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【2-3】味噌汁は飲むものだった

 俺は思い出した。このアホ令嬢の従者となる道を選んだ理由を。


 彼女の家の領地であるピーヘンと国境を接する三つの国、そのうちの一つが先ほど話に出てきたケンメリー、そしてもう一つが海を越えた先にある東の島国、イャッポンヌ。俺は話にしか聞いたことがなかったが、どうにもその国は日本をモデルにしたとしか思えないような噂の数々。主食は米で、正座をし、イカれた娯楽文化を持つニンジャとサムライとゲイシャのいる国。だから俺は賭けた、お嬢に仕えればひょっとしたら出会えるかもしれないと。この世界に転生してからどうしても食べたくてしかたのなかった料理……そう、味噌汁に!


 そしてその野望は、思ったよりも随分早くに叶えられた。それが今この瞬間だ。

 懐かしい味だった、記憶にあるそのままの素朴な味。だがそれが良いのだ、味噌汁に料亭のクオリティなんか必要ない。そもそも前世でも食べた事がないからわからんのだから。俺が欲していたのはごく普通の素朴な家庭の味、まさにこれがそうだ。


 俺の目はひょっとしたら潤んでいるかもしれない。あまりにもの感動に、この料理を作ってくれた彼女への感謝の気持ちよりも先に、自分の欲求をそのままブチまけてしまった。だけど毎日食べたいのは本当だ。前世の記憶を持つ俺にとっては、今尚味噌汁はソウルフードなのだから。


「あんたねえ、ぶしつけになんなのよ?あんまり身勝手なこと言うもんだから呆れて固まっちゃったじゃない」

 

 お嬢の言う通り、メイ先輩は返事をくれない。だが固まったという表現は間違いだ。実際に肩を掴んでいる俺にはわかる。彼女は小刻みに震えているのだ。しかも顔は紅潮している。これはつまり、呆れているというより怒ったと表現する方が正しいだろう。ようするに、事態はより深刻だ。


「ご、ごめん!毎日じゃなくって良いんだ!三日に……いや、一週間に一度!」 


 毎日はさすがに求め過ぎだった。俺は彼女と交渉し、何とか合意を取ろうとする。

 それが功を奏したのか、彼女の表情から朱の色がみるみる引いていき体の震えも収まっていく。


「……三日?一週間?」


 だがまだまだ俺は調子に乗っていたようだ。今度は怪訝そうな表情を浮かべる先輩。

 ええい、こうなっては仕方ない。


「な、何なら味噌を分けてくれるだけでも構わないんだ!先輩の手は煩わせない、ちゃんと自炊するから!」


 ついには土下座までして懇願するも、彼女の声はどこか冷たい。


「……本当に、ただ味噌汁が飲みたかっただけ、ということですか?」

「……?そらそうよ?」


 いや他に何があると言うんよ。

 そういや味噌汁って地域によって飲むか食べるか表現が違ったりするよね。一応一般的には飲む方みたいだからこっそり修正しておこう。


「……ハァァァァァァァァァッ」


 突如先輩はクソでかため息をついたかと思うと、お嬢の食事の準備に戻った。ランチョンマットを乱雑に敷き、割れるんじゃないかと思うぐらい乱暴に食器を並べる。そのせいで多少汁がお嬢の服や顔に飛び散ったりしていたが、彼女は先輩には怒らず俺に矛先を向けて来た。


「ほらみなさい、怒っちゃったじゃない。ここにある食材のほとんどは遠くから仕入れてる貴重なものばかりなのよ?なんであんたみたいなポッと出の新入りのために分ける必要があんのよ、身の程を知れってんの」

「すいません……」


 確かにお嬢の言う通りではある。そもそも味噌が普通にこの国でも流通するようなら俺は既に何としてでも購入していただろう。だけど市場でそんなものは見た事がない。上流階級が珍味としてたまに食している、という噂を聞いていたぐらいだ。逆に言えば、それだけここではレアものなのだ。


