【2-7】犬猿の仲だった
俺の言葉に、カイは腰を抜かしてしまったらしい。床へとへたり込んだかと思うと、震える声で俺に問いかける。
「ヒ、ヒリア……お前……マジか?」
「ああ、残念ながらマジだ」
「一体、何があったんだよ……」
「……だから言ったろ?のっぴきならない事情があったって」
伏し目がちに俺はそう答える。だって味噌汁のためだなんて言えないじゃないか。何でお前がそんな外国の郷土料理を知ってるんだと訝しまれかねないし。
「それにしたってお前……よりにもよってあんなのと……ま、まさか脅されて!?」
「カイ……人には、全てを犠牲にしてでも手に入れたいものがあるもんだ」
「何がお前そこまで駆り立てたんだよ……」
「……汁権利、かな?」
おっとつい白状しちまったぜ。
「知る……権利だと?お前、一体何の目的でこの学園に来たんだ?」
だがカイは何を勘違いしているのかわけのわからん事を聞いてくる。いやだから(味噌)汁権利だって。
まあこれ以上こいつと話していても仕方ないだろう。もうちょっとお嬢がブチ切れるまで粘ろうかと思ったがそろそろ潮時だ。
「まあそういうわけだからちょっくら取り巻いてくるわ」
「お、おい!?」
片手を挙げ、友人との別れの挨拶を済ます。
お嬢の下まで辿り着くまで、周囲からの視線が痛くて痛くてしょうがないので現実逃避がてら俺がカイと話をしている間に漏れ聞こえていたお嬢たちの会話を反芻しておこう。
時は少し遡り、お嬢とパアナ様が相対した時の事だ――
「あらヤッチャネンさん、ごきげんよう。本日はどういったご用向きで?」
声をかけたのはパアナ様の方からだった。言葉遣いは上品ながら、その声からは刺々しさが隠しきれていない。
「自分の胸に聞いてみればわかるんじゃないかしら」
一方のお嬢の方はというと初めから喧嘩腰だ。顎を上げ見下すようにパアナ様をねめつける。自前の扇子をパタパタと扇いで悪役ムーブをかますことも忘れない。
しかし本日のパアナ様はそんな事では一切動じないようだ。まるで気にも留めてないように平然と切り返す。
「わたくし、常日頃から懐は深くあるよう心掛けておりますの。ですので謝罪ならいつでも受け入れてさしあげますわよ」
「無い物ねだりしても無駄ってことね。ま、アタシとは違うんだししょうがないか」
尚、懐とは国語辞典的には衣服を着たときの胸のあたりの内側の部分の事を指す。
「では太っ腹なあなたがわたくしに何をお求めに?」
さすが何の皮肉を言われたのか一発で悟ったパアナ様、一瞬眉を吊り上げるもすぐに切り返した。
「謝罪に決まってんでしょ」
これに直球で要求したお嬢。
パアナ様は一瞬虚をつかれたように目を瞬かせた。どうやらガチで思ってもみない事を言われたようだ。
「これはまた奇異なことを。わたくしが?あなたに?一体なんの咎で?」
「昨日あんたんとこの取り巻きがうちのメイを襲ったからよ」
なるほど、お嬢はその件でパアナ様に突っかかっていたのか。だがパアナ様は寝耳に水とばかりに再びきょとんとする。が、すぐに据えた目でお嬢を睨む。
「……それは、穏やかではありませんわね」
「そうよ、穏やかではいられないわ」
「ですからそれはこちらの台詞ですわ。わたくしはそのような命はだしておりません、言いがかりはよしてください」
「でもこの子が囲まれたのは事実よ」
「いつどこで誰に?」
パアナ様からの問いかけに、お嬢がメイ先輩に促す。
お嬢の三歩後ろで控えていた彼女は淡々とした様子でこれに応じた。
「入学式が終わってから程なく、下級近隣の校庭で、あの人とあの人とあの人……それにあの人とあの人とあの人もですね」
メイに指差された男女数名は間違いなく彼女を取り囲んでいた連中だ。そいつらのリアクションは様々、肩をすぼめたり不安げに仲間に視線を送る者もいるが、中には全く知らぬ存ぜぬと言わんばかりにとぼけてる奴もいる。
「……あなた達、事実なの?」
「いえ!とんでもありません!」
