【2-2】夢オチだった
「――リア様、ヒリア様!……良かった、お目覚めになられましたか」
切迫したように俺の名前を呼んでいた声の主が安堵したようだ。
同時に、俺の意識が切り替わる。
「……あれ、ここは?」
どうやら俺はソファーで眠っていたらしい。だが上体を起こして伺った辺りの様相は見覚えのないものだった。
しかしその一方でどこかひどく懐かしい。
「ここはアフォーナお嬢様の宿舎です。昏倒されたヒリア様を医者に診せた後こちらに運びました」
「……そういえば俺、意識を失ったんだっけか」
声の主はメイ。確かフルネームはメイ・ドーザーと言ったか。アフォーナ・ヤッチャネン伯爵令嬢の侍女で、茶髪をサイドテールにまとめあげているのが特徴的な女性だ。
彼女は記憶にある制服姿からメイド服へと着替えていたが、おそらくこれが彼女の本来の役割なのだろう。
ああそうだ。俺はこれからアフォーナお嬢の取り巻きとしての人生が始まるんだった。
決して、滝つぼにオチて死ぬわけじゃないんだ。
「仕方ありません、あれほどの毒物を微量とはいえ摂取してしまったのですから。先ほども随分とうなされていましたので心配しました」
ここでは俺の先輩にあたる彼女がそう気にかけてくれたが、果たしてアレのせいで見た夢なのか、それともあの夢自体が元凶でうなされていたのか微妙なところだ。いずれにしろまだどこか頭が痛い、無意識に手が額を抑えてしまう。
それにしてもあの夢を見たのは久しぶりだ。前世ではちょくちょく見ていたけど、こっちに転生してからは初めてかもしれない。
あの、文字通り夢にまで見るヒロイックファンタジーは俺にとっての黒歴史だ。当時も「え?ワイって深層心理レベルでこんなん求めている厨二病患者なん?」と恥ずかしさのあまりしょっちゅう身もだえしていたものである。
で、実際そうだったからこんな世界に転生してしまったのかもしれない。しかしそれにしちゃあちょっと思ってたのと違いすぎる。どうせならもっとちゃんとした所にちゃんと来たかった。
「何が毒よ、そんなもんどこにあったっていうのよ。単にそいつが緊張でぶっ倒れただけじゃない」
声がした方に目をやると、そこにはテーブルに肘をついたお嬢の姿があった。彼女もまた制服からドレスへと着替えている。これがまた実にヨーロッパのお姫様然とした……ではなく体のラインがきっちり出るエロいタイプのやつ。そう、ボディコンに。
……いや、訂正しよう。タイトワンピだ。危うく前世で生きた年代がバレるとこだった。危ない危ない。
「……まあある意味緊張したといえばしましたが」
あれはまさにデスゲームといっても過言ではなかった。一歩間違えたら死に至る毒――お嬢の足に口を付けるチキンゲーム自体はメイ先輩の実質的敗北によりノーゲームとなったが、うっかりお嬢の足を掴んでいた手から俺の体内に混入して今に至るわけだ。
何事も、油断は禁物。その事を痛感させられた出来事だった。
「ま、それこそしょうがないわね。あんたみたいな下流の冴えない男、アタシのような上流貴族の娘と交流した経験なんて今までなかったでしょうし」
「確かにお嬢みたいなのは初めてっすわ」
「オッホッホ!でっしょうね!」
お嬢がやたらと上機嫌にやんごとなき雅な麿笑いを始めた。何か良いように誤解されてる気もするが、丁度ソファーから降りる途中だった俺はこれから主たる仕事になるであろう突っ込み業もおろそかにお暇することにした――
「それじゃ、俺はそろそろ帰ります。初日から面倒かけてすいませんでした……」
「お待ちください。もう夜分遅いですし、お夕食を召し上がっていかれませんか?」
――のだが、先輩に呼び止められる。
窓の方に目をやると、カーテンは引かれているがほんの少し開いたところから確かに闇が見て取れた。
「……一応聞いとくけど、俺どれぐらい気ぃ失ってた?」
「かれこれ半日ほどです」
良かった。
体感としては10か月ほど意識を失っていたわけなので、そういう意味では思ったより時間は経過してなかったと考えるべきなのかもしれない。正直このまま終わってしまうもんだと思っていたぐらいなのだから。
