【2-5】聖女先生と遭遇した
外は案の定暗かったが、漆黒の闇というほどでもなかった。月明り自体は曇天なのかぼやけており心許ないが、それなりに外灯が設置されているため足元すら覚束ないというほどでもない。
辺りは前世で言うところの洋館に似た石造りの建築物がほとんどだったが、やはりというかお嬢の家だけは木造ツーバイフォーの一軒家という感じだった。曰く、ケンメリーの様式だとか。もっとも建築方法まで一緒とは限らないが、少なくとも前世の記憶を持つ自分としてもこっちの方がどこか安心する。
もう結構遅い時間のせいか、周囲に人の気配はない。先輩が言うにはこの学園内では生徒という立場以外で外部から関係者を連れてくることができないらしい。にもかかわらず夜警の姿すら見かけないというのは少々不用心なんじゃないかという気もする。上級の宿舎では事情が違うのかもしれないが。
と、ここで俺は厄介な事実に気づいた。自分の宿舎の場所がわからないのだ。誰かに道を尋ねるにも応えてくれそうなのは軽やかな鳴き声の虫ぐらいしかいない。
さてどうしようか、一旦お嬢のところに戻るか?いやさすがに入学早々伯爵令嬢殺人事件の現場に居合わせるのは御免被りたい。入学しばらく経ってからなら良いという問題でもないが。
かといって他の宿舎のドアを叩く気にもならない。それこそ下手すりゃその場でならず者として討ち取られる可能性すらある。
「ま、いっか」
そういうわけで、俺は慌てず騒がず散歩がてらのんびり歩いて探すことにした。とはいえ、全くあてなく彷徨うつもりはない。よく見ると上手と下手で明かりの光量が違うのだ。おそらく明るい方が王族ら上級の方々の宿舎があり、薄暗い方が俺達下級の居場所だ。もし間違っていてもどこかに看板の一つぐらいは立っているだろう。
そんな軽い気持ちで散策していると唐突に物音がした。ガサッと、草木をかきわけるような音だ。視線を向けると一瞬影が見えた。
暗がりであるためはっきりとは見えなかったが、人間の姿をしているように見えた。
「誰かいるのか?」
おそらくは庭木なのだろうが、鬱蒼とした茂みに向けて俺は声をかけた。しかし返事はない、物音もしない。
俺と同じように主君のもとに夜中までいた生徒だろうか。いや、それにしては道から外れたところにあえているのはおかしい。だとすると逢引きの類?わざわざこんなとこで?
俺の頭に警鐘が鳴り響く。お嬢の近くにいると麻痺するが、ここは本来高貴なお方達が住み込みで通う学び舎。それは、良からぬたくらみを持つ者からすれば格好の餌場であるともいえるだろう。
俺はどうしようかと迷った。猫か何かかな?と独り言でも言って通り過ぎるのが一番無難だとは思う。だが、何か気になる。どうしても確認しておかねばならない気がしてならないのだ。
俺は警戒しながらも、少しずつ、音のした方へと歩を進めると――
「……ェッ!?」
――思わず変な声がでた。
突然、誰かが俺の尻にタッチしたのだ。
「こんな時間に何をしているの?悪い子はお尻ペンペンの刑よ?」
透き通るような綺麗な声だった。
慌てて振り向くと、そこにいたのは流れるような長い髪の女性。暗がりだからわかりづらかったものの、その髪色が銀髪であることは容易にわかった。もっとも半日前に見かけていなければ、まさかこのお方と出くわすだなんて思いもよらなかっただろうが。
「これは聖女様……」
俺は跪こうとした。前にメイが言っていたように、この国での聖女は場合によっては王よりも権威があり、俺のような一介の騎士の倅風情が面と向かって対話しても良い存在ではないからだ。
しかしそれを、聖女ナリーセはやんわりと拒絶した。
「ここでの私は聖女ではなく、先生。だからそんな畏まった態度は不要です」
「ですけど……」
「ならこれが聖女命令、フランクに接してくださいな」
「先生にフランクな態度というのもどうかと思いますが」
「そうそう、そういうので良いの。聖女様相手だったらそんな口答えもできなかったでしょう?」
「はあ、それはまあ……」
何か変な言いくるめられ方をした気もするが、聖女命令という大義名分を与えてくれたのも事実だ。
俺は跪くのをやめ普通に彼女と相対した。
彼女は微笑みを浮かべていた。やはりその姿は聖女そのもの、とても慈愛に満ち溢れていて温かい存在……の筈なのだがさどこか彼女の表情には翳りがあった。まあ暗い夜道なのだから物理的にそう見えても仕方ないが。