パアナ様の射抜くような視線にも、そのうちの一人――メイを殴ろうとしていたデカい奴――はしれっと嘘をついた。
これを信用したのか、パアナ様は再びお嬢と向き合う。
「……と、申しておりますけど?」
「あんた達、言い逃れが通用すると思ってんの?」
お嬢の声は低く大変威圧的だった。この詰問に大半の連中は怯えたのか俯いてしまった。が――
「言い逃れも何も。俺達、そいつとは教室でしか会ってませんよ。なあ?」
――平気で嘘をついた奴がいけしゃあしゃあしらばっくれると、共犯者たちは今度は一斉に頷いた。
これにパアナ様は一つ深い息を吐く。
「ヤッチャネンさん、さすがに証拠も無しに疑われても困りますわ。残念ですけれど、わたくしはあなたのその側近のことを信用しておりませんの。正直申し上げてあなた以上に」
どうもパアナ様からしても何かは感じ取っているきらいが見受けられる。だがそれ以上に先輩に対して思うところがあるようで、据えた目を彼女に向けている。
「では他にも証人がいるとしたら?」
「……証人?」
お嬢の言葉に、パアナ様が眉をしかめる。
と、お嬢がまた周囲をきょろきょろ見渡し始めた。ひょっとしたらお嬢は最初からパアナ様を探していたのではないのかもしれない。では誰を探していたのか?
「ヒリア!そんなところで何やってんの!さっさとこっち来なさい!」
目が合った途端、大声で呼んでくるのできっと俺だったのだろう。
――そして今に至る。
長い長い回想は、それだけ時間の経過が遅かったように感じられた事を意味している。ほんと、周囲の視線が針の筵のようできつかった。
「うっすお嬢」
俺が片手を挙げてフランクに挨拶するも、お嬢はお気に召さなかったらしい。苛立たし気に閉じた扇子を手の平に打ち付けていた。
「うっすじゃないわようっすじゃ。何あんなとこで油売ってんのよ」
「ですんで補充に来ました」
「……ここでも売るって事?火に油を注ぐために」
如何にも上手い事言うたったって様子でにやりと笑うお嬢。なんで俺もへらっと笑って答えた、お嬢の腹部を指差しながら。
「いえそこの太っ腹から吸い取りに」
「いうほどためてねーわ!むしろハラわれとる方やっちゅうねん!」
「ハハハ、ご謙遜を」
俺の嘲笑に一瞬青筋を立てたものの、お嬢は何故かすぐ得意げな表情に戻りご自慢の脂肪タンク×2に手を添え流し目を送って来た。
「まあ、こっちの方は結構あるんだけど、吸っとく?」
「いえ、胸ヤケするんで」
「ムカつくわね!」
「またおかしなのを連れてきましたわね……」
あっけにとられたようなパアナ様。可笑しなということはどうやらウケたようだ。ちょっとうれしい。
「あ、お前!……そいつらの身内だったのかよ!」
が、件の連中らからすれば俺の登場はどうやら面白くないらしい。目をつり上げて声を荒げる者がいた。笑いの道はかくも厳しい。とはいえ全く掴みに失敗したというわけではなく、しっかりパアナ様の興味は惹けたようだ。
「あら、何かわけありですの?」
「あ、いやその……」
パアナ様に問いかけられしどろもどろになる連中。わざわざ自分達から墓穴を掘るような事を言ってくれてこちらとしては助かる。
俺は畳みかけるべく肩を竦めながら言った。
「と、いう反応の通りです。俺が間に入ったので事なきを得ましたが、もう少し遅れてたらその大きいのに彼女は殴られてたところです」
「パアナ様、真っ赤な嘘です!俺達は何もしていません!」
「そ、そうです!たまたますれ違っただけです!」
それに対し顔を真っ赤にしながら反論する当事者の男とその共犯者。なるほど、どうやら知らぬ存ぜぬを通す気らしい。だが俺としても追及の手を緩めるわけにはいかない。
「どこで?」
俺の言葉に目を泳がす一同。
「それは……教室で……そう、教室でだ!お前も同じ下級だから面識があっても不思議じゃないだろ!」
「で、そこで俺はお前らにどんな絡み方をしたんだ?身内だったのかって責めてくるぐらいなんだから何かしたんだろ?」