「でもこんな時間だし尚更帰んなきゃダメじゃないか?曲がりなりにもレディーの部屋なわけなんだし」
皮肉を込めたつもりだったのだが、お嬢はそれに気づかなかったのかまた例の麿笑いと共にクソ偉そうにほざいてきた――
「良い心がけね。あんたの言う通り、何処の馬の骨ともわからない低俗な男がいつまでも居て良い場所じゃないんだから……」
「ヒリア様が召し上がらないのであればお嬢様もこのままお食事抜きです」
「食べていきなさい!主君の命令よ!」
――のだが、メイの鶴の一声で主張を一転させおった。
「ってかお嬢、飯じゃなくてお預けを食らってたんだ」
「うまくないからね!言っとくけど!」
「お粗末様でした」
「それではわたしはお食事の用意をしますので少々お待ちを」
俺とお嬢が軽口を叩いていると、メイが一礼をしてどこかへ行こうとする。
「え?先輩がやんの?他に使用人は?」
おそらく食堂に向かうつもりなのだろうが、そんなことまで彼女の仕事なのだろうか。
「……おられません、わたし一人です」
と、いかにも不本意極まりない調子で答えるメイ先輩。元々表情に乏しい彼女にこんな顔をさせるのだから相当なものだ。
まあそりゃそうだろう。あれもこれもが自分の仕事になるわけなのだから。
なんというか……
「お嬢ってそんなに貧乏貴族だったん?」
「ち、違うわよ失礼ね!」
お嬢は顔を真っ赤にして否定するが、俺が来るまでは先輩たった一人で切り盛りする予定だったところを見ると、正直とてもじゃないが伯爵令嬢の家とはとても思えなかった……のだが、代わりに先輩が説明をしてくれた。
「この学園ではわたしのように生徒として同行する場合以外、家から使用人を連れてくることは認められていないのです。代わりにお金を払って、学園から雇い入れる形となります」
「で、払うための金を用意できないほど困窮していると」
「だから違うって言ってるでしょうよ!ちゃんと必要な時はその都度雇うわ!」
「ほ~ん」
「くっ、こいつ……信じてないわね」
はい信じてないです。
ただその理由は使用人が他にいないからだけではない。何というかここって――
「……それにしても変わった部屋ですね」
――そう、変わっているのだ。この中世だか近世だかわからんヨーロッパもどきの世界観には似つかわしくないという意味で。
率直に言って、この家は前世でよく見た感じなのだ。ツーバイフォーで建てられたような、ふっつーの家。
お嬢が今やただのギャルにしか見えない理由は衣装だけの問題ではないのだ。
「ああ、これケンメリーの建築様式だから」
「ケンメリーっていうと、確かお嬢の領地の西側にある国でしたっけ」
お嬢の家の領地があるピーヘン地方は三つの国の国境に面している。そのうちの一つ、西側に面しているのがケンメリーという国だ。字面から言ってまんまメリケンな感じがする国だがそこではひょっとしたら元の世界で言うところの近代以降の文化が設定されている……もとい、歴史として紡がれているのかもしれない。
「そうよ。アタシ何となくこういうのが性に合うから事前に用意してもらったわけ」
「そんなこと出来るんすね、やっぱさすがは腐っても伯爵令嬢」
「腐っとらんわ!まだまだピチピチや!」
「男同士がくんずほぐれつするようなのってどう思います?」
「……悪くないわね」
「やっぱ腐ってんじゃねーか」
「わけのわからないこと言ってないでこっち来てシャクの一つでもしたらどう?今やあんたはアタシの従者なのよ?」
まあわけのわからない事言ったのは認めるし、従者なのも認めるが……
「……そんな持病持ってませんけど」
「だからわけのわからないこと言ってないでさっさとしなさい!……んとにもうっ、一々癇に障る奴ね」
いやそれは癪じゃないんかい。
まあ逆に言うなら無いからこそ欲してるのかもしれんが、俺としてはそんなもんより先にさわっておかねばならん疑問がある。
「いや、ほんとマジでお嬢の言う〝シャク〟って何なんすか?まさか酒を呑むわけでもあるまいに」
「いや、呑むに決まってんでしょ」
「……何を?」
「酒を」
……ようするにお酌をしろってこと?