「それで、あなたはどうしてこんなところにいるのです?」
「さっきまで主君の宿舎にいたもので」
聖女の質問に具体的に答えたわけではないのだが、彼女はすぐに察してくれたようだ。
「あら、こんな時間までご苦労さまですね」
「で、ちょっと道に迷ってしまって。下級の宿舎へはこっちであってますか?」
「ええ、そうですね」
「そうですか、それは良かった。それじゃ俺はこの辺で失礼します」
俺は頭を下げてすぐにこの場から離れようとした。何となく居心地が悪かったからだ。いかに相手が仙姿玉質の聖女であろうと……いや、だからだろうか。逆にお嬢みたいなんは安心するというか気負わなくて済むのだから単に俺が緊張しているだけなのだろう。
「ちょっと待ってください」
にもかかわらず、聖女に呼び止められてしまった。
少し、嫌な予感がした。
「……何か?」
「あなた、お名前は?」
「……ヒリア・キョロットルと言います」
何となく言いたくなかったが、さすがに嘘をつくわけにもいかないので素直に答えた。
「下級所属ということでよろしいですか?」
「はい」
「では、あなたの主君は?」
「アフォーナ・ヤッチャネン……伯爵家ご令嬢です」
「アフォーナ?つい最近どこかで聞いた気が……」
「入学早々騒ぎを起こして聖……ナリーセ先生にご迷惑かけてた……方です」
「ああ、あの方」
どうやら嫌な予感が的中したようだ。
まずい、これだと俺まで目を付けられかねない。どう考えたって聖女の中でお嬢の心証が良い筈ないのだから。
とりあえず、もう一度頭を下げておこう。今度はもっと、深々と。
「何か色々とすみませんでした。俺が謝ってどうこうなるものではないかとも思いますが」
「いえいえ、気にしないで下さい。ではあなたは彼女につき従ってこの学園に入学を?」
「……いえ、本日付けで従者となりました」
「……変わっておられるのですね」
「色々と事情がありまして」
少し、聖女の声色が変わった。
「大丈夫ですか?お困りならば私が力になりますが」
何か誤解をさせてしまった可能性があったので俺は慌てて両手を振る。
「ああいえ、本当に自分の意志で従者になりました。案外悪い人じゃないんです、案外ですけど」
まあセクハラするわ嘘を吐くわ息をするように濡れ衣着せてくるわの悪役令嬢でもあるが、こっちもこっちで無茶苦茶失礼な事かましまくってるのでおあいこといったところだろう。まあメイ先輩があんな感じだし、あの距離感がピーヘン文化なのだと思う。というか、違うんだったら俺など既に良くてクビ、悪ければ物理的に首が飛んでいてもおかしくはない。
「そうでしたか、それは失礼しました」
なんと今度は聖女の側が頭を下げた。ちょっとやめて、そういうことされると逆に困るんだから。
「いえそんな……お心遣い感謝します」
「いえいえ。でも、もし何かあれば遠慮なく言ってくださいね」
それにしても、これが聖女か。とてもやさしい、俺が下級の者だと知っても尚この神対応。
だがそれでも俺の緊張は中々緩和しない。というわけで、感謝しつつこの辺でお暇することにした――
「ありがとうございます。それでは……」
「ところで、この辺で誰か生徒を見かけませんでしたか?」
――つもりだったのだが、またしても上手く事が運ばなかった。
無視するわけにもいかないし、とりあえず正直に答えておくことにしよう。
「いえ、主君の宿舎を出てから誰とも出会ってませんが」
正確に言えば主君の宿舎に入るまでも含めて誰とも出会っていない、その時の俺は気を失っていたのだから。
聖女は困ったように人差し指を頬へと当てた。
「そうですか。いえ、実は弟子を探しておりまして」
「弟子、ですか?」
「ええ、そうです。私の方からの急な要請だったせいか色々行き違いがあったようで中々見つからなくて」
そういえば、入学式ではお嬢達の方にばかり気を取られていたが、男性にも魔法が使えるようになる方法を見つけたのでそれを広めるとか何とか聖女が言っていた記憶がうっすらとある。
ようするに、その被験者というか選ばれし者のことなのだろう。だとすると、弟子は男子生徒ということになるのだろうか。
なるほど、それでこんな夜更けにもかかわらず聖女が出歩いていたのか。表情に翳りが見えるのは物理的な問題だけでなく彼女の心労も反映されているのかもしれない。