「そ、その女がパアナ様に対して暴言を吐いていたので私達が注意したんです!そしたらそいつが来て邪魔をして……」
「すれ違っただけでは?」
今度は先輩からの指摘に言葉を詰まらせる連中。
「忘れてただけよ!今思い出したの!」
ボロが出始めているにもかかわらず悪あがきを止めようとしない。男も女も次から次へとあの手この手で言い逃れようとする。
ただ、所詮無理筋は無理筋だ。
「だけど教室でのことだったら証人が山ほどいるよな。というわけで無関係の下級の連中にそれが事実なのか聞いてみようや」
「ああいや違った!あれは確か……確かそう校舎の外だった!」
「教室でしかわたしと会ってないのでは?」
「忘れてただけだ!」
再度の先輩からの問い質しにも強弁で切り抜けようとする彼等に対し、ついにパアナ様までもが呆れたように口を開いた。
「あなた達全員が、ですか?」
お嬢と俺も追随する。
「忘れっぽいにも程があるわね」
「そもそもお前らが連れ出したんだろ」
すると形勢が悪いと思ったのか、一人が逆ギレをした。
「そんなことしてねえよ!何か証拠でもあんのか!?」
「だから教室の連中も結構見てたと思うから聞きに行こうって話をしてんだよ」
「そ、そいつが暴言吐いてたから連れ出しただけよ!」
「ほら、やっぱ連れ出してるじゃねーか」
嘘が嘘を呼び、既に何を主張しているのか連中もわからなくなってしまっているようだ。まあこういうのは初めから口裏を合わせておくのならともかく、多人数がアドリブで乗り越えようとしたところで上手くいかないのは必然。船頭多くして船山に登るというやつだ。これなら初めからデカい奴一人に喋らせた方がまだマシだっただろう。
パアナ様も完全に疑いの目を向けている。勿論俺達にではなく、自分の従者たちに。
彼女は大きくため息をついた。まるで失望したと言わんばかりに。
と、その様子に怯えながらも、一人が何か思いついたようで俺に向かって指を差してきた。
「そ、そうだ!お前王子が近くにいるとか適当なこと言いやがって!あの時間帯はあんなところにおられなかったって裏取れてんだぞ!?」
あー……そういやそんな事も言ったかな。明らかな論点逸らしだったが、そこを突っつかれるとちょっとまずいかもしれない。下手したら不敬罪に問われかねないからだ。
「俺も聞いたぞ!確かにこいつは王子がおられると嘘をついた!」
「私も聞いた!」
「僕もだ!」
と、鬼の首を取ったかのように騒ぐ連中。パアナ様もじろりとこちらに視線を寄こしてくる。
なので俺もちゃんと回答しておく必要あるだろう。
「ちょっと何言ってるのかわかんないです」
そう肩を竦めながら誤魔化すが、連中は収まらない。まあそりゃ当然だろうな。
「てめえ、しらばっくれんのか!」
だが俺としてもこの件ばかりはおいそれと認めるわけにはいかない。歴史改ざんがお前らの専売特許だと思うなよ。
俺もお嬢の従者の端くれ、主君に倣い過去を都合よく捻じ曲げることになんら負い目を感じんのだよ。
「何か証拠でもあんの?」
鼻をほじりながら連中と似たような事を言ってやると、一人が腕を大きく広げた。
「俺達全員が証人だ!」
「じゃあ、俺は何のためにそんな事したん?」
「それはそいつを助けるために……」
「へえ、助ける必要があることしてたんだ」
「ぐっ……!」
相変わらず墓穴を掘るのが得意な連中だ。
するとついに例のデカい奴が居直った。
「ああそうだよ!その女がパアナ様に恥をかかせたからお灸をすえてやろうと思ったんだ!だがそれがどうした!王子を出しにしてその女を逃がそうとしたてめえの方がよっぽど罪深い!パアナ様、こいつは不敬にも殿下の名を悪用した不届き者です!罰を与えるべきです!」
どうやら自分達の罪と俺の罪を秤にかけることで難を逃れようとしてるらしい。おのれ悪知恵の働く奴め。
とはいえ、ここまで言われてしまっては俺としても黙ってはいられない。
「おいちょっと待て!俺のはちゃんと届くっつーの」
「……は?」
俺の言葉にきょとんとするデカい奴。あれ?