「……お嬢、今いくつでしたっけ?」
「んなもん言うまでもないでしょ」
「ですよね、36ですよね」
「18よ!なんでダブルスコア付けてんの!」
「だって肌年齢はそれぐらいですし」
「あー、だったらしゃーないわね。ん?しゃーない?かしら?」
しゃーないしゃーない切り替えていけ。
しかしそれにしてもこう来るか……入学が18歳ということである程度エチエチな展開になってもとりあえずセーフだと思ってたら飲酒展開やるんか。いやまあ、確かにこっちの世界では別に未成年がどうとかでの飲酒基準はないよ?ないけどさ、でもそれ言ったらやらしいのも別に年齢制限的なものないんだよ。だけどさ、わかるだろ?俺がこうやって脳内で独白しているってことはあれでしょ?一人称形式のやつでしょ?ということはそっちの法律とか条例にあわさなきゃ色々やばいことになるやつじゃん。どーすりゃいいんだよ。
「……わかりました。ではすぐに子供ビールを用意します」
「36歳にそんなもん必要ないでしょ」
「なら甘酒を……」
「んな女子供が飲むようなもんお呼びじゃないのよ。いいからそこに置いてあるのを割って入れて頂戴」
女子供ではない36歳。お嬢はメイ先輩からババア呼ばわりされてたがどうやら実際はジジイだったらしい。
お嬢が指し示した先には氷で冷やされたボトルが二本あった。
俺は酒のラベルを確認しながらも一応お嬢に尋ねてみる。
「これ何の酒っすか?」
「ジンよ」
「……スピリッツじゃなくて?」
「じゃなくて」
「……リカーでもなくて?」
「じゃなくて」
「……蒸留酒ですよね?」
「何それ」
これは地味に困った事になったぞ。
ジン(gin)――それは元の世界にもあったお酒……お酒なのだが……これがこの世界にもあっていいのかは微妙なところだ。ジンは蒸留酒の一種で、大元の蒸留酒ならば普通名詞としてあってもいいだろうがそれだとスピリッツ(Spirits)かリカー(Liquor)の方が適切だろう。
ジンは杜松果またはジュニパーベリーの上に流すことによって香り付けがされているのが特徴的なお酒で、「ジン(gin)」という名前自身も「ネズ」を意味するフランス語のgenièvreあるいはオランダ語のjeneverのいずれかに由来するそうだサンキューwi〇ip〇di〇。
とはいえ名称自体が現世由来であったとしても、それが翻訳の過程で出るものならば別に構わないだろう。問題は、本当にこの酒が杜松果に漬けられたものなのかという事だ。更に言えばこの世界に杜松果が存在するのかという疑問もある。これらが無いのであればここでジンという名称を宛てるのは適切とは思えない。にもかかわらず、俺は何故この酒を「ジン」と訳してしまったのだろうか。ちなみに現地の発音が/dʒín/に近いわけでもない。
正直に白状すると、俺はこの世界に「ジン」と呼べる代物があることを事前に知っていた。何故それが「ジン」だとわかったかというと、ただ匂いが似てただけ、それだけの理由なのだが。なので実際にこの世界の「ジン」を作る手順が地球のものと一緒であることを確認したわけではないし、杜松果の存在を確かめたわけではない。というか別に植物に詳しいわけでもない俺が現物を見たとしてもわからないし、そもそも生態系が全く違うであろうこの世界で同じものとして存在するのかどうかもわからんのだが。