ただ、色んな事情があるとは思うが聖女という最重要人物が単身で夜道をうろつくなどちょっと軽率すぎやしませんかね。それとも俺が知らないだけでこの学園の敷地内はそれだけ安全ということなのだろうか。
「そうですか……あ、そういえば今しがたあっちの方で何か物音がしたんですが」
「音?ネコかしら」
俺が先ほどの体験を口にすると、聖女は首を傾げた。
「確証は無いんですけど、何だか人影のようなものが見えた気もしまして。まあでもお探しの相手なら隠れてるってことはないですかね」
「一応後で私が確認をしておきましょう。見つけたらお尻ペンペンの刑ですね、あなたと同じく」
そう言ってくすりと笑う聖女。
そう言えば彼女はさっき俺にもお尻ペンペンと言ってたが、何というかすごく子ども扱いされてる感じがする。聖女とは見た感じそこまで歳も離れてないように思えるが、まあ大人の女性からすれば18歳男子なんてまだまだ子供なのかもしれない。前世では高校生の年齢なわけだし、真っ当な大人なら異性としても意識しなくて当然だ。
「俺もご一緒しましょうか?」
「……あら、あなたも興味がおありで?」
俺の提案に、今度は彼女の眼が鋭く光った……気がした。
何か、他意があると思われてしまったのかもしれないので否定の意を示しておく。
「ああいえ、下手したら不審者が紛れてるのかもしれませんし、女性一人を向かわせるわけには、と」
「ああ、そういうことですか。でしたらお気遣いは有難いのですが、先生こう見えて一応聖女でもありますからご心配には及びません」
言われてみれば確かにそうだ。どうしても俺は前世の感覚で男相手の方が厄介だと考えてしまうが、この世界では必ずしもそうとは言えない。この男性優位の考え方は主に腕力に基づいているだろうし、この世界でも基本的には男性の方が力も体力もあるが、その代わり女性には魔力がある。
魔力に基づいた魔法は汎用性があり、能力があればあるほど幅広い力を扱うことが出来る。例え草陰にいるのが屈強な男性だったとしても問題なく対処することが出来るだろう。今目の前にいる人は世界で最も魔法に長けた女性なのだから。
「……確かに愚問でした。申し訳ありません」
俺は頭を下げた。何というか、彼女を相手にすると普通に謝ってばかりの気がする。まあ萎縮していること自体は否定できない。これじゃあヒリア・キョロットルじゃなくヒリア・キョドットルだよ。何?その方が非リアっぽいって?やかましいわ。
「いえいえ、とても嬉しかったですよ。また機会があれば、その時は是非あなたもご一緒に」
あいかわらずお優しい聖女様はそう気遣ってくれる。それが逆に恐縮してしまうのか居心地が悪くなるのだが。
「それじゃ俺はこの辺で失礼します」
「はい、それでは。またお話しましょうね、ヒリア君」
これ以上この場に留まっても聖女としても困るだけだろう。
彼女の足手まといにならないためにも……と、自分自身に言い訳をした感は否めないが、とにかく俺は頭を下げてこの場を後にした。
ある程度距離が離れると、背後からガサガサと草木をかき分ける音がした。後ろを振り返ると、元いた場所に聖女の姿が無い。おそらく現場の状況を確認しに行ったのだろう。
さすがに悲鳴なり爆発音でもあれば何らかの行動を取る必要があると考えた俺は、一応警戒だけはしておく。
すると、音がした。ただそれは、ピアノの旋律だった。さっきお嬢の寝室で聞こえたものによく似ていた。
しかし、どこか趣のある旋律だ。こういうの、何て言ったかな?
「そうだ、夜想曲だ」
俺は思い当たった。夜想曲――夜の情緒を表す叙情的な楽曲、まさに今に言い得て妙。
音の出所を確かめたかったがよくわからない。奇妙なことに、俺の耳のすぐ傍から聞こえてきている気さえするし、周辺一帯で鳴っているようにも感じる。
正直、薄気味悪く感じた。ここが人気のない夜道であることも相まっていただろう、気づけば俺は足早になっていた。すると元の場所から遠ざかれば遠ざかるほど音が小さくなっていく。さっきは辺り一面で鳴ってるように感じたがどうやらそれは気のせいだったようである。まあそりゃそうか。
旋律がすっかり聞こえなくなった頃には、聖女と出会った場所からすっかり遠のいていた。なのでもし仮にあそこで何があってももう俺は気づくこともできないだろうし、巻き添えを食らうこともないだろう。
安全圏に入ったことを直感した俺は、ようやく安堵し帰路についた。
空は相変わらず曇っており、月はその輝きを示せずにいた。