「ああいや間違った、俺はそんなことしてねーぞ」
「ど、堂々と嘘つきやがって!」
「嘘じゃねーよ!何ならお前がみおもって確かめるか!?」
「……は??」
「ああまた間違った……そうだよな、穴掘ってんのはお前らの方だもんな」
いやだって昨日もそうだったけど不届き者なんて言われたらそりゃカッとなるやん?ちゃんとそこそこのサイズはあることをアピッとかないと男のこかん……じゃなくて沽券にかかわるやん?
と、何故かお嬢が鼻息を荒くして俺の顔を覗き込んできた。
「あんた、男もイケるクチなのね」(*1)
「まあがんばりゃイクかもしれませんけど」
「攻守交替ね、荒れるわよ」
「口は災いのもととも言いますし」
「そこに上も下も関係ないわね」
「何事もケアが大切ということです」
「あなた方、何をいってますの?」
抜き差しならぬヤリ取り中の二人の間にパアナ様がおクチを挟んでくる。
しかしそれはいくら何でもナメすぎというもの、お嬢と俺はむくれた。
「失礼ね、さすがにこんなんじゃ無理よ」
「いくらなんでもそこまで早くないです」
「ですからわたくしにもわかるように仰ってくださいな」
唇を尖らせるパアナ様。この愛くるしい表情に思わずイッてしまいそうになるが、ここは我慢だ。そんな事をすれば途端にR指定されてしまう。
「パアナ様、ご覧の通りこいつらの言う事なんて適当なんですよ、信じるに値しません」
などとデカい奴が言いやがるが本当にまだイッてないっつーの。でもぶっちゃけ出る寸前だからこれ以上後ろからブッ込んでくんなよ!?
――だが、俺の願いもむなしく、奴らはまたカマしてきた。
「所詮ピーヘンなんざ辺境、北狄の連中とかわりゃしないってことだな!」(*2)
駄目だ……もう限界だ。耐え切れずアッー!と声が出ちゃいそうになったその瞬間、俺の(鼓)膜を突き刺す小さな、だが鋭い一突き。
「……今、何と言いまして?」
それはパアナ様から発せられたモノだった。ただ圧倒的な怒気を含んだ振動に、俺は一瞬で果てそうになる。
「え、あ……いや……」
俺の腰が砕けしなしなになってしまったのとは裏腹に、連中はガッチガチに直立不動してしまった。わかる、すんごく恐いもんね。だってちょっと縦ロール浮いてるもんね、オーラ立ち昇っちゃってるもんね。もうアホみたいな下ネタやってる場合じゃなくなったね。
そして落とされたパアナ様の怒りの一撃。
「ピーヘンも我が国にとって大変重要な領土であり、その周辺一帯の領主たるヤッチャネン伯も王により叙爵されし由緒ある貴人でいらっしゃいます。その方のご息女を前にして何と無礼な態度、不届き千万なのもわたくしに恥をかかせたのもあなた達の方です!」
「も、申し訳ございません!」
「わたくしに謝ってどうするのです!ご本人に謝罪なさい!」
「た、大変申し訳ありませんでした!」
今の今まで尊大な態度を取っていた奴らが一斉にお嬢に向かって腰から90度曲げた。とはいえあまりに突然の展開にお嬢もまたいつもの不遜な悪役令嬢ムーブをカマせずガッチガチに固まっているのだが。
「この者たちの世話役は?」
「……我々にございます」
パアナ様からの呼びかけにおずおずと出てきたのは中級のマークをつけた男女数名。明らかにその顔色は悪く主君に怯えている様子がうかがえる。
「この件はあなた方の監督不行き届きが原因です。後でしっかりと指導しておくように、良いですわね?」