「大丈夫よメイ、気にしなくても。こんな奴には犬の餌でも与えてりゃ充分だから」


 酷い事言いながらお嬢も食事を始めた。彼女も箸を使って食べてるのだが、その料理というのが何というか豚の餌的な感じのラーメンっぽいやつで、欠片も令嬢がお召し上がりになる料理という感じがしない。しかもこいつはズゾゾゾズゾゾゾ実に豪快な音を立てて啜っている。


 それにしても見るからにチャーハンっぽいもの、ギョーザっぽいもの、麻婆豆腐っぽいものとカロリーがやたら高そうなものばかり。こんなんばっか食ってるからお肌荒れ荒れなんだよ。一見するとそこまで太ってないように見えるが内臓には山ほど脂肪をため込んでることだろう。


 とはいえまあ、下品ながらも美味そうにムシャムシャ頬張る姿はどこか気持ちのいいものがある。そうそう、屈強な騎士や兵士たちの食事風景がこんな感じだった。まさに今目の前にいるお嬢のように酒と飯を好きなだけかっくらったかと思えば最後は〆に……


「ぷっはああああっ~」

「って煙草まで吸うんかよ!」


 つい突っ込んでしまった。いやほんとおっさんらとやることが一緒だな。しかも何か見慣れない器具を持ち出して。

 うっすらとある俺の知識からすればこれはおそらくシーシャとも呼ばれる水煙草だ。確か中近東辺りで発展した喫煙具の一種だったような覚えがあるが、それが中世ヨーロッパにも伝来していたかどうかは知らない。というか、多分していない。でもこの世界にはある。


「あ?何よ何か文句ある?」


 お嬢はぷかぷか口から水蒸気を吐きながら俺を睨んでくる。


「まあ、あるかないかで言えばありますけど……」

「あるんかい」


 そりゃ、また一つ世界観無茶苦茶になったわけだし。それに……


「だって体によくないっすよ、そういうの」

「はん、そんなわけないでゲッホゲッホゲッホ!」

「ほらむせてるし、体にあってないんすよ」

「あのねえ、こちとら一桁の歳の頃からこれキメてんの。もう慣れっこなのよ」

「……嘘っすよね?」


 おいおいこれは大変なことになってきたぞ。いくらなんでもそれはマズイ。


「本当です。お嬢様の8歳の誕生日に、わたしがお祝いとしてお贈りしました。酒と煙草と女に飢えたケダモノをセットで」

「いやほんと何てことしてんのあんた」


 元凶は先輩だった。ほんともう何なのこの人、お嬢を殺すための刺客か何かなの?


 お嬢はお嬢で何だかうっとり恍惚の表情を浮かべる。


「夜ベッドに入ったら枕元に並んでたのよ。確かに最初は怖かったけど、すぐ快楽の虜になっていったわ……」


 はいしーらない、俺しーらない。

 もうどうにでもなぁれ♪という気持ちで無視を決め込もうとしたところに先輩が耳打ちしてきた。


「ご心配なく。お嬢様には知らせておりませんが、あれは最初から有害な成分など何も入ってない安全なただの蒸気です。お酒の方もアルコールが分解されております」


 良かった……やっぱり最低限のTPOは守られていたようだ。まあそうだよな、8歳児に飲酒喫煙とか仮に異世界でも絶対あっちゃいけないことだ。それをするぐらいなら幼お嬢が悪者をぶっ殺したりする展開の方がまだマシだっただろう。


「ちなみにケダモノってのはどんな奴だった?」


 これもきっとただのモテない使用人か何かだろう。いくら女に飢えてるっていったって幼お嬢相手にさすがにそれはないよな?な?それだけは絶対に避けなきゃいけない展開だぞ何なら幼お嬢がぶっ殺される方がマシだぞ!快楽ってのもせいぜいおやつもらったとかそんなところだろ頼むそうだと言ってくれ!


