーもまた訴えるが、そんな彼女をアークがじろりと睨みつける。
「女、よ~く思い返せ。あれは、本当にお前が割ったのか?違うだろ?ヤッチャネンが盆からひっくり返しておいて、それを貴様のせいに仕向けたんだろう?」
「そ、そんなことは……」
エリーは否定したがどこか歯切れが悪かった。これは間接的にはメイの奇行によって起こった出来事だということが頭をよぎったからだろう。
そしてこれをアークは見逃さなかった。
「ほれ見ろ、やっぱりあの女の仕業ではないか。全く、余を陥れようなど百年早いわ」
「違います!ヤッチャネン様が転ばれたのをあたしがビックリして落としちゃったんです」
「いずれにしろ自業自得だ。我々が頭を下げる理由がどこにある」
「そうですわ。被害を被ったのはこちらではありませんか」
「そんな……」
顔を青ざめ肩を落とすエリーに、赤髪の女性貴族が首を傾げた。
「何を落ち込んでいるの?お前は九死に一生を得たのよ?」
「え?」
エリーの疑問にアーク等他の貴族が続く。
「貴様の証言次第では弁済の義務がなくなるということだ」
「ただ少々改変して喋ってもらう必要はあるけれど」
「転んだのではなく、奪おうとして飛び掛かって来た、というのは如何でしょう?」
「ああそれは良い。あの女ならやりそうなことだと皆も納得してくれることだろう」
「と、言うわけだ女。わかったな?」
最後エリーに向けて念押しするアーク。
エリーはただ、俯いて聞いてるだけだった。
「君たちという人は……!」
苦言を呈そうとしたオウルよりも先にエリーが答えた。顔を上げ、はっきりと。
「嫌です」
「何?」
「うその証言なんてできません。お断わりします」
真っすぐアークと目を合わせるエリー。これにアーク達は怒り、呆れ、そして失笑した。
「ならば貴様の人生はここで終わりだ。我々に働いた不始末、命を持って償うことになるだろう」
アークはエリーにそう宣言した直後、ゴターの方にも矛先を向けた。
「ついでに貴様もだ、ゴター。責任者としての務めを果たしてもらう」
「そんな!」
これまで蚊帳の外にいたゴターにも飛び火し、彼も悲鳴を上げる。
だが、アークの追撃は止まらない。
「賠償について、貴様の家の本来の主君たるムレハ子爵家にはこちらから話をつけといてやるが、まあ助けてもらえるなどとはゆめゆめ思わぬことだ」
これに顔を真っ青にしたゴターはエリーへと縋りつく。
「エリー、頼む!ヤッチャネン様にやられたって言ってくれ!」
「い、言えません!」
しかし頑ななエリー。だがゴターも引き下がるわけにもいかない状況だった。
「言わなきゃ俺もお前もここで終わりだぞ!?言え、言えってば!」
「嘘はつけません!」
「何でだよ……どうしてだよ……」
ゴターは崩れ落ち両膝を地につけてしまう。
見かねたのか、オウルはため息を一つ吐いた後、一歩前に出た。
「……アーク君達が被った損害については僕が肩代わりするよ。それで許してやってくれ」
「オウル!……じさま!?」
「殿下!?」
目を丸くするエリーとゴター。
そして、オウルを興味深そうに見ながらアークは尋ねる。
「ほう……それは本気で仰ってるのですかな?」
「勿論だ」
「左様ですか。ですが殿下、その提案はお受けできません」
アークの言葉にオウルは方眉をつり上げた。
「何故だ?お金で解決する問題じゃないのか?それとも僕の謝罪が必要か!?」
これには両手を振って否定の意志を伝えるアーク。
「とんでもございません。理由はただ、我々如きが殿下から弁済をお受けするというのはあまりに恐れ多い事だからでございます」
他の貴族たちも続く。
「さらに付け加えますと、殿下が農民の娘のために金銭を用意したとなると、これがパアナ様のお耳に入れば一体どのような事態になるでしょうか」
「我々としても、このような事で国の未来を暗くしとうはございません。これが、お受けできない理由です」
「とはいえ、このままでは実質我々はただ損をするのみ。この娘がどのような末路を辿ろうと、その穴埋めをすることは叶いませぬから」
「そ・こ・で、殿下にこちらからご提案がございます」
「……なんだ?」
アークの言葉に身構えるオウル。
そしてこの太っちょな伯爵令息は再び立ち上がり言葉を続けた。
「もし御受け下さればこの度のその女の罪過を不問にした上、ヤッチャネン女史にも余自ら謝罪に赴くことをお約束しましょう」
「……わかった、言ってみてくれ」
「オウ……じさま、いくら何でもそこまでしていただく義理は……」
エリーが心配そうにしているが、オウルは笑顔で彼女に答える。
「良いんだ、友達を助けるのに王子も農民も関係ない。それに、ちょっとは頼りになるとこ見せなきゃだしね」
そんな二人を後目にアークはぎこちなく右足を引き、たどたどしく右手を体に添え、 拙く左手を横方向へ水平に差し出した。