「「「はっ!」」」
彼らが一斉に平身低頭する様子を見届けると、パアナ様はため息をついた。
「……口は禍のもととは、まさしく仰る通りですわね」
嘆息まじりにそう呟いたかと思うと、なんとパアナ様もまた頭を下げた。それもお嬢相手に。
実に優雅なお辞儀だ。その所作に皆が感嘆した……というわけではないのだろうが、周囲が――パアナ様一派だけでなく興味津々にこちらの様子をうかがっていたサロン中が震撼したのは確かである。
「この度のことは、わたくしに責任があります。ヤッチャネンさんの仰っていた蛮行も事実なようですし、合わせ謹んでお詫び申し上げます」
これに彼女の取り巻き達が慌てふためく。
「パ、パアナ様!お顔をお上げください!」
「オーテンバー家のご息女が頭を下げるようなことではございません!」
だがパアナ様は引かなかった。
「いえ、下の者の不始末は上の者が取らなくてはなりません。関係ないでは済まされないのです。そうですわよね?ヤッチャネンさん」
「ま……まあ、わ、わかりゃいいのよわかりゃ」
お嬢もどこかしどろもどろだ。多分パアナ様の雷にビビってしまったのだろう。まあしゃーない。
「謝罪を受け入れていただけると考えてよろしくて?」
「そ、そうよ!まあこれから気を付けてくれたら……それでいいから」
「寛大なご処置に感謝致しますわ」
「まあね、アタシって太っ腹だから」
そう言って何故か胸を張るお嬢。まあ腹は張らずとも出てるから必要ないということか。
「さすがのヨーナシ型ですお嬢様」
「せめて安産型と言って頂戴」
メイ先輩の的確な指摘にお嬢が文句言って話は一件落着……とはならないようだ。
パアナ様が頭を上げ、再びお嬢と向き合う。
「で、わたくしは頭を下げましたけれど?」
「そうね、ちゃんと見届けたわ」
「次はあなたの番ではなくて?」
「は?」
「は?」
再びピリつく空気。
「え?いや何でアタシが謝んなくちゃなんないわけ?」
「昨日の件、忘れたとは言わせませんわよ」
「あれはあんたがうちの子バカにするからでしょ」
「それはあなた方がバカな真似をするからではなくて?」
「は?」
「は?」
まずい、色々あってパアナ様も気持ちが高ぶったせいか雰囲気が昨日のようになってきている。このままでは再びバトルが始まってしまう。そしたら明日にでもお嬢は追放されるかもしれない、それは何としても避けなければ!
「お嬢、ここは謝っときましょうよ。俺もアレ見てましたけどどう考えてもご迷惑かけてましたよ」
しゃーないので俺が仲裁に入ったものの、これにお嬢が目を剥いて怒る。
「あんた!一体どっちの従者なのよ!?」
誠に遺憾ながらあんたのです。そしてこれはお嬢のための行動でもある。時に従者は、主君の耳が痛くなるようなこ事も言わなきゃならんのだ。
「いよっ!お嬢、安産型!」
「わかったわかったわようっさいわね!謝りゃいいんでしょ謝りゃ!アタシがわるぅござんした。はい謝った!」
お嬢の耳元で思いっきりご希望通り褒めてやった事が功を奏したのか、思いのほかすんなりと謝罪した。いやまあ、これを謝ったと言っていいのかはわからんが。
「何だか釈然としませんが、まあ今回はこれで良しとしておきます」
ただ、相手は大人のパアナ様、年齢的な意味ではなく人格的な意味で。
お陰で大変寛大にもお嬢を許してくださった。素晴らしい、もしやこの方こそ真の聖女では?