「随分とおなかをすかせた虎でした」


 【朗報】ガチのケダモノだった。


「血に飢えとるやないか。つうか相手男女関係ないやろそれ」

「いえいえ、常にメス相手に舌なめずりしておりましたから」

「お嬢はメス虎扱いなん?」

「まさか、メスブタですよ。トンコツならぬポンコツですけど」

「そんなにうまくないような」

「せいさんにもってこいでしたので」


 せいさんって何やどういう意味やまさか虎の子生産しようとしたんとちゃうやろなブタからできるとは思えんけど。

 何にせよこれ、しるのはマズそうだから流してしまおう。


「というかそんな状況でよく無事だったな」

「衛兵が駆け付けた時には瀕死の重体だったようですが」

「え……ガチでやばかったんやん」


 なんと、実際に凄惨な現場になっていたようだ。


「はい。当時お嬢様は既に劇物級の臭さを誇っておられましたので、ひと嗅ぎしただけで死線をさまよったみたいです」

「死にかけたの虎の方かよ」

「はい。ピリには辛い思いをさせました……」

「ピリって言うんだ。ていうか名前つけてたんだ」

「ええ、今では立派にお嬢様の守護獣を務めております」

「今?」

「現在進行形で」


 言われて俺の脳裏にある事がが過る。

 虎……守護獣……守護する猛獣……パンツ……うっ、頭が!


「ま、まさかそれって……」


 俺が恐る恐る尋ねると、先輩はこくりと頷いた。


「はい。あの下着はピリの毛で作られております」

「ピリーッ!?」


 俺はつい絶叫してしまった。哀れな末路を迎えたどうぶつの名前を。


「お嬢様もしょっちゅうピリピリすると仰っておられます」

「そりゃなんか静電気とかすごそうだもんな!知らんけど!」


 先輩はよよよと泣く素振りを見せた。彼女の目はカラッカラにドライアイっぽいが。


「あのような姿になっても尚ピリの遺伝子は主君を守る使命を忘れていません。お嬢様を毒牙にかけようとする輩などピリ毛封印が解かれた瞬間奈落のソコに堕ちるハメになるでしょう」

「なんか言い回しやらしくない?てかピリ毛封印普通の布切れ一枚と防御力変わんなくない?」

「何を仰います。ピリの獣特有の臭みがあるからこそお嬢様の激臭を緩和できているのです。この役目はピリにしか務まりません。お陰で領地も平和になり一石二鳥でした」


 ああさっき言ってたせいさんって清算のことだったのかな?それにしてもここの言語は日本語じゃないのに同音異義語まで同じになるとか偶然って怖いね。


「ちなみにそちらの瓶の中身もピリを遠心分離したものが入ってます」

「ピリーーーーーーーーッ!?」


 なんとこの謎液体もピリだった。あのドクロマークはピリの成れの果てを描いていたようだ。というか未成年飲酒喫煙の線がなくなったと思ったら今度は動物虐待っぽい話とか本当勘弁してくれませんかね。


 ただ間違いなく元の世界で虎をぐるぐる回しても某童話みたいにバターっぽくなったりしないだろうから試してみようなどとはゆめゆめ考えないように。


「これをお嬢様に日々摂取させることで体内環境から体臭を軽減させております。このお陰で周囲にいる者達が臭いに苦しむ事が減り健康問題が改善されました」


 そういやお嬢がこれ健康に良いって言ってたけど、それ周りにいる人達の話だったんだな。


 まあでも中身が虎汁なんだったら少なくとも毒ではなさそうだ。何でボッコボッコ泡立ってたんかは知らんけど、深く聞くのも怖い気がするのでやめておこう。


 それに、そんな事よりずっと気になる事があったのだ。


「ところでさっき遺伝子って言ってたけどそれって……」


 俺が言うと、先輩が少し驚いたように口元を覆った。


「おっと、つい口走ってしまいましたが、ひょっとしてヒリア様もご存じなのですか?最近バイオテクノロジーに優れたバックス・バンニンで発見されたもので、いわばわたし達の設計図のようなものだそうです。よく親子は血がつながってるなどと表現しますが、実際にはこの遺伝子を受け継いでいるとか何とか……」

「へえ、すごいね……」


 そんなものまであるんやね、この世界。最早中世どころか近世でもないね。


 ちなみにバックス・バンニンはピーヘンに接する北の国のことだ。この国の実情は一般的にはあまり知られておらず俺もほとんど知らない。とはいえ遺伝子技術が確立されているのならばかなり現代的な科学技術を持っていると見るべきだろう。この剣と魔法のなんちゃって世界においてはかなりのチートのように思えるが、お嬢の領地はそんな国をどうやって抑え込んでいるのだろうか。単にケンメリー、イャッポンヌと四すくみのような関係で動いてないだけなのだろうか。