「では単刀直入に申し上げます。余の一門を殿下の傘下にお加え願いたい」
他の貴族たちも立ち上がり、うやうやしく頭を下げる。
だがそんな要求にオウルは方眉を上げた。
「傘下……僕を寄親にしたい、そう言ってるのかい?」
「その通りでございます殿下」
「僕がこの学園でそういうのをやらないってのは知らなかったのかな?」
「お噂は聞き及んでおります。だからこそのご提案であり勿論無理にとは申しません。とはいえ、このままではその女に残されるのは多額の借金と、余とヤッチャネン家に無礼を働いたという罪状だけです。これがこの社会においてどのような意味を持つか、殿下も重々ご承知でしょう?」
挑戦的な目をするアーク、これにオウルは腕を組む。
「……わかった、少し考えさせてくれないか?」
「オウル君……」
「賢明なご判断を期待しております、殿下」
心配そうに彼の顔を覗き込むエリーと、にんまりと笑うアーク。
再びドカドカと椅子に座った一同は、勝利を確信したかのように軽口を始めた。
「いやそれにしても、殿下も隅に置けませんな。ご婚約者と同じ学び舎にいながら、早くも違う女を手付きにされるとは」
「……何だって?」
オウルの声のトーンが下がった。だが、それに気づかなかったのか貴族たちのお喋りは止まらない。
「ええ本当に。殿下はそういうことに疎いとばかり思っていましたわ」
「パアナ様も公爵家のご令嬢ですもの、そうそう気の赴くままというわけにもいかないでしょう」
「そうだ!もし余の提案をお受けいただけるのならその女の面倒も我々の側で見ましょう。しっかりと、殿下に粗相のないよう調教して御覧に入れます」
盛り上がりを見せるアーク達だが、一方のオウル周辺の空気は冷える一方だった。
「……調教、とはどういう意味だ?」
「そのままの意味でございます殿下。さすがに農家の娘を将来的に側室とまでは殿下もお考えではないでしょうが、少なくともこの学園にいる間は妾として夜伽の相手も務まるよう色々と仕込まねばなりません。なんでしたら人目につかぬよう閨もご用意して進ぜましょう」
オウルの低い声にもアークはバカ丁寧に答える。
貴族たちは拍手喝采だ。
「それは素晴らしいアイデアですわアーク卿。殿下には是非、この学園生活をお楽しみいただかねばなりませんから」
「たまにはババ抜きでもされた方が息抜きになるかと」
「いやいや殿下の場合、抜くなら濁汁でしょう」
「それは良い。女よ、失った分、殿下が貴様の壺に注ぎ込んでくださるぞ」
「今度こそ零さぬよう、カメにしっかり吸い付かねばならんなあ」
「殿下もハメを外しませんように」
下卑た笑いが響き渡る。男性陣は大口を開け涎すら垂らす勢いで、女性陣は口元こそ扇で隠してはいるものの肩は震えていた。
ただ、オウルの雰囲気に気づいていた下級のお付きの者達は能面と見まがうばかりに血の気を失っていたのだが。
「……さっきから君たちは、僕をバカにしているのか?」
決して大きな声ではない。しかし朗々とよく通る声だった。
さすがのアーク達も、その台詞の内容から王子がご機嫌斜めなことにようやく気づく。
「め、滅相もございません。ただ殿下の側がその女にご執心のようなので、余としても出来る限りのご協力をさせていただきたい一心でして……」
一転してへこへこと媚びるようなアークに、ついにオウルは声を荒げる。
「僕と彼女はただの友達だ!そんな関係を望んでいるわけじゃない!」
「で、ですが……だとすれば何故民草の娘などのために殿下が矢面に立たれるのでしょうか?」
「何度も同じことを言わせるな。友達だからだ」
「それは……本当にただのご学友、という意味で?」
「当然だ!」
彼の宣言に束の間――ほんの一瞬の間だけこの場に静寂が訪れた。
だが次の瞬間には先ほどまでとは比較にならないぐらいの大声で貴族たちが哄笑する。
「で、殿下……いくらなんでもご冗談が過ぎます。王家の、それも次期国王候補の筆頭であるあなたがただの女を友達などと、陛下のお耳に入れば大変な事になりますぞ」
腹を抱えながらアークが言うと、残りの貴族たちも続いた。
「王位第一継承権をお持ちとはいえ、確実に王となれる保証はございません。滅多なことを仰るべきではありませんわ」
「いや、この場にいるのが我々だけで良かった。こんな事他の面々に聞かれていたらどうなっていたことやら」
「パアナ様も、まさか殿下がここまで愚かなことを仰るとは思ってもいないでしょう。これならまだ、情婦として扱っていた方がマシというもの……」
ゲラゲラと笑い続ける貴族一同。それを据えた目で睨むオウル、自分のせいで彼がバカにされていることを察しスカートの裾を掴むエリー、そして固まっているだけのゴターを含む彼等の付き人。
こんな状況がもう暫くは続くと思われた――
「いいえ、そんなことはありませんわ」
――その美しく明瞭な声が差し込むまでは。