というわけで僭越ながら、彼女の方にもささやかながら賛辞を贈らせていただこうと思う。
「さすがパアナ様、美人!綺麗!優雅!清楚!可愛い!次期国母!」
「何でそんなに褒めちぎるのよ!アタシには一言も言ってくれたことのない言葉ばかり!」
ところがうちのお嬢は太っ腹な反面ケツの穴が小さいのか心がフン詰まりを起こして癇癪を起してしまった。本来ならば無視するところなのだが、今まさにパアナ様の寛容な精神を目の当たりにしたばかり。というわけで俺も彼女にならってお嬢に誠意を見せておこうと思う。
「ちっ、うっせーな。反省してま~す」(*3)
「前半聞こえてんのよ!」
ありゃ、マイク入っちゃってたか。いかんなあ、うっかり先っちょが届いちゃってたようだ。ご立派すぎるのも考えモノだ。
と、何故かパアナ様が俺に疑いの目を向けていることに気づいた。おい偽国母、お前本当はお粗末なんだろ?って見抜かれてるようですごく居心地が悪い。
さあどうやって俺がビッグであることを証明するか。まさかこんな衆人環視の状況でマイクパフォーマンスを見せつけるわけにもいかんしなあと悩んでいたら、何と彼女の方からお声をかけていただいた。
「ところでそこのあなた、殿下を騙ったわけではないというのは本当なのですね?」
「う麤っす」
「……何ですって?」
「う囎っす」
「……」
ちなみに麤も囎も「そ」と読める漢字である。ふふん、いくらパアナ様といえどもこれはわかるまい、きっと彼女の中では単なる文字化けとして処理され「う っす」と返答しているように聞こえているだろう。だが俺は嘘を吐いたわけではないのだ!
「てめえふざけた真似してんじゃ……!」
まさかこの字が読めるのか、またデカい奴がいきり立つも今度はパアナ様が出るまでもなく中級の男子生徒に一睨みされ口を閉ざした。但し目はめっちゃこっちを睨んできているが俺は素知らぬ振りしてそっぽ向いてやる。
「……ともかくそれを、あなたの主君の名に誓えますかしら?」
「余裕っす」
「いやに軽いですわね……」
パアナ様は呆れるが、うちのお嬢は軽く扱わんと怒るからこれで良いのだ。
すると先輩が提案してきた。
「そんなもんじゃ全然物足りないでしょうからトッピングにお嬢様のお命も添えられては如何でしょう?」
「あ、じゃあソレも追加で」
「アタシは軽食か何かなの?」
いえいえ、お嬢は食えない女ですよ。
と、もう一人の食えない女が何かを思い出したようにぽんと手を叩いた。
「そういえばヒリア様、あの時王子様がお近くにいるとか仰ってませんでしたっけ?」
「あー、言われてみればそんな気もしてきた」
「あんた達、命は粗末にしちゃダメって習わなかった?」
確かにその通りだ、これはくい改める必要がある。もしお嬢の命が散ってしまったらその死を無駄にしないために俺の味噌汁をブタ汁にせざるを得なくなるからだ。それを考えるとやはりこの件は有耶無耶にし続けなければならないだろう。
――粗末なのは、俺の股間だけで充分だ。
そんな事を思っていると、パアナ様が額を抑えながらため息をついた。
「……全く、ピーヘンは一体どうなっておりますの?こんな無礼極まりない行為、宮廷なら一族郎党路頭に迷うことになってもおかしくありませんわよ」(*4)
「いやこいつは昨日従者になったばかりのよそ者だけど」
お嬢の指摘にパアナ様が目を丸くした。
そして俺に近づき訝し気に尋ねてくる。
「……あなた、昨日のこの方の醜態はご覧になりまして?」
「はい、バッチリと」
「ひょっとして脅されたり弱みを握られたりしてまして?」
「いえ、自分からお願いしました」
俺としてはごく誠実に答えたつもりだったのだが、パアナ様はより一層態度を硬化させ、眉間に皺を寄せながら扇で口元を覆った。
「……何だかニオいますわね」
「!?」
俺も慌てて口元を覆った。俺の口、そんな臭い!?近づいたから臭ったの?まさか、昨日俺の中に侵入したお嬢がまだ生息していた!?クソ!?この世界にフリ〇クがない事が悔やまれる!
「ヤッチャネンさん、悪い事は言いませんからすぐにでもこの者の身辺調査をなさるべきです。下手をすれば刺客の類かもしれませんわよ」
だが彼女はどうやら俺の行動そのものに疑いを持っただけらしい。良かった、どうやら口は臭くなかったようだ。なかったよね?