「ちょっとぉ~、あんた達さっきから何くっちゃべってんのよぉ、ヒック」


 と、そこにお嬢の声が割り込んでくる。全然呂律が回ってない。


 俺はこっそり先輩に尋ねる。


「……お嬢すっかり出来上がっちゃってるけど、本当にノンアルなん?」

「はい、ピリジンですので」

「やめろ、せめてジンピリにしてくれ」


 それだとものすごい悪臭がして発がん性物質のある危険物に指定されてそうな液体っぽく聞こえてまずいんだよ、確かにアルコールは入ってないだろうけどさ。


 しかしそれにしてもカタカナで表現するとそんな別の何かと読みが一緒になったりすることがあるから困るよね。だが安心してくれ、ジンを英語表記するとginであってdineではない。だから例のアレと一緒ということはありえない。そもそもdineの発音はカタカナで表すならダインだし、日本語訳するなら「食事をする、正餐をとる」であって……ん?正餐(せいさん)?ピリのせいさん?


 俺は絶対に、ピリをアルファベット表記するならpiriにすると固く決意した。間違ってもpyriにはしない。


 メイ先輩はさらに続ける。


「いずれにしろピリ汁にはアルコールを分解する作用があります」


 すごいなピリ、どうやったんだ?


「じゃあ何で酔っぱらってるん?」

「さあ?アホだからじゃないですか?」

「ああ、なるほど……」


 そう言われてしまうと何も言い返せなくなる。

 

 そうこうしていると、へべれけになったお嬢は俺に無理難題を押し付けてきた。


「ちょっとそこの新入りぃ、アタシもう寝るから寝室まで運んでちょーだい」

「いや俺場所知りませんし」

「何断ってんのぉ!主君の命令よぉ!?」


 まあ確かにそれはそうだ。自分の目的を思い出した以上これから先も従者を続けなければならない。可能ならば学園を卒業後もお嬢に雇ってもらい、日々イャッポンヌ料理を堪能するのが今の俺の夢だ。厨二病ファンタジー(ファンタジーとは言っていない)世界なんかまっぴらごめんである。


 というわけで嫌々ではあるがお嬢に肩を貸しに近づく。


「はあ……まあそれじゃ……」

「んっ」

「……ん?」


 どういうわけかお嬢は座ったまま手を伸ばしてきた。これが何を意味するのかよくわからない、いや本当はわかるが知りたくない。


「早くしなさいよ」

「いやせめて立ってくださいよ」

「無理」

「……俺にだっこしろと?」

「役得でしょ?」

「いや口元あぶらでギットギトの人に言われても……」

「いやらしいわね、アタシの唇をそんな目で見ないで」

「言っときますけど普通に気持ち悪いですからね」


 つい先ほど、お嬢に唇を奪われた瞬間がフラッシュバックして体に怖気が走る。


「ヒリア様、放っておいていただいて構いません。後はわたしが処分しときますので」

「それはそれで後々困ったことになりそうなんだけど」


 メイの助け舟は有難いが、こいつに任せていたら本当に処分しかねない。ほらさっきのガチめなナイフに舌を這わせてる。


「そうね、もうお味噌汁にはありつけないわねぇ」

「そうなんですそれが困るんです」


 お嬢が殺処分されること自体はどうでもいいが、お嬢がいなくなって味噌汁が飲めなくなる事だけは耐え難いのだ。


「だったら早ぅ、くるしゅうないくるしゅうないぃ」

「いやどう考えても苦しいっしょ」

「首を絞めてもいいんだけど!?」

「わかりましたよ、運びます運びますから」


 ついにお嬢がガチギレしだしたので、俺は観念して彼女を抱きかかえることにした。


 ……そういや、ピリが幼お嬢に与えた快楽って一体何だったんだろうな?

 ま、知らぬが仏か。

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