こういう時はゲーム系世界への転生者がうらやましくなる。彼らの多くはウインドウが出現して客観的な説明が描写されていたりするのだから。或いは何らかの代弁者によって語られるのならば少なくともそれは設定上適切な翻訳と見做していいだろう。これが俺基準だとそうはいかない、前提となる知識が問題になってくる。
ただ逆に言えば、本来の中世ヨーロッパに無いものがこの中世(中世とは言っていない)ヨーロッパ風世界に存在したとしても、それはあくまで俺の誤認に過ぎず実際は別の物という可能性を残せる。例えばこのジンの瓶はどう見ても綺麗な透明のガラス製なのだが、これも俺が勝手にそう思い込んでるだけで本当は実際の中世にもあった全くの別物かもしれないのだ。
もっともこれはこれで俺がアホなことになってしまう諸刃の剣でもあるのだが、世界がアホなよりは色々とマシっちゃマシなのかもしれない。まあどのみち何かしらアホな事に変わりはないのだが。
まあそんな話はともかくとして――
「で、もう一つの方は?」
「さあ?何て言ったけ、忘れた」
「これ、本当に飲んで大丈夫なやつなんですかね?ラベルにドクロの印がついてるんですけど」
――そう、もう一つの瓶には如何にもおしおきだべ~と言ってきそうなやつが描かれていたのだ。
通常この手の物が飲料に適してるとは思わないので一応確認してみたのだが、お嬢は全く気にもしない様子だ。
「問題無いわ、いつもメイが用意してくれてるものだから」
「いつもこんなん飲んでるんすか?」
「そうよ、健康に良いんだって」
「むしろお嬢の肌年齢を促進してるっぽいんすけど」
「既に大人の女性の仲間入りしてるってことかしら?」
何というポジティブシンキング。まあ本人が良いのなら何も言うまい。
とりあえず酒の方を先に開ける。ふわっとアルコールと共に松葉の様な独特な香りが漂ってきた。間違いない、これはジンらしき普通の飲み物だ。ちなみに封がコルクじゃなくスクリューキャップだったりするのだが世界観的に不都合な事実だと思うので内緒にしておこうと思う。
そして問題の詳細不明な方も手に取る。こちらは茶色の半透明で、どちらかというとジャムとか入れる容器に似ていて蓋もやや固かったが今世の俺は騎士見習い、前世の貧弱な社畜とはわけが違うので結構すんなり開けることができた。
「お嬢、なんかこれすんごい泡立ってるんすけど」
「炭酸なんでしょ」
「いやシュワーっていうさわやかな感じじゃなくって、なんかボッコボッコいってるんすけど」
開かれた瓶から漂ってきたのは何となく獣臭い匂いだった。近いところで言えばバターの香りに似ている気がする。それが瓶の中で溶岩のように発泡しているのだ。お嬢は気軽に炭酸だと言ってるが、到底真っ当な液体だとは思えない。
「何でも良いからさっさと入れて頂戴よ」
お嬢は空のグラスを揺らして催促するものの、正直気が乗らない。
「……ほんとにこれで割るんですか?」
「言っとくけどマジで破壊するんじゃないわよ?中身を混ぜるのよ?」
チッ、外に思いっきりぶん投げてはい割りました~ってやろうと思ったのにカンのいい奴め。もっとさわりたくって悪化させとけばよかった。(*1)
こうなったらこいつの頭をかち割ってやろうかとも考えたが自重した。それでは何のために従者になったのかわからなくなる。
……あれ?何のためだっけ?