まあ確かに普通の感性をしてたらこんなのにわざわざ近づくのは後ろめたい事情があると考えても不思議ではないかもしれない。実際俺も汁権利のためなわけだし後ろ暗さがないわけではない。
だがお嬢はパアナ様からの至極真っ当な忠告を一笑に付す。
「ないない、こいつアタシにゾッコンなだけだから」
「「何言ってだこいつ」」
噴飯ものの曲解に俺と先輩の呆れ声がはもった。
「ですが……」
パアナ様もそんな事あるわけないと思ってくれているのか未だ表情は厳しいままだ。
ところがお嬢がまたさらにとんでもない事を口にする。
「だって昨日こいつに二度も押し倒されたのよアタシ」
このトンデモ発言に慌てふためくパアナ様。
「ほらごらんなさい!やっぱり襲う気満々ではないですか!」
「そんな気一切ないですって!どっちの意味でも!」
俺が必死に弁明すると、どういうわけか彼女は突然ぽかんとした。
「はて?どっちの意味でも、とは?危害を加える目的以外に何がありますの?」
これにお嬢が呆れたように扇子を扇ぐ。
「そんなのエッチな意味に決まってんでしょ」
するとパアナ様は顔を真っ青にした。
「やはり危害を加えられてるではありませんの!」
「だから加えてませんってば!」
「むしろ加えたのはお嬢様の方です!」
「いやいや、くわえ損ねたわよ?」
「咥えさせねーよ!」
誰がさせるかそんなこと!てか話がまた下品な方に逸れとるやないか!
そんなやり取りをしたかと思うと、突如お嬢がにやりとしてパアナ様を見下ろすように顎を上げた。
「それにしても、エロいこと即危害だとか、パアナ様もまだまだお子様ですわねぇ」
「んなっ!?」
これに今度は顔を真っ赤にするパアナ様。一方のうちのお嬢はしたり顔だ。
「互いに合意があれば問題ないんですわよぉ」
「異議あり、俺は合意してねえ」
相変わらず息を吐くように濡れ衣を着せてくるお嬢。こればっかりは尊厳に関わってくるので毅然とした態度で否定の意を示す俺。
先輩も俺を庇うかのように弁護してくれた。
「わたしは見ておりましたが、そもそもヒリア様は押し倒してなんかいません!」
「あら、そういえばそうね。訂正するわ」
するとお嬢は意外なほどすんなりと自分の過ちを認め、訂正した。
「押し倒されたんじゃなくて、ひき付けられたのよ」
「まあ!」
「それも違っ……!」
「事実でしょ」
口を覆うパアナ様に弁明を試みようとした俺だが、お嬢の言う通りでもあるため言葉に詰まってしまう。
「そ、それも強いて言えば一回目だけで……」
「やはり本当に惹き付けたのですね!」
何とか言い訳したものの、それが凶と出た。パアナ様が食い気味に確認してくる。しかも何か誤解してる気がする。
「事故だったんですよ!二度目に至っては故意にやられて……」
「恋にやられて!?」
「ああ何かまた誤解されてる気がする!?」
「誤解もなにも、キスした仲じゃない?アタシ達」
どや顔で俺の腰に腕を回してくるお嬢。隙を見せたら尻を触ろうとしてくるのでとりあえずぺちんとセクハラハンドを叩いておく。
「そ、それは従者となったのですからキスくらいするでしょう。わたくしだって何度も執り行っております」
と、こほんと一つ咳払いをし何故か背筋を伸ばすパアナ様。まさか、張り合ってる?
これにお嬢がいよいよ得意げに高らかに嗤った。
「わかってないわねぇ、そういう儀式的なもんじゃなくて、アタシ達がしたのはクチとクチのチュー」
「くちとくちのちゅう!?な、ななな、なんて破廉恥な!」
先ほどまでとは比較にならないほどに真っ赤に茹で上がってしまったパアナ様。これを好機と見たのか、お嬢が立ち入った追及を始める。
「あらあ~、ひょっとしてパアナ様はまだご経験ないのかしら~?」
「あ、当たり前です!婚前にそんなこと、出来るわけがないでしょう!?」
「まあ、カマトトさん。殿下もさぞや欲求不満でしょうねえ~」
お嬢の煽りに目を三角にするパアナ様。
「ふ、ふざけないでください!殿下がそのようなふしだらなことを求めているわけありませんわ!」
「チューくらいでふしだらだなんて、中央ってちょっと偏狭すぎやしないかしらん?」
「そ、そういうのは段階を踏んで初めて美しいものになるのです!出会ってその日のうちにだなんて、あ、アバズレのすることですわ!」
「なら貞淑なあんたはどれぐらい段階踏んでんの?」
「え?そ、それは……」
急にしどろもどろになるパアナ様。目が泳ぎ、これまでの威勢の良さが嘘のように縮こまってしまう。
にたぁ~っと下品な笑みを浮かべながらアバズレならぬメスブタが公爵令嬢の顔を覗き込む。
「確か幼少の頃にはもう婚約してたんだよねぇ?もう随分時間経ってるけど、まだキスの一つも出来ないほどの関係なのぉ?」
「ぐっ……ぐぬっ……!」
「あんたと殿下、一体どっちが奥手なのかしらん?」
「ほ、ほっといて下さい!あなたには関係のない事です!」
「もしあんたの方に原因があるんなら、殿下も新しい女見つけちゃうかもねえ~」
「わたくし共は婚約しております!そのような事にはなり得ません!」
「でもうちのメイがすり寄った時も満更じゃない感じだったけどぉ~?」
「ち、ちがっ!?ちがっ!そんなわけ……そんなわけありませんわ!殿下がそんなふ、ふせい、不誠実なわけっ……あ、あ、ありあり、あり得ません!」
もはやパアナ様の反論は悲鳴のようだった。この様子に実に心地よさげにブヒブヒ鼻を鳴らすお嬢。
「でもぉ~、この学園でぇ~、側室の籍埋まっちゃったらどうしますぅ~?」
「こっ……これ以上は時間の無駄ですわ!失礼致します!」
お嬢の下劣な嘲笑に耐え切れなくなったのか、突如としてパアナ様が踵を返し人込みをかき分けるようにして何処かへと去って行った。突発的な行動に一瞬呆気にとられた彼女の取り巻き達だが、すぐに我に返ると主君を追いすがった。
……一部、というか結構な数こちらを睨んできていたが気が付かなかったことにしよう。
一方のお嬢はというと、その様子にさも不思議そうにしながらこうのたまった。
「あっれえ?アタシ、なんかやっちゃいましたぁ~?」
はい。偉い人をまた怒らせてまた一日追放に近づきました。
(*1)こちら大変下品な下ネタとなっております。かなりカオスな内容でわかりにくい描写となっていることを深くお詫び申し上げます。
解説をしますと、「イケるクチ」というのはのクチは「タイプ」の意味と文字通りの「お口」の両方にかかっており、お嬢は後者のつもりで喋ってます。一方のヒリアは所謂攻めの方でも頑張ればなんとかなるという前者の方で主張しています。
攻守交替は文字通り攻めと受けのことであり、これが愛好者の間では極めてセンシティブな行為であることはよく知られていますが、それを「災い」は炎症或いは怪我やビョーキ≒荒れにかけています。上も下もというのはおクチの位置のことを指し確かにどちらもケアが大事という話です。
尚、パアナ様の言葉を煽りだと受け取った二人はイッてないと強がっておりますが、彼女の口元が可愛すぎたのでヒリアは危うく年齢制限を付与せざるをえないことを言ってしまいそうな危険な状況に陥ってます。
ちなみに、この世界であっても原則男性が身重になることはありません。
(*2)北狄とは四夷の一つで、古代中国において北方の中原的都市文化を共有しない遊牧民族を呼んだ呼称のことですが、ここでは北方の領地であるピーヘンに対して中央の人間が侮蔑の意味を込めて呼んでいます。実際にこの世界で北狄扱いされるのはその更に北部にある国です。
尚、「果てる」という言葉には「死ぬ」という意味もあり、ヒリアはパアナの怒気に当てられ単に死にかけただけで深い意味はありません。
(*3)こちら少々対象年齢が高めのネタとなっております。
又、その後は少々下品でもあります。ご了承ください。
(*4)いちぞくろーとー、ろとぉー!
以上です。