そういえばちょっと思い出せない。そういやぶっ倒れる直前も忘れてしまっていたし、あまりにもの強烈な刺激で記憶障害に陥ってしまったのかもしれない。えーと、マジで何だったかな?
「ねえ早くぅ!お願いだからイれてぇ!アタシもう、我慢できないぃ~」
人が懸命に記憶を辿っていたというのに、お嬢は何か誤解を生むような猫なで声で急かしてきた。
イラっとしたが、従者である手前そうとも言ってられない。
むしろ逆に、この謎の液体を飲ませることに躊躇がなくなって丁度良いまであった。
まあいずれにしろお嬢が普段から愛飲しているのであればただちに健康に影響を与えるものではないだろう。少なくともただちには。
「ちなみに混ぜる比率はどれぐらいが良いんすか?」
至極真っ当な質問をしたつもりなのだが、何故かお嬢は不満げな表情を浮かべる。
「そんなのアタシに聞かないでよ」
「いや聞くでしょ、俺こんなの初めてですもん」
「そんな事自慢されても困るわよ」
「こんな常識的なこと自慢になるわけないじゃないっすか。いいからいつもどんな風にやってるか教えてくださいよ」
「知らないわよ、メイがいつもやってくれてるんだから」
「ならちょっと先輩に聞いてきますんでしばしお待ちを……」
「駄目よ、食事の準備してるメイに手間かけさせたら」
「……お味は保証しませんよ?」
「不味くしたらぶっ飛ばすわよ」
なんという理不尽。まあいい、確かジントニックが酒と割り材の比率が1:3くらいだと聞いたことがあるからそれぐらいを目安にするか。
まずは酒をグラスに注ぐ。これはやはり普通の飲み物のようなので何の問題も起きそうにない。
問題はドクロマークの方、俺は細心の注意を払ってこの謎の液が手に付着しないように気を付けながら、慎重に瓶を傾けグラスの中に入れていく。液はやや粘性があるようだったが、順調に容器を埋めていった。そして割合が1:2ぐらいになった段階で――
ドッピュゥッッ!!!
「お゛っ!?」
「お゛っお゛っお゛っお゛っ!?」
――と液が破裂しグラスから勢いよく漏出、気泡が立ちのぼった。一瞬だがドクロマークが描かれた気がした。
俺は泡を食い、お嬢も変な声を出しながら慌ててジュルジュル泡を吸う。
「あんたの方が中身ぶっ飛ばしてどうすんのよ!それもこんな早く!」
一しきり吸い尽くした後、口の周り中ネチョネチョにしたお嬢が俺の方をキッと睨んでくる。
「すいません……俺も出るだなんて思ってなくて」
グラスから溢れ出たことは正直不可抗力すぎた。こんな奇怪な液体前世にはなかったのだから俺の反応も当然だ。
「ちゃんとイれる事すらままならないだなんて、このヘタクソ。そんなんでアタシを悦ばせれると思ったら大間違いよ」
また何か誤解を生みそうな事を言いながら謎割り酒を呷るお嬢。正直シンプルにムカつく。
「それにしても、食前の酒は胃にしみわたるわね~。グェェェップ!」
しかもこのアホ役令嬢、人の目の前でおもいっきりゲップしやがった。正直シンプルに殺意まで湧いてくる。
俺は謎瓶を握る手に力を込めた。さっき少し考えてやめたことを本当に実践してやりたい衝動に駆られたのだ。
駄目だ、やめよう……
そう思い直した俺は――より一層瓶を強く握りしめた。
一体何を目的にこの女の従者になったのかわからなくなっている以上、こんな理不尽極まりないアホの相手をし続ける理由がない。
ただ暫定的なものとはいえ臣従儀礼までやってしまった相手、そう簡単に俺の都合で辞めることなどできないだろう。なので適当に色々失礼なことをしでかして向こうからクビを言い渡してくるように仕向けよう。うんよしそうしよう。
というわけで、とりあえずお嬢のドタマをカチ割ってみることにした。従者をやめるためには多少は人間をやめなきゃならんこともある。
幸いにもお嬢は今俺のことなど既に眼中にないくらい酒に夢中だ。背後に回ってもまったく気づかれる様子もない。
今が好機と捉えた俺は、瓶を思いっきり頭上に振りかぶる!――
「お食事の用意が出来ました」
――が、今まさに上げた手を振り下ろそうとした矢先、俺の背後から声がした。
振り向くと、そこにいたのはメイ先輩だ。彼女は食事の乗った配膳ワゴンを押しながら戻って来たところだったのだ。
現場を見られてしまった――
――のだが、別に困った事にはならない。主君に危害を加えようとしたことを彼女がチクり、俺は晴れてお役御免だ。
そう思ったのだが、先輩は何事もなかったかのように皿をテーブルに並べ始めた。
「えっと、何も言わなくていいん?」
「何の事でしょう?」
首を傾げ彼女がそんな事を言う。あれ?見えてなかったの?
「こんな事やってたんだけど」
そう言って俺は先輩に見えるように瓶を掲げる。ちなみにお嬢は配膳ワゴンの方に注意がいってこちらには一切興味を示していない。
「ああ。確かにそれはいけませんね、許容し難いです」
先輩の目つきがやや厳しくなる。良かった、やっぱり見てはいたんだ。さっき何故とぼけたのか理解に苦しむが。
「だよな。やっぱ俺みたいなんが従者で居続けるわけには……」
「その中身がヒリア様の手にかかってしまうのは良くありません。殺るんならもう一つの酒瓶の方を使ってください」
「いやそういう問題?」
「他に何か?」
無表情にきょとんとする先輩。いやこれ俺が間違ってるの?ていうかやっぱりこの謎液やばいもんなんじゃ?
「なーに?何かあったの?」
ようやくお嬢が異変に気付いて尋ねてきたが先輩は素知らぬ素振りをした。
「いえ、ただヒリア様に瓶の安全な取り扱い方を教えていただけです」
「そいつ給仕も満足にできないのよ。あんたがちゃんと色々教えてあげて」
「かしこまりました、お嬢様。ではヒリア様、手始めにこちらをどうぞ」
そう言って先輩が渡してきたのは結構ガチめなナイフだった。
しかも彼女は仕草でお嬢の首を掻っ切れと伝えてくる。いやちょっと本気で怖くなってきたんだけどこの人。あんまり近づかない方がいいのかもしんない。
今まさに俺がやろうとしたことを棚に上げて彼女と距離を取ろうとした矢先、俺の鼻腔を、懐かしい香りがくすぐった。
「こ、これは……」
様々な料理の匂いの中にまざったそれを、俺は見逃すことができなかった。
「申し訳ございません、ヒリア様には馴染のない料理かとは思いますが、病み上がりなので少しでも消化の良いものをとこれを用意いたしました。あ、勿論お口に合わなければ残して頂いても……」
それは、俺のために用意された食事らしかった。
彼女が全てを言い切るよりも前に、俺は食膳の上に置かれた御椀と箸を手に持ち一気に口へとかきこんだ。
「へえ?お箸使うの初めてじゃないんだ?」
お嬢は少し驚いているようだが、日本からの転生してきた俺からすればむしろこの方がなじみ深い食器であり、そして食べ物だった。
汁の一滴をも残さず飲み干した後、俺はメイの肩をがっしりと掴み、こう言った。
「君のつくった味噌汁を、毎日食べたい」
(*1)
ここでのカンは勘で、さわりは触りですが前段の癇に障る(かんにさわる)に対応させた言葉遊びの一種になります。
作者がアホで間違えたわけではありません。ご了承ください。
(尚、いずれにしろ面白いとか上手いとかを保証するものではありません。)




